A面 夢現は薄皮一枚
「マキが大人になったらひーちゃんを治してあげる。約束だよ」
「うん。まーちゃん……すごいもんね。ヒメもまーちゃんみたいになりたい」
ベットに横になった青白い顔の少女は、病室を訪れてくれた親友の言葉に、微かに微笑んで答える。
明るく、頭も良く、活発な親友は、少女にとって太陽みたいな存在だった。
まぶしくて、綺麗で、キラキラしていて。
「えー。うちのママはヒーちゃんを少しは見習ってお行儀を良くしろってすぐ怒るよ。病室で騒がないとか、ちゃんと挨拶をできるようになりなさいって。マキの方こそヒーちゃんみたいになりたいよ。そうすればうちのママにがみがみ言われないもん」
だが親友の方は信じられないと不満顔で、羨ましそうに少女を眺める。
「ほら見てよこのたんこぶ。昨日もママに拳骨とお説教だよ」
親友が頭を差し出して指で指し示したのでき、少女はなでるように触ってみるが、ほとんど判らず、少しだけ膨らんでいるような気がしないでも無い程度だ。
ただ親友の母親は少女が過ごすホスピスの院長であり、やんちゃな親友にお説教やお仕置きをしている姿は度々見ているので、嘘では無いだろう。
「今度はなにやったのまーちゃん?」
「ママったら酷いんだよ。ヒーちゃんを治す良いお医者さんになるにはまず形からと思ってマントを作ろうと思って、改装工事やっている所にあった黒いシートを切ってたのに、見つかってすごい怒られたんだよ」
「……そ、それは怒られると思うよ」
「えーだってお医者さんだよ。ママだってお医者さんなのに。黒マントをつけてないから名医じゃないんだよ。マキがマントを手に入れたら絶対名医になるんだよ」
少女にはよく判らないが、親友は黒いマントを身につけた漫画のお医者さんがすごい、世界一だとよく絶賛していた。
どんな難病にも挑み治してしまう世界一のお医者さんだと。
だから自分もそんなお医者さんになるんだと。
親友が治したいのは少女だけではない。
このホスピスに入院している患者さんを全員を治してあげるのだと。
それは親友がまだホスピスという意味を知らず、甘い甘い夢を見られている子供であるからこその言葉。願い。
「うん。そうだね。まーちゃんはすごいもんね」
太陽のように明るい親友の笑みを曇らせたくない少女は、今日もまた1つ嘘を重ねていた。
自分の頬を伝わる涙の冷たさで西ヶ丘麻紀は目を覚ます。
夢を見ていた。
夢。そう夢だ。
自分が何も知らず、どれだけ残酷な事を親友にしていたか。
夢の中で無邪気に振る舞っていた自分が、現実を必死に生きていた親友をどれだけ傷つけていたか。
己の罪を断罪する夢を麻紀は見ていた。
「っぷ……はぁぁはぁ……お、お薬、いやぁ……」
夢を思い出しただけで息が大きく乱れ、心臓が早鐘のように鳴り響き、寒気と吐き気、そして頭痛が麻紀を襲い、全身ががたがたと震える。
震える指で必死に眠っていたベット横のサイドテーブルに手を伸ばし、水差しと共に置かれていた安定剤を口に含みかみ砕くように冷たい水と共に飲み込み、薬の横にあったマントを毛布のように被って全身を覆う。
5分、10分、いや一時間が経ったのか、それともそれ以上の時間か。
