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マニュアルはよく読み、指示には従いましょう

「これが新型コネクター。脳内システム起動のためのキーであり、またメインバッテリーとなります。首筋のこの辺りに貼り付ければ、すぐに構築されたナノシステムが立ち上がり起動状態となります」



 教壇に立つ三崎が右手の指で摘んだ5センチ角の薄いシート状のコネクターが、それぞれのテーブルに設置されたモニターと教壇背後の電子ボードに拡大表示される。

 三崎の手に持つのは、ディケライア発新規格である粒子通信用に販売されたばかりの、新型コネクターだ。



「接続可能範囲は標準的なVRネット端末から無線状態で約10メートルまでなら、ハーフダイブでは特に問題はありません。フルダイブでは情報量が膨大に増加し、ラグが発生しやすくなりますので、旧来形式と同様に有線接続を推奨します」



 三崎の説明は粒子通信関連以外は、既に授業で教わった物や、一般的な知識として普及されている物を再確認するもので面白味など無く、あくびをしている者や、フルダイブが待ちきれなくて早く終われよと小声で悪態をついている者が多い。



「時折誤解する方がいますので一応説明しますが、脳内ナノシステムとは皆さんの脳を生体コンピューターとするものでは無く、ナノシステムの介入で電気情報のやり取りをし、仮想現実空間と接続し操作可能な状態へと、簡単に言えばコントローラーとモニターとして用いる技術です。ですから…………」



 三崎の説明をしっかりと聞いており、注意事項に頷いたり、メモを取ったりと真面目な生徒も一部には居るが少数派である。

 待ちきれ無さそうに支給されたコネクターを指でいじる麻紀は前者であり、三崎の説明に耳を傾けてしっかりとノートに書き留めている美月は後者の典型的な例だった。 



「つまんない。おにーさん堅すぎだよ」



 コネクターを付ければすぐにでもVR体験が出来るというのに、なんでこんなに説明が長いんだと麻紀は不満顔で頬を膨らませていた。

 説明するのに電子ボードを用いているなら、いっその事ハーフダイブ状態で説明をすれば良いのにと焦れているようだ。

 先ほど準備室であったときは、ノリがよく気さくな感じだったが、やはり仕事となると別なのか、面白味の無い一般的な技術説明講師としての仮面を三崎は被っていた。



「麻紀ちゃん。ちゃんと聞こうよ。注意している内容は基本だけどそれだけ気をつけろって事なんだし」



 コネクターやナノシステムの違法改造が厳罰化されている理由やら、VRシステムを一般生活で用いる際のマナー。

 さらにはハーフダイブ使用中での注意点と、三崎の説明は確かにくどく細かいが、どれも基本的な物で最低限のルールだ。

 どうしてもそこらが長くなるのはしかたないことだろうと、美月はだれている麻紀に同じく小声で注意する。

 それにだ……



「それにちゃんと聞いてた方が良いよ。フルダイブした途端、何か仕掛けてくるかもしれないし、ここまで細かい注意してくるのが罠かもよ」



 授業前にあった際に浮かべていた性格の悪い笑顔を思い出し、美月は警戒心を含んだ憂いの顔を浮かべた。

 羽室の話では一筋縄ではいかないイイ性格をした人物と聞いているのもあるが、何故か判らないが、三崎に対して美月はどうしても不安感、違和感を覚えていた。

 初めて会った男性なので、人見知りしているだけかも知れないが、どうしても落ち着かない感情を感じていた。



「それはそれで面白そうじゃん。早く終わらないかな」 



 その一方で麻紀は、三崎の技術や人柄が気に入ったのか、警戒心など皆無な人懐っこい笑顔を浮かべている。

 第一印象が違うのは、麻紀が大胆なのか、自分が臆病なだけだろうかと美月が思っていると、無記名の一斉送信メールと自動展開した掲示板がモニターに表示される。

   


『説明長いな。先に試してみねぇ? 貼り付けただけじゃ校内ネットにはまだ未接続なんだからばれないよな。頬杖するふりしてコネクタ接続って感じで。一斉にやれば、ばれても軽い注意ですむだろ』



