116・水中の罠
第116話になります。
よろしくお願いします。
「あのメデューサを無傷で倒すなんて……。あぁ、マールは本当に成長しましたね?」
僕の頬に両手を添えて言うと、イルティミナさんは感極まったように、この小さな身体を抱きしめてくれる。
(う……よ、鎧が痛いよ)
でも、あまりに嬉しそうなので我慢する。
そのまま彼女は頬ずりしてくれて、その美しい深緑色の髪が、僕の肌を柔らかく撫でてくれて、それは、とても気持ち良かった。
そして、甘やかないい匂い。
僕は少し照れながら、答える。
「ううん。倒せたのは、キルトさんもいたからだよ」
「いいえ」
僕を見つめ、彼女は、左右に首を振った。
「メデューサは、その致死性の高い特殊能力ゆえに、赤牙竜とも並ぶ討伐ランクの魔物なのです。例えキルトがいようと、そう討伐が容易い魔物ではないのですよ」
そうなの?
(それは、ちょっと驚きだよ)
かつてアルドリア大森林で出会った赤牙竜ガドは、『名付き』だったから別格としても、竜に比肩すると言われると、確かに手強く思える。
びっくりしている僕に、ソルティスも声をかけてくる。
「そうよ? なのに、なかなかやるじゃない、マール。キルトとの連携も、息ピッタリだったしさ。ちょっと見直したわよ?」
「ソルティス……」
この子にも、こんな風に褒められるなんて。
(メデューサって、そんなに強い魔物だったんだ……?)
正直、そこまで脅威に感じなかった。
その理由は、やっぱり『金印の魔狩人』が一緒だったからなのかな? それとも、少しは僕も強くなったから……? よくわからない。
キルトさんを見ると、彼女はただ満足そうに笑っているだけだ。
「…………」
「…………」
しばらく見つめ合っていると、イルティミナさんが「んん?」と僕らの顔を交互に見る。
ちょっと慌てたように、
「マ、マール? 私も一緒に戦えば、キルト以上に、息を合わせることができますからね」
「え?」
「次は、私と一緒に戦いましょう」
「う、うん」
必死な剣幕のイルティミナさんに、思わず頷いてしまった。
「……イルナ姉」
その妹は、対抗する姉の姿に、ちょっと悲しそうに、ため息をこぼしている。
あはは……。
と、
「大丈夫か、フィディ?」
そんな僕の後ろで、将軍さんの心配そうな声が聞こえた。
(あ)
振り返ると、石化を解かれたフレデリカさんと、そのそばに片膝をつき、心配そうにしているダルディオス将軍の姿があった。
「大丈夫ですよ、父上。まだ、痺れは残っていますが……」
床に座りながら、答えるフレデリカさん。
石化していた左の手足を動かしていたけれど、言葉通りに、やはり動きがぎこちない。
(まさか……後遺症?)
心配する僕だったけれど、治療した少女は落ち着いて教えてくれる。
「問題ないわ。ただ、石化で一時的にとはいえ、神経の繋がりや血流も、完全に遮断されてたからね。今はそれが戻って、身体が少しびっくりしてるだけよ。時間が経てば、すぐに治るわ」
「そうなんだ?」
よかった。
安心しながら僕は、黒騎士のお姉さんへと近づいていく。
「フレデリカさん」
「……あ」
気づいた彼女は、僕から一瞬、顔を逸らし、それから少し無理をして笑いかけてくれる。
「今の戦い、見事だったぞ、マール殿」
「…………」
「逆に私は、情けない姿を見せてしまったな。……貴殿を守るつもりが、これでは本末転倒だ」
とても悔しそうな表情。
そして、フレデリカさんは、強引に立ち上がろうとして、
(あ、危ない)
ふらついたところを、すぐに僕は支えた。
「す、すまない」
「ううん」
正面から抱きつくように支える僕に、彼女は、慌てたように身体を離そうとする。
少し頬が赤い。
僕は、彼女を見つめた。
「無理しないで、フレデリカさん。手足が自由に動くまで、少し時間がかかるそうだから」
「う、うむ」
心配する僕に、彼女は、ぎこちなく頷く。
と、イルティミナさんが僕と入れ替わるようにして、彼女に肩を貸した。
「あまり、私のマールと密着しすぎないでください、フレデリカ?」
「え? あ……す、すまん」
「……全く、油断も隙もない」
不機嫌そうに呟くイルティミナさんと、なぜか謝るフレデリカさん。
(???)
