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31.思い出した事など

 玲子を追いかけた翌日の放課後、第二図書室を訪ねれば当番ではないはずの佐竹がカウンターにいて、「来ると思った」と俺に一瞥もなくそう言った。俺も、当番でなくてもきっといるだろうと思っていた。


「本当っ、委員長って変なところで律儀なんだから」

「君こそ……シフト変わったのか?」

「次の当番日に用事あるからって、一年の女の子と。試験中だもの、“先輩っ、大好きっ!”なんて言われちゃったわ」

「それはまた」


 カウンター内に設置された端末から目を離さず、忙しなくキーボードを打つ手を止めずにいる。

 彼女の手元にある数枚の紙を、少しカウンターから身を乗り出すようにして見れば、俺が新しく出来る図書室に残すと選別した第一図書室にある本のリストだった。どうやら蔵書システムに情報の登録作業をしているらしい。

 

「モテ期なのかも。ね、これなに? 和本、“豊臣秀頼西国轡物語”って」


 キーボードから手を離して本のリストを取り上げ、眉間に皺を寄せながらこちらを向いた佐竹に、俺はカウンターから更に身を乗り出して佐竹が差し出してきたリストを覗き込む。


「講談速記本だな……明治に出たやつ」

「なにそれ。もしかして頭に和本って書いてあるの全部そうなの? どう処理したらいいのよ」

「出版社と作者? 講演者と速記者名は書いてあるだろ、それでいいんじゃないか?」

「いいわ、後で桟田先生……じゃ、あてにならないか。司書教諭の先生に確認する」

「よろしく。ごめん」

「いいわよ、委員長が適当なのいつものことだから」

「そうじゃなくて」


 そうじゃなくて……その後に続ける言葉が見つからず、俺は口籠った。

 追い詰めてなんていうのは明らかに自惚れが過ぎているし、佐竹の気持ちも知らずにというのも空々しい。なにを言っても佐竹からしたらふざけるなの一言のような気がする。

 俺の言葉を待っていた佐竹だったが、黙ったままでいたことに痺れを切らしたのか、それとも呆れ返ったのか、両方かもしれない、彼女は目を閉じて軽く息を吐いた。


「まったく……次の当番日、市立図書館で林田くんに勉強みてもらうの。なによその顔、だぶん来るかなって委員長のためだけに、わざわざ一年の子に嘘ついて当番変わったとでも思ったの?」

「や、だって」

「実力に見合わない進学校入っちゃったけど、せっかくだから進学校っぽい志望校狙ってみてもいいじゃない。それに三田村くんでも勝てない数学ばかが、タダで勉強教えてくれるっていうんだから」

「誰がバカだ……そして、昨日の今日でよくのこのこと顔を出せたものだなっ、三橋洋介っ!」


 地を這うような低い文句の後で、耳の奥がぐわんっと衝撃を受けるような大声張り上げて人のフルネームを叫ばないで欲しい。


「図書室ではお静かにお願いしますー」


 つんけんした声で現れた林田を半眼で睨みながら佐竹が注意すれば、それはないだろ……と急におろおろと動揺を見せた林田に、本当に佐竹が好きなんだなと思った。

 

「ていうか、あんたに関係ないことだから」

「なっ。それは、そうかもしれないが。しかし……」

「ああ、もう……鬱陶しいんだから。なんの用なのよ?」

「はっ、そうだ……なんだこの答案! 僕が教えたこと半分も理解していないじゃないかっ!」

「うるさいっ、あんたの問題、難し過ぎんのよっ」


 佐竹……君もうるさい。

 そう思いながらも、俺と一緒にいた時よりもずっと生き生きして見える佐竹に苦笑して、じゃあまたと彼女に片手を挙げて断って俺は第二図書室を出る。


「……あれで済ますのか? お優しいことだ」

「十分よ。あたしだって良くなかった。あの心無い委員長がなにも言えないなんて……すごく珍しいんだから」


 出ていく背中で、二人の会話が小さく聞こえたが聞こえなかったふりをした。



 *****



 試験が始まり、日々はつつがなく流れていった。

 学校では試験を受ける以外に、特にこれといったこともない。

 第一図書室は試験期間中は閉館で、図書委員の委員会活動も繰上がった下校時間まで。第二図書室の当番に限られる。俺は第一図書室専任で、そちらはそもそも頭数に入っていない。