 どうやら他にもだれた生徒がいるようだ。

 説明を聞いているふりをして、先に脳内ナノシステムを起動させないかとクラス全員に持ちかけてきていた。

 授業中のメールやり取りやクラス掲示板展開は教壇で監視されているはずだが、教師に見つからないメール送信方法や、送信者を隠蔽する技術などの小技は、生徒間で代々受け継がれている。

 教師陣も生徒が作った裏技がある事は知っているが、これもいい技術向上の機会と黙認しているようで、テスト期間中などを除いて、そこまで厳しく監視はされていない。

 今回も後輩の授業内容を見守る羽室や淡々と弁を振るう三崎が気づいた様子は無い。



「ねぇ美月。先に試して」



「止めなって。ほら後もう少しみたいだから」



 飽きてきている麻紀はその誘いに乗ろうとして右手にコネクターを隠し持って準備しているが、美月はまだ説明が終わっていないと前を指さす。

 


「これから皆さんの前に広がるVR世界は無限の可能性を秘めていますが、ルールや注意すべき事がこれほどあります」



 長かった三崎の説明もどうやらまとめに入ったようだ。

 説明が終わるまであと数分もかからないだろう。

 それくらい待てば良いと、美月は優等生らしい回答を返したが、



『ほらもう終わりだろ。ちょっとだけフライングしても大丈夫だっての。乗る奴いないか?』



 メール送信者は、美月とは別の考えのようでしきりに誘ってくる。

 共犯者を増やして注意されたとしても、一人一人の分量を軽めに済ませたいのだろうか。



「美月も堅いな。じゃあ良いもん。あたしだけ試すから」



 その言葉に麻紀は乗ったのか、備え付けのキーボードを静かに叩いて了解と返事を返していた。 

どうやら同じように飽きていた者はクラスの半数以上はいたようで、モニターに映った賛同者は18名にものぼっている。

 


「ほら過半数確保。民意はこっちだって」



「あたしはやらないからね」



 流れはこっちの物だと麻紀は胸を張るが、そういう問題では無い。

 かといって、すでに待ちくたびれていた麻紀を口だけで止めるのも難しい。美月は放任する形で渋々ながら見逃すことにする。



『んじゃ。全員一斉にいくぞカウント3な』



 この送信者はどれだけ暇なのだろうか。

 わざわざカウントダウンするプログラムまで簡易制作していたようで、モニターの隅に小さく表示されていた。



「内職しす……え、これって?」



 暇だからってここまでやるかと呆れかえっていた美月だったが、ふと思い出す。 

 授業前準備室で三崎が作っていた簡易プログラムの1つは、ちらりと見ただけだったがカウントダウン表示をする物だったはずだ。

 まさかこの無記名の発起人は?

 だが気づくのが少々遅かった。



「そうは言っても難しく考えず、基本はルールに従う事を意識していれば早々おかしな事にはなりません。ルールを破るというのは」



 三崎が本性を現したにやりとした笑顔を浮かべると同時にカウントがゼロになり、



「ぎゃっあ! Gの雨!?」



「な、なめくじ。うぉ!? ぬるぬるする!?」



「蛇、むりむりむり!?」



「た、助けて美月! ガラスひっかく音がエンドレスで聞こえてくる!? うわん。押さえても聞こえてくるよ!」



 教室のあちらこちらで阿鼻叫喚な悲鳴が上がり、慌てて席を立ち上がる者、テーブルの下に隠れる者やら混乱状態に陥る。

 隣の麻紀も。生理的な嫌悪をもたらす幻聴が聞こえているようで、耳を押さえて呻いていた。



「例えば勝手に接続するとか、出所の判らない誘いに乗るとかもですね。ハーフダイブでも、このように臨場感たっぷりな悪戯も仕掛けられますので……さて昨今のVR規制も、このようにルールを無視した人物が起こした不幸な事故により、始まっています。そんなわけですから皆さんはこれを教訓に、基本的なルールには従ってください」



