123・悪食の暴君
第123話になります。
よろしくお願いします。
「――まただ」
再び出会った騎士像の残骸に、僕は呟いた。
あれから僕らの歩く28階層の通路には、騎士像の残骸が4体も転がっていた。
これで5体目。
残骸周辺の通路は、騎士像との戦闘の名残りであるのか、巨大な柱が折れたり、壁や床が陥没している箇所が多く見受けられた。
キルトさんの見立てでは、やはり、全ての残骸に『何か』に喰い千切られたような跡が残っているそうだ。
僕らが接戦を演じた、あの恐ろしい騎士像を5体も倒している。
(…………)
この暗い通路の先には、いったい『何』が待っているのか?
そのまま一言もなく、僕らは慎重に歩を進めた。
やがて、分岐していく通路の果てに、29階層への階段を見つけた。
クイッ
ふと、隣のソルティスが僕の服の袖を引いた。
「……なんか、壁の傷の位置、高くなってない?」
(え?)
言われて、全員の視線が上を向く。
階段の入り口付近の壁には、何かが擦れながら通り抜けた傷が、やはり線のように残っていた。
その位置は、床から5メードほど。
(あれ?)
前の階層で見た時には、3メードほどの高さだったはずだ。
イルティミナさんが淡々と口にした。
「成長したのですね」
……成長?
「その『何か』がこの遺跡に侵入したのが何年前かはわかりません。ですが、25階層からここまで、生息していた全ての魔物を喰らい尽くしたのだとしたら、その可能性が高いと思われます」
「…………」
みんな、顔を見合わせる。
僕は、確かめるように『金印の魔狩人』の顔を見た。
それに気づいた彼女は、
「否定はできん」
硬い声で答えた。
(……つまり、その侵入した『何か』は、当時より巨大になってるってこと?)
ソルティスは、親指の爪を噛みながら、
「……こんな傷、見つけなきゃよかった」
と、ぼやいた。
あはは……。
僕は何も言えず、ただ乾いた笑いを浮かべるしかない。
彼女の姉が慰めるように、妹である少女の髪を撫でてやっていた。
「そやつは、恐らく次の階層にいるであろうの」
キルトさんが言う。
ダルディオス将軍が怪訝そうな顔をした。
「なぜわかる?」
「女の勘じゃ」
浮かべた笑みには、獰猛な色が滲んでいた。
(……いや、鬼姫の勘かな?)
そう思った。
「このまま29階層へと向かう。皆、油断するでないぞ?」
キルトさんの声に頷き、そして、僕らは29階層への階段を1歩ずつ降りていった。
◇◇◇◇◇◇◇
階段の途中にも、段差にめり込んだ騎士像の残骸があったりした。
それを横目に、階下に進む。
やがて辿り着いたのは、まるで12階層にあった広大な神殿内のような空間だ。
静謐で神秘的な広間。
けれど、29階層のここは、酷く荒れ果てていた。
(…………)
緻密な彫刻が施された柱は、ほとんどが薙ぎ倒され、床にも壁にも大きな亀裂や陥没が見受けられる。
そして床には、20体以上の騎士像の残骸があった。
「……あ」
思わず、声が出た。
騎士像の残骸の中には、あの『4枚の翼を生やした騎士像』が3体も含まれていた。
金印の魔狩人キルト・アマンデスを追い詰めた、あの恐ろしい巨大な騎士像たちが、まるで壊れた玩具のように手足や胴体をひしゃげさせ、グシャリと潰されながら、無残な姿を晒している。
「…………」
「…………」
「…………」
僕らは、声もなかった。
そして、それらの残骸たちの中央に、15メードほどの『黒い岩山』があった。
(……???)
岩山?
違う。
岩山じゃない!
それは、巨大な黒い亀だった。
体長は10メード、体高は15メードもあり、前世の世界でいうワニガメに近い姿をしている。
黒い甲羅は、まるで尖った岩が無数に生えているように凹凸が激しく、酷く頑丈そうだ。
(…………)
その甲羅の凹凸の隙間に、数体の騎士像たちの残骸が挟まっていた。
黒い甲羅の表面にある幾つもの白い筋は、騎士像たちの剣による傷だろうか?
