A面 日常の中の非日常
真夏の日差しでじりじりと照らされる電車内は、異様な熱気で満たされていた。
中吊りホログラム広告にはオープニング映像が繰り返し流され、目張りされ車外の光景が隠された窓に投射されるのは、公式情報で種別総数1万を越えるという無数の艦船のカタログデータと稼働映像や、ゲーム内に配置された星系の詳細情報が表示されていく。
1つのデータが表示される度に、その作り込まれた華麗な映像や稀少な物資情報にあちらこちらで感嘆の声が上がり、攻略談義に花が咲いていく。
普通ならば、電車内での周囲に配慮しない雑談などは白眼視されそうなものだが、この場では誰もが有益な情報が流れ無いかと聞き耳を立てている。
さらにあちらこちらで情報交換が交わされるざわついた車内には、ちらほらと凝った仮装を身に纏うプレイヤー達の姿もある。
車両に乗る全ての乗客は、誰もが同じ目的、同じ目的地を目指しているからだ。
VRMMOゲームのオープニングイベントが行われるリアル会場に向けて、特別編成されたミステリーイベント列車。
それがこの列車の正体だ。
そして乗客達の中には、美月や麻紀、その他面々の姿もあった。
「美貴さん。ゲームのオープニングイベントって、こんなに大々的にやる物なんですか? 電車貸し切り、しかも全席完全予約指定制って、ものすごい事なんじゃ」
事前登録者無料イベントと銘打って行われるオープニングイベント。
VRMMOではあるが、規制条例によって時間制限を受けるため、リアル側でのイベントを重視するのは判らなくも無いが、それにしたってイベントの規模が大きすぎると、美月は驚いていた。
イベント会場はシークレットとされ未だに公開されておらず、目的地不明のまま電車に揺られる乗客数はこの10両1編成だけでも数百人はいるだろう。
しかも公式情報によれば、電車は美月達の乗った横浜発だけではなく、日本全国のあちらこちらで発車している上に、それとは別にバスまで動員している。
会場を複数手配しているようだが、土曜日でしかも夏休み期間中で学生が休みとはいえ、一般社会が活動をしている朝の時間帯に、これだけの車両をイベント専用として貸し切るなど聞いた事は無い。
「普通無いよね。ただホワイトのやることだし、今回はアッちゃんも向こう側だから派手にしたんでしょ。うちの元マスターってこういう大がかりなイベント大好きだから」
窓を全部覆って非日常感を最大限までに強調した映像を流したうえに、ゲーム内のプレイキャラクターやNPCを模した物ならばコスプレ可。
現役時代はロープレ派の大御所としていろんな意味で名高かったアリシティア・ディケライアの趣味だろう。
あきれ顔の美貴はそう断言しつつ、他の交通手段を使っているギルメンやフレンドとの情報交換に余念が無い。
なにせPCOはゲーム規模が史上空前なほどに巨大な上に、まだ正式オープン前だというのに情報量が多すぎる。
さらには今朝方発表された難易度ごとの二面制仕様。
まだまだ隠されている情報は多くあるだろうし、全ての裏側に潜んでいる初代マスターの事を考えれば、経路ごとに有益な別情報を流している可能性もある。
オープン前だが既に戦闘は始まっている気分だ。
「ロイ、っと。井戸野さん。目的地ってどこか判りました?」
ついゲーム内の名で呼びそうになった美貴は慌ててリアルネームで言い直して、同行しているVR情報雑誌の記者であり、旧知の同盟ギルドギルドマスターのロイドこと井戸野に尋ねる。
プレイヤー名を知っているのは旧リーディアンプレイヤーに限定されるとはいえ、FPJのロイドといえば火力絶対主義の超攻撃型ギルドギルマスとして有名だった。
不特定多数にリアルばれして迷惑をかけるなど言語道断。
身内以外がいる公の場ではリアルネームで呼び合うのがVRゲーマーのマナーというものだ。
「見事に隠されてる。JRやら各私鉄の運行ダイヤ。オープン予定時刻から逆算できる移動範囲内で予想人数を収容できるイベント会場の空き情報。全部当たってみたんだがまだ不明だ。他社の連中にもそれとなく探り入れてるがどこもかわらねぇな。ディケライア相手じゃ判っても、黙らされてるかもな。箝口令が敷かれて、柊の奴も黙りだしな」