 錯乱状態な被害者や、幸いにも乗らずに無事だったが唖然とする生徒を尻目に、それはそれは楽しそうに見る悪辣外道は、言葉だけは真面目一辺倒なコメントで締めくくった。 














「うぁ…………すごい」



 目を開けば最初に飛び込んで来たのは、見渡す限りに広がる大草原。

 遙か彼方まで平坦な地面が広がり、空を見上げればただひたすらに青い空が広がる。

 人工物など何もない非現実的な光景がここがVR。

 仮想現実空間だと実感させてくれる。

 文字通り現実離れした風景に美月は目を丸くしながら、次いで自分の身体を見下ろす。

 学校指定の制服に包まれた身体はリアルと変わらず、四肢の感覚も一切の違和感などない。

 手を開いて握って開いてを繰り返してみたり、その場で軽く跳び上がってみたりといろいろ試してみるが、



「ほんと同じだ」



 VRでの肉体となる仮想体データの数値は、リアルと同じにしているのだから当然といえば当然だが、その扱い方も全く同じ事に美月は軽く感動を覚える。

 今の発達した仮想現実技術は、リアルとさほど違和感が無いというのは知識として知ってはいるが、やはり自ら体験するのとではその実感が大きく違うからだろう。

 かなり手ひどい教訓を一部の生徒達に軽いトラウマとして押しつける等の騒ぎが有った物の、元々あの悪戯さえも予定通りだったのか、あの後すぐに男女ごとに別れて、鍵付き個人ブースが設置された別教室に移ってフルダイブが実行されていた。

 


『皆さん無事にフルダイブが完了したようですね。さてその空間は学校支給の皆さん個人ごとのホームとなります。これからの授業で使用したり、覚えた技術を用いて自由研究を行う場ともなります。まぁ簡易に言えば自由帳、ノートみたいな物です』



 脳内に直接語りかけるように三崎の声が響き、ついで美月の目の前にシステムコンソールが自動展開される。

 天候変更。地形変更。動植物発生、肉体能力変更等々、世界を操るツールがそこには書かれていた。

 少しだけだが、美月は触ってみたい欲望に駆られるが我慢する。

 三崎はどうやら真面目に授業を続けるつもりのようだが、先ほどの例もある。

 下手に触らず次の言葉を待っていると、



「自由にとは言っても、さすがにいきなり全てが自由に扱えるわけではありません……下手に触ると今のような事になりますのでお気をつけを。説明の進み具合に従い、機能を順次解除していくのでそれまで控えてください」



 どうやらどこかの生徒が早速いじろうとして、三崎の仕掛けたトラップの被害にあったようだ。



「やっぱりトラップありか……麻紀ちゃんかな」



 麻紀はこの誘惑には弱いだろう。

 何らかのトラップに引っかかったであろう親友の姿が、脳裏にはっきりと浮かび上がる。 



「今展開したシステムウィンドウが基本的なコンソールとなります。基本はタッチ形式ですが、細かな入力に用いる為の仮想キーボードコンソールのパターンもいくつか用意してあります。まずは扱いやすいようにカスタマイズ…………」



 あの時三崎が午後の実習で用いると言っていたプログラムはまだまだある。

 この先もトラップが、山積みなのは容易に予想できる。

 一言も聞き逃さないようにと、美月は改めて警戒を強めていた。










「うぅ。悪魔だ。あれ鬼畜だ」



 コントの爆発に巻き込まれたようなアフロ髪で、ピヨピヨと鳴くひよこのオモチャが居座り、顔には『私は我慢できません』『人の話は最後まで聞きましょう』と蛍光塗料のペイント文字と、頬にはぐるぐると渦巻き模様。

 こうなっては麻紀が自他共に認める美少女であっても、単なる道化だ。

 三崎の用意したトラップをことごとく踏み抜いたという麻紀は、見る者が思わず失笑するほどに哀れな格好に変化し、左手でぐじぐじと目を擦りながら、右手でカスタマイズしたばかりの仮想コンソールを展開し叩きつつ、泣きべそを浮かべていた。

 リアルならともかくVRなら外見データを一度リセットして、元の格好にすぐ戻れるのだが、そこにも三崎の罠が待ち受けており、外見データ管理へのアクセスキーを得るためには、いくつかの小テストにクリアしなければならない仕様となっていた。

 


