A面 花火の下の決意(無糖版)前編
紙コップの持ち手近く。飾りのようにも見えるデザインで施された細かな凹凸部分があるシールへと親指を押し当て軽くなぞる。
ハンドコードシーラー。通称ハドシーラーと呼ばれる手持ち機械で簡易に作成できるシールをなぞった指先の触感を読み取った脳内ナノシステムが、ネットワークにアクセスして、時限式簡易キーを取得する仕組みの1つだ。
脳内ナノシステムの普及に伴い、視覚、触覚などのこれら感覚を通す、感覚感知型発行パスはいくつか生まれている。
その中でもハンドコードは、アクセスする側は指先でなぞるという簡易な動作だけで済み、ホスト側もシールタイプなのでどこにでも貼り付け簡単で安価、さらにお客の数に合わせてすぐに増やせると、使い勝手がいいので、主流となっている方式だ。
『ワンタイムコードキー認識。PCO提携ショップ【B&M】オープニング会場限定メニュー【トリプルベリースペシャル】は、とちおとめ、あまおう、紅ほっぺの……』
新たに立ち上がった仮想ウィンドウには、みずみずしいイチゴの映像やら、提携牧場で育った乳牛から絞った生乳のみを使った低温殺菌牛乳がどうたらという商品説明がスクロールしていく。
それらを流し見ながら、特設会場のテーブル席で背筋良く座りつつも疲れの色を隠せない顔色を浮かべた浴衣姿の美月は、作りたてのフレッシュドリンクをちびちびと舐めるように口にしていた。
三種類のイチゴがミックスされた強い甘みとほどよい酸味、さらに濃厚なミルクが混じったドリンクが、今の疲れ切った身体には心地よく染み渡る気がする。
普段ならここまで甘いと途中で飽きてくるのだが、今日は脳を酷使しすぎた所為で、身体が求めているのか、心地よい甘さだった。
カップの中身が半分ほどになったとき新たなるメッセージが立ち上がる。
『規定量の取得を確認いたしました。インベントリー食品アイテム欄に期間限定メニューが追加されました』
デフォルメされたトリプルベリースペシャルのミニ画像の横にはアイテム効果が表示されており、それを読めば、ゲーム内時間48時間まで女性乗員の疲労度増加率を95%まで抑制(重複可能)の文字。
これは味覚情報やら喉の触感やらなど、脳に送られる情報を元に、実際に該当する飲食物を取得しているか脳内ナノシステムが判断しているそうだ。
新開発のアプリケーションソフトの1つで、将来的には飲食店や他の業界とも連携して、食べたその場でカロリー計算やら、それを消費するのに必要な運動量を算出。
お勧めのジムやら散歩コースを紹介する機能へと繋げる等云々。
これに限らず、VR世界と現実世界を繋ぐ、様々な新しい試みを行いつつ、不特定多数の老若男女を対象にデータを取得。
ビッグデータによる応用を狙うPCOは新規VRMMOであると同時に、VR業界が主になった実験的試みをいくつも行っているという触れ込みに嘘偽り無しということだろう。
「私のは疲労度増加率抑制だった。麻紀ちゃんのは?」
誰が読むだろうと思うほどには長いゲーム開始時に同意を求められる利用規約にはそれらの事はばっちり書いてある。
法律上は問題は無いのだろうが、要は自分達は体のいいモルモットだと言われているようで、美月的には少し嫌だが、このゲームに参加しなければいけない理由があるのだから仕方ない。
「ん~あたしはランドグリーズだふぁらちょっと違うみたいだけど、農業プラント系ミッションを受けふぁとき報酬2%増しふぁって」
疲れながらも背筋良く座る美月とは違い、浴衣の上にトレードマークのマントを身につけた麻紀はテーブルに身体をだっらと預けたまま、眠そうなあくび交じりの声で答える。
目の前にある特大LLサイズの紙コップに入った濃厚バナナラテをストローを使いちろちろと飲んでいる麻紀も疲れ切っているのか、少しずれた右目のモノクルもそのまま。
甘党の麻紀は普段ならこれくらいの量なら一気に飲み干して、既に2杯目にかかっている所だが、今日に限っては一気に吸う気力も無いようだ。
「大丈夫か。二人とも。初日から飛ばしすぎじゃねぇ。焼きそばでも食べるか? あれもやっぱりPCO内アイテムになるみたいだぜ」