けれど、甲羅の内側まで刃が届いた形跡はない。
その化け物亀の巨体によって、騎士像たちが一方的に圧殺されたであろうことは、想像に難くなかった。
その亀は今、手足と首を縮めて床に伏せっており、甲羅の正面の穴から、眠ったように両目を閉じた巨大な頭部だけが覗いていた。
あれが、
(……あの巨大な亀が、この遺跡に侵入した『何か』なの?)
意外な正体に、僕は戸惑った。
キルトさんも驚いた表情で、
「まさか……あれは『暴君の亀』か?」
と、その名を口にした。
(……『暴君の亀』?)
見上げる僕に、彼女は教えてくれる。
「本来は、体長1・5メードほどの雑食性の亀じゃ。しかし、異常な食欲をしている大食漢の魔物でな。食物を与えると際限なく成長する。記録によれば、7メードを超える個体も目撃され、竜さえも捕食することがあったそうじゃ」
「…………」
……竜を、捕食?
「また作物や家畜を襲う被害もあり、群れで出現すると、その地帯の動植物全てを喰らい尽くし、飢饉による甚大な被害を発生させるなど、まるで災害ともいえる存在でもあった。ゆえに160年前、大規模な駆除作戦が行われ、『暴君の亀』は絶滅したと言われておるのじゃが……」
その絶滅したはずの亀が、ここに?
イルティミナさんが表情を険しくしながら、
「これは推測ですが、恐らく当時、『暴君の亀』たちの一部は、地中に逃れたのではないでしょうか」
「地中に?」
「はい。人の目を逃れ、地中を移動しながら、獲物を捕食し生き永らえてきた。そして、この『大迷宮』の内部に生まれた新たな魔物の生態系に気づいて、その獲物たちを捕食するために遺跡内に侵入してきたのでは、と」
…………。
全員の視線が、中央に佇んだまま動かない巨大亀へと向けられる。
(それが本当だとしたら、あの亀は、まさか160年以上も生きているの?)
記録以上の巨体。
そして、騎士像さえも圧倒する戦闘力。
人智を超える長命な生物だからこそ、成せる気がした。
と、その時、
「あそこに、奥へと通じる通路があるわ」
第3の目を開いたレクトアリスが、ふと呟き、その白い人差し指を伸ばして示した先は、『暴君の亀』のすぐ後ろの壁だった。
「その先に、最下層への階段があるみたいね」
「…………」
(嘘でしょう?)
あの位置関係だと、どうしても黒い岩山の如き巨大亀を移動させないと通路に入れない。
近づいて、もし僕らの存在に気づいたら?
(……絶対、捕食しようとして来るよね)
そう思った。
ソルティスが大杖を握りしめながら、嫌そうに呟いた。
「やっぱり戦わないといけないのかしらね?」
「…………」
僕も、唇を噛む。
(でも、戦ったとしても、あのたくさんの騎士像たちも倒した『暴君の亀』に、僕らは勝てるのかな?)
正直、わからない。
実際に、あの化け物亀が戦った姿を見ていないから、上手く想像できなかった。
「どうする、鬼娘?」
判断を仰ぐように、ダルディオス将軍が問う。
自然、僕らの視線がキルトさんに集まった。
しばらく沈黙しながら熟考し、やがて、キルトさんは告げた。
「戦うしかあるまい」
…………。
黄金の瞳が僕ら全員を見回し、そして彼女は、レクトアリスに訊ねた。
「レクトアリス、また12階層での結界は使えるか?」
鬼神剣・絶斬――彼女は、あの剣技をまた使うつもりのようだ。
でも、
「無理よ」
レクトアリスは、紫色の髪を揺らして、首を左右に振った。
「貴方の馬鹿みたいな剣の威力を抑えるには、障壁の密度を濃くする必要があるから、あまり大きな結界は創れないの。とてもじゃないけど、あの大きさの亀まで内包できるサイズは不可能だわ」
「ふむ、そうか」
キルトさんは、難しい表情をする。
(もし結界もなく『鬼神剣・絶斬』を使ったら、遺跡自体が崩壊してしまうもんね)
強力すぎる剣技の唯一の弱点だと思う。
「キルト」
イルティミナさんが、覚悟を促すように名前を呼ぶ。
それを受け、彼女は大きく息を吐いた。
「仕方あるまいの」
「…………」
「総力戦じゃ。できる手札を全て使って、全力で立ち向かおうぞ。――しかし、勝利は必須ではないと心得よ」
(え?)