「だ、だからいっただろ西ヶ谷。あ、あのGMが作るゲームだぞ。予想以上に性格悪いかもしれん」



 こちらは泥まみれで、蓑虫のような謎生物に背中にのし掛かられ息も絶え絶えな峰岸伸吾が、べたりと倒れ伏したままに今更な注意を呼びかけていた。

 同じように仮想コンソールを展開して外見データ変更許可を得るための難問に挑んでいたが、その成果はあまりよくないようだ。

 基本的な使い方と基礎技術説明という授業はしっかりとやりながらも、時折混ぜてくる某伝説のクイズ番組を参考にしたというトラップ付きなミニテストあり。

 授業なんだかアトラクションなんだか判らない講義は、諸々の被害をだしながらも無事に終了を迎え、今は自由課題という名目で、それぞれが初めてのVRフルダイブを楽しむ時間となっていた。

 クラスメイトのホームへと行ってみたり、身体数値を改竄して、高く跳んでみたり、速く走ってみたり、はたまた天候システムを少しいじって嵐を呼んだり、山を作ったり池を拵えたりなど簡易な地形変更をしてみたりと、それぞれが思い思いで何でも出来る世界を楽しんでいた。

 一応は授業の一環ということで、VR規制条例の娯楽目的時間制限からは外れている。 無論放課後に許可を取るなり、家に帰ってからでも、学校管理のVRネットへアクセスさえすれば使用可能だが、それは授業外の接続。時間制限の範疇に入ってしまう。

 だから、今やら無ければ損という意識でも働いたのだろう。

 そんな思い思い遊ぶに生徒達の中、美月達は雁首を揃えて、これからの方針を話し合っていた。

 偶然ながらも、ゲーム開始前に三崎というGMの、行動傾向や性格を一端でも窺い知れたのは、運が良かったといえるかも知れない。



「こりゃあ、あの人にゲーム攻略のヒントとか聞くのも止めといた方が良いよな。ろくでもない罠が仕掛けてありそうだ……伸吾はともかく西ヶ谷ちゃんの方はやっぱ無理か?」



 ようやく全ての質問をクリアしてペイントを消し去った谷戸誠司が、呼び出した鏡を見てほっと一息を吐いたあと、泣き顔の麻紀に同情的な哀れみの目線を向けた。

 誠司のように1つや2つ引っかかった程度なら、解除問題は簡単な物。

 それこそ今の講義で注意された内容の再確認程度の問題で済んでいたが、伸吾のように複数のトラップに引っかかると難解な技術問題が、そして麻紀のようにわざとかと思うほどにことごとくトラップに引っかかった場合は、

 


「マニアックすぎてよくわかんない! っていうかあたしだけなんでこんな問題!? 歴代戦隊で最大合体数のマシーンの右腕を構成するメカの頭部の色を答えろとかってなに!? 制限時間10秒って解かす気ないよ!?」



 学校の授業とは無関係な、どこのマニアが考えたんだと文句を付けたいほどにディープでわけの判らない質問が山のように降り注いでいた。

 麻紀は先ほどから、無数のデータベースにアクセスして何とかクリアしようとしているが、あざ笑うかのように繰り出される、やたらと偏った質問に翻弄されていた。



「それ授業が終わるまで、その格好のままで耐えろって事じゃ無いかな……諦めたら西ヶ谷さんと伸吾は」



 複数のトラップを踏んだ段階で、警戒して余計なことをせずちゃんと説明を聞いていれば無事で済んだはずなのにと呆れる亮一に、



「うるせぇ。やられっぱなしじゃゲーマーの名が廃る。ともかくこの感じじゃ、PCOも相当性質が悪い。マジに考えないとゲームで賞金稼ぎどころじゃねぇぞ」



 反省しないというかへこたれないというか、これだけ酷い目に遭っても未だ伸吾は勝ちに行くつもりのようだ。



「でも無謀じゃないかな。VRMMOでいきなり入賞狙いってのは。確かにリアルと同じ感覚で動かせるけど、ノーマルならともかく……・数値変更だとこんなんだし。操作感覚に慣れるまで時間が掛かるよ」



