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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第十章 『獅子王の国』
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第十章6  『瞬間湯沸かし器』



 監獄塔は一時騒然となり、血相を変えたものたちが右へ左へ忙しなく行き来する。

 その光景を遠目にしながら、スバルは少し離れた城壁に背を預け、膝を抱えていた。


「――――」


 抱えた膝に額を乗せて、スバルは深い息を吐く。

 色々と、ショッキングなことがありすぎた。心の準備なしに凄惨な死体を目の当たりにしたこともそうだが、その亡骸がまさか――、


「――大丈夫ですか?」


 と、膝に顔を埋めた頭に声をかけられ、スバルがゆっくりと顔を上げる。すると、そこにいたのは、気遣わしげに表情を曇らせたレムだった。

 すぐ傍らにしゃがみ込んだ彼女は、スバルの顔を覗き込みながら、そっと手にしたハンカチでしょぼくれたこちらの顔を拭いてくれる。ほんのりと濡らしたハンカチは冷たく、スバルは救われた心地で「悪い」と吐息をこぼした。


「謝ることなんて。……中で、ひどいものを見たそうですね」


「そう、だな。あいつと会わせたくなかったのもあったけど、念のため、レムを外で待たせててよかったよ。あんなもん、レムに見せずに済んだ」


「あまり過保護にしないでください。ヴォラキア帝国では、たくさんの人死にを見てきました。今さら、多少のことで……」


「わかる。でも接さなくていいなら接さないでほしいんだよ。誰かを助けようとして、それで力が足りなくて死なせちゃうとか、そういう状況は仕方ないけど……ああいうのは、触れてもいいことなんて何もないタイプの死に様だ」


 スバルだって、意義のある死や、信念を貫き通した結果の死の存在を否定はしない。

 それまで否定できるなら、プリシラを黙って見送ったりしなかった。

 しかし、直前の、監視塔で目にした死――『暴食』ロイ・アルファルドの凄惨な死に様は、そうしたある種の高潔さとはかけ離れた、醜くおぞましいものだった。


 他者の命を奪い、さらに死体をああまで辱めることにまともな意味なんてない。

 そこにあるのは邪悪な目論見か、あるいは魂を失った亡骸さえ痛めつけなくては気が済まないほどの強烈な怒り――憎しみは、買って当然の大罪司教ではあるが、あんな無惨な死に方は、誰だろうとするべきではない。


「クソ……っ」


 胸にムカムカするものを覚えながら、スバルは悔しさに舌打ちする。

 それは、ロイを八つ裂きにした相手への怒りであり、同時に解決の糸口が見えていたはずの『暴食』の権能、その解法がまた遠ざかったことの歯痒さだ。


 正直、考えなくはない。――もしも、スバルたちがラインハルトとの合流後、寄り道せずに真っ直ぐ王都に急いでいたら、ロイは死なずに済んでいたかもしれない、と。

 そして究極、スバルにはそれを確かめる術があるのだ。実際、体が縮んでいた頃の、帝国メンタルのスバルなら躊躇なくそれを実行していたはず。

 だが――、


「――アル」


 首から下げたアル玉を握り込み、スバルは頬の内側を噛んだ。

 仮の話、今スバルが命を落として『死に戻り』した場合、直近のリスタート地点は、プレアデス監視塔で、スバルがアルをオル・シャマクで封じ込める前だ。その後、リスタート地点がズレた可能性はあるが、現時点の体感では、そこが最後。


 ――そしてナツキ・スバルには、もう一度あの時間軸に戻って、行動に移そうとするアルを先んじて封殺する、あの瞬間を、繰り返せない。


「――――」


 選択肢としてできないわけではない。オル・シャマクの制限が理由でもない。

 ただナツキ・スバルが、あの場面に戻って、もう一度アルと相対する勇気がない。話し合いで彼の考えを変えられるのではないかと、そんな可能性に期待してアルを止められず、またスバルの方が封じられてしまうかもしれない。

 そうなれば、スバルの不始末の解決を、また仲間たちに委ねることになる。それを避けるために、スバルは短慮な『死に戻り』を描けなかった。


 しかし、それではレムが、『暴食』の被害者たちが――そう思ったときだ。


「……またそうやって、あなたは何でも自分で背負いたがる」


 不意に、アル玉を握ったスバルの手に、そう言ったレムが手を重ねていた。

 思わず息を呑むスバル、その顔を真正面から見据え、レムは薄青の瞳を細めると、


「これだけは伝えておきます。――私の『記憶』を取り戻すのを、あなたの義務にしないでください。私の『記憶』は私の問題……一から十まで、あなたに自分の問題みたいに抱え込まれるのは、困ります」


