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【書籍化&コミカライズ!】少年マールの転生冒険記 ~優しいお姉さん冒険者が、僕を守ってくれます!~  作者: 月ノ宮マクラ


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164/825

162・安らぎの家1

第162話になります。

よろしくお願いします。


※本話は1万文字を超えています。どうか読まれる際は、お時間にご注意くださいね。

 非公式の謁見が終わり、僕ら4人は来た道を逆戻りするように、帰路についていた。


 今はちょうど、大聖堂を抜けて、ギルド方面への通りを歩いている最中である。


 通りの左右には、街路樹が並び、それなりに多くの人が歩いていた。


 人間、エルフ、獣人、ドワーフ……色んな種族の人がいて、中には、冒険者の格好をした人もいる。


 ふと視線を横に動かせば、街路樹の隙間から、午後の日差しに煌めく、大きくて美しいシュムリア湖が見えていた。


(……綺麗だなぁ)


 ぼんやり思う。


 4人とも、しばらく何も喋らずに、爽やかな水辺の通りを歩いていく。


「しかし、国王様も来られるとは……予想外であったの」


 不意に、キルトさんがポツリと呟いた。


(うん、本当に)


 僕は頷いた。


「僕も、レクリア王女に会うだけだと思ってたよ。びっくりしちゃった」

「うむ」

「王様、なんだか怖い人だったね」


 僕の言葉に、王国を代表する『金印の魔狩人』は苦笑した。


「あの御仁は、良くも悪くも率直なのじゃ。別に、マールを嫌っていたわけではないからの?」

「そうなの?」

「うむ。だから、あの方を誤解してやるな」


 クシャクシャ


 そう言いながら、キルトさんの手は、僕の髪を乱暴にかき回す。

 ……わわっ?


「相変わらず、肝の小さい男ね、マールは」


 ソルティスが、からかうように笑う。


(む?)


「そういうソルティスこそ、王様たちに会っている間、一言も喋らなかったじゃないか」

「必要なかったもの」


 少女は肩を竦め、


「それに余計なこと言って、無礼討ちになりたくないし。そういうのは、マールだけで充分でしょ?」


 ウケケッ


 口元に手を当て、美少女らしからぬ笑い方をする。


 こ、この子は~っ。


 憤慨する僕と愉快そうなソルティスに、キルトさんは苦笑をこぼし、その黄金の瞳は、僕ら年少組の後ろを歩く大人な美女へと向けられる。


「余計なことといえば、イルナであろう」

「おや、失礼な」


 イルティミナさんは心外そうだ。


「マールではないが、わらわも肝が冷えたぞ。国王に喧嘩を売るような言葉を吐きおって」

「私は、真実を伝えただけです」

「……まったく、マールが関わると盲目になりおるわ」


 キルトさんは苦笑し、大きくため息をこぼした。

 けど、すぐに顔を上げ、


「しかし、言質は取れた。それは僥倖であった」


 そう満足そうに頷く。


(言質……?)


 僕ら3人はキョトンとなる。


「そういえばキルト、あの時、国王様が何やらおっしゃっていましたね。将軍や皇帝陛下の書状やら、貴方の推薦などと……あれは、どういう意味ですか?」


 イルティミナさんの真紅の瞳が鋭く細まり、キルトさんを射る。


 キルトさんは両手を持ち上げて、


「待て待て。それを伝えるには、まだ時間が必要じゃ」

「…………」

「ま、今は気にするな」


 あっけらかんと、そう誤魔化した。


「……マールに関しては大丈夫じゃが、イルナに関しては、まだ根回しが必要だしの」


 少し考え込むように中空を見上げて、そんなことをボソボソと呟く。


(……僕も絡んでるの?)