 右手でコンソールを呼び出し、筋力パラメーターを強化した亮一は、そこらに転がっていた石を手にとって上に投げてみせる。

 現実ではあり得ない力で投げられた石はあっという間に飛び去り、さらには空気との摩擦で破裂したのか、遙か遠くで破砕音が木霊のように響いて聞こえてきた。

 VRといっても所詮はゲームと多少は甘く見ていたが、これは自分達が体験していたゲームとは全くの別次元だと亮一は認識せざるを得ない。 

 自分だけで無く対戦相手も同じような能力を持って競い合う以上、VR経験の有る無しはかなりの差が出ることは間違いないだろう。



「そこは習うより慣れろでいけんじゃねぇ? それに制限時間でフルダイブ出来る時間はかぎられてんだから、なんとかなるだろ。西ヶ谷ちゃんだけじゃなくて美月さんまで協力してくれんだから、情報さえちゃんと集めれば、トップは無理でも入賞には滑り込めるんじゃねぇの。それにお前ら二人とも考えすぎ。ゲームは楽しんでこそだろ。そこまで気張っても、楽しめなかったら本末転倒だろ」



 だがそのフルダイブに制限がある以上、経験者と未経験者にそこまで差は出ないと気楽に考えているのか、誠司はあまり気にせず、まずはゲームを楽しもうと提案してくる。 



「ゲームは楽しんでこそね。そりゃ全面同意だな」



 不意に底意地の悪い笑い声を含んだ男の声が響く。

 5人が慌てて声のした方向へと視線を向けると、いつの間にやら件の悪辣外道が先ほどまでのすまし顔とは一転した、気さくでかつ悪戯っけのある笑顔をうかべにやにやと立っていた。

 いつの間に出現したのか判らないが、どうやら5人の会話を聞いていたようだ。



「ぷっ、そ、それにしても……・た、楽しんでいただけたようで何よ、ぷっ」



 そして半べそをかく麻紀を見て、自分が仕掛けたとはいえ、そのあまりに間の抜けた格好がツボにはまったのか、抑えようとしても隠しきれない笑いを漏らしはじめた。



「くっ! わ、わらわないでよ! あ、あんなの卑怯だもん! 触りたくなるような配置とか、タイミングとか絶対狙ったでしょ! しかもあたし狙いで!」



 ボタン配置やタイミング。それに麻紀好みな絶妙な機能と、思わず触りたくなってしまう、いじりたくなってしまう物が多すぎた。

 あれはクラス全員を狙ったというより、麻紀を狙ったついでにクラスメイトが引っかかったと考えた方が納得出来る罠っぷりだった。



「おーさすがに鋭いな。いや悪い悪い。ちょっとお嬢ちゃんを懲らしめてくれって頼まれててな。性格を読んで仕掛けてみたんだが、いやこれが嵌まった嵌まった。途中で笑い堪えるの大変だった実際」



 羞恥なのか怒りなのか顔を真っ赤にした麻紀が食ってかかるが、犯人である三崎はいけしゃあしゃあと答え、誠意の皆無な謝りをいれつつも、麻紀を狙っていたと肯定してみせた。



「だ、誰よ! そいつは!? 絶対許さないんだから。こうなったら相手が先生だろうと、生まれてきたのを後悔するくらい酷い目に」



「お嬢ちゃんのお袋さんの沙紀さん」



「なっ!? マ、ママの、し、知り合い!?」



 勢いよく立ち上がり三崎に食ってかかった麻紀だったが、三崎の上げた予想外かつ、もっとも苦手とする母親の名前に悲鳴を上げ後ずさり、さらに自分の失言に気づきダラダラと冷や汗を流し始めた。



「いやぁ、フルダイブなんて覚えたら娘が暴走しそうだから、少し押さえる方法無いかって相談されて個人的に頼まれてたからな。丁度先輩に頼まれて渡りに船って感じでな……後で報告を入れるけど叩きのめすって台詞も伝えとくか?」



「お、お願いします…………聞かなかったことにしてください」 



 よほど母親が怖いらしく、嫌味な笑顔でわざわざ確認してきた三崎の問いかけに、麻紀は力なくぺたんと座り込んでますます泣きそうになっている。

 


「いやそうは言われても、沙紀さんはお得意様なんで、ちゃんと話さないとこれからの付き合いってのがな」



「さ、最後の台詞だけでも良いから」



鼠をいたぶる猫のように切り札をちらちら見せてくる三崎に対して、麻紀はなすすべも無く全面降伏を余儀なくされていた。



「すげぇな。西ヶ谷が一方的にやられてるとこって初めて見た。西ヶ谷って親の名前出ると何時もこう……どうした高山?」



 あっという間にあのフリーダムな麻紀を大人しくさせ、さらには翻弄する三崎の手腕に思わず感心していた伸吾が話を振ろうとし、美月が何故か固まっていることに気づき声をかけた。

