B面 プロローグ③
『三崎様の現在位置は、現実空間本社惑星改造艦創天となります』
リルさんに1つだけ確認した事実を頭の中で反芻しながら、熱めの湯を少し痛い位の勢いで被る。
ここがリアルと聞いても、未だ俺には緊張感や不安が生まれてこずどうにも呆けているので、何時もの目の覚まし方でシャワーを浴びている。
何時もならこれで徹夜狩りの後だろうが、修羅場明けだろうが、頭の回転を平常運転状態に持っていけるんだが、どうにも勝手が違う。
なんだか微妙に馴染まない。
リアルの身体と微妙に違う仮想体を操っているときのように、少しだけもどかしさを感じる。
詳細不明な状況に対する戸惑いや不安が原因とかか?
「はっ。俺がそんな柔な神経なんぞしてるわきゃねぇな」
一瞬脳裏に浮かんだ答えもあまりの馬鹿馬鹿しさに鼻で笑って、髪に付いたゲル物質と一緒に乱雑気味に力を入れて洗い流して却下する。
直前の状況や、リルさんが漏らした断片的情報だけでも判るやばげな状況に、骨の髄まで染みこんだ無理ゲーフリーク魂が触発されて、不謹慎の極みながらワクワクしているくらいだ。
そうなるとこの違和感は気のせいだと思いたいが……左手首の内側に目を向ける。ガキの頃に釘に引っかけて出来た古傷がそこにはあるはずだが、
「やっぱ……ねぇな」
だがどれだけ目をこらしてみても、薄い産毛とつるりとした皮膚には染み1つ無く綺麗な物。まるで”生まれたて”のようにつるつるしている。
絶体絶命な状況からの、かすり傷すら一切無い五体満足で目覚め。
そして左手の古傷の消失……これに事前に四方山話で聞いたり、攻略のためにアリスから教えられていた状況を照らし合わせてみると、こりゃアレか。
しかしだ。そうすると何故俺はこうも暢気に構えているんだ。
古典SFならアイデンティティに悩みそうな状況だろうに、シャワーを浴びて心地よく感じ、さっぱりしたら安めの発泡酒でいいんで喉を潤したいと、生理的欲求が先に出てくる位に重要視していない。
俺を心配しているだろうアリスが、当の本人がシャワー浴びてビール飲んでくつろいでいると聞いたら激怒もんだ。
まぁ、悩んだ所で状況は変わらないし、何かが起きるわけもなし。こうも暢気に構えちまう理由も自分自身でさえ判らない。
身体に違和感はある。頭も少し呆けている気がする。だがその違和感に俺は気づいている。ならそれを織り込んで動けば問題無しだ。
身体に付着していたゲルを全て洗い落とした俺は、空中に浮かんでいる球状の操作パネルへと手を伸ばし、ノズルの先から勢いよ溢れていた湯を止めて、乾燥モードと書かれたスイッチを押す。
壁から伸びていたシャワーヘッドとホースが巻き取られ、仕舞われるというか壁と同化して消失し、続いてシャワーブース全体にスリットが出現してそこから吹き出した心地よい温風が、俺の全身を包み込み、身体に付いた水滴を吹き飛ばす。
最初にいた部屋と変わらず、壁には一切のつなぎ目が見えず、シャワーヘッドが存在した痕跡は跡形も無い。
リルさん曰く、俺が目覚めた部屋は、物理的にも空間的にも隔絶された、マルチクリーン医療ルームとのこと。
検査が終わるまで、もしくは患者への環境適応処置が終わるまで、創天内に未知の病原菌を持ち込ませず、患者自身も保護するための部屋らしい。
望めば出てくる至れり尽くせりな装備だが、最初から用意されていたとはどうにも思えない。その時ごとに物質構造を変化させて、カスタマイズしているのだろうか。
科学技術のレベルが地球とは文字通り天と地ほど違う銀河文明の生活文化レベルについて、いちいち気にしていても仕方ない。
熱い湯が出るって判ればそれで十分。身体を乾かす事が出来るスイッチの位置さえ判れば問題無し。
道具の構造や理屈は知らなくても、用途や使い方さえ判れば、後はどうとでもなる。これくらい開き直っとけば、何があっても何とかなんだろ。
さっきと同じように球状パネルに手を伸ばして停止スイッチを押すと即座に温風が止まって、同時に壁の一部が開いて戸棚が出現する。中には綺麗に折りたたまれた下着類と、俺が何時も使っているのと同じデザインのスーツ一式が吊されていた。