 佐竹とは、第二図書室の書庫でのことなどまるでなかったようにこれまで通りで、少し変わったといえば彼女の当番には林田もいて、なんとなく話をする間柄になったことだ。

 

「それは立派に、若先生として稽古をつけてやっているように思えるが?」

「音が聞こえるとつい気になって……冷やかしついでに聞かれたことに答えたり、頼まれて弾くくらいだけど」

「それはどう考えても若先生たる振る舞いだろう。しかし、試験中に余裕だな」

「君や三田村と違って、教師が気にならない程度の成績さえ取れればいいから」

「お前という奴はああっ、本当に腹の立つ男だなっ」

「……二人とも。友情育むなら図書室じゃなく、余所行ってくれない?」

 

 帰宅すれば、家の門をくぐる前から聞こえてくる、週三で開いている教室に習いにくる人達のたどたどしい音。

 家に入れば内弟子やその下で教わる門下生の修練の音に誘われる。

 つい母屋の稽古場をのぞいて、部屋の隅っこで複数の演奏を聞き、教えている内弟子の人に声をかけられて門下生の演奏で気になったところを伝えたり、ぜひと乞われて仕方なく一曲さらったり。

 いつも思うが、内弟子も門下生の人達も、俺が師範ではないどころか一門に属してすらいないことを知っているのに口出しして気にならないのだろうか。とはいえ、宗家の息子だから気を遣ってというわけでもなさそうなので、思う通りに伝えて思う通りに弾くだけだった。

 門下生を指導しようとか、三橋流としてどうのなんてことは微塵も思ったことはない。だから、林田のいうところの若先生たる振る舞いなどとはとても思えない。

 夕飯と風呂を済ませ、離れにある自分の稽古場で筝とその音に向き合う。

 定演会が間近に迫って曲目を変更したことと、風邪の間に感覚が鈍っていることもあって、ここのところ根を詰めて弾いていた。

 風邪で削がれた体力は日を追う毎に少しずつ充たされ、いつの間にかすっかり回復し、例の書庫閉じ込めの一件で作った額の傷も後頭部の瘤も気にならなくなっていた。


「まったく人体とは健気で不思議なものだな」


 心がけ如何に関わらず、ただ安穏と過ごしていても損ない傷ついた箇所は勝手に回復していくのだから。

 母屋で朝食を済ませた後、洗面所で歯を磨いていて額の傷が消えているのに気がついてふとそんなことを思った。

 そして心は夕暮れ時の川原へ遡る。

 玲子との問答。

 いまひとつ判然としないキス。

 佐竹との間がなにも変わらないように、玲子と俺の淡い付き合いにも変化はなかった。

 玲子は相変わらず安定した精神と論理的思考の持ち主で、少々とぼけたそそっかしさと朗らかさを持った美少女だった。まるで絵に描かれ像に刻まれた天使がずっと綺麗で神々しさを保つように、普遍的な変化のなさを思わせた。

 彼女と出会ったばかりの頃は、なんて付き合いやすい女の子なんだろうと思っていたけれど、いくらなんでもおかしいと俺は思い始めていた。

 それが、玲子と自分のとの間にあるなにか歪なもののようにすら思える。

 歯ブラシを口に突っ込んだまま、そんな自分の間抜けな顔を映す鏡を前にしながら見ていなかった。


『好きです……』

『えっと……三橋くんはわたしのこと嫌い?』

『じゃあ、好……き……ですか?』

『わたしと付き合うか、キスして』


 玲子との出会い……第一図書室に突然やってきた彼女に思いを告げられた。

 俺との交際を玲子が望み、それを断る理由が俺にはないまま付き合っている。


『三橋くんは、わたしを好きなわけではないから……わたしが、つまり、その……』

『付き合うの……ほうで……』


 ——あれ?