 驚きが混じったような、それでいて呆然としているような表情を美月は浮かべていた。



「え……あ……ごめん峰岸君。な、なんでもないの。うん。ちょっとなんか変な感じかしただけだから」



 伸吾の声で我に返った美月は、仮初めの身体には存在しないはずの心臓が不規則に荒れ狂うような動悸を覚えながらも、引きつり気味の笑顔で返すが、その心は美月本人にも判らないが何故が心臓以上に荒れ狂っていた。

 何故だろう。今の会話、今のやり取りは初めて見た物では無い気がする。ずいぶん前にも同じようなことがあった気がする。

 しかし思い返そうとしても、美月の記憶には思い当たる物は無い。

 なんといっても麻紀はともかく、三崎は今日出会ったばかりなのだ。記憶など有るはずが無い。

 ひょっとして前にも会ったことがある?

 いや、それは無い。平凡な見た目はともかく、これだけ底意地の悪い人間を早々忘れるはずは無い。

 それに麻紀の方はなんの反応も見せていない。おそらく自分の思い違い。デジャブだろう。 

 思い出さない方が良いと心の奥底で訴えかける声に無意識に従い、美月は無理矢理に自分を納得させる。



「はいよ。まぁずいぶん楽しませて貰ったし、大人しく受けてたと報告させて貰うわ」



 美月が動揺を押し殺している間に交渉が終わったのか、三崎は笑顔で頷き、麻紀はほっと胸をなで下ろしていた。

 指示に従わず、勝手に弄ろうとした麻紀の行動にも十分に反省するべき事だが、気前よく許したような空気を出している三崎がそもそもの元凶だ。

 上手く話術と場の雰囲気を操り、麻紀の敵意を空振りさせ減少させてしまったようだ。

 この手腕を見た限りでも、三崎が見た目の凡庸さとは裏腹に、一筋縄ではいかないと美月は感じていた。



「それにしても、とっととその格好を解いたらどうなんだお嬢ちゃん? んな難しい問題は入れてないはずだろ。最高ランクのロックでもあんたの成績なら楽々解ける問題がメインのはずだぞ」 



 今もフレンドリーな様子で麻紀に話しかけ、その懐に易々と潜り込んでいく。

 こう見た限りは気さくな親戚や近所のお兄さんという感じなんだから、なおさらに質が悪い。 



「解けたら苦労しない! 意味わかんない問題ばっかだし!」 



「あ? ちょっと見せ、げっ!」   



 麻紀が展開した仮想ウィンドウを横から覗き見た三崎が、何故か顔を引きつらせる。



「あ、あの野郎。ちょっと難しめにしとけっていったのに。んだよこのマニアックなのは。しかも授業関係ねぇし。他の問題も俺のが設定した初期以外は設定レベル高すぎだし……わざとかあの阿呆兎………悪いこっちの手違いだ。今解除する。後ついでにそっちの兄ちゃんやら他の連中も解除するわ」



 どうやら三崎本人も予想外の質問がそこには並んでいたようで、ぶつくさと文句を言いつつ、右手をさっと振るった。

 すると何もない空間に、無数のコンソール群が展開される。

 それはまるで古い教会のパイプオルガンの鍵盤のように凝ったデザインと無数のキーで構成された芸術品のような機械群。

 美月達が先ほど支給されセッティングした物よりも、遙かに複雑でさらに細かな設定が割り振られたこの仮想コンソール群が三崎の扱う代物なのだろう。



「……覚えてろよ。ルート変更だ。あっちをもっと苦労させてやる」



 非常に面倒気に愚痴をこぼしながらも、何故か楽しげな目でにやりと笑い、さらに手が目にもとまらぬ早さで動きだす。

 準備室で見せた物よりもさらに早い。

 まるでいくつにも手が分身したかのように見えるほどの、残像が発生する。

 これが肉体限界の頸木から解き放たれ、思考で行動できるということ。

 VRで作業を行うことの利点の1つ。

 瞬きするほどのあっという間に、麻紀だけでなく伸吾の仮想体の外見データもリセットされ、本来の物へと戻っていた。

 

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