「――っ、いや、違うんだ。そうじゃない。お前の『記憶』は、俺が取り戻さなきゃ」


「だから、それが間違いなんです。どうして私の問題で、一番頭を悩ませるのがあなたになるんですか。それは、私の悩みなんです。あなただけのものじゃありません」


「それは……」


 目を泳がせ、スバルはレムの眼差しに何も言えなくなる。

 脳裏を過るのは、前に城郭都市でレムに告げられた、「あなたは英雄ではない」という、死ぬかと思った瞬間の寒気だった。またあのときのように、レムのために足掻く権利さえ取り上げられてしまうのかと――、


「……そんな、濡れた子犬みたいな顔をしないでください」


「え?」


「いえ、それはよく言いすぎました。濡れても子犬なら可愛いでしょうから、あなたの様子は濡れた……濡れた飛竜、とか」


「……可愛い扱いよりは、カッコいい扱いの方が歓迎だけど」


「褒めていません。それと、勘違いしないでください」


 勘違い、と指摘されて戸惑うスバルに、一拍、作った間の中でレムが言葉をまとめる。そして、彼女は「いいですか」と前置きしてから、


「おおよその事情はわかっています。この塔に捕まっていた人……スピカちゃんと関係のあった誰かが、私の『記憶』を取り戻す糸口だった。でも、その人が死んでしまって、あなたはとても悔しがっている。……当事者の私を差し置いて」


「――。そう聞くと、俺、すごい勝手な奴みたいだな」


「ようやく自分の現在地が見えたみたいですね」


 淡々と、スバルが理解するまでの道のりを丁寧に舗装してくれるレム。彼女の話を聞いているうちに、勝手に追い詰められたスバルも呼吸するゆとりが戻ってくる。

 それが表情の変化で見て取れたのか、レムも安堵したように目尻を下げ、


「私だって落ち込んではいます。自分の『記憶』が戻るかもしれない瀬戸際で……でも、そこで自分より悔しがっているあなたを見たら、落ち込む暇もありません」


「ええと、レムが落ち込まないで済んでよかったよ」


「は? 代わりにあなたが落ち込んで、私たちに心配をかけていますけど?」


「ごめんなさいでしたー!」


 レムの厳しい目に、スバルは頭を抱えて謝罪を表明。

 まさか、落ち込む権利の盗人扱いされるとは。でも、スバルの本心なのだ。レムやエミリアたちが落ち込む暇なんて、一生なければいいとスバルは思うから。


「そうやって、自分だけ落ち込んでいたらいいと思っていそうで、嫌なんです」


「レム……」


「何かがうまくいかなかったとき、全部自分だけのせいだと思うのがあなたの悪い癖だと私は思います。だから、解決策も自分だけで探そうとして……もうやめませんか?」


「……それってつまり、自分一人だけで悩むなってこと?」


「最初からそう言ってます」


「言ってたかなぁ!? いや、言ってたかも。うん、言ってた。言ってました。言ってたことに気付かなかった俺の馬鹿! 馬鹿馬鹿!」


 ふいっと顔を背けたレムの前で、スバルは自分の頭をポカポカと叩く。叩きながら、また別個の自責の念がむくむくと首をもたげてくるのを感じた。

 なにせ、レムはただ純粋にスバルを心配し、こうして声をかけてくれていたのだ。にも拘らず、スバルがちゃんと向き合おうとしないから、レムの思いやりも真っ向から受け取れず、言わなくてもいいことまで言わせてしまった。


「ごめんな。勢い込んで連れ出したのに、ぬか喜びさせちまった」


「あなたに責任のあることだなんて思いませんよ。ただ……」


「ただ?」


「スピカちゃんに、余計な重荷を負わせてしまいますね」


『暴食』の大罪司教、そう名乗ったライ・バテンカイトスとロイ・アルファルド、『美食家』と『悪食』の二者が命を落としたことで、その権能の権利を有するものは、唯一、スピカだけが現存することとなった。