 なんか不安。


 キルトさんのことだから、悪いことではないと思うけれど、あからさまに隠し事をされると妙に落ち着かなかった。 


「…………」

「…………」


 2人で、つい顔を見合わせてしまう。


 ソルティスは「……私は関係ないんだ?」とちょっと寂しそうだった。


 そんな風に会話をしながら歩いていると、いつの間にか前方に、あの白亜の建物――『冒険者ギルド・月光の風』が見えてきた。


「ふむ、着いたか」


 キルトさんは呟き、僕らを見る。


「このあと、わらわは少しムンパと話がある。そなたらはどうする?」

「家に帰ります」


 イルティミナさんが即答した。


「長らく、離れていましたしね。キルトの部屋の荷物を回収したら、すぐに様子を見に行きますよ」

「ふむ、そうか」


 キルトさんも頷いた。


(家か……懐かしいな)


 王都に来てから、僕も居候させてもらっていたイルティミナさんの家。


 姉妹の我が家。


 もう5ヶ月以上も帰っていないんだ。


「きっと、掃除が大変ね……」


 想像したのか、ソルティスがため息をこぼす。


(あはは……うん、そうだね)


 僕は苦笑した。


 初めて訪れた時も、姉妹はしばらく家を空けていたので、かなり埃が溜まっていたんだ。

 ……大掃除、大変だったなぁ。


 懐かしく思い出す。


「では、また明日にでも、わらわも顔を出そう」


 キルトさんは頷いて、パーティー仲間である僕ら3人の顔を見回した。


「依頼人への報告も無事に済んだ。イルナ、ソル、マール、此度の長旅、本当にがんばったの。お疲れ様じゃ」

「うん」

「はい」

「えぇ」

「しばらくは、休息の時間じゃ。3人ともゆっくり休むのじゃぞ」


 陽光に豊かな銀髪を輝かせ、優しく笑う。


 僕らも笑顔になった。


 アルン神皇国に出向いてまでの依頼達成、そして、パーティーの一時解散。


 美しい湖の畔に立つ白亜の建物の前で、僕ら4人は、冒険の達成と無事な帰還を改めて、笑顔で確認したのであった。



 ◇◇◇◇◇◇◇



 キルトさんの部屋に戻った僕らは、着替えを済ませ、荷物を回収して部屋を出る。


「では、また明日の」


 このあと、ムンパさんと話をすると言っていたキルトさんは、僕ら3人を見送るために、ギルドの建物外の通りまで出てきて、歩く僕らに手を振ってくれた。


 僕らも手を振り返す。


 すると、ギルド近くにいた冒険者たちが、『金印の魔狩人』に気づいて、彼女へと声をかけ、集まっていくのが見えた。

 相変わらずの人気者。

 でも、キルトさんは、そうなることをわかった上で、僕らを見送ってくれたのだろう。


(やっぱりいい人だね、キルトさん)


 僕は、つくづく思う。


「さぁ、帰りましょう」

「うん」

「は~い」


 イルティミナさんの声に、僕とソルティスは笑って頷き、湖沿いの通りを歩いていった。


 姉妹の家は、王都の中心部からは外れている。


 湖から続く水路に架かった橋を2回ほど渡って、石畳の道を進んでいき、緩やかな坂道を登っていくと、家々の疎らな郊外の住宅地に辿り着く。


 そこにある1軒の家屋。


 見覚えのあるそれは、どこにでもあるような、庭付き2階建ての建物――それがイルティミナさんの家だった。


「ようやく帰ってきたね」


 懐かしさと共に、僕は呟く。


 イルティミナさんも真紅の瞳を細め、「はい」と頷いた。


 家主の妹である少女が、白い木製の門扉を開けて、先に敷地内へと入っていく。


 ガチャン


「ただいま~!」


 玄関の鍵を開けると、彼女は元気な声を上げて、家の中へと入っていった。


 その背中を見届けて、僕とイルティミナさんは笑いながら、ゆっくりとあとを追いかけて、玄関に向かった。


 トトトッ


 前に初めてこの家に来た時のように、ソルティスは、室内を駆け回り、家中の窓を開けて、換気をしていく。


(わ……凄い埃だね)


