A面 根回しは社会人の基本
『あいよこれで行ってくれと……先輩すみません。たびたびお待たせして』
「どうせ鍵の開け閉めできてるだけだから時間は構わないが、シンタお前なぁ。今回は何を企んでやがる。しかも俺は今は教師だぞ。どこの世界に、廃人養成する教師がいるんだよ」
空中に浮かぶ仮想ウィンドウに映る三崎伸太に向かって、戸室工業高校技術科教師羽室は胡散臭いと警戒の色を浮かべる。
『二、三日中に連絡があると思うから、そいつらがMMOのいろはを覚える手伝いをしてほしい』
この間の謝礼の催促かと思えば、三崎が開口一番に依頼してきた内容に羽室は難色を示していた。
戸室工業高校では、地域活性化の一環で校内の実習室を無料開放した講座が休校日には頻繁に行われ、それ以外にも部活動で登校してくる生徒達ももちろんいる。
鍵の開け閉めや設備管理で教職員が誰かしら必要ということで、月に一回位の割合で持ち回りで休日出勤担当が決められている。
そして今日はたまたま羽室が当番の日だった。
『そこは先輩。可愛い後輩の頼みと思って、どうかここは1つご尽力を』
「誰が可愛い後輩だ。誰が……みたところ忙しいんだろ。真面目に仕事しろよ」
三崎の背後に映るのはSFじみた現実感の無い光景が広がっている。
不定型なアメーバ状の生物が工具らしき物を伸ばした触手で器用に支えながら画面の端っこをよぎり、時折獣耳を生やした獣人やら、全身メタリックなレトロサイボーグが会話の途中で三崎の横にサブウィンドウを浮かべ書類を展開し確認とサインを求めていた。
どうやらリアルでは無く、VRMMO世界にいるらしく、そこで仕事をやりつつ連絡を取ってきたようだが、なんというか今ひとつ緊張感が抜ける絵面だ。
もっとも羽室と三崎は先輩後輩という仲を超えた同好の士。
今更、気を使うような関係でも無いのでさほど気にもせず、羽室自身も昼飯時ということで配達された弁当に箸を伸ばしつつ仮想ウィンドウ越しで会話を続けていた。
『だから仕事の一環なんですって。冗談抜きで。先輩に命運が掛かってるんですよ』
「なんで俺だよ」
『特攻ハムタロウ先輩のポイズン攻撃で、いっちょビッシとDFF下げ攻撃をと思いまして』
「……切るぞ」
現役プレイヤー時代の2つ名を出された羽室は仮想コンソールに手を伸ばす。
豹型獣人キャラメイクしたプレイヤー名『ハムレット』が羽室の現役時代の分身。
MOBモンスターや他プレイヤーのステータスへと弱体効果を与える特殊攻撃の使い手として、闇から闇へと駆け抜ける隠密プレイを得意としていた。
どちらかと言えば硬派プレイを目指していたのだが、それがどこぞの兎娘の鶴の一声で、大昔の萌えキャラクター(?)とやらから取られた、やたらと愛嬌のある何とも締まらない2つ名をつけられ、しかもそれがいつの間にやら他ギルドにまで伝わる始末だ。
『すみません。冗談です』
「狙いは高山かそれとも西ヶ丘か。どっちも色々複雑なんだから変なちょっかい出すなよ。お前も知ってるようだが、特に西ヶ丘の方は色々あれだぞ」
誰から連絡があるとは三崎はいわなかったが、この間の態度で何となく予想はつく。
なんだかんだいいつつも信頼は出来る後輩なので、悪意は無いだろうが、その手管を知っている羽室としてはあまり乗り気になれない。
何せ三崎は、味方すらも騙して最終的な帳尻をプラスへ持ってくる搦め手の使い手。
美月の方はともかく、扱いに困る麻紀の方は、精神的にやられる可能性が大だ。
『あー俺じゃ無いんですけど、既にうちのが意地の悪いちょっかい出して、好感度激下がり中に…………それでアリスが大激怒中で、あいつの仕事までこっちに回ってきて今の状態だったりと』
声を潜めた三崎の周囲にはまたもサインを求める書類が展開される。
何をしているのかは定かでは無いが、忙しいという言葉に嘘は無いのだろう。
「はぁ、アリス怒らせたのか? どこの誰か知らんが命知らずだな、そいつは」