精根尽き果てた美月達を見て伸吾が指さした先には、巨大な鉄板を設置した焼きそば屋台。
連続で上がっている花火の音にも負けず、音をたてて焼けるソースの香りも香ばしい焼きそばが大量増産されている。
音と匂いに引かれたのか結構な人が並んでいる。
「あ、でもあれコンボ商品だって。祭り会場のどこかで売ってる伝説のコッペパンを手に入れて焼きそばパンを完成させろってミッション系屋台」
会場マップから屋台の情報を調べた亮一が、あれは提携ショップが設置した屋台では無く運営側が用意したミニイベントの1つだと指摘し、テーブル中央に指定した共通ウィンドウへと表示してみせた。
「お、面白そうだなそれ。効果はなんだよ……焼きそば単品だと2%の経験値効率上昇で、焼きそばパンだと8%まで上昇か! うし。探すぞ!」
たしか三本目のフランクフルトを頬張っていた誠司は、半分以上残っていたそれを一気に口に放り込むと立ち上がる。
やせの大食いを文字通りいく誠司の前には、既に食べきった食品の空パックが結構な数が積んであったが、まだまだ食べる気のようだ。
もっとも今日のこれは、食いっ気よりも、攻略熱の方が強いせいなのかも知れない。
夏の夜空に大輪の花を次々に咲かせる花火の音が響き、建ち並んだ屋台からは威勢のいい呼び込みの声が響く。
それは一見よくある夏祭り会場のようにも見えるだろう。
しかし本日が無事にオープニング初日を迎え、そのイベントを大々的に執り行うPCO運営側がただの夏祭りを行うはずもない。
というか、イベント大好きな某ウサギ社長が、何もしないはずがない。
雑踏をワイワイと行き交うプレイヤー達が手に広げる仮想ウィンドウに映るのは、祭り会場攻略マップと、この時間も有志一同によって次々に攻略サイトにあげられているゲーム攻略情報。
夏祭りの楽しみである屋台巡りも、ちょっと捻ったミニクエストと化していた。
各種飲食物を購入して一定以上ちゃんと飲食すれば、ゲーム内でのステータス上昇や様々なバフ効果を持つ期間限定アイテム種が取得可能。
射的で落とせる人形に付随するのは、ゲーム内の改造ラボで使用可能なモンスター遺伝子。
本職だと言うが、限りなくコスプレに近いとしか思えない巫女が配るおみくじには、引いたくじに合わせた、ゲーム内での幸運値上昇のブレッシングか、デメリットを喰らうカース効果というおまけ付き。
どこから引っ張り出してきたか知らないが資料でしか見たこと無い、カタ屋の屋台で型抜きに成功すれば、カタの種類に合わせステータス上昇効果等々。
全部が全部、ゲーム内でのメリットへと繋がる。
ただし取得した全てを手に入れられるわけでは無く、その中から任意の物を3~5個で選択するという物。
少しでも選択肢を増やそうと会場を駆け回る者。
早々と取得するメリットを選択し終えて、夏祭りを純粋に楽しむ者。
プレイヤーそれぞれごとにいろいろと別れた対応となっているが、現実も遊び兼攻略空間とするVR側からの侵略は着々と進んでいる様子だった。
「「疲れたね……」」
経験値効率上昇と聞いて喜び勇んで、伝説のコッペパンを探しに出た勇者達を見送った美月と麻紀は、どちらからとも無く今日一日の感想を口にする。
正確に言えば、この夏祭りが続く限り今日の攻略はまだまだやれるのだが、もはや二人にはそれを行う体力、気力が残っていない。
疲れ切った身体はただひたすら休憩を求めていた。
それでもなるべく有効的な効果を得ようとして、先ほどまでに一応の確保は二人とも終えてはいる。
レンタル浴衣で、ゲーム内コス取得(ステアップ効果付き)
浴衣+花火をバックにセルフ撮りした写真を運営HPに転送して、ゲーム内NPC好感度UP効果を取得。
そして最後に先ほどのドリンクによる、各種特殊効果といった具合で以上の三種類を確保している。
探せばもっと有益な物もあるようだが、それは射的だったり、金魚すくいだったりと、今の精魂尽き果てた二人には荷が重い物ばかり。
なるべく簡易で効果が大きい物を厳選した結果がこれだった。
「収支的には何とか+-0かな……初日なのに」