 玄関から室内に足を踏み入れると、埃で白く濁った床に、靴跡が残っている。


「さすがに5ヶ月も家を空けたのは、私も初めてです」

「そうなの?」

「はい。……なかなか、掃除のし甲斐がありそうな状況ですね」


 小さく苦笑する家主のお姉さん。


 ソルティスが「うへ~、ぺっぺ」とやりながら、戻ってきた。よく見たら、紫色の柔らかそうな髪に、灰色の埃がついている。


「ソルティス、埃ついてるよ?」


 パッパッ


 僕は小さな手を伸ばして、軽く払ってやる。


 ソルティスは、ちょっとびっくりした顔をして僕を見ると、「あ、ありがと」と答えた。なぜか、顔がちょっと赤くなっている。……はて?


 そんな僕らに、イルティミナさんは困ったように笑った。


「それにしても、閉め切ってあるのに、なんで埃って溜まるんだろうね?」

「本当よね~」


 素朴な疑問に、首をかしげる僕とソルティス。


 すると、イルティミナさんは、


「空気の対流が止まるから、目に見えない空気中の埃が落下して、溜まってしまうのですよ」


 と教えてくれた。


(へ~、そうなんだ?)


 感心する僕の前で、彼女は、背負っていたあの大きなリュックを、玄関脇の床にドッスンと落とした。


 モアモアと埃が舞う中、


「まだ日暮れまでは時間があります。マールもソルも荷物を置いて、先に家の掃除をしてしまいましょう」


 と宣言した。


 僕は「うん」と頷き、ソルティスは「うぇ~」と嫌そうな返事。


 そんな妹を「こら」と軽く叱って、イルティミナさんは、物置から掃除道具を持ってくる。


「まずは、家の中だけでも綺麗にしますよ。マールとソルは2階を、私は1階をやります。庭の雑草については、また明日にしましょうね」

「はい」

「……わかったわよ~」


 箒やはたき、雑巾やバケツなどを受け取る僕ら。


 パンッ


 イルティミナさんは白い手を打ち鳴らし、


「では、始めましょう」


 素敵な笑顔で、お掃除大会の開会を宣言なさった。



 ◇◇◇◇◇◇◇



 袖をまくり上げて気合を入れ、埃を吸い込まないよう布で口元を覆った僕とソルティスは、早速、2階の掃除に取り掛かった。


 パタパタ


 まずは、はたきで、部屋や廊下の壁の埃を、上の方から落としていく。


(うわ~、煙みたいだね)


 空気が白く濁るのが目に見える。


 やがて壁が終わったら、次は棚や窓枠などだ。


 払い落された埃の粒子は、窓が開いているので、軽いものは風に運ばれ、そのまま外へ。重いものは、そのまま床に溜まっていく。


 2階全ての部屋と廊下が終了。


 はたきが終わったら、今度は箒がけだ。


 サッサッサッ


 はたきで落としたもの、もともと床に溜まっていたもの、まとめて埃を集めて、最後は、ちり取りで回収である。


「しんどいわ~」


 ぼやくソルティス。


 僕は「そうだね」と苦笑しながら、集めた埃を、布製のごみ袋に放り込む。


 最後は、雑巾がけ。


 水を吸わせて、しっかり絞った濡れ雑巾で、床や壁を拭いていく。


 キュッ キュッ


 ここまで来ると、室内が目に見えて綺麗になった手応えがあるので、掃除のやり甲斐を感じてくる。


(なんか、掃除が楽しくなってきたぞ)