よくわからないけれど、彼女は、イルティミナさんに任せて大丈夫そうだ。
僕は、身を離す。
「あ……」
黒騎士のお姉さんの、ちょっと残念そうな声。
そんな僕らの様子を、なんだかダルディオス将軍が、複雑そうな表情で見ていた。
「なぁ、自分ら、そろそろ先に進もうや?」
ラプトの呆れた声。
見たら、レクトアリスは第3の目を開いて、周囲を見ている。どうやら、ずっと周囲の警戒をしていてくれたようだ。
「うん、そうだね」
僕は頷く。
そして、『神牙羅』の少年に笑いかける。
「さっきはありがとね、ラプト」
「あん? あれぐらい、余裕や。構へん、構へん」
パタパタ
顔の前で手を振りながら、けれど、満更でもなさそうなラプト。
その横でレクトアリスは、小さく苦笑している。
僕は、彼女にも笑いかけ、
「レクトアリスも、周囲を見ていてくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
お礼を言うと、彼女は大人の笑みで応じてくれる。
ガシャッ
大剣を背中に戻したキルトさんが、全員を見回し、そして号令を出した。
「よし。――皆、先に進もうぞ」
緊張感を宿した声に、その場の空気が引き締まる。
(うん)
気持ちを引き締め直した僕らは、メデューサの死体をその場に残し、再び暗い迷宮の奥へと足を進めていった――。
◇◇◇◇◇◇◇
幾つかの分岐を経由して、レクトアリスに正解の道を見つけてもらいながら、僕らは、1つの部屋へと到達した。
古びたテーブル。
たくさんの椅子。
空っぽの棚。
あるのは、それだけだ。
長い年月のせいか、壊れ、崩れているものもある。
(……昔はここに、灰色の女神コールウッド様の信者の人が暮らしていたのかな?)
よくわからない。
ただ周囲には、部屋の四隅に、魔光灯が設置されている。間違いなく先行部隊のアルン騎士たちは、ここを通っているのだ。
そして、4つの魔光灯が照らすのは、崩れた床にある大きな穴。
「……水没してる」
僕は、呟いた。
みんな、同じように水面を見つめている。
元々は、地下通路だったのかな? その入り口部分の床が崩れて、大きな穴となり、しかも通路全体が水没しているようだった。
水の透明度は高い。
でも、通路の奥にまでは、光が届かずに真っ暗だった。
「……本当にここ?」
ソルティスが、疑わしげに問う。
レクトアリスは、第3の目から放たれる紅い光で、水没した通路を照らしたまま、しっかりと頷いた。
「間違いないわ。220メード先で、別の部屋に通じてる。その先に、12階層への階段があるみたい」
「……迂回路は?」
「ないわ」
はっきりした答え。
(つまり、この水の中を進むしかないのか……)
全員、黙り込んだ。
やがて、キルトさんが大きく息を吐き、気を取り直して皆に言う。
「よし。ソルの魔法で、水中呼吸できるようにして、この水没した通路を抜けるぞ。――ソル、魔法の効果時間は、どのくらいじゃ?」
「多分、300数えるぐらい」
およそ5分、か。
「でも、呼吸を早くしたり、動いたりして、酸素消費が多くなると、どんどん時間が少なくなるわ」
ソルティスは、そう付け加える。
「そうか」
キルトさんは頷いて、僕らを見回す。
「では、各自、荷物の防水処理をしっかりせよ。準備が整い次第、出発じゃ」
◇◇◇◇◇◇◇
「こうして、防水布をしっかり巻いて、隙間を埋めるのですよ」
僕のリュックに、包帯のように防水布を巻きながら、イルティミナさんが教えてくれる。
(なるほど、なるほど)
僕のリュックは、防水性だ。
でも、それは雨を弾く程度で、さすがに水中活動できるほど密閉されていない。だから、こうして防水布を巻く必要があるのだ。
手際よく作業しながら、彼女は言う。
「私たちは、鎧を着ているので、重さで沈みます。泳ぐというより、水中の床を歩くようにした方が、速く進めるでしょう」
「うん」
僕は頷く。
「それと濡れた服は、肌に張りつき、思った以上に動きを阻害します。体力の消耗も、激しくなるでしょう。可能ならば、服は全て脱いだ方がいいのですが……」
え? 全裸?