 それはすなわち、今なお戻らない『暴食』によって喰らわれた『名前』と『記憶』、それを無事に取り戻す期待が、スピカの双肩にかかったということだ。

 そのプレッシャーをスピカにかけてしまうと、レムは不安げな様子だが――、


「スピカは、余計な重荷だなんて思わないだろうさ。……けど、アベルに連絡して、スピカの身の回りにはしっかり気を付けてもらおう。セッシーにも、ちゃんと警戒とかしてらってさ。セッシーにできるかどうかはともかく」


「――はい」


『暴食』の身に起こった惨劇だ。同じ脅威がスピカに迫らないとも限らず、スバルはレムの抱いた懸念と不安を共有し、ヴォラキアに働きかけることを決める。自分の為すべきことを定め、ヴォラキアに残ったスピカに、邪魔なんて入ってほしくない。

 そのために打てる手立ては、過保護だと言われようと、やっておかなくては。


「――待たせたね」


 そう、スバルとレムとの間の話がひと段落したところへ、軽く手を上げてやってきたのは、監獄塔の中から出てきたラインハルトだった。ラインハルトは隣にベアトリスを連れており、スバルは急いで立ち上がると、尻を払って二人を迎える。


「ラインハルト、中は? シリウスの奴は……」


「幸い、と言っていいのかな。ほとんど確信できていたけど、地下に収監された彼女は無事だったよ。監獄塔の独房はそれぞれ独立していて、『暴食』が同じ塔に囚われていたことすら知らなかったそうだ。それに彼女だけじゃない。それ以外の囚人にも、被害に遭ったものは一人もいない」


「シリウスも、他の囚人も無事……確かに、朗報って割り切っていいもんかはともかく、一個はっきりしたな」


 塔内のチェックを済ませたラインハルトの報告に、スバルは苦々しい顔で頷く。

 すなわち、監獄塔で犯行を行った下手人の狙いは唯一――、


「「――『暴食』の大罪司教」」


 スバルとラインハルトの答えが重なり、二人が目を合わせて頷き合う。

 現場の状況からして、そうとしか言いようのない事態だ。だがしかし、その確信にも疑問が付きまとわないわけではない。


「……ベアトリスちゃんのお話では、それも簡単なことではないんですよね」


「検証は終えてきたかしら。その認識で間違いないのよ」


 ちらと自分を見るレムに顎を引いて、ベアトリスがスバルの隣に並ぶ。そのままそっと手を繋いできながら、ベアトリスはスバルの様子を窺うと、


「少しは気分がよくなったかしら?」


「よくはなってねぇけど、マシにはなった。現場検証、任せっぱで悪い」


「ベティーが自分で言ったことなのよ。それに、死人にしてやれることはベティーにだってないかしら。ベティーにできるのは、あくまで大精霊目線の話なのよ」


「その意見、ぜひ聞かせてほしい。この手のことに僕は疎くてね」


 ラインハルトに促され、片目をつむったベアトリスに三人の視線が集まる。彼女は小さく「こほん」と咳払いを入れ、講釈するように三人を見渡して、


「元々、あの『暴食』の体は陰魔法で固めてあったかしら。ベティーとユリウスで協力してやったから、ちょっとやそっとじゃどうにもできないガチガチのセキュリティーだったのよ。……あの発展形を自力で思いつけなかったのが悔しいかしら」


「それについては監獄塔の担当者から確認が取れている。囚われた『暴食』は完全に……まるで一個の石板になったみたいに停止させられていた、と」


「囚われの張本人はもちろん、外からも手出しできない代物なのよ。あれを解くには、相応の陰魔法の習熟が必要かしら」


「それだけじゃねぇ。モノリスから取り出せても、今度は飛び出してきたロイとやり合わなきゃならねぇんだ。やり合って――」


「――命を奪う。つまり、二つの段階を踏む必要があるんですね」


 レムの締め括った結論に、スバルたちは難しい顔をして黙り込む。

 ここまででわかった通り、モノリス状態のロイを殺すには、そのモノリスを解除できるだけの陰魔法の技術と、その後、ロイを殺せる実力がいる。どちらも、一朝一夕でできるものでなければ、在野にゴロゴロしている人材でもない。