 ふと見れば、ソルティスも、いつの間にか夢中な顔だった。


「マール、そっちの窓は頼んだわ!」

「うん、任せて!」


 窓枠に腰かけて、僕ら2人は声をかけ合い、窓ガラスを丁寧に拭いていく。


 気がつけば、外はもう夕方だ。


 やがて、全ての窓が拭き終わった頃、階段を登って、1階の掃除を終了させたらしいイルティミナさんが顔を出した。 


「これは……とても綺麗になりましたね」


 かなりの驚きの表情。


 僕とソルティスは顔を見合わせ、「えへへ」と得意げに笑うと、互いの右手をパンッと合わせた。


 そんな僕らに、イルティミナさんは優しく、真紅の瞳を細めた。


「2人とも、よくがんばりましたね。ご褒美に、今夜の夕食は、多めに用意しておきますからね」

「本当っ?」

「やったわ!」


 成長期の僕らは、そのご褒美に、俄然、大喜びだ。


 ソルティスは、待ちきれないというように、姉の服の袖をグイグイと引っ張る。


「じゃあ、早く作って、イルナ姉! 私もう、お腹ペコペコ」

「はいはい」


 身体を揺らされながら、イルティミナさんは苦笑する。


「ただ、私も1階の掃除が終わったばかりですからね。さすがに、この埃だらけの格好で料理をするわけにはいきません。ソルティスも、汗まみれでの食事は嫌でしょう?」

「……そう言われてみれば、そうね」


 自分の姿を見下ろし、少女は頷く。


 その頬にも黒い汚れがついていて、姉の指は、優しくそれを拭った。


「もうお風呂は沸かしてありますからね。ソルから、先に入っていらっしゃい」

「いいの?」

「はい」


 驚く妹に、イルティミナさんは優しく笑う。


(さすが、手際がいいなぁ)


 僕らが2人がかりで掃除している間に、1人で1階を掃除をし終えたばかりか、お風呂の用意までしてあるなんて、本当に何でもできるお姉さんだ。


 感心する僕の前で、ソルティスも嬉しそうだった。


「ありがと、イルナ姉」

「いいえ」

「ね? せっかくだから、イルナ姉も一緒にお風呂、入らない?」


 思いがけない提案。


 イルティミナさんは、少し驚いた表情を見せたあと、僕の方を見る。


(ん?)


 真紅の瞳を伏せ、それから妹を見て頷いた。


「わかりました。そうしましょうか」

「やった!」


 喜ぶ妹に、イルティミナさんも優しく微笑んでいる。


 そしてソルティスは、満面の笑顔で、急ぎ階段の方へと向かい、


「じゃあ私、着替えを取ってくるわね。イルナ姉もすぐに来て!」


 トン トトン


 自室のある1階へと軽やかに下りて行った。


 その背中を、僕らは見送る。


 なんだか微笑ましくて、温かな気持ちになっていると、ふとイルティミナさんが僕を振り返って、


「……ごめんなさい、マール」


 と謝った。


(……え?)


 意味がわからず、白い美貌を見つめ返す。


 彼女は、申し訳なさそうに微笑んで、


「今日は、マールと一緒にお風呂に入ることはできなさそうです」

「…………」

「昨夜、約束したばかりでしたのに」


 約束……?


(あ……っ)


 そういえば、昨夜、キルトさんの部屋のお風呂に一緒に入った時に、王都にいる間は、なるべく一緒のお風呂に入ろうって話をしていたっけ。


 思い出した瞬間、その時のイルティミナさんの美しい裸の姿も思い出してしまった。


 大人の女性らしい、成熟した白い裸身。


 それが今、目の前にいる彼女の姿と重なって、僕の顔は熟したトマトみたいに真っ赤になった。 


「…………」

「マール?」


 その僕の変化に、彼女は驚いた顔をする。


 そして何かを察したように、その頬を薄紅に染めて、女らしい微笑みを浮かび上がらせた。


「残念……ですか?」


 甘やかな質問の囁き声。


 僕はうつむきながら、正直に「……うん」と頷いた。


「……嬉しい」


 喜びに声を震わせながら、彼女の白い手は、僕の頭を優しく引き寄せる。


 チュッ


 額に優しくキスされた。


 う……あ。


 心がいっぱいで、なんだか動けない。


 イルティミナさんも真紅の瞳を潤ませながら、僕のことを見つめ続けている。


 どれくらい、そうしていただろう?