(そ、それは、さすがに恥ずかしいかも……)
躊躇する僕に、彼女は笑った。
「では、せめて袖や裾をまくり、肘や膝、肩などの関節部は、自由にしておきましょうね?」
「う、うん。わかった」
よかった。
ちょっと安心した。
「……少し残念ですけどね」
え?
何か、お姉さんが呟いた気がした。
「いえ、なんでもありませんよ。私も、マールの前で全裸になるのは、恥ずかしいなと思っただけです」
「…………」
前に無理矢理、一緒のお風呂に入れられたこと、あるんですが……。
彼女は、艶っぽく笑う。
そして、今度は、妹の作業を手伝いに、そっちに行ってしまった。
(まぁ、いいか)
ふとキルトさんを見れば、彼女は防水布を『雷の大剣』にもしっかりと巻きつけている。
……うん。
万が一、あの刀身の雷が外に漏れたら、大惨事だもんね。
(大事なことだ)
それから、フレデリカさんを見ると、彼女は、防水加工された袋を、リュックに丸ごと被せていた。袋の口元を何重にも折り曲げて、しっかり結んで出来上がり。
うん、なんか防水布を巻くよりも簡単だ。
(それに、手慣れてる感じだね)
僕の視線に気づいて、黒騎士のお姉さんは笑った。
「アルンの騎士は、水中訓練も受けるのでな。こういうことにも慣れているんだ」
「へ~、そうなの?」
アルンって凄い。
見れば、ダルディオス将軍も、慣れた手つきで、とっくに作業を終えていた。
何もしてないのは、荷物のないラプトとレクトアリスぐらいだ。
「なんや?」
ううん、なんでも。
キョトンとした視線に、僕は笑って誤魔化した。
そうして全員の作業が終わり、僕らは改めて、水没した穴の前に集まる。
「水に負けるな、生命の息吹よ! ――ウォルター・ブリー・ジェンガ!」
ソルティスの大杖が、空中にタナトス魔法文字を描く。
そして彼女は、光を放つ魔法石の大杖を、全員の額にチョン、チョン、チョン……と押し当てていった。
チョン
僕の額にも、押し当てられる。
(……なんだろう、これ? まるで空気の膜が、頭の周りにある感じ……?)
吸っている空気も、遺跡の淀んだ空気から変わった気がした。
少女の大杖は、更に空中に魔法文字を描き、
「水の中での私たちを助けなさい! ――ライトゥム・フィッシュル!」
その大杖の先端を、水面に向ける。
チャポ チャポン
白く輝く魔法石から、光でできた小魚たちが8匹、水中へと落ちていった。
おかげで、暗かった水路が明るくなる。
(光鳥の水中バージョンだ!)
さすがソルティス、色々とできる凄い魔法使いだね。
アルン神皇国の2人も『神牙羅』の2人も、みんな、感心したように少女を見ている。
「ふふん、尊敬していいのよ?」
得意げなソルティス。
でも、
「無駄話をしている暇はなかろう? 皆、行くぞ」
キルトさんがそう言うと、ラプト、レクトアリスを先頭にして、みんな水中へと入っていった。
(そうそう、300秒だもんね)
思い出した僕も、隊列通り、ソルティスと一緒に水中へ。
隣の少女の顔は、なんだか悲しそうでした。
◇◇◇◇◇◇◇
光る小魚に周囲を照らされながら、水没した通路を進む。
地下通路は、それほど広くない。
縦3メード、幅2メードほどの道が、延々と続いているだけだ。そして、光魚のいる部分だけが明るくて、それ以外は、闇に沈んでいる。
呼吸は、普通にできた。
(本当に、泡があったんだね?)
水に入ったら、頭を包み込む丸い空気の泡が、はっきりと視認できたんだ。
なるほど。
この泡の中の空気を吸って、呼吸ができる仕組みなんだね。
でも逆に言うと、この泡がやがて小さくなって、全てなくなってしまったら窒息するんだ。
(……300秒、か)
ちょっと急ごうかな。
心配性の僕は、少しだけ足を早めたくなった。
モタ モタ
でも、慣れない水中だからか、上手く進まない。歩こうとしても、1歩ごとに身体が少し浮いてしまうんだ。袖まくりした両腕で、平泳ぎのようにしながら、ゆっくりと進んでいく。
(ま、間に合うよね?)