驚く僕らに、彼女は冷静な声で続けた。
「恐らく、我らは勝てぬ。20体以上のあの騎士像たちが勝てなかったのじゃ。それより戦力の低い我らが勝てぬのは、当然の予測であろう」
「…………」
「しかし必要なのは、あの位置から巨大亀を動かすことなのじゃ」
亀の向こうにあるであろう通路を示して、彼女は言う。
「道が開けたならば、全力でそこへ飛び込め。あの巨体じゃ。通路の中までは、追っては来れまい」
あぁ、そうか。
そういえば、前にキルトさんは『階層を制圧する必要はなく、強行突破でもいいのだ』と言っていた。
(今が、その時なんだね?)
納得する僕らに、けれど、彼女は険しい声で警告する。
「しかし、我らを認識した『暴君の亀』の脅威は、決して侮ってはならぬ。全力で抗わねば、間違いなく、全員一瞬で喰い殺されるであろうぞ。勝つ必要はなくとも、勝つ覚悟で戦うのじゃ」
1人1人に視線を合わせるキルトさん。
僕らは、神妙に頷いた。
それを見届けると、彼女も満足そうに頷き、そして、ゆっくりと『暴君の亀』へと向き直った。
「恐らく、これが『大迷宮』での最後の戦いとなるであろう」
「それも、女の勘?」
つい訊ねる僕。
こちらを見て、彼女は「そうじゃ」と小さく笑った。
つられて、皆も笑った。
そして『金印の魔狩人』は表情を改め、その手を『雷の大剣』の柄にかける。
「よし、皆、覚悟はいいの」
「うん!」
「はい」
「もちろんよ!」
彼女に続くように僕も『妖精の剣』を抜き放ち、みんなも、それぞれの武器を手にして構えた。
ゴ、ゴォオオン
その時、重い音がした。
僕らの気迫に反応して、『暴君の亀』が目を覚ましたのだ。
甲羅に挟まった騎士像の破片が、バラバラとこぼれ、黒い甲羅の穴の奥から巨大な4本の脚が伸びてきて、その巨体を持ち上げていく。
(お、大きい……っ)
まるで巨大な岩山が動きだしたみたいだ。
「恐れてはなりませんよ、マール!」
「あ、うんっ」
イルティミナさんの一喝に、気圧されていた気持ちを押し返す。
(負けるもんか!)
ギュウッ
『妖精の剣』を握る手に力を込め、心に気合を込める。
キルトさんが姿勢を低くして、
「勝利はいらぬ! 全員、生き延びるために全力で抗い続けるのじゃ! ――さぁ、行くぞ!」
その雄々しい声を合図にして、僕らは一斉に、巨大な黒い『暴君の亀』へと襲いかかっていった。
◇◇◇◇◇◇◇
『暴君』の名を冠する巨大亀が、接近する僕らに向かって、1歩、脚を踏み出した。
ズゥン
床から伝わる振動。
それだけでも、奴が見た目以上の重量なのだと感じられる。
そして、
(速いっ)
動きはゆったりに見える。
けど、その巨体ゆえか、実際の移動距離は驚くほど大きい。
また、もう1つ、接近して気づいたことがある。
奴の左目だ。
その50センチはある眼球に、騎士像の使う巨大な剣が突き刺さっている。ここで葬られた騎士像の1体が、奴に、大きな負傷を与えていたんだ。
「右から攻めますよ、マール!」
「うん!」
同じく気づいているイルティミナさんに、僕は頷く。
けど、
(……キルトさんっ!?)
驚く僕の前で『金印の魔狩人』はあえて、『暴君の亀』の死角ではない左側に進路を取った。
「わらわが囮になる! そなたらは攻撃に集中せい!」
そう叫びながら走る。
12階層で全身鎧を失ったせいか、彼女の足は、今までの戦闘で見たことがないほどに速さがあった。
「この阿呆が! 1人で何でもやろうとすな!」
悪態をついたラプトは、キルトさんに追随する。
ズズゥン
巨体をひねり、『暴君の亀』が視界に入った銀髪の獲物目がけて、太い首を振るった。
「――鬼剣・雷光斬!」
青く放電した『雷の大剣』が、それを迎え撃つ。
バチィイイン
次の瞬間、キルトさんの身体が、簡単に吹き飛ばされた。
(……は?)