乱れた心身は時間感覚すらなくなるほどに震え続け、手が痛くなるほどにマントをぎゅっと握りしめる。
麻紀にとって黒いマントは勇気を得る為の、現実へと立ち上がる為の必需品となっている。
何も知らない子供の頃に憧れたヒーロー。
本質を見ず、切り取られた話から表面だけを見ていたヒーローは、絶対どんな病気も治せる超人では無かった。
ただの人だった。
自分の存在意義を問い、手を尽くしても敵わず、何度も打ちのめされていた。
それでも自分の生き方を貫いていた。
その意思の強さの欠片でもいい。ほんの切れ端でも良い。
ちょっとだけでいい。
僅かな勇気を、現実と向き合う為の勇気を。
深層心理の奥底に刻まれた傷を覆い隠し、子供の頃のように無邪気に自分を信じられる勇気を。
周囲から奇異の目で見られるマントは、 西ヶ丘麻紀にとって己の精神が均衡を保つ為に欠かせない物になっていた。
「……はぁはぁ……はぁぁつ……はぅぅ……こ、ここって?」
薬が効いたのか、それともマントのおかげか、ちりぢりに成りそうだった精神が立ち直り動悸も収まった麻紀はもぞもぞと布団の中からはい出でて室内を見渡す。
自分の部屋ではないのは判るが、薬の副作用でまだ頭が動いていないのか、靄が掛かったように記憶が霞み、自分の置かれている状況を把握できない。
「き、昨日……学校……でも日曜日……1日……経ってる? 金曜日は学校にいって……頼まれて……」
思いだせる事を一つ一つ呟きながら麻紀はなんでもいいからと記憶をまさぐる。
自分の確かな記憶なら今日は土曜日のはず。
なのに枕元の置き時計は日曜の朝10時を指している。
1日が飛んでいる。
「……美月のお父さんの仕事の……美月の!?」
美月の父が勤めていたルナプラントをVRで見学できるソフトをもらった事を思いだした瞬間、麻紀の脳裏で全ての記憶が一気に噴き出してくる。
妙に存在感のあるVR体験。
そして予想外の追いかけっこにその先に待っていた人物と、自分がその人を殺してしまった記憶。
「な、なんで、あ、あたしがこ、殺したのに、あ、あたしの所為で死んじゃったのに、死んじゃったはずなのに」
全てを思い出した麻紀は全身を襲う悪寒と恐怖で身を縮め震える。
おかしい。
何もかもがおかしい。
自分があの男と、三崎伸太と名乗った男と会ったのは、金曜日の学校が初めてのはずだ。
確かに記憶している。間違いない。
それなのに、だというのに、自分があの男を巻き込んで殺してしまった記憶もまた確かに存在する。
自分があの男に初めて会ったのは金曜日だ。記憶違いなわけが無い!
あの日は、あの男を巻き込んだ日だと思っているのは、親友の美月と出会った日。
だから忘れるわけが無い。しっかりと覚えている。
これが間違いであるはずがない。
第一だ。
死んだ人間は絶対に生き返らない。
二度と喋ってくれない。
二度と話せない。
そんな事は判っている。判っている。当たり前だ。
だからあり得ない。
死んだ人間にもう一度、出会えるなんてあり得ない。
なのに、何故だ。
何故自分はあの男を殺してしまったと思う。
自分を助ける為にあの男が死んでしまったと、心が後悔に埋め尽くされ、震える。
あの男の身体から飛び散った、臓物や血の生臭い異臭を含んだ暖かさを思い出して身体が震える!?