「イルナ姉~? どうかしたの、早く来てよ~?」


 ふと階下から、少女の姉を呼ぶ声がした。


 真紅の瞳の中に、様々な感情が流れていき、やがて、彼女の唇の間から、短い吐息がこぼされる。


「――はい、ソル。今、行きますよ」


 ()()()が答える。


 イルティミナさんの柔らかな唇が、もう一度だけ落ちてきて、今度は僕の唇に触れた。


 すぐに立ち上がって、彼女は階段を下りていく。


 深緑色の美しく長い髪に隠れて、その表情は見えなかったけれど、一瞬だけ見えた彼女の耳は、真っ赤になっていた。


(…………)


 窓からの夕日が、とても眩しかった。


 その赤い輝きに照らされながら、僕は、しばらくそこから動けなかったんだ。



 ◇◇◇◇◇◇◇



 お風呂上がりの姉妹は、石鹸のいい香りがした。


(……わぁ)


 廊下で出会った彼女たちは、濡れ髪も色っぽく、白い肌も上気して火照ったように赤くなり、とても魅惑的に見えた。


 イルティミナさんが柔らかく微笑む。


「お待たせしました、マール」

「う、うん」


 その笑顔に魅了されながら、僕は頷く。


 そんな湯上り美人の隣で、ソルティスは、細く白い腕を、頭上に大きく伸ばした。


「あ~、さっぱりした。いいお湯だったわぁ♪」


 実に爽快そうな笑顔だ。 


 そこまで気持ち良さそうな顔をされると、なんだか羨ましくなる。


(うん、僕も早く入ってこよう!)


 僕自身、掃除の影響で汗と埃にまみれているんだ。


 着替えを片手にした僕は、姉妹と入れ替わるようにして、この家の地下にあるというお風呂場を目指して、階段を下りていく。


「ゆっくり入っていらっしゃい」

「うん」


 微笑むイルティミナさんに、こちらも笑顔を返して脱衣所に向かった。


 汚れた服を脱衣籠に畳んで、浴室へ。


 白い湯気に満たされた浴室は、個人宅の風呂場なので、そんなに広くはない。とはいえ、姉妹が一緒に入れる空間があるのだから、子供の僕1人にとっては充分な広さだった。


(…………)


 床面と同じ高さにある、黒い石でできた浴槽を見つめる。

  

 ついさっきまで、ここにイルティミナさんとソルティスが、裸で入っていたんだ――そう思ったら、何だかいけないことをしている気分になった。


(いやいや、考えすぎだって)


 頭を左右に振って、桶でお湯をすくって、肩へとかけ湯をする。


 熱い。

 でも、気持ちいい。


 髪や身体をしっかりと洗って、湯船に小さな身を沈めた。


「……あぁぁ~っ」


 思わず、声が出た。


 強張っていた心と肉体が、少しずつほぐれていく気がする。


 冒険者は、旅の間、お風呂に入れないことも多くて、お湯を絞ったタオルで、身体の汚れや汗を拭きとるぐらいしかできない日々も多々あったんだ。


(それを思うと、今は、まるで天国だよ……)


