A面 月と太陽は支え合う
「……やっぱり違うか」
高山美月は降り立った景色を見渡し、独りごちる。
目に映る光景は、二日前に降り立ったルナファクトリーへの入り口であるルナポート。
電力制限で薄暗い格納庫内には幾重にもロックされた大型気密扉と、立ち並ぶ重機類が誘導灯の僅かな明かりに照らし出されている。
一見同じ光景が広がる。
だがあの時と何もかもが違っていた。
あの時は月面降下からスタートとなったが、今回はいきなりルナポートに出現。
服装も月面用作業気密服ではなく、仮想体標準服に指定していた高校の制服。
それら外的要因はもちろんの事、二日前とは明らかに再現度が違うと美月は感じる。
今いるルナポートは設計図通りに再現しただけの物。
あくまでも雰囲気を体験するだけでしか無い。
だが二日前に降り立ったあそこは、確かにルナポートだった。
父が過ごしたルナファクトリーだった。
VR初心者である美月には、まだVR体験が少ないので、何が違うかを具体的にあげるのは難しい。
だが空気を一瞬吸っただけで、違うと断言できるだけの違和感を感じていた。
「…………」
一歩踏み出してみると、一応重力は月面に合わせてあるのか、地球とは違い身体がふわっと浮く浮遊感。
低重力環境を知らなければ、これが月面の重力だと感動を覚えるかも知れない。
だがやはり違う。今感じる低重力はただ動きが軽いだけ。
二日前に感じた低重力は、もっとリアリティのある物。
1Gが当たり前の美月には止まっているだけで違和感を感じるものだった。
「コンソール呼び出し」
音声コマンドで仮想コンソールを呼び出した美月は、周辺図を展開し確認する。
3D地図には、マリウスヒルズホールを中心に広がるルナプラント全体図が掲示されるが、そのうち体験可能区画は2割程度。
残り8割は立入禁止区画や機密区画との表示で侵入不可マークがついている。
だが二日前に確認した地下を網の目のように走っていた通路群は影も形も無い。
「たぶんこれって昨日の場所に行こうとしてもデータ自体が無いかな……」
一瞬無駄足という単語が脳裏に浮かぶが、この自体は想定済みだ。
半ば予想していた結果であり、ここに訪れた事で、判った事がいくつかある。
昨日の場所は、本来の目的であったソフトの中では無いという事。
麻紀が身につけていたマント型VR機器によって再現されたVR空間では無いとはっきりと確信を持てた。
おそらく外部から何らかの手段で限定クローズ環境になっていた通信回線をジャックし、美月達の脳に作られたナノマシンネットワークに干渉し、どっか別の場所、より大がかりな設備を持つVRサーバへと繋げていた。
あそこまでの再現度となれば、それこそ地球を丸まる1つ再現が出来るくらいのハイスペック機器なのかも知れない。
そして三崎伸太と名乗った男が仕掛けてきたのは、単なる悪戯ではないと改めて確信がもてた。
限定クローズ環境下の脳内ナノシステムへの干渉に、一般レベルを遥かに超越したVR再現技術、そして同じ日のはずなのに異なる2つの記憶と、最後に見せられたサンクエイク後に撮られたとおぼしき父の映像。
どれも悪意を持った悪戯なんて単純なレベルを超えている。
あの男からは敵意めいた物を感じなかったが、何らかの思惑があると思うのが当たり前だ……だがそれが判らない。
父は生きているのか?
三崎は一体何が目的なのか?
そして…………何故麻紀を追い込むようなマネをして、最後に救いを与えるような素振りを見せたのか。
全部が謎だ。
本人に直接確認しようにも、今のところ正攻法でのアポイントメントは全て弾かれている。
所属する会社に電話をかけて自分の名を名乗ってみれば、一応対応はしてもらえるが、出張中と簡素な答えが返り、何時、戻るかを尋ねても不明だととりつく島が無い。
三崎の知人でもあるらしい沙紀へと、詳しい事情は伏せながらも寝込んでしまった麻紀の状態を連絡した際も、沙紀は詳しい事は問いたださず、良い機会だから麻紀の事は美月に任せるという答えが返って来ただけだ。
どうやら三崎が既に連絡をしていたらしく、沙紀に驚きは見て取れなかった。
この様子ではどのような手を使っても、三崎と直接コンタクトは取れないのだろうと予測する。
たった1つの手、三崎自身が提示した手以外は……
『自分が作ったゲームに参加し、オープニングイベントで入賞しろ』
美月達をゲームに参加させる事が三崎の目的なのだろうか?