関東近郊の地図を表示した仮装ウィンドウを可視可させた井戸野は、お手上げだと降参している。
柊戸羽の姿は列車内には無い。
PCO公式ネットカフェの1つであるアンネベルグは、協賛企業の1つとして先に現地入りして、戸羽もイベント実行役に回っているからだ。
その場所や内容も、守秘義務契約として口外が徹底的に禁止されている。
「アッちゃんの会社。ディケライアって今そんなに強いんですか?」
「影響力だけで言えば相当だな。なんせサンクエイク混乱期に、僅か4ヶ月で国家間の通信網を復旧させて、今も力を発揮している多国籍企業連合体。そいつの中核がディケライアだからな。突出した技術力だけを武器に、名だたる大企業を瞬く間に陣営に取り込んでいった手腕は今でもあの業界じゃ語りぐさだぞ」
人類史上最大といわれる太陽風。
サンクエイクによって起きた地球圏全域での電波障害は世界中に大混乱をもたらした。
軌道上の衛星は破壊され、日常生活と密接な関係にあった気象情報や、衛星通信網は壊滅。
地球の大気圏上部、中間圏も電磁場障害が激しく、それは流通や交通分野にも多大な影響を起こしている。
何せ航法システムの基幹である己や他者の正確な現在位置を確認する事さえ一苦労する有様。
ある学者の試算では、衛星消失によるミリタリーバランスの崩壊も予想され、地球規模での混乱、地域紛争は数十年は続き、文明レベルも20世紀初頭、もしくはそれ以前まで戻るほどの事が予想される未曾有の大災害だった……はずだ。
だがそうはならなかった。
日常生活に多少の影響はでているが、通信網は問題無く使用できて、むしろ事件前より回線容量が増え、速度も上がっている。
地上における相互位置関係情報システムは再建され、船舶や地上交通システムもほぼ平常通りの運行が可能。
目に見えて変わった事と言えば、高高度を飛行する電子機器の固まりである航空機は位置情報の確認が難しく、今でも極々一部の例外を除いて世界中で原則飛行禁止となっている事。
それと地球上のどこからでもオーロラが観測できるようになったことくらいか。
それもこれもディケライア社がもたらした粒子通信技術にある。
円熟していた量子通信技術に、2040年代に発見された重力子を用いた相互干渉技術を組合わせた複合型通信デバイスとも噂されるそれは、無線通信でありながら、莫大な情報容量と、距離、環境における減退が極めて少ない安定性を持っていた。
中核システムとなる主機は、複数台存在すると安定性に異常が生じるという理由でブラックボックスとして今も非公開状態だが、世界各地に点在する中継機器などは、協力企業にフリーライセンスで詳細情報が提供されている。
新規通信技術の持つ圧倒的な性能と、無線ゆえの新たなケーブル敷設が不要である事や、それの維持メンテナンス費用が少なくてすむコストパフォーマンス性は、大企業であれば無視は出来無い物で、あっという間に既存通信技術に成り代わっている。
爆発的に広がっている世界標準通信技術の大元を握っているといえば、その力のほどはわかるだろう。
「普通なら、1つの、しかもつい1年前まで有象無象にあったベンチャー企業が持つには分不相応な力だわな。でもそれなのに各国政府も、より巨大な企業体も手が出せない。出さない。互いに牽制したり、色々な思惑を絡めてあって動けなくしたんだろうな。その隙に籠絡して認めさせる。この立ち回りの上手さと手腕。あんたらなら誰が糸を引いてるか判るだろ」
井戸野の言葉に、その周囲にいたKUGCの面々は一斉に頷く。
己の持つ力を最大限に使い、見方を変え味方を作り、口八丁手八丁でより大きな力を作り上げる。
しかも最初は嫌々でも、そのうちにその状態の方が旨みが強いと気づかせ、最終的には真の意味で仲間にする。
かつてリーディアン内でそれを実行して、犬猿の仲だったFPJと餓狼の両ギルドを同盟ギルドに引き入れた男。
初代マスターの三崎が、世界規模の奇妙なパワーバランスを作り上げた。
引き入れられた当の本人がそう断言するのだから、おそらくそうなのだろう。
