294・帰りの海へ
第294話になります。
よろしくお願いします。
あれから、僕の記憶は曖昧だ。
イルティミナさんがヤーコウル様の祝福である『神炎』で、『5番目の悪魔の欠片』を倒してくれた。
そのあと、ロベルト将軍やアーゼさんたちが駆けつけてくれて、負傷したキルトさんの足を治療をしてくれたのは覚えている。
でも、記憶はそこまでだ。
イルティミナさんと抱き合ったまま、地面に倒れていた僕は、そのまま意識を失ったみたいなんだ。
――次に気がついたのは、『開拓船』の船室だった。
僕は、ベッドに横になっていた。
そばでは、イルティミナさん、ソルティスも横になっている。
ポーちゃんは、壁近くの椅子に座ったまま、コックリ、コックリ……と居眠りをしていた。
「…………」
ザザァン
波の音が聞こえる。
「目が覚めたか?」
ふと声が聞こえて、見れば、ベッドの脇に座っているキルトさんが僕を覗き込んでいた。
窓から差し込む陽光が逆日になっていて、銀の髪が輝いている。
その眩しさに、青い目を細めた。
何かを言おうと思ったけど、掠れた息が漏れただけだった。
気づいたキルトさんが言う。
「喋らんでよい」
「…………」
コクッ
僕は頷いた。
白い手が伸びてきて、僕の髪を労わるように撫でてくる。
……心地好い。
目を伏せていると、何だか眠くなってきた。
「大丈夫じゃ。そのまま、もう少し眠れ。……もう全て終わったのじゃ」
優しい声。
あぁ、終わったのか……。なら、もう少し眠っていよう。
僕は安心して、もう一度、眠りについた。
◇◇◇◇◇◇◇
「そなたらが気を失ってから、10日が過ぎておる」
改めて目が覚めた時に、キルトさんは、ベッドに横になっている僕ら3人へと、そう説明した。
(10日も?)
僕は驚いた。
その間に、『第5次開拓団』は最初の『砂浜・拠点』へと帰還し、海上で待機をしていた4隻の『開拓船』に乗船したのだという。
出航は、今日の正午。
あと1時間ほどで、僕らは暗黒大陸をあとにして、シュムリア王国を目指すんだって。
キルトさんは言う。
「生き残ったのは、103名じゃ」
「…………」
総員の4分の1……。
「この数字が多いとみるか、少ないとみるかはわからぬ。しかし、はっきり言えるのは、あの時、イルナの放った力がなくば、わらわたちは確実に全滅していたということじゃ」
そう言いながら、キルトさんは、イルティミナさんを見る。
僕らも視線を向けた。
イルティミナさんは、真紅の瞳を伏せる。
自分の右手を見つめて、
「私もはっきりとは覚えていません。ですが、大きな力が身体中に満ちていた感覚は、覚えています」
と呟いた。
キルトさんは頷いた。
「女神ヤーコウルの祝福じゃな。まこと、かの女神には感謝せねばならぬ」
「はい」
イルティミナさんも同意する。
(……ヤーコウル様は知っていたのかな?)
この暗黒大陸に存在する脅威――『悪魔の欠片』の存在を。
だから、僕らに出発前に祝福を授けてくれたのかも?
物思いに耽っていると、
「しっかし、とんでもない力ね。私は気を失っていたけど、あの大地を埋め尽くす『黒い水』を全て焼き尽くしたんでしょ? 神様の力って半端ないわ~」
ソルティスが感心したように、そして、どこか呆れたように言った。
シャクッ
その口が、瑞々しい果物をかじる。
その果物は、ソルティスのベッドの横に座ったポーちゃんが、ナイフでせっせと皮を剥いて、切り分けた物だった。
世話好きな義母の影響か、ポーちゃんは結構、この少女のお世話をしてくれる。
(さすが、ソルティス……)
その恐れ多い『神の眷属』をこき使っちゃって、もう……。
そして、その少女の言葉に、キルトさんは頷いた。
「その力の加護がなければ、わらわたちも『第3次開拓団』と同じ末路であったであろうの」
第3次開拓団……。
彼らの『航海日誌』には、『大地が怒った』という記述があった。それが地面から襲ってくる『悪魔の欠片』のことだったのかなと思う。
キルトさんは遠い目をして、
「神々の力は、人の及ぶところではない……。その協力が得られる可能性がある現状は、人類にとって本当に幸運じゃ」
そう言葉を続けた。
(……うん)
そして、その協力を得るための『神霊石』を、僕らはこの地で手に入れた。
そういえば、
「『神霊石』は今、どこにあるの?」
僕は訊ねた。
キルトさんは笑って、
「持っておるよ、わらわがの」
そう言って、ポケットから白い光を放つ石の欠片を取り出した。
「マールに任されたからの。責任を持って、わらわが預かっておる」
……そっか。
その事実に安心して、
「キルトさんが持っていてくれるなら、安心だよ」
僕も笑った。
そんな僕を見つめて、キルトさんも優しく瞳を細めてくる。
「……んん?」
イルティミナさんが何かを疑うように、キルトさんの横顔を見る。
気づいたキルトさんは、苦笑しながら『神霊石』をポケットにしまって、コホンと咳払いした。
それから、ベッド上の僕ら3人を見回して、
「そなたらは、まだ身体が動かぬであろう? もうしばらく、そのまま休んでおれ」
と言った。
「マールとソルにも、子供の身に負担をかけた。すまなかったの。2人ともここに運ばれた時は、極度の疲労状態であったそうじゃ」
ふぅん、そうだったんだ?
