011・お待ちなさい
第11話になります。
よろしくお願いします。
「イルティミナさん、今夜は、あっちの部屋を使ってね」
僕は、居住スペースの扉を指差して、そう言った。
見張り台から戻った頃には、夜も更けて、そろそろ就寝の時間だった。
「ありがとうございます」と笑った彼女は、その扉を開けて――そして、硬直した。
ん? なんで?
「イルティミナさん?」
横から、顔を覗き込む。
彼女の真紅の瞳は、大きく開いたまま、部屋中を見回している。
そして、その桜色の唇から、ポツリと呟きがこぼれた。
「……なんですか、この一面の文字は?」
「あ」
僕は、ポンと手を打った。
すっかり忘れていたけれど、部屋にある壁や床は全て隙間なく、今朝まで、僕が刻んだ33文字で埋め尽くされている。
初めて見たら、呪いの部屋と勘違いされても、可笑しくないレベルだった。
僕は、素直に白状する。
「ごめんなさい。僕が練習で書いたんだ」
「練習?」
「うん。毎日、退屈だったんで、ここにあった本の文字を書いてたんだ」
しゃがんで、近くの小石を拾い、足元の床にガリガリと覚えた33文字を書いていく。
残念な子を見るような顔のイルティミナさん。
でも、その表情が、不意に変わった。
僕と同じようにしゃがんで、刻まれた文字を白い指でなぞる。
「もしや、これは……タナトス文字?」
(……タナトス文字?)
「知ってるの?」
「はい。古代タナトス魔法王朝の時代に使われていた、魔法文字です。1つ1つの文字に意味があり、現代には伝わっていない古代魔法が発動できるとか」
「へ~、そうなんだ」
「私も詳しくはありませんが、この辺の文字は、ダンジョンの遺跡などで見たことがあります」
3つほど、文字を触って、
「ラー、ティット、ムーダ。……発音は、確かそうだったような?」
「意味は?」
「わかりません。妹のソルならば、魔法学に詳しいのですが……すみません」
「ううん」
僕は、笑って、首を振る。
少しでも、この世界の知識が増えるのは、楽しかった。
(ラー、ティット、ムーダ、か。ちょっと覚えておこう)
口の中だけで、ブツブツと発音を繰り返す。
イルティミナさんは、深緑色の美しい髪を揺らして、立ち上がると、礼拝堂の方を振り返った。
真紅の瞳をかすかに細めて、
「あの女神像のモデルも、神魔戦争の時代に召喚された神々の1人なのかもしれません。そうなると、この塔は、古代タナトス魔法王朝・末期の遺跡なのかもしれませんね」
「ふぅん」
僕も改めて、塔の内部を見上げる。
かつては、多くの人が、この女神像を詣でていたのかもしれない。でも、今は僕ら2人以外に誰もいない、寂しい空間になってしまった。
(……時の流れって、怖いなぁ)
そんな感慨に思ったり。
そしてイルティミナさんは、居住スペースの中へと入っていく。
タナトス文字の本を、幾つか眺めて、
「この辺の本は、少し持っていきましょう」
「ん?」
「私の妹ソルティスなら、解読できるかもしれません。できなくとも、この時代の本は、好事家や研究者などに高く売れますから」
「あはは……売るんだ?」
現実的なところは、ちょっと冒険者らしいと思ってしまった。
(おっと、長話してしまった)
ハッと我に返った僕は、本を見ている彼女に、声をかける。
「ごめんなさい、時間を取っちゃった。――それじゃあ、イルティミナさん、僕は礼拝所で眠るからね? また明日、おやすみなさい」
「あ、はい」
顔を上げて、彼女は微笑む。
でも、すぐに何かに気づいた顔をして、
「ですが、マール? そちらに、布団などはなかったようですが……」
「え? あるよ?」
僕は、自慢の布団を指差した。
「ほら、『葉っぱ布団』」
「…………」
「結構、寝心地いいんだよ? それじゃあ、おやすみなさい~」
歩きだした僕の手を、白い手がガシッと掴んだ。
「お待ちなさい、マール」
また少し怖い声だった。
え、何? なんで?
思わずたじろぐ僕の顔を、イルティミナさんの真紅の瞳は、睨むように見つめてくる。
「マール、あれは『布団』ではありません。『葉っぱ』です」
「で、でも」
「でも、ではありません。それでは、獣と一緒です。葉っぱで丸くなって眠るマールなど、私は見たくなど……いえ、少しありますが……いえいえ、ありません!」
「…………」
そんなこと言われても。
戸惑う僕をしばし見つめて、やがて、イルティミナさんは大きくため息をついた。
「どうやらマールには、私の教育が必要なようですね。――わかりました。今夜は、私の毛布で一緒に眠りましょう?」
えぇっ!?
(いやいや、若い男女が同衾しては駄目でしょ!?)
思わず、焦る僕。
けれど、イルティミナさんは、強い力でズルズルと僕を居住スペース内へと引きずり込んでしまう。
そのまま僕を抱きしめて、毛布を2人の身体の上から巻きつけ、タナトス文字が刻まれた床に横になる。
「ほら、この方がいいでしょう?」
「う……いや、うん」
寝心地はいいけど。
けど、柔らかくて、温かくて、いい匂いがして、逆に寝れない気がします!
頬に触れる、綺麗な髪がくすぐったくて、前髪を揺らす彼女の吐息が、甘く、優しくて、
「フフッ、よしよし」
頭を撫でられたら、なんだか夢見心地で……あれ?
(……なんだか、本当に眠くなってきたような……?)
自覚がなかっただけで、僕は、とても疲れていたのかもしれない。
(……ひょっとしたら、彼女は、それを見抜いていたのかな?)
ウトウトと、まぶたが重くなってくる。
逆らうことは難しくて、目の前は、柔らかな闇に包まれる。
トクン トクン
触れ合う彼女から伝わる鼓動は、まるで子守歌のようだった。
「おやすみなさい、私のマール。よい夢を――」
そよ風のような、優しい声。
どこか懐かしい気持ちになりながら、僕は、そのまま眠りの世界に落ちていったんだ――。
ご覧いただき、ありがとうございました。