 

「お兄ちゃん! いつまで水道の水、出しっ放しにしてぼうっとしてるの!? もー、後がつかえてるんだからねっ」


 妹の茜の声ではっと我に返り、慌てて口をゆすいで水を止めた。


「ああ、ごめん」


 振り返って髪の寝癖を直したい様子の茜に場所を譲れば、入れ違い様にふと茜が上目にこちらの顔を見た。


「なに?」

「なんか最近、お兄ちゃんヘンじゃない?」

「どこが?」

「どこがって、なんかぼうっとしてること多いし。まーお兄ちゃんはいつもぼうっとしてるけど、でもなんかぼうっとの種類が違うっていうかぁ、なんていうかさぁ」


 なんだそれは。


「さっぱり、要領を得ない」

「とにかくなんかヘンなのっ。こないだだって縁側で寝て風邪引いたりさっ、もーなにっ、珍しく心配してあげたのにぃっ!」

「勝手に心配して怒り出されても困る。しかも、珍しくって自覚してるのか?」


 からかうつもりで言ったら、茜が萎れたようにうなだれた。

 更に文句を言い出すと思っていたから肩透かしを食らった気分で茜を見下ろせば、母親譲りの赤みの強い唇が小さく動いた。


「だって、お兄ちゃんは一人でなんでもできちゃうもん……」

「え?」


 ぽつり、口の中で呟くような茜の言葉に首を傾げる。

 なにもかもいい加減だからと、いつも母よりあれこれ口うるさく注意してくるくせに。


「別にそんなことないだろ、よく茜に怒られるし」

「……まあね。ねえ、邪魔っ! 髪の毛できないじゃない」

「はいはい」

「返事は一回っ!」

「……はい」


 しかし、いつもなにか複雑に髪の毛をまとめあげていくが、ものの数分でどうやってやっているのだろう。

 鏡に映る自身を睨んでいる茜の後頭部に目をやってそんな事を考えながら、離れの部屋に鞄を取りに向かう。

 そういえば。


「なにを考えたんだったけ?」


 たしか、玲子との最初を思い出していて……なにか思いついたような気がしたのだけれど。

 思い出せない。


「まあいいか」


 思い出せないのなら、大した事ではないのだろう。

 朝、互いに問題を出し合いながら玲子と登校し、帰りは一人であったり二人であったり、三田村を入れて三人であったり。

 今日は三人だ。

 試験の最終日だった。

 最後のテストの試験官だった桟田に、家に帰るまでが試験期間という意味不明な理由で第一図書室を開けるのを禁じられ、第二図書室にも寄らずにすぐ下校したので玲子と三田村と一緒だった。


「そういえば、三田村くんは彼女さんとは一緒に帰らないの?」


 校門を出たあたりで三田村に恋人がいることを思い出したらしい。

 そう尋ねた玲子に、三田村は、鞄を持ち上げた両腕を後ろに曲げて後頭部のすぐ下で鞄をぶらぶらさせながら、んーと小さく唸った。 


「帰りたいのは山々なんだけどね。オレって学校から親父の店に直行して働いてから家に帰る勤労学生だから。むっちゃんとは方向違っちゃうんだよね」

「三田村くんのお家ってどの辺りなの?」

「三橋ん家の裏手から三ブロック学校寄り。だから本当はこの道を県道まで下りずに最初の脇道に入るの。むっちゃんの家はオレの家の斜め向かいで、本当、一緒に帰りたいんだけど」

「三橋くんより学校に近かったんだ……」

「近いよ。ぎりぎりまで朝寝てられるからっていうのが志望動機だし、走れば五分もかからない」

「そっか、夜のお仕事だものね」

「そーそー」


 滞りなく会話がなされているが、聞いていてちょっと待てと思う。

 三田村が彼の父親の店でバイトするようになったのは緑風に入学後だ。

 バイトで夜が遅くなるのと志望動機に繋がりはない。


「適当に答えるな、三田村」

「適当じゃねーよ、大学の学費貯めようって元からファミレスとかで遅くまでって考えてたから。夜遅い方が時給いいだろ?」

「中学の時点で、もう大学進学まで考えてたのか?」


 半ば呆気に取られてそう言えば、三田村は腕を下ろして鞄を持たない手の人差し指を俺の前に突き出して、ちっちっちっと左右に軽く振った。鬱陶しい。


「オレの人生は六歳の時点で綿密に練られているのだよ、三橋くん」

「気の早いことだな」

「だってよー、スクールの奴等なんざオレとはなんつーの? 世界が違うつーか、生まれた時から人生設計考えさせられてるような奴等ばっかじゃん? あっちの金持ちとか御曹司って日本とはちょっと意味合い違うからさ」