(ま、大変だったもんね)
『究極神体モード』の反動も残ってたし、後半はほとんど朦朧としてた。
ソルティスも「そう」と他人事みたいに頷いている。
キルトさんは苦笑して、
「特にイルナ」
と、イルティミナさんへと視線を定めた。
「そなたの場合、身体の不調があったのは、単なる疲労だけではなく、ヤーコウルの祝福の影響もあったと『魔学者』たちが言っておったぞ」
「おや?」
イルティミナさんは驚いた顔だ。
(そうだったの?)
僕も、ソルティスも、つい彼女の顔を見てしまう。
キルトさんの説明によれば、『悪魔の欠片』の存在に反応して、体内にあった『祝福の神炎』が活性化、つまり放出可能になるための準備を行っていたらしい。
その膨大なエネルギーの影響で、肉体の不調を引き起こしていたのだとか。
何とも皮肉な話だ。
「最後は、そなた自身の『マールを守る』という意思が引き金となって、力の放出が行われたらしい。全く、そなたらしいの」
キルトさんは苦笑している。
(そっか)
ヤーコウル様は、僕を守るための力として、その引き金と共に人間にあれだけの力を与えたんだね。
そしてイルティミナさんは、見事に引き金を引いた。
もしも彼女じゃなければ、引き金を引くこともできず、『祝福の神炎』も放出されなかったのかもしれない。
イルティミナさんは不思議そうに、
「私がマールを守るのは、当たり前でしょう?」
と言っていた。
あはは……嬉しいな。
ソルティスは、ちょっと呆れた顔で、ポーちゃんの用意してくれた果物をまた食べている。
キルトさんは苦笑しながら、
「今回は、それに救われた。しかし、もはや加護は失われたのじゃ。これからは、わらわたちのみの力でなさねばならぬの」
最後は表情を引き締めて、そう締め括った。
イルティミナさんも頷いた。
…………。
女神の加護はなくなったけれど、こうして僕ら5人は生きている。
イルティミナさん。
キルトさん。
ソルティス。
ポーちゃん。
僕は、みんなのことを見つめ、それから青い瞳を伏せる。
(本当にありがとうございました、ヤーコウル様……)
心の中に、半人半獣の美しい女神様の姿を思い描いて、しっかりと感謝を述べておいた。
◇◇◇◇◇◇◇
出航までの1時間、僕らは、のんびりと休んでいた。
僕、イルティミナさん、ソルティスはベッドに横になり、ポーちゃんは、食欲旺盛な少女のための果物をナイフでせっせと剥いていた。
キルトさんは、椅子に腰かけ、数枚の紙をめくっている。
僕は、ふと気になって、
「それは何?」
と、キルトさんに訊ねた。
キルトさんは「ん?」と紙面から顔をあげる。
「報告書の草案じゃ」
と言った。
(……報告書の草案?)
首をかしげると、彼女は笑って教えてくれる。
「今回の遠征でわかったことを、シュムリア王国に報告せねばならぬからの。一応、冒険者団の代表という立場で、報告書を出さねばならぬのじゃ」
「そうなんだ?」
大変だなぁ。
そう思っていると、彼女はクスリと笑った。
「見てみるか?」
「いいの?」
ちょっと興味があったので、頷いた。
キルトさんは笑って椅子から立ち上がり、僕のベッドに腰を下ろす。
ギシッ
(わっ?)