「さすがギルド一のナンパ師ってところですよね。それにしたってリアルでも力を発揮しますか普通。先輩からすればゲーム感覚なんでしょうけど」
「所詮はゲームつっても、MMOはその向こうに人がいるからな。対人スキル特化な上に、追い詰めたら余計厄介になるあいつら二人が向こうに揃ってんだろ。正直に言えば、敵に回したくはないし、回った奴らには同情する」
散々やられてきた井戸野が、憮然とした顔で告げる。
ゲーム外なら普通なむしろ気の良い先輩なくせに、ゲームとなると途端に鬼畜全開。
ゲームに入り込んで、最大限の集中力を発揮したときには、人外な冴えを見せる。
あの二人が揃った状況なら負けは無しという、誇張されてる感はあるがあながち間違ってもいない。
それをよく知る後輩達も頷くしか無い。
「あのあたし達は初代……さんには会った事あるけど、もう一人の2代目マスターだったって人。どんな人なんですか」
三崎の話題をおそるおそる口に出した麻紀がアリシティアの事を尋ねる。
マントの下の麻紀の体ををよく見れば、少し震えている。
これから向かうイベント会場で、直接三崎と顔を合わせるかもしれない。
三崎に与えられたトラウマも最近は多少マシになって通常モードに戻りつつある麻紀だったが、それでも直接に顔を合わせるのは怖いのだろう。
「ん~アッちゃんか……ゲーム馬鹿。ゲーム脳なうちのギルマス兼ギルドマスコットかな。VRなら付き合いも長いけど、アッちゃんロープレ派で役を作ってるから。あたし達もリアルで会うのは初めてだから、ちょっと違うかも」
VRゲームだというのにわざわざリアルイベントに参加したのは、フルダイブが二時間に限定されるからと言うだけでは無い。
オープン前のお祭りめいた雰囲気を、少しでも長く直接に味わいたいのと、イベント会場限定な少しだけお得な特典目当てのプレイヤーもさぞ多いからだろう。
そしてKUGCやその関連ギルドメンバー達は、それ以外にもう一つの理由がある。
接続時間では他の追随を許さず、最強廃神とも揶揄されていたアリシティア・ディケライアにリアルで会えるかもしれないという理由のほうが大きいかもしれない。
リーディアン終了後に音信不通となり、生死不明で散々気を揉ませていたかと思えば、新作VRMMOゲームを引っさげて、コンビを組んでいる三崎を伴い鮮やかに帰還。
さらにはあっという間に世界的に知られる企業のトップとして、日常でも名と顔を見かけるようになった。
ここまで来ると、プレイヤーと開発側という以前に、住む世界が違ってきそうな物だが、復帰して時折ギルド掲示板に顔を覗かせるようになったアリシティアといえば、ゲーム話題と、やたらとマニアックなサブカルチャーが盛りだくさん。
要は相変わらずと言うことだ。
「そういや女子部の先輩らが、先輩ら直接に締め上げて馴れ初めから語らせるとか言ってたな。賭けがどうこうとか。宮野判るか?」
「あぁそれね。いやほらあの二人は付き合ってないとか、ゲームだけの関係だって言ってたけど、金山も知ってるとおりのアレでしょ。リアルでやってるかどうかって賭けたみたい……うちの兄貴主催で」
「宮野先輩も相変わらずかよ。女子部の名誉会長は伊達じゃ無いな」
「あの馬鹿兄貴だけはほんとに。大体ね……」
身内話というか、兄への愚痴で盛り上がり始めた美貴達は口であれこれ言いながらも楽しそうだ。
後ろの席の峰岸達男子組も他の乗客達と同じく窓に映る新規情報をネタに盛り上がっている。
誰もが高揚感を抱いているのだろう。
緊張気味の美月と麻紀の二人を除いて。
(ねぇ美月。ひょっとしてあの幻覚……みせたのってその社長さんの方かな?)
プライベート通信モードでチャットを送ってきた麻紀の顔色は、少し青ざめている。
あの世界。VRゲーム内とは思えない完成された月世界と駅のホーム。
三崎が死んだ瞬間の映像は、今も二人の脳裏には色濃く残っている。
あれが現実にあったことなのか、それとも全くのでたらめなのか。
今も真実は不明だ。
しかしあの時に見せられた光景は、自分の仕業では無いような口調で三崎は語っていた。
では誰がアレを?
