255・夢幻の祝福
第255話になります。
よろしくお願いします。
入り口から入った先は、荘厳な広間となっていた。
(礼拝堂……かな?)
いくつもの柱が並んだ広間の奥には、5メードぐらいの女神像があった。
塔の女神像に似ている……。
ここは、ヤーコウル様の神殿なのかな?
長い年月によって風化し、広間の柱は折れていたり、壁や天井が崩れたりしていて、そこから植物の枝葉が伸びていた。
胸が熱い。
天井から差し込む光の中へと進みながら、僕は、女神像へと近づいていく。
と、
「マール、待ってください」
追いかけてきたイルティミナさんが、僕を呼ぶ。
キルトさんとソルティスも、姿を現す。
「ここは……古代の神殿なのか?」
「うはぁ……」
キルトさんは茫然と周囲を見つめ、ソルティスは紅い瞳をキラキラと輝かせている。
3人を振り返っていると、
ウォン
「!」
キルトさんが手にしていた三角形の金属板が、白い光を放った。
「むっ?」
驚く彼女の手の中で、その輝きは、大きな女神像へと直撃する。
瞬間、
パァアン
女神像が真っ白く発光した。
(うわっ!?)
「きゃっ!?」
「ぬう!」
「マール……っ!」
目が眩む。
イルティミナさんが慌てて僕に駆け寄り、守るようにと抱きしめてくる。
光は広間中に広がった。
もはや、目も開けていられない。
数秒間、僕らは白い闇の中にいた。
やがて、まぶたの向こう側で、光が弱まっていくのを感じる。
ようやく、僕は青い瞳を開けられた。
「……え?」
そこは荒野だった。
荒れ果てて乾燥した赤土の大地と、青い空だけが目の前に広がっている。
「ここは……?」
イルティミナさん……。
僕を抱きしめていた彼女も、そばにいた。
「……なんじゃ、ここは?」
「な、何が起きたのよ!?」
視線を送れば、少し離れた場所にキルトさんとソルティスの2人もいる。
(いったい、何が……?)
そう思った時だ。
ゾワッ
恐ろしいほどの寒気を背後から感じて、僕ら4人は、同時に振り返った。
「なっ!?」
そこに怪物がいた。
体長は10メードはあるだろうか?
悍ましい肉塊の柱が2本、並び立ち、頭上で繋がっている。
その接合点には、人の姿があった。
黒い肌と黒い髪をした、10代と思しい少女だ。
少女の両肩から、太い腕のように肉塊の柱が突き出て、地面へと到達している。
裸足の黒い両足は、空中で揺れていた。
そして、少女は笑っていた――赤い三日月のように、口を裂いて。
◇◇◇◇◇◇◇
(悪魔の欠片……っ!?)
その発する邪悪な気配は、間違えようもない!
対峙する距離は、30メードほどだ。
シャオッ
考えるよりも先に、僕は『妖精の剣』を抜いていた。
イルティミナさんも『白翼の槍』を、キルトさんも『雷の大剣』を構えて、僕を庇うように前に出る。
ソルティスも一拍遅れて、悲壮な顔で大杖を構えた。
(どうしてここに、悪魔の欠片が!?)
いや、そもそもここはどこだ!?
混乱する。
けれど、そんな時間もない。
グジュリ ジュルルッ
肉塊の腕の表面から、黒い触手が何十本と伸びてきた。
「くっ!」
剣を上段に構え直す。
と、その時だ。
僕らの背後から、押し寄せる熱い気配を感じた。
(!?)
振り返る間もなかった。
押し寄せる気配たちは、僕ら4人の横を抜けて、目の前の怪物へと駆けていく。
「……は?」
それを見て、呆けてしまった。
僕らの横を走り抜けていったのは、数十人の少年少女と、数人の成人した男女たちだ。
全員、手に、虹色に輝く武器を握っている。
「なんじゃ、こやつらは!?」
「!?」
「え、え、え?」
3人も驚愕する。
(みんな、『神の子』だ……っ!)