「一言謝れば良いんですが誰に似たんだか強情でして、んでアリスの方はアリスの方で頑固で正義感が強いのは先輩もご存じの通りでしょ。素直に謝ることも出来無いなら、まだ許さないと怒り継続モードです。あの二人じゃ平行線なんで、こっちでお嬢さん方のフォローをって思った次第です」
「なんか本当に困ってるぽいなお前。珍しい」
立ってる者は死体でも使う。
ふてぶてしさという言葉に服を着せた三崎の場合、どんな困難や厄介事であろうと逆にその状況を利用するというのに、今回に限ってはその傾向があまり感じられないように映る。
「しかしそこまでアリスを怒らせるなんて一体誰だよ? 口ぶりからすると身内か?」
『あーそれについては業務上の支障とか守秘義務が』
羽室の問いに珍しく歯切れの悪い口調で返していた三崎の両脇に、またも新しいウィンドウが2つ展開される。
右側に映るのは、若い女性で鈍く光る銀色の長髪からは同色の兎耳がジャキンといきり立つように生えている。
濃い金色の瞳が印象に残るすっとした顔立ちの美女の額には、その美貌には些か不釣り合いな青筋がみえた。
左側に映るのは、まだ幼い少女だ。5、6才くらいに見えるだろうか。
黒檀色の髪色と同系の瞳が目をひく可愛らしい顔立ち。
しかしその頭からはウサミミを模したらしきやけにメカメカしい金属で出来た物が不釣り合いに突き出ていた。
『ちょっとシンタ! 仕事ばかりしてないでこっち来てシンタからもお説教! エリスったら全然謝る気が無いんだから! どれだけ迷惑を掛けたかしっかり教えてやってよ! お父さんでしょ!』
『エリス悪くないもん! あの人達が悪いんだもん。おとーさん助けて! おかーさんが叩こうとする。家庭内暴力だよ!』
『躾! あんたって子は! もう怒ったんだから! お膝にきなさい! 今から泣いても謝っても、お猿さんになるまで許さないから! あ、こら! 逃げるな!』
『べぇーだ! おかーさんなんかに掴まらないもん! メル! 緊急転送!』
『リル! 追跡! 捕まえるわよ! KUGCのハウンドラビット舐めないでよね! っていうかお母さんを馬鹿にしすぎ!』
三崎を挟んでいきなり言い争いを始め、そのままギャーギャーとやり合っていたかと思うと唐突にウィンドウごと消えてしまった。
一瞬で過ぎ去った嵐のような状況。
少女の方はともかく、美女の方は羽室には見覚えがある。
髪色や瞳は違うが、あの顔は羽室もよく知るKUGC二代目ギルドマスターことアリシティア・ディケライアだ。
リーディアン時代は15前後の美少女めいた外見だったが、今の顔は最近VR雑誌の表紙にもよく載る話題の女社長その物(プラスウサ耳)だ。
今の会話。そして流れ……
『……リルさん?』
『申し訳ありません。メル側のプロテクト付きの最重要通信設定をお嬢様が使用なされて私側での遮断が追いつきませんでした』
深いため息を吐いた三崎が顔を下げて誰かの名を呼ぶと、どこか冷たい女性の声で即答が返される。
モニターの向こうの三崎は腕を組み直し顔を上げると、
『……それについては業務上の支障とか守秘義務がありますので』
「いや、まてまて! 無かった事にすんな! シンタお前! 今の絶対アリスの娘だろ!? お前の娘だろ!? いつの間に作りやがった!?」
仕切り直そうとした三崎に対し羽室は思わず突っ込む。
この後輩が最近は惚気を隠そうともしないバカップル化し始めていたとは聞いていたが、子供が生まれていたなど初耳。
それどころか少女の外見や話口調から予想できる推定年齢はおそらく5~6才。
5、6年前といえば丁度三崎がゲームから引退し、GMに転職した頃と被る。
『バグですよ。バグ』
「シンタ……お前やっぱりとうの昔にアリスとリアルで会ってただろ。子供作っちまったから黙ってやがったか?」
三崎はアリスとはリアルで会ったことが無いと言い張っていたが、ギルドメンバーの大半があの仲の良さでそれは無いだろうと疑っていたのを思い出す。
下世話なメンバーの一部が、ヤッてるかヤってないかを賭けていたくらいだ。
『はは。何を言ってるんですか先輩。こっちはVR世界ですよ。年齢規制もあるんだから子供なんているわけ無いじゃ無いですか。』