時間切れになる前に、水中を抜けられると信じたい。
前方を見る。
先にいるはずのキルトさんとダルディオス将軍の背中は、最初に比べて、かなり遠くなっていた。15~20メードは、離れている。ラプトやレクトアリスの背中は、とっくに見えない。
ちなみに、すぐ後ろには、ソルティスがいる。
彼女も、水中を歩くのに、ちょっと苦戦しているようだ。
あと本来の隊列としては、僕らの後方にいるはずのフレデリカさんは、僕らに追いついてしまっている。さすが水中訓練もこなしているアルンの黒騎士といった感じかな。
彼女と一緒にいるはずのイルティミナさんは、殿として、少しペースを落として、離れてついて来ているようだ。
彼女の光魚の輝きが、10メードほど後方に見えている。
(…………)
視線が合うと、フレデリカさんは笑った。
『焦らなくていい』
そう言ってくれているようだった。
(頼もしいなぁ)
僕は、微笑みを返して、頷いた。
そのまま、水中を歩きながら、進んでいく。
水の中に、魚などの他に泳いでいる生物はいなかった。
でも、床や壁、天井に、体長10センチほどのイソギンチャクみたいな生物がくっついていて、ユラユラと揺れている。そこだけは、ちょっと幻想的だ。
(……ん?)
ふと前方の天井付近に、黒く大きな何かがあった。
ゴポッ
その正体に気づいた僕は、思わず、大量の息を吐いた。
人だ。
それは鎧を着たアルン騎士の死体だった。
(…………)
ソルティスとフレデリカさんも驚愕し、思わず足を止めていた。
目立った外傷はない。
多分、溺死だ。
(なんてことだ……)
心が苦しい。
もしかしたら、10階層へと向かった13人の内の1人だろうか?
それもわからない。
トン
止まっている僕とソルティスの背中を、フレデリカさんの両手が優しく押した。
その瞳が強く訴えている。
『この死を無駄にしないためにも、立ち止まっていてはいけない』
と。
僕らは頷き、短い黙祷を捧げてから、前へと足を踏み出していった。
◇◇◇◇◇◇◇
僕は、ソルティスをすぐ後ろにしながら、水中を歩む。
フレデリカさんは、殿のイルティミナさんとの距離を調整するために、少し離れた後方へと下がっていた。
コポコポ
自分の吐きだす息が、泡となって水中に浮かんでいく。
(……静かだな)
水の中だからか、或いは空気の泡のせいか、自分の呼吸音以外、物音がしない。
そのせいか、時間の感覚も狂ってくる。
(そろそろ、300秒かな?)
頭部を包む泡は、だいぶ小さくなっていた。
もう終点が見えてもいいのに、けれど、水中の地下通路は、まだまだ続いている。不安と焦りが、僕の心の中で、鎌首をもたげ始めていた。
と、その時だ。
カクンッ
右手が何かに引っかかった。
(え?)
違う。
ソルティスが立ち止まって、なぜか両手で、僕の右手首を強く掴んでいたんだ。
(??? 何してるの?)
こんな場所で止まっている暇はないのに、なぜか少女は歩きださない。
それなのに、
『――――』
少女は、必死の形相だった。
嫌な予感がする。
少女の視線が、自身の足元を見た。
彼女の右足首に、細長い『何か』が絡みついている。
(……え?)
床に生えたイソギンチャクから伸びた細長い触手が、ソルティスの右足首に何重にも巻きついて、少女をこの水中に拘束していた。
ソルティスが、何度も足を引っ張ろうとしても、触手はビクともしない。
彼女は、泣きそうだった。
(え? 嘘でしょ!?)
僕は、感じた恐怖を抑え込みながら、慌てて『妖精の剣』を抜いた。
触手目がけて、振り下ろす。
ギャリリ……ッ
(っっっ)
硬い。
まるで金属のワイヤーだ。
まずい。
まずい、まずい、まずい。
地上でなら、僕の剣技で斬れると思う。
でも、ここは水中だ。
両足は踏ん張れず、張りつく服が動きを邪魔して、水の抵抗が剣を走らせない。
(こ、このっ! このっ!)
ガリッ ギャリリ ガガッ
斬れない。
どうしても、斬れない。
ふざけるな、ソルティスを離せ! 離せよ!