だとしたら余計に理解不能だ。
なんのメリットがあって、何を考えてそんな事をするのか。
情報が少なすぎて答えの出ない思考に没頭し捕らわれかけていた美月だったが、視界の隅で点滅するタイマーに気づき我に返る。
あらかじめ決めていたフルダイブ時間5分が過ぎた事を知らせている。
「やっぱり……やってみないと判らないかな」
三崎の思惑がどうであれ、父のことを知りたい気持ちは否定できない。
なら罠の可能性が強くとも、踏み込んでみるしか無い。
挑むのがVRゲームである以上、規制条例で決められた、娯楽目的でのフルダイブ時間制限がネックとなるのは、ゲームは素人の美月にも判る。
フルダイブ可能時間を無駄に浪費できない美月は、リアルへ復帰する為にログアウト手続きに手早く入る。
コンソールに指を走らせ、ログアウト処理をしながら美月は思考をまわす。
1日2時間、1週10時間、1月は20時間。
VRMMOをやりこむのにどのくらいの時間が必要になるのか、美月には皆目、見当もつかない。
それ以前に月に20時間も、本来は暇つぶしであるゲームなんかに時間を費やす意味が判らない。
その時間で資格勉強でもした方がよっぽど有意義だと思ってしまう。
こんな調子で上手くやれるのか。
父のことを知るためとやる気はあっても、どうして良いのか判らないというのが正直な所だ。
「特攻ハムタロウっていう人に習え。身近にいる人か……うぅん、ストレートすぎて、逆に罠っぽいな」
MMO初心者である美月の困惑を見越して、三崎が出してきたとおぼしきヒントも、どうにも怪しげなあの男の所為で素直に受け止められない。
美月の脳裏に真っ先に浮かぶのは、戸室工業高校技術科教師『羽室頼道』
大学時代の後輩だという三崎とは、先輩後輩という枠を超えた気安さも見て取れて親しい仲だと思える。
そしてその名字がハムラ。
ハムタロウ。ハムラ……文字2つが重なるが、あまりに安直すぎないだろうか?
これこそ罠のような気がする。
三崎の言動が何もかも怪しく思えて、ついつい二の足をふんでしまい羽室にはまだ連絡を取っていない。
父を失い家族をすべて無くし、子供のままではいられなくなったことで、精神的には美月自身も、自分が変わったと自覚はする。
だがそれは表面上に過ぎず生来の引っ込み思案が、慎重に変わったような物。本質的な部分は変化が無い。
どうしても考えすぎてしまい即断が出来無い。早く動いた方が良いと判っているのに。
自分でも判っている欠点。
やはり自分には、多少強引でも前から手を引いてくれる人が必要だ……とは思う。
美月にとって親友である西ヶ丘麻紀とは太陽のように明るい存在。
美月を励まし、温め、力を与えて、道先を照らしてくれる存在。
だがその麻紀は今は精神的に大きく傷ついている。
そんな親友に頼っていいのか。
自分の為にこれ以上麻紀を傷つけていいのか。
そう自問自答し、麻紀が眠りについている間に一人で動いていた。
「……麻紀ちゃん。そろそろ起きられるかな」
そんなことを考えていたら、丸1日も眠りに落ちている親友のことが改めて心配となり、早く戻ろうと美月はログアウト処理を手早く終わらせた。
「……っふぅ……まだ慣れないなぁ」
ゆっくりと瞼を開いた美月は、フローリングの床に寝そべったまま息を吐く。
少し冷たい床の感触が今は気持ちいい。
美月が感じたのは、VRから現実へと復帰したときの違和感。
夢から目覚めたときの気だるさとは違う。身体と心がまだ完全に繋がっていないというべきか、どうにもリアルでは身体に鈍重さを感じてしまう。
本来の感覚がこちらだと判っていても、VR世界での解放感が勝るせいだろうか。
VR中毒者があちらの世界に嵌まってしまいリアルに復帰できなくなる気持ちも少しだけだが判ってしまうなと考えつつ、起きたらまずは麻紀の様子を見て、それから部屋の片付けをしないと、美月にしては珍しくノロノロと起き上がる。
首元につけていたコードを外して、リビングを見渡せば惨状が広がっている。
速達で届いた自宅用サーバ機能も持つ新型VR端末は箱から出したままで床に鎮座し、初期設定もそこそこの状態。
精密機器だから仕方ないが、嫌になるほど厳重に巻き付いていたパッキング材はそこら辺に放置状態。
せめて片付けてから潜れば良かったがどうにも気が急ってしまい、几帳面な美月にしては珍しく散らかしたままとなっている。
麻紀が起きる前に端末は父の部屋の押し入れにでもしまって、段ボールは潰して、ゴミ袋にまとめなくては。
