A・B両面 エリス襲来②
潜行モードで出立する船と、それよりも大きな身体をくねらせる真っ白な深海魚が、耐圧ガラスのすぐ外側を通り過ぎる。
カラフルな尾を持つ羽の生えたトカゲが羽を休める巨大な宿り木に開いた洞から、先鋭的なデザインを持つ戦闘機が音もなく緊急発進していく。
火山火口に設けられた資源採掘工場。配管がむき出しになっていた工場の一部が分離し、巨大な貨物船として満載した資源を惑星外へと打ち上げる。
半壊した航宙母艦を急造して作られた前線基地からは、人型、獣型の機械兵達が防衛線を張るために矢継ぎ早に飛びだしていく。
背景を変える事に美月の目に飛び込んでくる映像は、大きく様変わりしていく。
美月達が今いるフロアは第三ターミナルの最上層部に位置する展望フロア。
一面が全面ガラス張りになった窓の外に映し出される光景に移るのは現実ではあり得ない環境、あり得ない状況、あり得ない生物たち。
ラウンジのあちらこちらにある全自動機械式軽食ショップや、見慣れた自動販売機が無ければ自分がどこか別の星にでも来てしまった様な錯覚を覚えてしまうだろう。
その店の電光看板や自動販売機に表示されるのは、取扱商品種別を現す店舗名と今はまだ開店準備中の文字のみ。
文字を読んでいる暇はないが、深海基地なら海底熱水鉱床地図やら、森林基地ならプラントハンター専用装備と、特化した商品や装備を扱っている様子が見て取れた。
展望フロアは見晴らしをよくするためか、フロア内には大きな柱がなく見通しのよい広々としたラウンジになっている。
その中央付近からならば、壁際に設置された軽食店の看板もぐるりと見渡せるので、背景を一度切り変えれば全ての店を一度にチェック可能。
固まっている自動販売機コーナーには、麻紀が持っていたモノクル型カメラを置いておいて遠隔確認。
その間に小回りの利く麻紀が、美貴から注意されていたラウンジ内の掲示チラシ確認。
たかを食っていたわけではないが、この役割分担で時間までには何とか終わるだろうと思っていた二人だったが、その目論見は見事に外れていた。
「麻紀ちゃんあと12だけどまだありそう?」
膨大な情報を前に驚く暇も観察する暇もなく、美月は環境背景を次々に切り変えながら、その都度に、背景に合わせて変わっていく店舗種別を視界に収め撮影していく。
ゲーム正式オープンまであと15分足らず。
それなのにまだ全ての店舗情報を集めきれておらず、美月の顔には焦りが浮かぶ。
『あぁごめん美月! 新しい張り紙発見。また背景リストが更新されてる。もう! きりが無い!』
周囲を走り回って偵察していた麻紀がウンザリとした悲鳴をあげつつも、発見した張り紙が発信する情報を取り込み、すぐに情報共有している美月の元にも、その張り紙の内容が届けられ、環境背景に新たな選択が浮かび上がる。
張り紙に躍る文字は、『氷結惑星フォロンタンより季節の花を届けます』の一文。
ちょうど前の映像を全て確認し終えていた美月はリストに浮かび上がった氷結惑星をタップしてみる。
するとまた即座に映像が切り変わり、展望台の外を極寒の星でしか咲かない氷で出来た花が咲き誇る巨大な花畑を土壌諸共、星系外へと運ぶ巨大な地層運搬船が上昇していった。
「βテストの時にも思ったけど、出来る事が多すぎる」
歯がみしながらも、フロアを見渡し切り変わった店舗名を視界に捉え撮影して、その視覚データを、攻略WIKI編集を行っているギルドメンバーへと流していく。
美貴を初めとするベテランプレイヤー組は、この背景映像切り替えの種類が尋常でないとすぐに気づいて、空港外の予備メンバーを用いて編集専属チームを即座に立ち上げたので、今の美月達の役割はただのカメラだけですんでいるのが唯一の救いだ。
これで店名を一つ一つ確かめて報告をしていたなら、とても追いつかなかっただろう。
リアルイベント会場には行かず、部室や自室で待機している予備メンバーがいると聞いたときは、ゲームなのに参加しないのは何故だろうと思っていたがこういうことだったのか。
ただゲームをプレイするのではなく、ゲーム攻略をする。
KUGCやその同盟ギルドが攻略ギルドと呼ばれている意味の一端を、美月達は初めて目の当たりにしていた。