「あたしの方は船体修理で結局-。拾ったティア3チェイサーを売れば+に持ってけるけど、美貴さんがもうちょっと商取引して、交易スキルがアップしてから売った方が断然お得だから保留しとけって」
まずは初期クエストでのクエストコンボ発生条件をクリアして、連続クエストを派生させ、最大効率の報酬を得る。
それが美月達の戦略であったが、その目論見はゲームスタートすぐの襲撃が原因で大崩れもいいところだった。
使い切った推進剤やプローブ、さらには麻紀の場合は船体修理もあって、初日から計算外の経費がかかっている。
麻紀の場合は激しい戦闘をした所為で、戦闘系スキル経験値が結構な値で上昇しているが、精神的トラウマが原因でゲーム内でも人死にを出せないのだから、あまり恩恵は感じられない。
さらに最悪なのは二人揃ってフルダイブした上に、祖霊転身を使ってしまったことだ。
状況的に仕方が無かったとはいえ、大幅なステータスアップを得られるフルダイブや、特殊能力を発動できる祖霊転身は、接続時間制限のある現状のPCO内ではスペシャルな扱い。
背伸びした高難度クエストに挑んだとき等に、温存できるならば温存しておきたかった切り札だ。
補給や修理が終わった時には、スタートダッシュでめぼしいクエストが他のプレイヤーにかっさらわれた後なので、細々としたクエストを午後一杯に数多くこなして、何とかスタート時までの状況に戻すのがやっとだった。
美貴達や誠司達の話では、他のVRMMOなら、他のプレイヤーが取っていったからと、クエストが枯渇するということは普通はあり得ない。
しかしPCOの場合は、ゲーム世界の全ての状況が連動し、あらゆる所に影響が出る仕様。
リアルと同じく、有益な情報や儲けのいいクエストは、目端の利くプレイヤーの早い者勝ちという状況はオープンβテストから既に始まっている。
さらにオープンと同時に導入された、海賊ギルドや反乱軍入りが可能となる裏社会プレイが状況に拍車を掛けているとのこと。
どうやら裏社会所属プレイヤーには、どこかのプレイヤーがクエストを受領すると同時に、カウンタークエストが発生している模様。
つまりは美味しいクエストを受けたプレイヤーへと妨害行為をすれば、自分がその美味しい報酬を得られるそうだ。
ゲーム世界オープン後一番最初のPvPは麻紀が飾ったが、その仕様が判明した午後にはゲーム内銀河のあちらこちらでPvPが連発。
NPC艦隊も交えた戦争を行う前線から離れた、後方領域でも辺境域となれば、非戦闘宙域以外は、クエスト受領中はいつ襲われるかとかなりの緊張感が発生中とのことだ。
たかだかゲームだと、どこかで侮っていたかも知れない。
それが美月が疲れと共に感じている正直な初日の感想。
ゲームが正式オープンしたことで、いろいろな物が変わった。
それはシステムだけを指すのではない。
何というかプレイヤー達も変わった。
クエストクリアに向ける熱量や、真剣さがオープンβの頃と段違いとなっている。
「峰岸君達。楽しそうだね」
「うん、そうだね」
それだけではない。
進展があったのかあちらこちらの屋台を回って、クエストクリアを目指している伸吾達もそうだが、生き生きしている。
なんだかんだ文句を言いつつも、意地の悪いゲームを心底楽しんでいると感じさせる笑顔の者が多いのだ。
美月が感じる徒労感しかない疲労と違う、充実した疲労感を感じているようだ。
この違いは美月達初心者とは違い、彼らがゲームに慣れている者達だからだろうか?
それとも美月達と違い、彼らが純粋にゲームとして楽しんでいるからだろうか?
美月にとってPCOはただのゲームではない。
この先に死んだはずの父を知る手がかりがあるはずなのだ。
その情報を得るためには、今日から始まったオープニングイベントで入賞しなければならない。
それは判っている。
判ってはいる。
だがどうしても思ってしまう。
考えてしまう。
ゲームを心の底から楽しんで攻略している彼らに、ゲームとして楽しむのでは無くただ必死な自分で勝てるのだろうか?
ゲーム世界で一番力を発揮するのは、ゲームが好きな者達では無いのか?