同族であるからか、アークインの記憶によるものか、すぐに気づいた。
全員、決死の表情だ。
そして彼らは、まるで僕らが見えていないように、怪物へと襲いかかっていった。
『おぁああおお……』
少女が歌う。
合わせて、踊るように黒い触手が蠢き、『神の子』らを迎撃する。
ガキッ ザキュン
火花が散り、鮮血が舞った。
虹色の武具は、黒い触手を斬り裂き、黒い触手もまた、『神の子』らの肉体を斬り裂いていた。
一進一退。
『神の子』たちの技量は凄まじく、その戦い方は、僕より遥かに洗練されている。
(……それでも)
それほどの戦士が集まっても、この巨大な『悪魔の欠片』を倒せない!
黒い触手は、凄まじい硬度と速さで攻撃を弾き、また『神の子』らを傷つけていく。
『おぉあああ……』
少女の口が丸く開いた。
瞬間、そこからとてつもない衝撃波が放出された。
「!?」
ドバァアン
何人もの『神の子』らが吹き飛ばされていく。
荒野の空に、鮮血が散る。
「…………」
でも、僕は無傷だった。
イルティミナさん、キルトさん、ソルティスも吹き飛ばされていない。
それどころか、髪の毛1本、揺れなかった。
どういうこと?
混乱に拍車がかかる。
イルティミナさんが何かに気づいた顔をした。
手を伸ばし、すぐ近くにいる1人の『神の子』に触れようとする。
けれど、
スッ
その白い手は、『神の子』の服と肉体を貫通し、すり抜けてしまった。
(え……?)
僕とソルティスは、目を丸くする。
「これは……幻影か?」
キルトさんが呟いた。
(幻影?)
僕は、唖然と彼女を見つめた。
その時、
『――その通りだ、勇ましき人の子よ』
力強く、神々しい声が世界に響いた。
◇◇◇◇◇◇◇
荒野の空中に、光の粒子が生まれた。
それは集束し、やがて、3メードほどの巨人へと姿を変える。
上半身は、美しい人の女性。
下半身は、神々しくも気高き獣の四肢。
半人半獣の美しい姿。
あぁ……っ。
「ヤーコウル様っ!」
僕は、喉が破れんばかりに叫んでいた。
美しき狩猟の女神様は、己が眷属である僕のことを見やって、穏やかに微笑んだ。
そして、頷く。
イルティミナさんたちは、呆然としていた。
「女神ヤーコウル……」
「これが……」
姉妹は呟く。
キルトさんは黄金の瞳を見開き、それから、ゆっくりと細めた。
そして、
「……女神よ。その御姿も、幻影……ですか?」
と言った。
ヤーコウル様は、感心したようにキルトさんを見る。
『――その通りだ、勇ましき人の子よ。この姿も、遠き神界より届ける夢幻の一部にすぎぬ』
夢幻……。
僕は、ヤーコウル様へと手を伸ばした。
美しい毛並みに触れる……が、この小さな指は、それをすり抜けてしまった。
…………。
思わず、自分の指を凝視してしまう。
ヤーコウル様は、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
『――我が子よ、悲しむな。それでも、我が心はお前と共にある』
「……はい」
僕は唇を食い縛り、強く頷いた。
ヤーコウル様も頷き、それから、僕のそばにいる姉妹を見る。
ソルティスはちょっとたじろぎ、イルティミナさんは1歩も引かずに、女神の視線を受け止める。
キルトさんが問いかけた。
「女神よ、ここはいったいなんなのか? わらわたちは、何を見ているのか? お教え願えませぬか?」
『…………』
ヤーコウル様は、長い髪を揺らして振り返る。
その美しい瞳で、キルトさんを見つめ、
『――これは、過去の幻。今より300年を遡り、かつて『災厄の種』が芽吹いた時代の出来事だ』
と告げた。
◇◇◇◇◇◇◇
300年前!?
「それって、初めての『闇の子』が生まれた……?」
僕は愕然と問い返す。
ヤーコウル様は、
『――そうだ』
と肯定なさった。
キルトさんたちも唖然としている。
(つまり、それじゃあ……)
僕ら4人の視線は、自然とそこにいる10メードもの巨大な怪物へと向けられる。
あれが……。
あれこそが、この世に初めて生まれた『悪魔の欠片』。
(…………)
心臓がギュッと握られたような恐怖を感じた。
イルティミナさんたちも、呆然と怪物を見つめ続けている。
ギィン ドパァン
僕らが見つめ続けている間も、『神の子』らは果敢にも、恐ろしい怪物へと攻撃を仕掛けていた。
数十人。
これだけの『神の子』が『神武具』を用いているのに、倒せない。
(僕らが倒した『悪魔の欠片』とは、強さが違いすぎる……っ)
個体差?