「ましてや、監獄塔の警戒網をすり抜けて侵入も果たしている。陰魔法、実力者、隠密と、三つの条件を揃えるのは容易いことではないね」


「諸々の恨みも込めて、オルバルトさんが犯人って結論にしがみつきてぇくらいだ」


 残念ながら、『悪辣翁』であっても陰魔法の使い手という条件は満たせまい。

 あるいはシノビの術技の中に、似た力を発揮するものがあって、こっそりオルバルトがやっていたと言われても、実力的にギリギリ驚かないのだが。


「ヴォラキアが好戦的な国民性なのは間違いないけれど、さすがに今の国の状況で闇雲に国交関係を危うくする選択はしないだろうね。そもそも、エミリア様たちが王都へいらしたのも、ヴォラキアの件と無関係ではないと聞いているよ」


「……そうだな。ヴォラキアの自殺願望を疑うよりも、あの国の狼共がちょっとはまともになったって流れの方が信じたい。けど、何から何まで悪かった、ラインハルト」


「悪い? 君が謝ることがあったかな」


「せっかく、レムを連れ出すために寄り道までしてもらって、さらに監獄塔に入るのにあれこれ話通してくれただろ。なのに、結局この様で……ぁ」


「――じい」


 無駄足を踏ませて悪かった、と謝ろうとしたところで、ふとスバルは自分を見つめているレムの冷たい視線に気が付いた。

 これもまた、スバルが何でも自分のせいだと考える悪癖の一環というわけか。

 しかし、思ってしまったことは事実なので、引っ込めるのも据わりが悪い。


「結果は振るわなくて残念だったのよ。でも、手を尽くしてくれて感謝するかしら」


「それ! さすが俺のベア子! で、どうでしょう、レムさん」


「はぁ……」


「ため息!」


 冷たい眼差しから一転、ため息をつくレムにスバルが手で顔を覆う。その様子を眺めながら、ラインハルトが小さく唇を綻ばせる。

 それから、彼は微笑を湛えたまま、言った。


「なに、大したことじゃない。――ユーアーウェルカムさ」と。



                △▼△▼△▼△



「……そう、『暴食』が。……なんだか、なかなかうまくいかなくて悔しいわね」


 王侯館の一室、監獄塔で起こった出来事の報告を受けたエミリアは、その形のいい眉を斜めにしながら、青白さの目立つ顔色でそうこぼした。

 疲労を滲ませるその様子は、いつも元気いっぱいのエミリアには滅多にないことだ。とはいえ、その疲労感の一端を担っている自覚があって、スバルも不甲斐ない。


 ――フェルトの下へ戻るラインハルトと別れ、スバルはレムとベアトリスを伴い、エミリアたちが滞在している王侯館へ。そこで、先に到着していた面々と合流した。

 王侯館には、シュルトを連れ、バーリエル領に向かったロズワールとフレデリカの二人を除いた、エミリア陣営のほぼ全員が揃っている。

 つまり――、


「疲れた体に鞭を打って王都まで駆け付けたっていうのに、無駄足だったということね。よくもぬか喜びさせてくれたわ、バルス」


「言っとくけど、姉様以外の全員も残念に思ってるし、その中でも俺の無念はトップクラスだぜ。危うく血の涙を流すところだ」


「ハッ! 血の涙? あんなの、目玉の周りの血管が裂けただけでしょう。ラムが今すぐ流させてやってもいいのよ」


「こわっ! ショックだったからって、凶暴性が出過ぎてる!」


 と、いつもより攻撃性が高いラムも、こうして同席しているわけだ。

 当然だが、レムを王都に連れ出すにあたり、その目的を聞いたラムは必ずついてくると強く主張した。レムの『記憶』が戻る場に居合わせないなんてありえないという姉心はわかるし、ラムにいてほしいと思ったスバルも賛成したのだ。

 ただ、プレアデス監視塔への挑戦から、帝国への強行突入と、この数ヶ月の旅の負担は大きかったのだろう。気力でもたせていたラムも、いよいよ今回のことが空振りに終わったことで緊張の糸が切れ、憎まれ口を叩きつつもグロッキーとなった。

 結局、今しがたの嫌味をスバルに言い終えたあと、レムとペトラに連れられ、寝室に直行、しばらくは看病されることになりそうだ。


「もっとも、大弱りなのはラムさんに限った話ではなく、僕ら全体がそうですよ。ナツキさんたちのトラブルに、監獄塔の殺人事件、そして『神龍教会』の登場と、その中心にいた人物による王選の混乱です」