疲れからだろうか。
それとも初日から思惑が外れた所為だろうか。
美月は自分がこのゲームにおいて、どう進めばいいのかを見失いかけていた。
それは、少しばかりMMOを嗜んだことがある者から見れば失笑物の思い込み。
たかだか初日に失敗したくらいで、挽回も出来無いほどの差がつく、先行者有利のゲームなど、いわゆるクソゲーと散々に叩かれるだろう。
だが今の美月はそんな事も知らない素人だから、初日にできた僅かな差が、飛び越えることが出来無い大穴のように感じていた。
一方で黙りこくってしまった美月に、その心情を察した麻紀もどう声をかけていいのか迷っていた。
生真面目すぎるゆえか、いろいろと考えすぎるきらいがある美月ほどでは無いが、麻紀も所詮はゲーム初心者なので、初日の失敗の責任を重く感じていた。
自分がチェイサーさえつけなければ。
襲ってきたオウカを名乗ったプレイヤーに追い詰められていなければ。
自分が戦闘さえできたならば。
考えれば考えるほどに、自分が原因では無いのかと考え落ち込んでしまう。
二人して疲れ切った上に、ダウンテンションなのだから、言葉は少なくますます場の雰囲気は重苦しくなる。
だが彼女たちは知らない。
底意地の悪いとある男がこの状況を先に読み切り、既に手を打っていることを。
美月達の運命はその男の手のひらで、面白いように転がされていることを。
「Is anyone sitting here? 」
不意に響いた鈴の音のような可愛らしい声。
テーブルの上をただ見つめていた美月が顔を上げると、いつの間にやら美月達の座っているテーブル席の対面に、浴衣姿の可愛らしい小学校高学年くらいの女の子が立っていた。
少し赤みがかった黒髪色、その両目は薄い青色で、顔立ちも純粋な日本人の少女とは少し違うので、ハーフ、もしくはクォーターにみえる。
羽田空港に特設されたゲームのオープニングイベント会場ではあるが、夜間の部の夏祭りには会場スタッフや空港関係者の子供達も招待しているとのことだったので、その一人だろうか。
青色の浴衣姿の少女の右手には食べかけの綿飴。左手には金魚すくいで取ってきたのか2匹の赤い金魚が入った水袋を下げている。
月が職場となった父の関係で、多少は英会話も学んでいた美月は、少し錆びついていたヒアリング能力をなんとか動員して、先ほど聞き流してしまっていた少女の声を思い出す。
ここに座っていいですか?
先ほどまで伸吾達がいた席を指さして、確か少女はそういっていた。
周りを見れば大体のテーブル席は埋まっており、少し空いている席でもそれぞれのテーブルに集まったプレイヤーが大盛り上がりで会話を交わしている。
他人ばかりの席に小さな外国人の女の子が割り込むのは相当に難易度が高いだろう。
美月達の席ならば今は二人だけだし、交わす会話も少なかったので、座っていいか聞きやすかったかもしれない。
一休みしたいのであろう少女を立たせているのも可哀想だ。
「あ、えと、You can use it」
多少怪しいながら、なんとか頭の中にあった基本会話集を引っ張り出して美月は少女に答える。
「Thank you. Mitsuki」
少女は八重歯を見せてにこりと笑って礼をいうと、すこし高い椅子につま先立ちになりながら腰掛け、食べかけの綿飴を指で千切りそのふわふわの感触を指で楽しみながら口に運び出した。
髪留めに使っている桜の花びらを模したヘアピンが花火の光りをうけきらりと光る。
親とはぐれていなければいいのだがと美月が少女の知り合いが近くにいればいいのだがと心配していると、麻紀が少女をまじまじと見つめていた。
「美月の知り合いの子? 待ち合わせでもしていたの」
「え、違うよ。初めて会った……っ!」
なんでそんな勘違いをしたのかと麻紀に聞こうとした美月はようやく気づく。
いきなり英語で話しかけられた所為か。
それとも頭が動いていなかった所為か。
先ほど目の前の少女がお礼と共に、美月の名を呼んでいたことにようやく気づく。
二人から疑惑の視線が集中する中、少女はべたべたした指を嫌ったのかぺろりと舐めてから、陽性の笑顔でサムズアップを繰り出して、
「It was a good battle. Alien girl!」
サクラ・チェルシー・オーランドこと、元HFGOカリフォルニア州チャンプ【チェリーブロッサム】は、己の攻撃を凌いだ麻紀に向かって、その健闘をたたえてみせた。
お待たせしました。更新再開です。
ここの所、追い込み掛けていた剣戟脳から、SF脳に切り変え終了しましたw
このエピソードで第三部を終了予定でしたが、ちょっと長くなりそうなのと、
こちらは久しぶりで調子は出るまでリハビリと思い2回に分けました。