それとも復活した直後でなく、力を取り戻した『悪魔の欠片』だから?
わからない。
それらが理由かもしれないし、それ以外の理由もあるのかもしれない。
ただわかっているのは、
(今の僕らじゃ……勝ち目なんてない)
という事実だ。
初代『闇の子』……その恐ろしさに、僕は幻影であると知らされて尚、自分の手が震えるのを止められなかった。
「あ……」
その時、イルティミナさんが小さな声をあげた。
(?)
彼女は、『神の子』たちの集まった一角を見ていた。
つい、その視線を追いかける。
「え……?」
そこに、僕がいた。
キルトさんたちも気づいた。
「あれは……」
「マール?」
ソルティスも、思わず僕の名を呟く。
けれど、
「いいえ、違います」
イルティミナさんは、硬く確かな声で言った。
「あれは、マールではありません。マールになる前の別人でしょう」
「…………」
「…………」
「……神狗アークイン」
僕は、答えた。
そこにいる彼は、僕にそっくりで、けれど僕とは違う存在だった。
気高く、完全な魂の神狗。
彼の手には、自身の背丈にも勝るような『虹色の長刀』が握られていた。
そしてそばには、同じ武器を手にした6人の少年少女。
(……『ヤーコウルの神狗』たち……っ)
胸が苦しい。
その姿を見た瞬間、悲しさと懐かしさが胸の奥で荒れ狂っていた。
全員、傷だらけだった。
血を流し、それでも闘志を失わずに、怪物へと挑みかかる。
「ウォオオオン!」
猟犬の咆哮。
それを戦場に轟かせながら、7人で1つの生き物のように怪物へと突進していく。
ブルルッ
共に駆けだしたい衝動にかられた。
幻影だとわかっていても。
それでも、大切な家族である仲間と共に、戦いたいと思った。
(違うっ)
そんな感情に、僕は心の中で叫んだ。
僕は、マールだ!
僕はもうアークインじゃない、マールなんだ!
そう言い聞かせる。
ギュッ
「!」
そんな僕のことを、イルティミナさんが背中側から抱きしめてくれた。
「…………」
「…………」
うん……。
(僕は、僕だ)
ありがとう、イルティミナさん。
揺らぎかけた自分という存在が、再び、確かな形となって落ち着いた気がした。
『…………』
そんな僕らのことを、女神ヤーコウル様はジッと見つめる。
そして、その視線が上へと向いた。
(?)
上……?
見上げた空を、何かが通り抜けた。
ドパパァンン
瞬間、『悪魔の欠片』の肉塊上で、たくさんの爆発が起きた。
肉が弾け、触手が千切れる。
でも同時に、そこにいた『神の子』らも吹き飛ばされた。
(え……?)
幻影だという千切れた手が、僕の前に転がってくる。
え、何?
何が起きたの?
呆然となる僕。
キルトさんが愕然と、遠い地平の彼方を振り返っていた。
そこに、たくさんの人の姿があった。
……人間だ。
騎士らしい姿の人間たちが、そこに集まっていた。
その中に、黒光りする筒が並んでいる。
その筒の先端の穴から、無数の煙が上がっていた。
大砲……?
「まさか……撃ったのか?」
キルトさんの声には、驚きと怒りと疑念が宿っていた。
(撃った?)
『神の子』らごと? 大砲を?