壁に激突し、彼女は床に崩れ落ちる。
あの赤牙竜ガドとも力比べで拮抗して見せた『金印の魔狩人』が、完全に力負けをして、1撃で粉砕された――この目で見た現実に、けれど僕は、理解が追いつかない。
「キルト!」
焦った叫びと共に、イルティミナさんが白い槍を投擲する。
ドパァン
白い閃光は、黒い甲羅に直撃する。
挟まっていた騎士像の残骸が吹き飛び、けれど、その巨体は僅かも揺らがず、傷1つ残らない。
『暴君の亀』は、そのままキルトさんを捕食しようとして、
「させるかい!」
その前に入ったラプトが、2本の角を生やし、全身を神気で白く輝かせながら、両腕を突き出した。
ゴキィン
物凄く硬い音がして、『暴君の亀』の頭部が弾かれる。
けど次の瞬間、横薙ぎに振るわれた巨大な右前脚によって、『光の少年』が吹っ飛ばされた。
バコォオオン
近くの柱に衝突し、柱が倒壊する。
「ラプト!?」
レクトアリスが叫び、すぐに第3の目を開いて、胸の前で両手のひらを合わせた。
ブォン
その足元に『神術』の赤く輝く魔法陣が浮かび上がり、そこから赤く光る『神文字』で構成された太い鎖が吐き出されると、まるで生き物のように『暴君の亀』の四肢に巻きついていく。
ジャララァン
たたらを踏む巨大亀。
「今の内に!」
「うん!」
レクトアリスの声に応えて、僕は走った。
神気解放――全身に、マグマのような熱い力が流れ込み、耳と尻尾が生えてくる。
周囲の世界は遅くなり、僕自身は加速して、負傷した2人の元へと走る。
ドパァン ドパァン
その間にも僕をサポートするために、イルティミナさんが白い槍を投擲し、黒い弓を構えたダルディオス将軍とフレデリカさんが『炎の矢』で『暴君の亀』を攻撃してくれる。
凄まじい爆風と熱波。
それらを感じながら、巨体の横を駆け抜け、彼女の元に到達する。
「キルトさん!」
ギャギャッ
床と靴底の間で白煙を上げながら、僕は急停止する。
「……ぬ、ぐっ」
キルトさんは、生きていた。
痛みに顔をしかめながら大剣を支えに立ち上がろうとして、けれど脳震盪を起こしているのか、上手く身体が動かないようだ。
僕は、慌てて肩を貸す。
「ぐっ……すまぬ」
「ううん」
首を振り、すぐに視線を巡らせる。
(ラプトは?)
ガララン
倒壊した柱の瓦礫を押しのけながら、埃まみれの少年が、瓦礫の中から現れるのが見えた。
「くそったれが……っ」
悪態を吐く元気もある、よかった。
安心したのも束の間、レクトアリスの悲痛な声が響いた。
「駄目! もう持たない!」
(!)
ジャラッ パキィイン
『神文字』で構成された赤い光の鎖が、『暴君の亀』の凄まじい脚力に負けて、澄んだ音色を響かせながら、まるでガラス細工のように砕け散った。
ズズゥン
巨大な魔物が動きだす。
「っっ」
「ぬぅ……っ」
僕の肩を借りながら、キルトさんが片手で『雷の大剣』を構える。
僕も『妖精の剣』を片手で構えた。
地響きと共に迫りくる巨大な岩山のような魔物――勝手に生まれてくる恐怖を必死に押さえ込み、僕らは剣を向けながら、少しずつ後退する。
その時、視界の奥で、魔法使いの少女が、光る大杖を振り上げた。
「炎の神鳥よ、あの黒き大亀を焼き尽くすのよ! ――ラー・ヴァルフレア・ヴァードゥ!」
瞬間、魔法石から10メードはある、あの『炎の鳥』が飛び出した。
ジュオオッ
凄まじい熱波が、僕ら全員を襲う。
そして、少女の放った巨大な『炎の鳥』は、ほぼ同サイズの『暴君の亀』へと飛翔すると、そのまま体当たりを敢行した。
ジュォオオオオッ
黒い甲羅に挟まっていた騎士像の残骸が溶け、一瞬で蒸発する。
だというのに、
(……き、効いてない?)