 ラムの退室を見送ったところで、下がり眉のオットーがそうぼやく。

 エミリアと一緒に王都に先行した組だった彼は、プリシラの訃報を含め、ヴォラキア帝国の『大災』について、王城につぶさに報告するはずだった。その議題の中には、アベルに託された帝国と王国との今後の協定に関するものも含まれ、陣営的にも王国的にも大役であると、そう自負していたはずである。

 それが、思いがけない形で斜め上からぶん殴られ、心構えも何もあったものではない状況にされたのだ。さすがに、スバルもオットーを茶化す言葉が出てこない。

 そんな中で、さてまずはいったい何から話すべきか、そうスバルが思い悩み――、


「――アルのこと、聞かせてくれる?」


 そのスバルの迷いを見切ったように、エミリアがその話題を最初の議題に選んだ。

 フェルトの従者であるフラムは、加護の力で双子の姉妹に距離に拘らず情報を送ることができる。その力を借り、プレアデス監視塔でスバルたちに何があったのか、簡単な事情は伝えてあった。しかし、あくまで簡易的なもので、詳細は別だ。

 エミリアたちのやきもきした心情を理解し、スバルは言葉を尽くして説明した。


 プレアデス監視塔に赴き、『死者の書』を探したこと。その夜、アルが裏切り、スバルたちに危害を加えようとしたが、それを先んじて封じ込めたこと。アルを凶行に駆り立てた理由、その根本のところを話し合う余地は与えられなかったこと。

 ただ、それらを知らないままで、アルとの関係を終えるつもりがないことも。


「――ん、私もスバルと同じ気持ち。それが、一番いいと思う」


 話を聞き終えたエミリアが、しばらく思い悩んだ末に、そうスバルの考えを肯定してくれたことが嬉しかった。その紫紺の瞳が複雑に揺れながらも、スバルの首元のアル玉を静かに見据え、頷きかけてくれる。

 道中、ベアトリスやペトラたちには、すでにスバルの考えは伝えてあった。だから、今のスバルの説明に新たな見解を抱くのは、そう答えてくれたエミリアと、渋柿でも食べたような顔をしているオットー、それと――、


「――アルさんは、プリシラさんを愛していらした。私には、多くを言えません」


 ラムを寝室に寝かせ、ペトラと一緒に談話室に戻ったレムだった。

 そうして、エミリア陣営としてのアルの行いに対する構え方はひとまず定まる。空気を壊さないためか、何も言わなかったオットーの内心は、あとでガーフィールと一緒に吐き出させるとして、スバルは自分の頬を両手でパチンと張った。


 アルのこと、監獄塔のこと、今はどちらも打つ手がない。となれば、現時点で話題にできることがあるとすれば、残された議題は――、


「――『神龍教会』の、フィルオーレって人の話をしよう」


 王選の根幹を揺るがしかねない存在、フィルオーレについてだった。


「――――」


 その話題に触れた途端、談話室の空気が一変する。が、それは緊迫感や緊張感で張り詰めたというより、もっと大雑把な困惑や混乱の色が濃い空気感。

 実際、スバルもそうだが、全員、大いに戸惑っている事態ではある。


「そもそも、城じゃ今どんな話になってるんだ? 『神龍教会』は政治の中枢には関わってこないって前提も、徽章を光らせられる六人目が出てきたって話も、それが十五年前に消えた王女様と同じ名前を名乗ってるってことも、全部寝耳に水なわけだろ?」


「ええと、その全部が話し合いの真っ最中……ってことみたい。でも、今回教会が『るーる』を破ったのは、プリステラで被害に遭った人たちを助けたいからでしょ? それが悪いだなんて誰にも言えないし、現に……」


「――クルシュさんの体は治してくれた。エミリアたんも、オットーも見たんだよな?」


「ええ、ちゃんと見てきたわ。ね、オットーくん」


「あまりじろじろとご婦人を眺めるわけにもいきませんでしたが、少なくとも、見える範囲にあった黒い引きつりのようなものは消えていたようでした」


 頷くエミリアの傍ら、そう答えるオットーの視線がちらとスバルの足に向く。

 同じ条件なら、スバルの足も治せるという意図か。正直、大きな不便はないのだが、一緒にひとっ風呂浴びるたびに、オットーやガーフィールには気まずい思いをさせていたかもしれないので、治せるものなら治しておきたい。