「おいこら。目が泳いでるぞ。国外なら年齢規制が無い国もあるだろうが。例えばアメリカとか」
羽室の追求に明後日の方向を向いた三崎は乾いた笑いを浮かべていたが、観念したのか急に居ずまいを正すと、羽室に向かってディスプレイ越しに深々と頭を下げる。
『………………すみませんマジ勘弁してください。話せるようになったら話しますから』
何時もの冗談めかした後輩としての顔を消した三崎の態度に、羽室は今はこれ以上の追求は無理だと悟る。
三崎のことだ。話せるようになったら話すというのも嘘では無いはず。
それくらいは信頼している。
「仕方ねぇな。一昨日の借りはチャラでお前が奢れよ今度。話せるようになったらOB会で根掘り葉掘り聞き出してやるからよ」
『そりゃ喜んで。これでも色々と積もり積もった自慢したい話ってのが山ほどありますから』
「うゎ、急に聞くのが嫌になったぞ……でだ、その言えない事情ってのに今回の頼みも関わってるのか?」
『さすが先輩。その通りとだけお答えしておきます』
何時もの軽いノリに戻った後輩に、羽室は呆れたくなる。
大事を仕掛けるときほど軽口が多く饒舌になるのが三崎の特徴だが、その経験から判断して今回の三崎の企みは、かなりの大仕掛けの予感がする。
「まんま答えだろうが……うちの生徒に危険は無いんだろうな」
『そりゃもちろん。ゲームを楽しんで頂いて、それどころか新たなる才能の発掘やら活躍次第じゃ就職先との渡りすらつけさせてもらいますよ』
「お前本当になんのゲームを作ってんだよ。しかしMMOについて教えろっつても、俺が現役引退したのはお前の引退前だぞ。規制やらなんやらで仕様変更が激しくて、今更通用するかどうかなんて、お前が一番よく判ってるだろ」
VRMMOに限らずオンラインゲームは日進月歩。
スキルの仕様変更やら新MOB追加で、必須スキルがゴミ化したり、ネタスキルが大活躍なんて話もザラの世界。
その仕様変更の隙を突いて毎回毎回、運営側の穴狙いのスタートダッシュをかましていた男が何を言うとあきれ顔だ。
『そりゃもちろん。だから先輩には教えるんじゃ無くて、その手助けをして頂ければと思いまして。ほら今も現役で動いている連中に紹介するなら、俺より、学校の教師からが安泰でしょうが。大学のサークル見学とか適当な名目で、それなら先輩にもあんまり迷惑が掛からないでしょ』
「……お前本当に色々計算ずくだよな。わーったよ。久しぶりに後輩共の顔を拝むついでに紹介すれば良いんだろ」
『ういっす。助かります先輩。このお礼は必ず』
この調子の良さに羽室は昔を思い出し、つい笑いそうになる。
そうこの感じだ。軽口をたたき合い、先輩、後輩なんてリアルは関係なく、ただひたすらに楽しんでいた。
個性的なメンバーが集まって、ワイワイとやっていたのはもう数年前のことだというのに、今も色鮮やかに思い出せる。
そして顔ぶれががらっと変わってはいるが、今もあの空気を持つギルドは健在。
あの物好き連中なら初心者にMMOの楽しさを一から教えるなんて、恰好の娯楽を見過ごすはずが無い。
「ったく。そんなんだからアリスにナンパ師やら、たらしって言われてたんだろうが。引退した後もギルドメンバーを勧誘すんじゃねぇよ」
三崎の本質はいつまで経っても変わらないと羽室は気づく。
上岡工科大学ゲームサークル。
通称『KUGC』
その初代ギルドマスター『シンタ』なら、何時だってとんでもない作戦で、予想外の、そして笑いたくなる位の成功を収めるとよく知っている。
ギルドマスターからゲームマスターへと変わろうとも、三崎であることに変わりは無いのだから、何が目的か知らないが今回も詐欺みたいな手で勝ちを収める気なのだろう。
『それでこそ俺でしょうが。じゃあ忙しいんでそろそろ。上手いこと頼みます先輩』
「おう任せろ。ギルマス。しっかりとダメが通るようにしてやらぁ」
三崎のことをギルマスと呼ぶのは数年ぶりだ。
だがしっくり来る。
それにつられたのか、羽室の口調も我知らずゲーム時代の荒々しい物へと変わっていた。