キルトさんのお尻と太ももが、毛布越しに押しつけられている。
ちょっとドキッとしてしまった。
「そのまま寝ておれ。わらわが見せてやる」
「う、うん」
少し赤くなってしまった僕の顔の前へと、彼女は、手にしている紙を持ってきてくれた。
ど、どれどれ?
気を取り直して、僕はそれを見る。
◇◇◇◇◇◇◇
・1000年以上前、古代タナトス魔法王朝と同時期に、トルーガ文明という帝国が存在していた。
・トルーガ帝国は、『大王種』と戦争をしていた。
・それらの要因から、トルーガ帝国では生体兵器の開発が行われていた。
・その兵器開発の中で、『大王種』の細胞を利用した『蛇神人』と呼ばれる究極生体兵器が誕生する。
・『蛇神人』が暴走する。
・その脅威に対抗できず、トルーガ帝国は、暗黒大陸の1割と推定される北部地域一帯を放棄した。
・『蛇神人』は、北部の1つの都市にて生息し続ける。
・400年前、神魔戦争が勃発。
・『神』と『悪魔』が、暗黒大陸に到達。
・『神』は、その肉体を結界と化して『悪魔』を封じ込めることに成功する。
・『神』と共に『神霊石』が飛来。
・『蛇神人』が『神霊石』を発見し、体内に取り込む。
・その後、結界が破壊される。原因は不明。『蛇神人』の関与、あるいは『悪魔』による自力の可能性あり。
・『悪魔の欠片』が誕生。
・『黒い水』という形態により、都市の大地に同化した。
・『蛇神人』は『悪魔の欠片』を刺激しないようにしながら、都市上にて生息し続ける。
・30年前、『第3次開拓団』が都市に侵入したことで、都市防衛の本能を宿した『蛇神人』、休眠状態であった『悪魔の欠片』を刺激し、全滅に追い込まれる。
・『第5次開拓団』も同様に都市に侵入。
・『蛇神人』を討伐し、『神霊石』の入手に成功。
・『悪魔の欠片』は暗黒大陸の大地と同化しながら、逃げる『第5次開拓団』を追跡、襲撃を繰り返す。
・金印の魔狩人イルティミナ・ウォンの体内にあった『神炎』にて、『悪魔の欠片』討伐に成功する。
・『第5次開拓団』生存者は、竜騎隊3名、神殿騎士団32名、王国騎士団41名、冒険者団27名。また竜2騎が翼膜の負傷により、現在は飛行不可能状態である。
◇◇◇◇◇◇◇
(ふ~ん?)
読み終わった僕は、素直な感想を述べた。
「なんだか年表みたいだね?」
「そうじゃな」
キルトさんは頷いた。
「ま、骨組みを作っただけじゃ。これに発見した遺物や資料などの詳細を乗せ、肉付けをしていく。これ自体は、わらわが報告書を作るためのメモ書きにすぎぬ」
「ふぅん?」
そうなんだ。
(なんだか大変そう……)
大人の世界は、色々と苦労が多そうだ。
「ま、この報告書を完成させたら、あとは優雅に酒でも喰らって、船旅を楽しむことにするかの」
キルトさんは、そう笑った。
あはは、キルトさんらしいね。
僕も、つい笑ってしまった。
そうして2人で笑い合っていると、
「……ずいぶんと楽しそうですね」
ふと隣のベッドから、剣呑な声が聞こえてきた。
(え?)
見れば、イルティミナさんがどこか恨めしそうな眼差しで、僕とキルトさんのことを見つめていた。
え、えっと……?
「キルト、ちょっとマールに近すぎませんか? もう少し離れてください」
「ふむ?」
キルトさんは驚いたように彼女を見つめる。
それから悪戯っぽく笑って、
「マールはわらわの弟子でもあるからの。こうして心配して、そばにいてもよかろう?」
なんて言いながら、僕を抱きしめた。
ギュウ
(え……ええっ?)
鎧を着ていないので、キルトさんの胸の感触がダイレクトに顔に押しつけられる。
や、柔らかい。
それに、いい匂いもする。
僕は真っ赤になった。
「キ、キキ、キルト!?」
イルティミナさんが愕然としたように、真紅の瞳を見開いた。
慌ててこっちに来ようとするけれど、まだ力が入らないのか、ベッドの上にペタンと倒れ込んでしまった。
(わわっ?)