 温かなお湯の中で、手足を伸ばせるというのは、本当に幸せだと思った。


 そのせいか、ついつい時間を忘れてしまった。


 気がついたら、だいぶ長湯をしていたようで、僕が浴室をあとにした時には、すでにイルティミナさんは夕食の準備を終えてしまっていたんだ。


「ご、ごめんね」


 手伝うつもりだったのに、大失敗だ。 


 慌てる僕に、でも、イルティミナさんは「構いませんよ」と優しく笑って、手にした料理のお皿をリビングのテーブルに並べていく。


 ちなみにテーブルの椅子には、もう食いしん坊少女が両手にスプーン、フォークをばっちり装備して、待機中だった。


「さぁ、マールも席について」

「う、うん」


 促されて、僕も椅子に座った。


 イルティミナさんも、ソルティスの隣の椅子に腰を落ち着けると、僕らを見回した。


 穏やかに微笑んで、


「マール、ソル、2人とも今日も一日、お疲れ様でした。さぁ、久しぶりの我が家での食事を楽しみましょう」

「うん」

「えぇ!」

「それでは――いただきます」

「いただきます」

「いただきまぁ~す!」


 胸の前で手を合わせると、僕らは食事を開始する。


 今夜のメニューは、ビーフシチューだ。


 さすがに5ヶ月間も離れていたので、この家に食材は保管されていなかった。なので、旅の間の残った携帯食を加工したり、ギルドの購買で買った野菜などで作った料理なんだそうだ。


(うわ、美味しい……っ)


 それなのに、絶品だった。


 しっかり煮込まれた肉は、口の中で解けて溶け、旨味の沁みた野菜は舌を楽しませる。


 一緒に作られた、バターで炒めたお米と合わせると、もっと味が広がって、食欲が際限なく湧いてきてしまう。デザートの瑞々しい果物も、ヨーグルトと合わされていて、爽やかな酸味が、口をさっぱりさせてくれる。


(有り合わせの材料で、どうしてこんな美味しい料理が作れるんだろう?)


 イルティミナさんって、本当に何でもできるお姉さんだ。


 僕もソルティスも、食事の手が止まらない。


 そんな僕らの姿を、彼女は真紅の瞳を細めながら満足そうに眺め、それから、ゆっくりと自分のビーフシチューを味わっていた。


 僕は、おかわり3杯、ソルティスは5杯もした。


 ようやくお腹も落ち着いて、食後の紅茶を楽しむ時間が訪れる。


 他愛ない話に、3人で花を咲かせた。


 アルンでの旅のこと、シュムリア国王様と会ったこと、家の大掃除のこと、話題は尽きなくて、最後に、こんな話になった。


「4人目の『神の眷属』って、どうやって探したらいいのかな?」


 僕の言葉に、姉妹も考え込んだ。


 今日の謁見で、レクリア王女に、さりげなく頼まれたこと。


 でも、今までシュムリア王家主導で人員を割いて探しているのに、いまだ見つかっていない人物を、どう発見すればいいのか、皆目、見当もつかなかった。


「探さなくてもいいのでは?」


 イルティミナさんが、予想外のことを言った。


「レクリア王女も、本気で言ったとは思えません。この広大なシュムリア国内から、たった1人の存在を、何の手掛かりもなしに見つけるなど不可能ですから」

「……うん」

「それでも、もしマールに期待しているとすれば、それはえにしでしょう」


(縁……?)


 見上げる僕を見つめて、彼女は言う。


「同じ『神の眷属』であること」

「…………」

「その運命が、お互いのことを引き寄せるのを、王女は期待しているのだと思いますよ? でも、それは貴方の意志で、どうこうできる問題ではありませんから」


 だから、探さなくていいってことか。


 納得する僕の隣で、ソルティスは、これまたおかわりしたデザートのヨーグルトをスプーンで食べながら、


「要するに、のんびり普通に生活してればいいんじゃない」

「…………」

「国王様も、『しばらく静養してろ』なんて言ってたし。それにそういうのって、きっと、会える時には会えるし、会えない時は会えないものよ」


 ムッチャムッチャ


 う、う~ん。

 ソルティス、言ってることは格好いいんだけど、咀嚼しながらだから様になってないんだよね。……ほっぺにヨーグルトついてるし。


 気づいた姉の手が、布巾で妹の頬を拭いてやる。


 それから、イルティミナさんは僕を見て、


「ソルティスの言うことも一理あります。それに、静養というのも馬鹿にはできませんよ?」


 と言った。


「自覚はないかもしれませんが、貴方の肉体には確実に、今日までの戦いの日々で蓄積されたダメージと疲労があるはずです。それを抜くためには、それなりの時間が必要になります」