少女も、両手を握りしめ、恐怖を必死に押し殺している表情だった。
一瞬、溺死したアルン騎士の姿が、脳裏をよぎった。
(まさか、あの人も……?)
ゾッとした。
駄目だ。
ソルティスを、あんな姿にするなんて、絶対に駄目だ。駄目だ!
(このぉ!)
鋸のように、何度も、触手に刃を擦る。
ガガッ ガリリ……ッ
少しだけ削れる。
でも、時間が足りない。
魔法の効果時間は、もうリミットがそこまで来ているのだ。
(駄目だ……)
少女の小さな手が、トンッと僕の胸を押した。
え?
彼女は、泣きそうなのを堪えて、笑顔を浮かべながら、先に行くよう促していた。
(ソル、ティス……?)
まさか……諦めないでよ、ソルティス!
僕の視線の訴えに、けれど、彼女は首を左右に動かして、通路の先を小さな指で示してくる。
嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
こうなったら、もう――僕は、ソルティスの右足首を切断することも覚悟する。
でも、
ギュウ
その時、僕らに追いついた黒騎士が、少女を背中から抱きしめる。
(フレデリカさん!?)
すぐ状況がわかったのだろう。
フレデリカさんは、驚く少女の頭をポンポンと優しく撫でながら、僕には手のひらを下に押さえるようにして『落ち着け』と示してくる。
そして彼女は、腰の剣を抜いた。
ザシュッ
彼女は、その剣先を、ソルティスを拘束するイソギンチャクのような生物本体の口へと突き刺した。
(あ……っ)
でも、触手は離れない。
駄目か。
恐怖と諦めが、心を内側から染めていく。
けれど、フレデリカさんは、イソギンチャクのような生物に剣を突き立てたまま、その剣の柄にあるトリガーへと指を触れさせた。
それを、一気に引く。
ギャリイン
柄にある歯車が回転し、水中だというのに刀身が炎に包まれた。
ジュオオッ
水が蒸発し、白い泡を噴き上げる。
イソギンチャクのような生物は、突然の炎に焼かれて驚いたのだろうか、呆気ないほど簡単に、少女を拘束していた触手を解いた。
(ソルティス!)
僕は慌てて、少女を自分の胸へと抱き寄せる。
ギュッ
彼女の背中を、強く抱きしめた。
フレデリカさんは、もう1度トリガーを引いて炎を納め、イソギンチャクから剣を抜く。死んだのか、或いは、獲物を諦めたのか、その恐ろしい生物は触手を水中にたゆたわせたまま、動かなくなった。
フレデリカさんは、僕らを追い払うように腕を振るった。
『時間がない、早く行くんだ!』
(うん!)
僕は、感謝の視線を返して、前へと進む。
彼女は、その場に残った。
多分、最後尾から来るイルティミナさんが、触手の罠に引っかからないように警告するためだと思う。
それは任せて、僕は少女を抱いたまま、必死に進んだ。
(くそっ、動きすぎた!)
魔法の泡が、ほとんどなくなっていた。
髪が濡れる。
もはや空気の膜は、顔の表面に、ほんの数ミリあるだけだった。
時々、空気ではなく水が入ってきて、むせてしまう。
く、苦しい。
でも、地下通路の終わりは、まだ見えない。
左目にも、水が流れてきた。
視界がぼやける。
慌てて、左目だけ閉じた。
(どうしよう……僕、ここで死んじゃうの?)
正直、怖い。
でも、どうしようもなかった。
と、
ピトッ
「馬鹿マール」
え?
ソルティスが、頬が触れ合うくらい、僕に顔を寄せていた。
触れる頬が熱い。
そして、呼吸が楽になった。
(あ……)
頬が密着したことで、まだ多く残っていたソルティスの空気の泡が、僕の頭も包んでくれたんだ。
「ソルティス……」
「喋らないで。空気が減るでしょ」
「……うん」
僕は、泣きそうになる。
ソルティスは、ちょっと恥ずかしそうに唇を歪めて、でも、僕と身体が離れないように、その両腕をしっかりと背中に回してくれる。
(ありがとう、ソルティス)
僕らは身を寄せ合い、抱きしめ合ったまま、光魚に照らされる水中を進んでいく。
やがて、魔法の泡が消えきる前に、僕らは地下通路の終点まで辿り着き、その水面から顔を出すことに成功したのだった――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