女神様の幻影は、神々しき瞳を静かに伏せる。
ドン ドドン
重い発砲音が空気を震わせる。
数瞬の間を置いて、『悪魔の欠片』の肉体に着弾し、『神の子』らごと吹き飛ばす。
ドパパァン
「っっっ」
『ヤーコウルの神狗』の1人が吹き飛ばされていた。
『神の子』らの1人が、人間たちのいる方角へと何かを叫ぶ。
けれど、砲撃はやまない。
退避するにしても、目の前にいる『悪魔の欠片』は、背を向けた『神の子』らを触手で殺していく。
前からは、『悪魔の欠片』。
後ろからは、『人間たちの砲撃』。
『神の子』らは、両方に挟まれて、そこから逃れることもできなくなっていた。
「何よ、これ……何なのよ?」
ソルティスが、蒼白になりながら呟いた。
人間たちの見せる残酷さ。
同じ人間として、受け入れたくないのだろう。
(あぁ……)
かつて、ラプトとレクトアリスが言っていた。
300年前の人間たちは、『神の子』らを自分たちの命を守る道具としか思っていなかった、と。
それを今、僕らは目にしているんだ。
『~~~っ! ~~っ!』
砲撃の雨の中、『神の子』の誰かが叫んだ。
そして、目の前の黒い怪物へと、武器を向ける。
そうだ。
生き延びるためには、少しでも早く、この怪物を倒すしかない。
『神の子』らは、今まで以上に攻撃する。
自らの命を、何よりも仲間の命を守るために。
そして、救うと決めた人類のために。
(でも……)
僕は知っている。
この先の結末を。
「…………」
ギュウ
僕を抱くイルティミナさんの腕に、力がこもった。
彼女は、人間たちのいる方を見ていた。
……見たくない。
でも、見てしまった。
大きな、大きな、黄金色をした魔導兵器。
先端が槍のようになった、30メードはありそうな巨大な魔導兵器の砲身が、こちらへと向いていた。
(やめて! お願いだから、やめてよ!)
涙がこぼれた。
でも、これは過去の幻影だ。
起きてしまった出来事は変えられない。
黄金の槍に、放電が走る。
それは徐々に強くなり、眩い光となった。
『神の子』らも気づいた。
でも、どうにもできない。
逃げることもできず、その裏切られた絶望を見つめ続けるしかなかった。
そして、
コォオオン
妙に軽く聞こえる音が世界に響き、魔導兵器から黄金の光が撃ち出された。
◇◇◇◇◇◇◇
全てが黄金色の光に飲み込まれた。
『悪魔の欠片』も、『神の子』らも、『ヤーコウルの神狗』たちも、もちろん『神狗アークイン』も。
全て。
全てが光の中に消えていった。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
光が消えると、僕らは神殿の広間に戻っていた。
ドクッ ドクッ
心臓が早鐘となっている。
手足が震えて、声も出せなかった。
それは、他の3人も同じようで、誰も微動だにしない。
僕を抱きしめてくれているイルティミナさんの腕も、まるで石像になってしまったかのように硬くなっていた。
『――全ては過去の夢幻。そして現実だ』
半人半獣の女神が、静かに告げる。
過去の幻影は消えても、ヤーコウル様の姿だけは残っていた。
コツ コツ
石床に獣の爪を当てる音を響かせながら、ヤーコウル様の歩く気配がする。
『――マール』
「…………」
顔をあげる。
すぐ目の前に、3メードの美しい女神様がいて、僕を見ていた。
『――これで尚、人間を信じるか?』
透き通った声。
その問いかけには、何の他意もなく、ただの疑問として聞こえてくる。
「…………」
すぐに答えられなかった。
自分の内側を見つめる。
…………。
「わかりません」
僕は正直に答えた。
「でも」
『…………』
「僕は、僕の知った人たちのことは信じている。だから、その人たちのためになら、僕は戦える」
ギュッ
拳を握り締める。
心は震えたままだけれど、それだけは揺らぐことなく、僕の内側にあった。
みんなのために。
イルティミナさんのために。
そのためなら、
(僕は、どんな相手とでも戦うよ)
それが初代の『悪魔の欠片』であっても、絶対に。
ヤーコウル様は頷いた。
『――そうか』
我が子の成長を喜ぶような、悲しむような声だった。
そして、その神々しい視線は、僕を抱く人間の女性へと向けられる。
『――お前が、我が子の信ずる人の子、イルティミナ・ウォンか』
「…………」
イルティミナさんは答えられなかった。
神の気配に押されたのか、ただ大きな女神の美貌を見つめ返すのみだった。