まるで疑似太陽のような『炎の鳥』と接していながら、『暴君の亀』は平然としていた。
それどころか『炎の鳥』の首に噛みついて、
ギチュッ
簡単に喰い千切った。
『炎の鳥』の全身が揺らぎ、消えていく。
ギチュッ ギチュンッ
それが消えきる前にと、恐るべき食欲に支配された魔物は、炎の肉体を最後まで啄み続けている。
(化け物だ……)
すぐ近くにあるキルトさんの顔が、ギリッと歯を食い縛った。
「……やはり、勝てんな」
苦そうな声。
僕は、頷くしかない。
そして、『神狗』の腕力で彼女をお姫様のように抱え上げる。
「む?」
驚いた顔のキルトさん。
それを無視して、
「ラプト、逃げるよ!」
僕は『神牙羅』の少年にも声をかけると、イルティミナさんたちのいる方へと全力で走りだした。
ラプトは、『暴君の亀』を見ながら、「チッ」と舌打ちすると、すぐに僕らを追って走り始めてくれる。
(今なら、通路に行ける!)
キルトさんとラプトが囮になり、『炎の鳥』が捕食されてくれたおかげで、『暴君の亀』の背後にあった最下層への通路は、今、がら空きになっていた。
逃げるなら、今だ!
もう今しかない。
「マール!」
イルティミナさんも、必死にこちらに手招きしている。
ズズゥン
その時、背後の気配が動いた。
(!)
『暴君の亀』が『炎の鳥』を捕食し終え、その視界が動く僕らの姿を捉えて、それを更なる獲物と認識したのだ。
(まずい……っ)
奥にいるみんなの悲壮な顔。
僕の腕の中で、背後を見ているキルトさんの強張った表情。
迫ってくる凄まじい『圧』を宿した気配。
「――――」
タンッ
完全に勘を頼りにして、僕は跳躍した。
ブォン
尻尾を使って、より高い空中姿勢を保つ。
瞬間、『暴君の亀』の巨大な嘴が真下を通り抜け、その先端が、空中にいる僕の足裏に触れたのがわかった。
(かわせた!)
そう思った。
でも――それが間違いだった。
かすかに足裏に触れた感触は、けれど、『金印の魔狩人』を遥かに凌駕する圧倒的なパワーが秘められていた。
かすっただけ。
なのに、
パキィィン
僕の右足は、凄まじい勢いで弾かれて、膝から下が前側に折れ曲がってしまった。
(……あ)
激痛は、遅れてやって来た。
ドシャッ
着地した瞬間、姿勢を崩した僕は、キルトさんごと地面に倒れ込み、ゴロゴロと転がる。
「ぐっ……マールっ」
キルトさんが、思うようにならない身体で、僕を抱く。
でも、僕は強い痛みと、壊れた右足のせいで動けない。ただ、必死に悲鳴だけが漏れないよう、唇を引き結ぶので精一杯だった。
「マール、化け物女っ!」
ラプトが、慌てて駆け寄ろうとしてくれる。
けれど、それよりも先に『暴君の亀』の巨体が、僕らの元へと到達できるのは明白だった。
(くっ、どうしたら……っ?)