「こ、怖いよ、み、みつき……み、みつき。い、いないのぉ?」
遮光カーテンの隙間から日が差す真っ昼間だというのに、あの男が暗がりから出てくるような錯覚を覚え怖くて怖くてたまらない。
震える声で親友の名を呼ぶが返事は無い。
よくよく見てみればこの部屋は親友の家の客間。
麻紀も何度かは泊まった事のある部屋だ。
もっとも最近は泊まるときは美月の部屋で一緒に過ごし、そのまま寝ていたので、あまり利用していなかったから、記憶から薄れていたようだ。
誰もいない部屋に一人でいるのは怖い。心細くてたまらない。
自分が今もあの悪夢だったVR空間にいるような錯覚すら覚える。
寒気を覚える身体をマントに包んだ麻紀は、己を守るようにぎゅっと身体の前で腕を組み、ベットから降りる。
麻紀の記憶の中では制服だったはずなのに、いつの間にやら美月の家に泊まるときのパジャマに着替えていた。
自分で着替えた記憶は無いから、美月が着替えさせてくれたのだろう。
その美月はどこに……
「ねぇ……みつきぃ……いないの……ねぇ?」
素足からはひんやりとした床材の冷たさが伝わってきて、ここが現実だと訴えるが、それすらも今の麻紀は疑ってしまう。
どちらも本当のようであり、だがどちらかが嘘の記憶。
現実と幻の区別がつかなくなった麻紀は、確かな感触を、親友である美月を求め、部屋を出る為にドアノブに手をかけた。
正直いえばドアを開けるのが怖い。
この扉の向こうが、あの駅のホームだったら……
そう思うと怖くてしょうが無い。
もう二度と見たくない。
だがこのまま部屋にいるのも怖い。
ジレンマに陥りそうになりながら、勇気の証であるマントを強く握りしめ、おそるおそるドアノブを捻る。
カチャリと軽い音をたててドアノブは周り鍵が外れる。
そっとひらいて隙間から見てみると、そこはなんの変哲も無い廊下だった。
「み、みつき。ねぇ。ねぇってば」
間違いなく美月が暮らすマンションだと思いつつも、そろそろと廊下に出た麻紀は親友の名を呼んでみるが返事は無い。
どこかに出かけている?
いやそれは無い。麻紀にはそう断言できる。
今の麻紀を置いて美月がどこかに行くはずが無い。
サイドテーブルに置いてあった水差しの水は、まだ冷たい物で入れ替えてくれたばかりだった。
何時起きるか判らない自分の為に、小まめに水を取り替えてくれていた。
そんな世話焼きで心優しい親友が、麻紀を一人で放置して外出していないと確信できる。
ならどこに……?
まさかあの男が現れ、美月を攫っていってしまったのか?
美月の父が生きていると、サンクエイク事件によって月面で亡くなられたはずの高山清吾が生きていると告げたあの男に連れ去られたのか。
そんな妄想すらも懐くほどに麻紀は混乱し、困惑していた。
しかしそれは当然だろう。
絶対的なはずの自己の記憶すら当てにならない現状。
現実という麻紀の足元はゆらゆらと揺らめいていた。
「みつき……おねがいだからぁ……へ、へんじしてよぉ」
早く確かな物を、美月という絶対的な心の支えを取り戻さなければ、自分は壊れてしまう。
そんな恐怖と闘いながらおそるおそる廊下を進んだ麻紀は、居間へと続く扉をまたもゆっくりと開いて、確かに居間かと覗き見て確認してから、そろっと足を踏み入れる。
居間に足を踏み入れた麻紀が見たのはその中央で仰向けに倒れている美月の姿だった。
「……み、美月!? だ、だいじょ、ふぎゃ!?」
倒れた美月の姿に自分の恐怖や震えなど一瞬で吹き飛んだ麻紀は、安否を気づかい慌てて駆け寄ろうとしたが、足元にあった何かに滑って転んでしまう。
「痛っ……な、なに?」
後ろを振り返ってみると、麻紀が滑ったのはビニールでできた梱包材の上に足を無防備に乗せてしまった所為のようだ。
よく見れば周囲には届いたばかりだと思われる段ボールや梱包材がむき出しのまま放置されていて、見覚えの無い機械が死んだように眠る美月の横には設置されていた。
それは最新の粒子通信技術対応の新型VR機器だ。
作動を示すランプが点灯し、僅かな音をたてる機械から伸びたコードは美月の首元に繋がっている。
「美月……またあそこにフルダイブ中なの」
親友がどこに潜っているか。
その答えはすぐ側に置いてあったケースで麻紀にもすぐに判ったが、とても追いかける勇気は持てなかった。