『ぁぁっ裏にもあった! 二枚発見! どこまであるのよこれ!』
麻紀の悲鳴じみた報告がまたもあがる。
その声に応える余裕もなく、新たにあがったリストを確認しつつ美月は次のデータを立ち上げていく。
これだ。これが問題だ。
底が見えない。
ゴールが見えたかと思えば、また新たなゴールが出現する。
それはPCOと呼ばれるゲームが持つ多様性の表れであり、目下の所美月を悩ませる最大の原因。
亡くなったはずの、だが生きているかも知れない父。
高山清吾の情報を得るために、三崎伸太が出した条件は、PCOのオープニングイベントで入賞する事。
だが肝心要のそのイベント内容は未だ公表されておらず、入賞をするために取得するべきスキルや目指すべきプレイスタイルを未だ美月は決めかねている。
やれることが多すぎる。その一言に尽きる。
βテストの時でさえも、宇宙戦争や惑星開発はもちろんのこと、遊園地を作ったり、ただ海釣りをしたり、遺伝子改良をして新生物を作ったり、バンドを作ってコンサートを開いてみたり、公道レースに参加する自動車開発をしたりと、何でも自由なのだ。
リアルであれば色々と制約があったり、自分のスキルで敵わないだろう夢も、ゲーム内ならばスキル補正という形で補って叶う。叶ってしまう。
資金も、学力も、時間も、機材も、そして運さえも関係ない。
ただやりたい目標を定め、そこに向かって提示された基本ルートを進めば、その願いは叶う。
無論他のことをやってみたり、もっと近い道があるだろうといろいろ試してみる事も出来る。
不得意とする道でも、スキル補正をちゃんと取っていけば、多少遠回りになっても確実に行き着く。
結局どのルートを通っても、本人のやる気さえあれば、要はゲームを続けていれば絶対にたどり着けるのだ。
制約の厳しい現実とは違う、ハードルの下がったゲームの世界。
何でも出来る夢の世界。
だがその夢が今の美月にとっては、悪夢に思えてきた。
何をすれば正解なのか、何をしていけば入賞できるのか。
何でも出来るが故に、何から手をつければ良いか判らない。
βテストの間に溜まっていたそんなジレンマが、この無数のデータ群を前に今改めて美月に突きつけられていた。
美貴達のようにゲームに慣れていれば、自ずと自分の得意プレイや、自分の好むプレイスタイルが出来上がっているので、そうは悩むことはないだろう。
また麻紀のように、その気になればリアルでも何でも出来るほどの才能を持ち、時に短絡的とも思えるほどの思い切りの良さがあれば、悩むことも少ないだろう。
だが美月は違う。
ゲームはほぼ初めての初心者であり、VRMMOは正真正銘のビギナー。
リアルでの生き方も堅実で地に足の着いたしっかりとしたもので、しっかりと下調べをして、計画を立て、着実に歩いていくという物。
ただのマルチゲームならば、その誠実な人柄から良好な人間関係を築けるだろうが、今美月が目指すのは、イベントでの入賞。
先を争い、他者を蹴落として先駆けするサバイバルゲーム。
美月の性格と、今回のイベントは相性が悪い。悪すぎる。
自分がこういうゲームには向いていない。
その自覚を薄々ながらも持っていた美月には、目の前に広がっていく無限とも思える選択肢が重く重くのし掛かってきていた。
父の事さえ無ければ、気分転換がてらに楽しめたのかも知れ無いが、とてものその気にはなれない。
絶対に入賞しなければならない。
それだけだ。
だから際限なくわき出す選択肢に対して、今の美月はただ必死に目の前に浮かび上がるものを全て掴んでいくしかなかった。
それ以外が見えない。周りに気遣う余裕がない。
そんな必死の美月に引きずられて、麻紀も余裕が無くなっていた。
だから異変に気づいていなかった。
いつの間にやらラウンジから2人以外の人がいなくなっていたことに。
何かが起きたわけではない。
何かがいたわけでもない。
”地球の科学力”では観測できる事態では、”なにも起きていない”まま、ただ徐々に、徐々に人が他のフロアに向かい、少なくなっていた事に。
美月は未だ気づいていない。
麻紀は違和感を感じながらも、人が少なくなってやりやすくなったチラシ探しにその全精力を傾けて無視していた。