痛みで上手く頭が働かない。
その時、
ジ、ジジ……
左腕にある『白銀の手甲』から精霊の声がした。
次の瞬間、その魔法石が輝いて、僕の意志に関係なく『白銀の狼』が姿を現した。
ジ、ガガァアア
その巨大な口で、僕とキルトさんの腕を拘束すると、まるで流星のように走りだす――直後、直前まで僕らのいた床に、巨大な嘴が突き刺さり、床ごと噛み砕いていた。
「マール!」
「キルト、大丈夫なの!」
『白銀の狼』は、イルティミナさんたちの元へと辿り着き、僕らを下ろしてくれた。
ラプトが、少し遅れて到着する。
「ありがと、精霊さん……」
痛みを堪えながら、僕は笑って、その頬に触れた。
『白銀の狼』は、かすかに甘えるように顔を擦り寄せると、すぐに光の粒子となって『白銀の手甲』の魔法石の中に吸い込まれていった。
ズゥン ズズゥン
それでも、危機的状況は変わらない。
『暴君の亀』は、床から嘴を引っこ抜くと、僕ら8人の元へと恐ろしい速度で歩み寄ってきていた。
「よくも、マールを……!」
イルティミナさんは、そちらに向かって『白翼の槍』を構えた。
その真紅の瞳が、流された魔力で輝き始めると、同時に、槍の翼飾りの開いた部分にある紅い魔法石も、同じように光を放つ。
「――羽幻身・一閃の舞!」
静かな気迫の声。
それに応じて、魔法石から光の羽根が無数に吹き出し、そうしてイルティミナさんによく似た、身長5メードはある巨大な『光の女』が出現した。
その手にある巨大な槍を、『暴君の亀』へと振り落とす。
ドパァアアアン
その凄まじい威力に、『暴君の亀』の巨体が床へと叩きつけられた。4本の脚が床に沈み、腹部も床面に打ちつけられ、床全体が大きく陥没する。
ギギギッ
けれど『暴君の亀』が少しずつ、巨体を持ち上げ始めた。
「……今の内に、早くっ」
切羽詰まったイルティミナさんの声。
フレデリカさんが僕を抱き上げ、レクトアリスがキルトさんに肩を貸して、僕らは一斉に通路に向かって走りだした。
なんとか、通路に到達する。
と、ほぼ同時に、
ズガァアン
ついに『暴君の亀』が、光の槍を跳ね上げ、再び巨体を起き上がらせていた。
グチュン
そして、その巨大な嘴は『光の女』に噛みつき、その神々しい姿は、無数の光の羽根へと分解して消えていってしまう。
「……くっ」
魔法の影響か、ふらつくイルティミナさん。
そんな彼女を、ダルディオス将軍が、素早く大きな肩に担いで、僕らのいる通路へと飛び込んでくる。
「フィディ!」
「はい!」
アルン騎士の父娘は、僕らを床に降ろし、揃って黒い弓を構えた。
ギィイ
番えられた矢の先端には、今まで見たことのないサイズの大きな鏃が装着されている。
2人はそれを、通路の天井めがけて撃った。
ドパァアアンン
凄まじい爆発が起こった。
それは天井を破壊し、大規模な崩壊を巻き起こす。
雪崩のように落ちてくる瓦礫の向こうから、『暴君の亀』の黒い巨体が接近し、けれど、それも土煙の向こうに消えていく。
大量の瓦礫が、通路の入り口を覆い尽くし、僕らの視界が闇に染まる。
ゴ、ゴォオオン
直後、凄まじい振動があった。
『暴君の亀』が瓦礫に突っ込んだのだろう、けれど、大量の瓦礫は、それ以上の侵入を許さない。
ゴォン ゴゴォオン
闇の中、何度も衝突音が響く。
(……さすが、将軍さんだ)
もし天井を崩して大量の瓦礫を防壁にしていなければ、あの食欲の権化である『暴君の亀』は、獲物である僕らを求めて、狭い通路を破壊しながら追いかけてきていたかもしれない。
(これが経験の差、なのかな?)
咄嗟の状況判断力には、まさに脱帽である。
ゴォン ゴゴォン
その恐ろしい音が鳴り響く中、『光鳥』を灯すと、ソルティスが残り少ない魔力を使って、僕の折れた足を修復してくれた。
「ありがと、ソルティス」
「別にいいわよ、お礼なんて」
肩を竦める少女。
キルトさんは、片手で額を押さえながら、申し訳なさそうな顔で謝った。
「足を引っ張り、すまなかったの、マール……」
何を言ってるんだか。
(いつも助けられてたのは、こっちなんだよ?)
たまには、こういう日もあっていいと思うんだ。
「ふぅ……。よし、では、このまま最下層に向かおうぞ」
やがて、ようやく脳震盪から回復し、身体の自由を取り戻したキルトさんの号令で、僕らは通路を歩きだす。
まだ治した直後だったからか、足に痺れがあったので、僕はイルティミナさんに背負ってもらうことになった。
ゴォン ゴォン
音が、また続いている。
「……別の道、あるといいわね」
「……ん、そうだね」
この道を塞いでしまった以上、地上に帰還するには、違うルートが必要だった。
(でも、先のことよりも今は……)
ギュウッ
僕は無意識に、イルティミナさんの首に回していた両腕に力を込めていた。
気づいた彼女が言う。
「ようやくですね、マール」
「うん」
ようやく、僕らは最下層に辿り着く。
生きた『神武具』を手に入れる――その目的を果たす時が、すぐ目の前にまでやって来ていた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、3日後の水曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