ソルティスは、震えていた。
今の光景を、彼女も見ていた。
神々を裏切り、『神の子』らを殺した人間の所業。
だからこそ、今、こうして女神の前にいることが、恐ろしくて仕方がないみたいだった。
あのキルトさんでさえ、顔色が悪い。
女神ヤーコウルは、それでも問いかける。
『――人間の業を知り、その罪を知り、それでもお前は、この子を求めるのか?』
「…………」
『――魔の恐ろしさも知ったであろう? この子のそばにあれば、魔の災いは、お前自身にも降り注ぐ。それで尚、お前はこの子と共に在るを求むるのか?』
「……求め、ます」
錆びついたような唇の動きで、けれど、彼女はそう答えた。
…………。
真紅の瞳は、強い光を宿している。
「私は……すでに死んだ身です」
『…………』
「その私を助けてくれたのが、このマールです。……私が最も恐れるのは、死ではない。……この子と共にいられぬこと」
ギュウ
震える手が、僕のことを抱きしめる。
その手のひらから伝わる熱が、僕の心も焼いていく。
イルティミナ・ウォンは、女神に言う。
「この子を守り、この子を幸せにする……」
『…………』
「そう誓った私の心は、例え女神であっても、決して砕けません」
静かに、けれど誇り高く、そう告げた。
(イルティミナさん……)
心が震えた。
涙がこぼれそうだ。
僕は、僕の小さな身体を抱きしめてくれる彼女の手に、自分の手を重ねた。
「…………」
「…………」
熱いぐらいの温もり。
離れない。
離れるものか。
(例え、ヤーコウル様が許してくれなくても……)
僕は、必ずイルティミナさんと共に生きていく。
そう心に誓った。
『…………』
ヤーコウル様は、そんな僕ら2人を見つめた。
やがて、
『――そうか』
吐息をこぼすように、その一言を紡いだ。
コツ コツ
ゆっくりと、後ろに下がる。
『――お前たちの覚悟はわかった』
静かな、穏やかな声。
『――夢幻の世界で、神と人の業を知り、それでも尚願うのかを試した。その上で、お前たちの縁の強さも知った。これ以上は、何も言わぬ』
……ヤーコウル様。
僕とイルティミナさんは、一緒に半人半獣の女神様を見上げた。
ヤーコウル様は、微笑んでいた。
『――我が信徒の子孫、その巫女たる血に我が子を託そう』
ポウッ
美しい人の右手のひらに、白い炎が灯る。
たおやかに右腕が振られると、その白い炎は、イルティミナさんへと直撃した。
「イ、イルティミナさん!?」
僕は慌てた。
ソルティスは両手で口元を押さえ、キルトさんは反射的に駆けだそうとする。
でも、イルティミナさんの身体は燃えることもなく、
「これは……?」
彼女自身、熱さを感じていることもないようだった。
え? え?
やがて、イルティミナさんを焼いていた白い炎は、肉体に吸収されるように消えていく。
『――祝福は授けた』
ヤーコウル様は言った。
『――その力を使えるのは、1度のみ。我が愛しき子を守るために、使うことを望もう』
柔らかな微笑。
イルティミナさんは、女神の微笑を見つめ返して、
「はい」
しっかりと答えた。
ヤーコウル様は、満足そうに頷く。
それから、瞳を閉じて、
『――今の我にできる全ては、ここまでだ』
長い長い吐息をこぼした。
そして、その3メードの半人半獣の美しい姿が、外側から少しずつ光の粒子となって剥がれていく。
「ヤーコウル様……っ」
僕は、思わず手を伸ばす。
ヤーコウル様は笑った。
『――生きろ、愛しき我が子マールよ』
その笑顔も、光の粒子となって砕けた。
光の粒子は、僕らの周囲を1周回ると、そのまま砕けた天上の穴から空へと昇り、風と共にゆっくりと消えていく。
…………。
神殿の広間には、静寂が戻った。
「マール」
イルティミナさんの声がする。
僕は振り返った。
泣くものか、そう我慢していた。
そんな僕を優しく見つめて、イルティミナさんは、僕の顔を隠すように胸に抱く。
「貴方は私が守ります。女神ヤーコウルの代わりに、このイルティミナ・ウォンが、必ず」
「……うん」
グスッ
鼻を鳴らして、頷いた。
祝福を授かり、それを与えてくれた女神ヤーコウル様は帰っていった。
それだけだ。
(それだけだけど……)
イルティミナさんの胸の中で、僕はしばらく顔をあげることができなかった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