「…………」

「私も若い頃は、それを甘く見ていたことがありました」


 真紅の瞳が、どこか遠くを見つめて、


「表面上の疲労がなかったので、依頼を連続で受けた時期があったのですが、ある日、朝起きた時に右腕が動かなくなっていました」


 ……え?


 ソルティスも懐かしそうに「あ~、あったわね、そんなこと」と呟いている。


「蓄積した疲労の表面化は、唐突です」

「…………」

「そして私の場合、症状が回復するまでに3ヶ月かかりました」


 経験豊富な銀印の魔狩人は、テーブルに置かれた僕の手に、自分の白い手を重ねた。


 真摯な口調で、僕に伝える。


「マールのこの小さな肉体にも、確実に、疲労が蓄積されています。どうか、私と同じ轍は踏まずに、しばらくは休息の日々に当ててください」

「…………」

「……ね?」

「うん、わかった」


 僕は頷いた。


 焦る気持ちがないわけではないけれど、イルティミナさんの助言を聞いて、『闇の子』を倒すためには遠回りした方が最短なのだと思った。


 納得した僕に、イルティミナさんも安心したように笑った。


 ソルティスも、スプーンを口に咥えながら、


「私も、しばらくは家でのんびりしたいわ~」


 と呟いた。


「中断している魔法の研究もあるし、レクトアリスに教わった『神術』についても、色々と検証したいしね」


(そっか)


 僕が無理をすれば、それは、3人にも無理をさせることになると、ようやく気づいた。


 ソルティスもこう言っているし、しばらくは、のんびりしよう。


 うん、そうしよう。


(でも、それなら、明日からは何をしようかなぁ?)


 考える僕に気づいて、イルティミナさんが「あら?」と笑った。


「のんびりするといっても、やることは、たくさんありますよ?」

「え?」

「明日は、今日できなかった庭の雑草を刈らねばなりませんし、明日以降の食事のための食材も買ってこなければいけません。ソルティスも、研究の前にこちらを手伝ってくださいね」


 姉に見つめられ、妹は咥えたスプーンを上下させながら、顔をしかめた。


「うへ~い、わかったわよ~」


 姉には逆らえないソルティスさん。


 イルティミナさんは笑いながら、僕を見る。


「ふふっ、マールもお願いしますね」

「うん」


 僕は頷く。


 イルティミナさんと一緒にいられるなら、雑草刈りも買い物も、苦ではないと思った。


(しばらくは平穏な日々、かな?)


 リビングの窓を見ながら、ぼんやり思う。


 窓の外には、紅と白の美しい月たちが、煌めく星々と共に夜空を飾っている。


 王都ムーリアの郊外にある一軒家――銀印の魔狩人イルティミナ・ウォンの家では、もうしばらく、賑やかな僕らの話し声が聞こえていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇



 夜も更けた。


 夕食の後片付けを3人で終わらせたあと、僕らは、それぞれの自室へと引き上げることにした。


「ふぁ~あ……そんじゃあね、マール」

「うん。おやすみ、ソルティス」


 大きな欠伸をしながら廊下の奥へと向かう少女に、僕は声をかける。


 彼女は片手をヒラヒラ揺らして、行ってしまう。


 残されたのは、僕とイルティミナさんの2人だけ――月明かりの差し込む廊下で、僕らはしばらく見つめ合った。


 やがて、僕はゆっくりと口を開いた。 


「おやすみなさい、イルティミナさん」

「はい、マール」


 寂しそうな笑顔で頷くイルティミナさん。


 階段の下で、僕らは一夜の別れの挨拶をする。


 姉妹の部屋は、1階。


 僕の割り当てられた部屋は、2階にある。


 さすがにお互いの部屋がある中で、片方の部屋に押しかけて同衾するのは、帰って早々、節操がないかなと思ったんだ。でも、イルティミナさんの名残惜しそうな顔を見ていると、なんだか心が揺らいでしまう。