「この孤島であと8つ! 麻紀ちゃんまだありそう!?」
映像を切り変え荒々しい波が展望窓に打ち寄せる様を横目で見ながら、美月は麻紀へと確認する。
残り時間的にそろそろ限界だ。
『もう一回全体を見てみる! 美月はリスト進……』
発見できても、出来無くてもゴールはもうすぐ。
美月がそう思った瞬間、急に麻紀の声が途切れ同時に視界が真っ暗闇に覆われた。
VRネットから切断されたとの表示が視界の隅に浮かび上がり、急な切断をうけデーター保護のために脳内ナノシステムが待機モードへと自動移行する
全ての明かりが消え失せ、床に埋め込まれた非常誘導灯の僅かな明かりだけが広いラウンジを包み込む。
「わっ!? きゃっ!?」
暗闇の中、麻紀の悲鳴が響き、次いで派手な転倒音が響き渡った。
「麻紀ちゃん!? 大丈夫!?」
一寸先も見渡せない闇の中、麻紀が走っていた方向に向かって美月は安否を確かめる為に大声で呼びかける。
無音となった闇の中、美月の声が響いて聞こえ、
「だ、大丈夫! 急に暗くなって椅子の脚に躓いて転んだだけ! 受け身は取ったからかすり傷だけ! 今そっちに行くから動かないで!」
美月の発した声の残滓をすぐに麻紀の声が消し去る。
声の感じからしてやせ我慢している風でもないので、本人が言うとおり軽い擦り傷程度で済んだようだ。
「これなに!?」
暗闇の中でもある程度夜目が利くのか、マントを翻しつつ設置されたベンチを軽やかに飛び越えて戻ってきた麻紀は開口一番に尋ねる。
「……よく分かんないけどVRネットから切断されたって表示が出てるけど、それなら今は昼間だし、ここはガラス張りでしょ。普通に外の明かりが入るはずだから……VR世界だと思う」
空気が変わったと美月は感じる。
先ほどまでは精巧ながら、所詮はARだと認識できる非現実的な世界が見えていた。
だが今は違う。周囲は暗闇で見通せない。
近くにいる麻紀の顔がようやく視認できるレベル。
だがそれでも判る。この空気はリアルすぎる。VR空間ではなくリアル世界だと、普通なら思うレベル。
しかし美月はこの感覚は二度目だ。
現実とうり二つの変わらない特別なVR世界。
今自分達がいるのはそこではないかと、美月が推測をすると、暗闇のなか小さな拍手音が響いた。
「誰!? 出てきなさいよ!」
咄嗟に麻紀が美月の前に飛び出て、その拍手が聞こえて来た方向を睨み付け、誰何の声を発す。
墨を落としたかのように暗い暗闇。何かが動いた。
小さな影が発した第一声は美月が想像していた人物とは違っていた。
「なーんだ。パニックにならないんだ……結構冷静だね。正解だよ。貴女達は今現実空間じゃないよ。えと、フルダイブだっけ? それをしてもらったの」
すっと浮かび上がるように現れたのはまだ幼い少女だった。
5才くらいだろうか。黒い髪と黒い目をしているが、純粋な日本人とは少し違うどこか人形めいた愛らしい顔立ちをしている。
変わっているのは、兎の耳を模した機械がその黒髪からにょきりと伸びている事だろうか。
異常事態の中現れた謎の少女に対し、美月達が警戒の色を浮かべる中、
「正解したから良いものあげるね。貴女達はすぐには死なないでね。ずっと長生きしていてね。それがエリスの望みだから」
その少女は愛らしい笑顔を浮かべてにこりと微笑むと、なにやら物騒な事を言いながら指を一本立てて、美月を指さした。
「貴女は誰なの? それにどういう意味な、えっ!?」
正体や発言の意味を美月が尋ねようとした次の瞬間、まるで映画やドラマのシーンが変わったかのように、暗闇が一瞬で消え失せて、その少女も姿を消していた。
気づけば先ほどまでと変わらない場所に立っている自分に美月は気づく。
周囲に展開している背景映像も、最後に確認していた大海原の孤島に築かれた宇宙港のものだ。
『美月いまのって!?』
先ほど近くに来ていたはずの麻紀もやはり暗くなる前にいた位置に戻っている。
一瞬の白昼夢のような現象に唖然としつつもリストをふと見下ろした美月は、いつの間にやらそこに新しいデータが書き込まれている事に気づく。
「これって……」
そこに書かれていたデータラベルにはこう表してあった。
『PCO初期店頭販売データ及びユニーク商品リスト表示方情報』と。