おそろいのマント型端末を作ろうとした麻紀のこと、美月が端末を買ったことを知ったら拗ねて、下手をしたら落ち込むだろう。
証拠隠滅を計ろうとした美月は、ゴミ袋を取りに行くとし立ち上がろうとしてリビングの片隅に黒い物体を見つける。
黒く丸っこい物体からは、陰気な気配がうっすらと漂っている。
外見と漂う気配で一見ゴミがぱんぱんに入ったゴミ袋にも見えるそれは、愛用の黒マントのフードを被って全身を包み隠し、体育座りをしていた麻紀だった。
美月が潜っていた時間は10分も無い程度の短時間だが、その間にいつの間にか麻紀が目覚めていたようだ。
フードから覗く顔を見れば、うち捨てられた子犬のような悲しげな表情を浮かべる麻紀はスンスンとベソをかいている。
「……えーと、麻紀ちゃん?」
「みつきぃ……あたしいらない子? ……みつきのめいわくぅ?」
グズグズと鼻をすすり上げめそめそと泣いている麻紀は舌足らずの口調。
躁鬱が激しい麻紀が完全に鬱状態に入っていた。
…………これはまずい。
美月は思わず焦るが、既に後の祭りだ。
自分が用意するつもりだったVR端末が既に買われていた。
起きたときに美月が側にいなくて、探してみたらフルダイブ中で手がかりを探していた。
美月は父の行方を気にしているのに、その手助けをするどころか精神的ショックで寝込んで世話を焼かせて面倒ばかりかけている役立たず状態。
条件が揃いすぎている。
自己嫌悪に陥って親友が一番めんどくさい精神状態になったと、認めるしか無い。
「そ、そんなことないよ。麻紀ちゃんがいるから私は助かってるよ」
これは間違いない美月の本音。
麻紀がいてくれるから、いてくれたから今の自分がある。
嘘は無いのだが、
「……じゃあ……なんでぇおいてったの……あぶないかもしれないのに……美月が戻ってこれないかって……あの人、何するか判らないって……」
どうやらフルダイブから美月が戻ってこられないのではと心配しすぎたのが、ベソをかく原因のようだ。
「ほら。一昨日おかしかったでしょ。たぶんこのソフトとは違うVR世界だろうなって思って。一応の確認だったし、5分くらいで戻るのに麻紀ちゃんを起こすのは可哀想だと思って」
たぶん大丈夫だろうと、おそらく直接的な手がかりは無いとほぼ確信を持って美月は行動していたが、
「わかんないじゃん……だってあの人……あたしの所為で死んでるんだよ……でも生きてるんだよ……普通の異常じゃないもん。何が起きるかなんて……あたしが原因かも知れないのに美月になんかあったら……」
その想像だけで気分がより沈んできたのか、麻紀はめそめそと泣き出す。
普通の異常という矛盾した妙な言葉だが、それなのに何となくだがすんなりと受け入れてしまうほどの異常事態が起きているのは美月も認めるしか無い。
死んだはずの人間が生きていて目の間に現れる。
しかもその瞬間の記憶、三崎が死んだ日時に記憶は全く別で二つあり、どちらも本物としか思えないのだから。
「あー……だ、だから麻紀ちゃんの力が借りたいんだよ。私一人じゃどうしようも無いから……た、大変かなーって。だからねっ麻紀ちゃん力貸してくれるかな?」
ここまで落ち込むと、二、三日、下手すればしばらく鬱状態は続くかも知れないがそれでもいく段階かのレベルがある。
ともかくまずは最悪状態からの脱却と思い、多少強引な論法だが頼み込んで頭を下げてみる。
幼児退行しかけている親友に理屈理論は通じないとここ数ヶ月で知っている。
しかしだ。気分の浮き沈みが激しいのが欠点ではあるが、本当に気の良い優しい親友はこの状態でも美月が助けてほしいと頼めば、立ち上がろうとしてくれる。
それは知っている。判っている。
「……あたし手助けできる? ……美月の迷惑にならない?」
自分は親友を利用しているのでは無いか。
落ち込ませた状態から回復させるという大義名分で、自分の思いを叶えようとしているのではないか。
ひょっとしたこの先には親友をより傷つける何かがあるのでは無いか。
心配症な美月は心の隅で考えてしまう。
「なれるから! だからねっ、麻紀ちゃんご飯にしよう。寝過ぎてお腹すいてるでしょ。色々と打ち合わせしよう。これからどうするか決めよ!」
だがどうしても麻紀を落ち込ませたままにできず、美月はわざとらしすぎる明るい声で呼びかけ、マントを握りしめていた麻紀の手をぎゅっと握って立ち上がらせた。




