263・愛しき湯船
今話は少し短くなってしまいました、すみません。
でも、お風呂回です(こっそり)。どうか許して下さいね~。
それでは、第263話です。
どうぞ、よろしくお願いします。
航海に出てから、1週間の時が流れた。
ザザァン
大きな船は、波を蹴散らしながら、海を進んでいく。
「揺れますね」
「う、うん」
イルティミナさんの呟きに、僕は小さな声で答えた。
僕らは今、お風呂にいた。
そう、お風呂だ。
それもイルティミナさんと2人きりで、船室に備えられたお風呂にいる。
海の旅では、潮風にさらされることが多くて、ベタついた身体を洗うためにお風呂に来たんだけど、前に宣言していた通りに、イルティミナさんは一緒のお風呂に入ってきてしまったのだ。
(うぅ、恥ずかしい……)
ちなみに、キルトさんとソルティスとポーちゃんは、3人で甲板に行っている。
部屋にこもってばかりの眼鏡少女を心配して、キルトさんが日光浴に連れ出したのだ。
ポーちゃんもそれに同行した。
そんなわけで、2人きりのお風呂。
ザザァン
波に合わせて船が揺れると、浴槽のお湯も揺れる。
結構なお湯が、排水口に流れていく。
補給のできない船旅で、こんなお風呂で真水を使って、もったいなくないのかな? なんて思ったけれど、それは前世の感覚だった。
(こっちの世界には、魔法があるんだよね)
真水は魔法で作りだせる。
それ以外にも、数リットルの水を小さな石1つに変換された『水の魔石』も大量に備蓄されているんだ。
(だから、こうして贅沢にお風呂も入れるんだよね)
ジャバ ジャバ
シャンプーして泡立てられた僕の髪に、桶のお湯がかけられる。
「はい、終わりましたよ、マール」
「うん、ありがと」
僕の髪を洗ってくれたイルティミナさんは、「どういたしまして」と微笑んだ。
そうして身体を洗い終わったら、湯船に浸かった。
(あ~、いい気持ち)
お湯の温かさが、身に染みるよ。
隣では、胸をタオルで押さえたイルティミナさんの白い裸身が、ゆっくりとお湯に沈んでいた。
「ふぅ……」
お湯が熱かったのか、色っぽい吐息がこぼれる。
…………。
(僕は紳士だ、紳士だ、紳士だ)
3回唱えて、煩悩を押し込める。
ブクブク
口元までお湯に浸かり、顔を真っ赤にして泡を浮かべる僕に、気づいたイルティミナさんは、クスリと艶っぽく笑った。
赤らんだ頬。
艶やかな深緑色の髪は結い上げられ、白いうなじが丸見えだ。
濡れたおくれ毛が、白い肌に張りついている。
チャポッ
大きな胸が浮かび上がるのを、白い腕が押さえ込む。
けれど、そのせいで余計に谷間が強調されていて、僕は慌てて視線を外すしかなかった。
(うぅ……がんばれ、僕)
あと1年の約束だろ?
そんな風にしていると、
「マール。どうか、もっと力を抜いてくださいな?」
そう声をかけられた。
(と、言われても……)
困ってしまう僕だったけれど、イルティミナさんは言葉を重ねた。
「もっと楽にしていていいのですよ」
「…………」
「ほら、肩の力を抜いて」
キュッ
(うひゃ?)
突然、肩を揉まれました。
急に触られたので、びっくりしてしまった。
でも、ちょっと気持ちいい。
何でもできるお姉さんは、マッサージも上手だったっけ。
あぁ、力が抜ける。
「フフッ」
感触でわかるのか、イルティミナさんは嬉しそうに笑った。
…………。
しばらく、そうしていた。
チャポ チャポ
やがて、肩を揉まれる僕の耳に、
「本当は、マールはいつでも、そのぐらいに力を抜いていていいのですよ?」
と囁くような声がした。
(ん?)
かすかに振り返る。
イルティミナさんは、少しだけ悲しそうな顔をしていた。
……え?
彼女は真紅の瞳を伏せながら、
「貴方の周りの大人たちは、皆、貴方を『神狗』として扱います。けれど、それに騙されないでください」
と言った。
(……騙されないで?)
困惑する僕を見つめて、
「貴方は、『マール』です」
「…………」
「他の何者でもない、ただのマールです。それが本来の貴方」
白い指が、僕の肩から離れた。
そして、その手は、僕の頬に触れる。
「神狗と呼ばれる少年の正体は、普通の子供です。その事実を、多くの者たちは忘れて、貴方に重荷を背負わせようとする……どうか、貴方自身は、それに飲み込まれないでください」
「…………」
「もっと力を抜いて、楽に生きていいのですよ?」
目の前の美しい女の人は、そう微笑んだ。
僕は、目が離せない。
彼女の唇は紡ぐ。
「その生き方を認めぬ者たちからは、私が貴方を守ります」
「…………」
「必ず、守ります」
真紅の瞳には、強く、清廉な輝きがあった。
…………。
(イルティミナさん……)
胸が熱かった。
言葉がなかった。
ただ、彼女の深い愛情だけが、心に染みた。
そんな僕に、イルティミナさんは優しい笑顔で、
「貴方は、私のマールです」
「…………」
「だから、せめて私と2人だけの時は、何もかもを忘れて、ただ、ありのままのマールでいてくださいね」
ギュッ
そのまま抱きしめられる。
「…………」
僕は、何度この人に助けられ、守られているのだろう?
知らずに背負っていた何かが、心から外れた気がした。
「……う、ん」
一滴だけ、涙がこぼれた。
それはお湯に波紋を広げ、溶けていく。
「よしよし、大丈夫ですよ」
イルティミナさんの指が、僕の髪を撫でてくれる。
僕は、まぶたを閉じた。
その心地好さに、今は素直におぼれていよう……そう思った。
今の僕は何者でもない『ただのマール』として、ただ大好きな人のそばで安らぎに浸っていたかったんだ――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