「スクールって?」

「三田村は日本で幼稚園通うところ、スイスのボーディングスクールに留学させられてたらしい」


 玲子の疑問に三田村の言葉を俺が補足すれば、彼女は驚いたように目を見開いた。

 

「一人で?」

「うん。“山羊さん”や“羊さん”がいるぞ、チーズが美味しいぞぉって、親父に言われるままわけわからない内に放り込まれたの。ひどくね?」

「よく考えたら、言葉とかどうしたんだ?」

「あー、なんか行く前にひたすらおやつがアルファベット動物クッキーだったけど、それだけ」

「動物だけ英語で言えてもな……」

「だろ? 自分達がぺらぺらだから子供もまあ大丈夫だろーみたいな感じだったんだぜ、きっと。まあ、必要ってなれば人間覚えるもんだけど」 

「そんなものなのかしら……?」


 不安げに眉を顰めて呟いた玲子に、うんうんと三田村は軽薄そうに頷く。


「だって日本人一人もいないもん。中国やベトナムの奴はいたけど。授業は基本英語だったけど、日常生活は英語とフランス語とドイツ語のちゃんぽんだし。おかげでオレちょっと日本語忘れかけたっていうの。最終的に色々ためになってからいいけどさあ」

「えっ、じゃあ三田村くんって英語以外もわかるの?」

「あー、もう結構忘れて微妙だけどね。簡単な日常会話ならなんとか? 留学考えたら勉強し直した方がいいのかもだけど……」

「えっ、留学するの? 三田村くん」

「そういえば。日本の大学行くかどうかって中学の時言ってたな。本気だったのか」


 試験後、ホームルームで進路希望調査の紙が配られた。

 玲子のクラスも同じだったのだろう。

 三田村が俺の言葉に頷くのを、真面目な顔して彼女は見ていた。


「上手くすれば学費とか安いし……でも、桟田先生から色々聞いてるとさあ」

「桟田先生?」

「三田村がバイトしてる店の常連なんだ」

「そうなの」

「あの人さあ、店で話してるとすごくて。博覧強記っていうの? 専門哲学じゃ食えないって言ってたけど」

「へえ」

「そうなんだ」


 雨の日にしか三田村の店に行ったことがない。

 だからあまりよく知らないが、桟田は三田村の店にちょくちょく来ているらしい。

 毎日、満員御礼な雰囲気の店ではないし、むしろ客を避けているんじゃないかと思える店構えだから、たぶん客が桟田だけの時に進路の相談などしているのだろう。

 留学についてはともかく、三田村の日本の志望校は桟田が卒業した大学だ。

 学問の分野は違うが、院まで行ってるから内情も詳しいに違いない。


「けどよく考えると謎だよなあ、桟田先生って……親父と共通の知り合いいるみたいでさ。親父も後で知ったらしいんだけど。結構いいとこのお坊ちゃんで働く必要あんまないんだってさ。なんで高校の先生やってんだか」


 そうなの、と玲子は三田村の言葉をさらりと流した。

 そこで詮索しないのは、やはり社交慣れているのと性格上の品の良さに思える。


「辞めて困らないから、あんな好き放題なのか。まあ教師の中ではいい部類に思えるけど」

「桟田先生っていい先生よね。見ていないようで生徒のこと見ているし、優しいし」

「優しい?」

「だって、第一図書室を三橋くんに預けてるでしょ?」

「そうそう、店のこともなんだかんだ言って黙ってくれてるし」

「そういうのって、優しいっていうのか?」


 第一図書室はある程度好きに使っていい代わりに整理を義務づけられているし、三田村の店のことも学校に報告すれば、学年一の秀才だけに一悶着だろう。

 ただ、面倒ごとを避けているだけのようにも思える。

 そんなことを考える俺に、うんと玲子は頷いた。


「すごく優しくて、繊細な気がする……」


 繊細はないだろうと言おうとしたが、「じゃあな、三橋。玲子ちゃん」と三田村に遮られた。

 気がつけば玲子の家に向かう曲がり角に来ていた。

 

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