『アリシティア様がご用意なされていた物ですがよろしいでしょうか? 三崎様の戦闘服はこれだというご指定です』
「……さすがアリス。戦闘服って例えはともかく、よく判ってやがる」
ノリの効いたワイシャツに袖を通し、着慣れたスーツと寸分変わらないサイズと肌触りに満足しつつも、相変わらずな相棒の表現に普段なら呆れるはずが、今はそれが何故か心地よいというか、しっくりと来る。
自分の好みに合うようにと脳味噌を弄ってないだろうな。あの地球外生命体な兎娘。
あり得ないと即断できる馬鹿な考えを脳裏に浮かべつつ、付属していたネクタイを少しきつめに結ぶ。
「さて、んじゃせっかく相棒のご厚意だ。戦闘開始と行きましょうか。リルさん。俺が”死んで”からの状況経過を簡易情報でいいのでいただけますか。それとアリスが出席しているっていう会議の様子をリアルタイムで見せてもらう事は可能ですか?」
『かしこまりました。隣室をオフィスモードに改装致します。現在三崎さまの脳内ナノシステムは再構築中のため使用不可となっておりますため観賞用にモニターをご用意いたします。他に何かご要望はございますでしょうか?』
「じゃあお言葉に甘えて、何時も俺が飲んでいる安い発泡酒と、チー鱈を……あれの合成品って作れますか?」
『はい。可能です。すぐにご用意致します』
俺の無茶ぶりに、そして少し意地の悪い質問にリルさんは一切の動揺も見せること無く即答で返す。
『それに食品を原型で保存しているのってこっちだと珍しいんだもん。よっぽど物質構成が複雑な物じゃない限りは基本的に合成食品だから』
『基本的な元素を種別で集めたタンクがあるからそれから作るの。カロリーコントロールやらアレルギー物質の除去とか簡単だから』
何時だったかアリスが言っていた言葉が脳裏をよぎる。
さっきのシャワールームに、地球の食品と同じ物をと無茶振りしても、即答できるリルさんの能力。
元素からの合成可能。それに脳内ナノシステムが再構築中と。
ここまで来るとバカでも判る。
今の俺はクローニング体だって考えた方が無難なんだろうなやっぱり。
そんな事を考えていると、眠っていた部屋とは反対側の壁が音も無く開いたので、隣室へと足を踏み入れる。
真っ白な小部屋の真ん中にモニター付きのデスクとチェアがぽつんと置かれたのみの殺風景な部屋。
テーブルの上に置かれた今時地球でも珍しい紙の山は俺が望んだ簡易資料だろうか。しかし遊び心皆無なこの仕事部屋の中じゃ、俺が愛飲している安さが売りの発泡酒の派手なラベルとチー鱈の安っぽい包装が目立つ事目立つ事。
缶を手に取ってみるとほどよく冷えている。
「ほんとアリスが聞いたら怒りそうだなこりゃ……ん。うめぇやっぱ熱いシャワーの後はこいつだわ」
そのまま躊躇すること無く開けて、ゴクリと一口。
ん。覚えている味。いつも通り。
口に広がるほどよい苦みとすっきりした味が俺には丁度いい。
本物のビールに比べりゃ、少し薄く、苦みも少なくて飲みやすく、何よりも安いってのが貧乏サラリーマンにはこの上なくありがたい。
だが発泡酒なんて所詮は本物のビールの模造品、劣化コピー品って意見があるのも先刻承知。
本物と、偽物は違う。
さて……そうなると今の俺は本当に俺なのかね?
すぐに行き着いてながらも、あえて考えなかった疑問を浮かべてみる。
しかしそれでも結局は変わらない。
不安で押し潰されそうになるとか、自己アイデンティティに悩むとかそんなネガティブな感情が浮かんでこないんだから、我ながら暢気なもんだと呆れるしか無い。
椅子に腰掛けると同時にモニターが点灯し、見なれた相棒の少し緊張している顔が映し出される。
「とりあえず言い訳の1つでも考えておかないと、あの真面目っ子兎に叱られるなこりゃ」
唯一気に病むというか考えなきゃならないのは、この状態をアリスに見つかったときの対処方だろうか。
同じく合成されたチー鱈の袋を破り、右手にビール、時折チー鱈というリラックスモードでアリスの参加している会議の音声を耳に捕らえつつ、リルさんが用意してくれた資料にぱらぱらと目を通し、情報収集を開始した。