人死にを嫌う麻紀に向けた明らかな悪意と、それを何度見せる恨みの篭もった仕業。
麻紀が先ほどアリシティアの話題を口にしたのは、その可能性を考えたからだ。
三崎と公私ともにパートナーであるという、アリシティア・ディケライア。
彼女の仕業では無いだろうかと。
(どうだろう。美貴さん達の話じゃ、そんなに恨みがましい性格じゃ無くて、文句があるなら直接に乗り込んで来るみたいだよ)
美貴達が語るアリシティアの人物像は無論ゲームの中での行動。
リアルとゲーム内での人格ががらっと変わるプレイヤー等は珍しい存在では無い。
だからゲーム内の評判で人を評価するのは難しいだろう。
だがゲームに不慣れな美月には、その違いが今ひとつ理解出来ていない。
先ほど井戸野も言っていたが、ゲームと言えどその向こうに生身の相手がいるのだ。
そんなに分けることが出来るのだろうかと。
(じゃあ誰だろう……それともやっぱりあれは本当にあったことなのかな)
死んだ人間は生き返らない。
それは当たり前の、当然のこの世のルール。
ましてやあの時に見た三崎は電車にひかれ、ばらばらになっていたのだ。あり得ない。
だから美月としては、無かったのだと断言して、親友を慰めてやりたい。
だが……
(…………確かめよ。本当のこと)
そう返すだけで精一杯だ。
今の美月にはそれを否定してやることが出来無い。
死んでいるはずの人間が生きている。
その事を否定できない。
サンクエイクが起きて、月面で死んだはずの父。
しかしその父が生きているかもしれない。
その一縷の望みにすがり、美月は未体験のVRMMOへと足を踏み入れる決断をしたのだ。
今更引くことは出来ず、そしてこれだけ恐怖を感じ、恐れている麻紀は、それでも美月のために力になろうとしてくれている。
(絶対に勝とう。このゲームに。そうしたら色々なことが判るよ)
震えている麻紀の手を、美月は優しく握る。
例え真実がなんであろうと、自分はこの親友と共にある。
そう決断を込めた美月の手から伝わる温かさに、麻紀も励まされたのだろうか。
(うん……そうだね)
震えが少しだけ収まった麻紀が美月の方を向いてこくんと頷いて答える。
「お客様にお知らせ致します。当列車は間もなく目的駅へと到着致します」
二人が改めて決意を固めたその時、タイミングを見計らったかのように車内アナウンスが流れる。
「駅到着後は係員の案内に従い、移動をお願い致します。御乗車ありがとうございました。間もなく終点『東京国際宇宙港』へと到着致します」
聞き慣れない地名と共に、窓に展開されていた目隠しのスクリーンが収容され、外の光景が公開される。
明るい日差しと共に美月達の目に飛び込んで来たのは、日常であり、非日常な光景。
普通に存在する物と、あり得ない物が共存する奇妙な光景だ。
巨大な数本の滑走路とターミナルという現実でも良く目にする飛行場の光景。
しかしそこに並ぶのは航空機では無い。
ゲーム内にしか存在しないはずの物。いまだフィクションの世界をでない宇宙船と呼ばれる物達だ。
「あの作りって!? 羽田空港じゃねぇのか!?」
乗客の誰かが指摘した声に、美月も記憶と一致し、驚きの声をあげる。
今世紀前半に行われたオリンピックに合わせ新設されたという空港アクセス鉄道は、今は海上に築かれた滑走路の増加と共に、増設された第三ターミナル駅へと繋がっている。
鉄道の車窓一杯に映る駐機場に立ち並ぶ航空機と、その着陸、離陸映像は圧巻で、名物ともなっている。
だがそれも昔の話。
航空機の使用が禁止された今は、再開の時を待ち休眠しているはずだった。
だが現在そこに映るのは離陸の時を待つ、大型の恒星間宇宙船や、個人使用機とゲーム内で説明されている色取り取り様々な星系内宇宙機の数々。
いつの間にやら自分達はゲーム内に入っていたのだろうか。
そんな困惑さえもするぐらい非日常的な光景だ。
「ありゃ大型のVR投影装置だな。屋外イベント用に使われている奴だが解像度が段違いだな。ディケライアの技術で手を入れたか」
滑走路の隅に置かれた大型機械をみて井戸野が冷静に指摘する。
これは仮想現実だと。目に映る宇宙船の数々は投映された映像であると。
だがその圧巻の光景に誰もが声を失っている中で、
「まさかイベント会場ってあそこ? ……いくら今は使ってないからって派手すぎでしょアッちゃん」
美貴の呆れ声がやけに響いて聞こえる。
電車のみで無く、空港を貸し切った。
たかだかゲームのオープニングイベントのために。
アリシティア・ディケライアがゲーム馬鹿だという美貴の言葉の一端を、美月がまざまざと見せつけられている中、電車は静かにターミナル駅の中へと滑り込んでいった。