 すると、年長であるイルティミナさんが、覚悟を決めたように、


「また明日です」


 チュッ 


(……ん)


 お休みのキスを、僕の額に触れさせた。


 その頬を赤らめさせたまま、最後に微笑みを残して、暗い廊下の奥へと去っていった。


「…………」


 しばらくその方向を見つめ、やがて息を吐いて、僕も階段を登った。


 2階にある僕の部屋へと入った。


 この家で居候するようになってから、まだ日が浅いため、あるのは寝台、机と椅子、箪笥だけだ。


 部屋の隅には、冒険で使ったリュックや『旅服』、『妖精の剣』や『白銀の手甲』などの装備品が置いてある。


(あとは、机の上にある、絵を描く道具一式ぐらいかな?)


 絵は、僕の唯一の趣味だ。


 この部屋の壁には、実は、僕の描いた、たくさんの絵が飾られている。


 アルドリア大森林、メディスの街、王都ムーリアなどの風景画や、ゴブリンや赤牙竜などの出会った魔物たちの絵だった。


「…………」


 これは、僕の記録だ。


 この異世界に転生してからの、マールの生きた日々を記した記憶そのものだった。


 僕はしばらく、青い瞳を細めて、それを眺めた。


 やがて、リュックの中から、また別の紙束を取り出した。


 これは、アルン神皇国を旅している間に描いた、アルンでの日々を記した絵だった。


 ナルーダさんの村、飛行船、神帝都アスティリオ、大迷宮、封印の地などの風景画や、『石化の魔蛇女』、『不死オーガ』、『翼を生やした騎士像』、『暴君の亀』、『第3の闇の子』など戦った相手を描いた絵だった。


 ギュッ ギュッ


 それらを画鋲で、壁に貼り付けていく。


(なんか、壁の半分以上、絵で埋まっちゃったなぁ)


 次からは、スケッチブックみたいにして保管しようかなと思いながら、ランタンの灯りに照らされる自分の記録たちを、寝台に腰かけながら眺めた。


「あ、そうだ」


 ふと思い出して、僕は、またリュックを漁った。


 ゴソゴソ


(あった)


 取り出した物を大切に抱えて運び、それを机の上にゴトンと置いた。


 それは、木彫りの鷹。


 そう、あの7年前の精神世界から帰ってきた時に、イルティミナさんが僕のために掘ってくれた木製の鷹だった。


 今にも飛び立ちそうな、躍動感のある姿。


 7年前の悲劇。


 それを乗り越えて、僕らは出会い、今をこうして共に生きている。


 木彫りの鷹の雄々しく広げられた翼は、数多の試練を乗り越えて、未来へと飛び立とうとしているような力強さがあった。


「…………」


 その翼を、指で撫でた。


 この鷹を彫ったあの人は、すぐ近くの階下で眠っている。


 つい笑みがこぼれた。


 ランタンの灯りを消して、僕は、柔らかな寝台の上に横になる。


(今……僕は、あの人と同じ家で暮らしているんだね?)


 それがとても不思議で、でも、幸せだった。


 これからも、こんな幸せな生活が続けばいいなと、心の底から願った。


 窓の外には、美しい紅白の月が煌めいている。


 星々の海は、どこまでも広がって、僕のちっぽけな願いなど簡単に消し去ってしまいそうなほど雄大だった。


(…………)


 青い目を閉じる。


 久しぶりに訪れたイルティミナさんの家での夜を、僕は静かに受け入れ、そして眠りについた。

ご覧いただき、ありがとうございました。


※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。よろしくお願いします。

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