キルトさんは苦笑して、
「動けぬ身体で無理をするな、全く」
そう言いながら、腕を開いて、僕のことを開放した。
僕は、ベッドの上をヨロヨロと移動する。
「イ、イルティミナさん、大丈夫?」
「う~」
涙目でキルトさんを睨むお姉さん。
僕は、そんな彼女に手を貸して、上体を起こすのを手伝った。
「マールは、私のマールですよっ」
力の入らない腕で僕を抱きしめながら、キルトさんにそう宣言する。
わわっ……イルティミナさんの胸も押しつけられて、柔らかな長い髪が僕の肌の上をサラサラと流れていく。
いつもの甘い匂いと体温も伝わってくる。
キルトさんは両手を広げた。
「やれやれ、そなたはケチじゃのぉ」
「う~」
「わかった、わかった。まったく、からかい甲斐のある可愛い女になりよって」
そう笑った。
(キ、キルトさんったら……)
僕までドキドキしちゃったよ。
見たら、ソルティスは呆れた顔をしながらも我関せずで、ポーちゃんの用意してくれる果物をかじっていた。
イルティミナさんは、しばらくキルトさんを睨んだあと、僕を見る。
「マールも、あんまり他の女と楽しそうにしないでくださいね?」
「う、うん」
びっくりしながら頷いた。
イルティミナさんは、ジーッと僕の顔を見つめる。
それから、
「独占欲が強くて、ごめんなさい……」
少しだけ反省したように呟いた。
……か、可愛い。
そのしおらしくて、うなだれるような様子に胸が高鳴ってしまった。
自分がそこまで求められるのも、ちょっと嬉しい。
ギュウッ
思わず、動けないイルティミナさんの頭を抱きしめてしまった。
「マ、マールっ?」
驚いた声。
それから、彼女の頬が赤く染まっていく。
僕は笑った。
「大丈夫。僕はイルティミナさんだけのマールだから」
「…………」
彼女は目を見開き、それから嬉しそうに笑った。
「はい」
輝く笑顔。
うん、やっぱり僕は、この人が大好きだ。
キルトさんは、少し寂しそうに笑って、そんな僕らを眺めていた。
それから、ベッドに散っていた紙を集める。
と、
ドォーン ドォーン ドォーン
外から大きな銅鑼の音が聞こえてきた。
「出航の時間じゃな」
キルトさんがそう教えてくれた。
ギシッ ギシシッ
船体が軋む音がして、大きく揺れる。
船が動きだしたんだ。
ザザッ ザパァン
波の弾ける音がする。
僕らは皆、船室の丸い窓枠の方へと視線を送った。
遠ざかる砂浜。
その向こうにある森と山脈の景色も離れていき、海の見える範囲が広がっていく。
――暗黒大陸。
3ヶ月もの長きに渡り滞在した、未知なる大地。
「……また来れるかしら?」
ソルティスが呟いた。
「私たちが歩いたのなんて、大陸の北の一部だけだもの。『悪魔の欠片』もいなくなったし、今度はもっと、南の方まで行ってみたいわ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
大陸の南……かぁ。
そこは未開の地、もしかしたら、まだトルーガ文明が残っているかもしれない。
それを確かめたい気もする。
キルトさんは笑った。
「『闇の子』を倒し、世界が平和になったら、それも良いかもの」
…………。
(うん、そうだね)
その前に、僕らにはまだやらなければならないことがあるんだ。
キュッ
イルティミナさんの指が動いて、僕の手を弱々しく握る。
応えるように、僕は彼女の手を握り返した。
「…………」
「…………」
イルティミナさんの頭が、甘えるように僕の肩に預けられた。
遠ざかる暗黒大陸。
僕らは、その姿を、いつまでも見つめ続けた。
――こうして長い探索の日々は終わり、僕ら『第5次開拓団』はシュムリア王国への海を渡っていくのだった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
これにて暗黒大陸編は終了です。次回からは、またシュムリア王国を舞台に、マールたちの冒険が始まります。
ただその前に、ここまでの展開を見直したり、これからの物語をしっかりと練るために、申し訳ありませんが、しばらく更新を休止することにしました。
楽しみにして下さっている方には、本当にごめんなさい。
長くても1ヶ月以内には、更新再開する予定ですので、どうか少しだけお時間を下さいね。
また元気なマールたちを見て頂くためにも、頑張ります!
それでは、また!