「けど、そのために『神龍教会』に借りを作るってのもおっかない……は!」


「やだあ、お兄さんったらビクビクしちゃってどうしたのお?」


「いや、これも自分後回しの怒られ案件かなと……」


「わかっているなら、もっと堂々としてください」


 メィリィにつつかれ、レムには呆れられる始末。ただ、やはり実害のないことで、陣営に不利な取引をしたいとは思えない、と口にすると怒られそうなので、スバルは「えへんえへん」と咳払いで下手に誤魔化すしかできなかった。

 と、そのスバルをアシストしようとしたわけではないだろうが、「あのよォ」と切り出したのは、部屋の窓枠に座ったガーフィールだ。

 彼はガリガリと、乱暴に自分の頭を掻きながら躊躇いがちに、


「色ッ々面倒な事情ッとかはあんだろォよ。だから、俺様がこれッから言うことァ、あくまで俺様の気持ちの話でしかねェ」


「ガーフィール……ん、聞かせて。なあに?」


「――。俺様ァ、プリステラの連中を治せるってんなら、とっととッ治してやりてェし、治してッもらいてェ。黒竜やら蝿やら、しんどいッことばっかじゃァねェか」


 片膝を抱え、半身を陽光に晒しているガーフィールの訴えは切実だ。

 ガーフィールには、プリステラで親しくなった一家がいる。その一家の父親は、あの戦いの最中、『色欲』の魔の手で黒竜に変えられ、一度は囮にまでされた立場だ。現在も黒竜と化した肉体はそのまま、エミリアの手で、他の被害者たちと同じように、氷漬けの状態で都市の一角に眠らされている。

 そうした立場のものが癒せるなら、誰に頼るかは二の次ではないかと、そうガーフィールは言っているのだ。


「で、俺もそれには同意見だ。苦しんで、辛い思いをしてる人たちがいて、それを助けられる方法があるんなら、誰が助けたっていい。俺は、そう思う」


「ふーん、スバルがそういうこと言うんだ? レム姉様を起こすのは自分がいいって、そうやって危ないところに自分から飛び込んでいっちゃってたくせに」


「そう言えばそんなこと言ったかもだけど、よく覚えてんなぁ、ペトラ!」


「忘れないよ。だって、わたし、結構ショックだったんだから。レム姉様ズルいって思ったり、それ聞かされてもわたしってへこたれない子なんだって思ったり」


 悪戯っぽく唇を尖らせたペトラに、スバルはぐうの音も出ないと頭を掻く。

 実際、レムが目覚める前、眠り続ける彼女が目覚めてくれるなら、それは誰がやってもいいと言いつつも、自分がやりたいと嘯いたのは確かだった。ちょっと、それを聞いたレムがどんな顔をしているか怖くてそちらを見られないが。

 ともあれ――、


「俺の過去の発言はともかく、未来を見よう。……城の話し合いがどんな風にまとまるにしても、『神龍教会』には治せる方法があるって証明された以上、プリステラの人たちの治療は行われる……はずだよな?」


「そうですね。白熱する議論がどんな方向に傾いたとしても、そこのところを躊躇われることはないと思います。それを、単なる『神龍教会』への借りとみなすか、それ以上のものと捉えるか、焦点はそこでしょうから」


「六人目の、巫女の資格者……か」


 究極、その人物の立場をどう扱うか、そこはスバルたちの感知するところではない。

 王城の人々が、もっと言えば『賢人会』がそれらをどう定めるかによって、エミリアを中心としたこの陣営も、態度を決めることになるだろう。

 そう考えたところで、スバルが気掛かりなのは、件のフィルオーレだ。


「エミリアたんは本人と直接会ってるんだよな? どんな人だった?」


「そうね……私は、すごーく一生懸命で、いい子だと思ったけど」


「なるほど。メィリィのことはどう思ってる?」


「え? メィリィ? メィリィは、すごーくお友達思いの頑張り屋さんで、いい子だと思ってるけど」


「スバルお兄さんの言いたいことはわかるけどお、わたしをダシにするのはやめてよねえ」


 エミリアの見る目を疑うわけではないが、エミリアにかかると、うっかり誰もが真面目で誠実で頑張り屋ないい人、と判断されかねない。とはいえ、メィリィに関してはスバルも似たような評価なので、それだけでエミリアの眼力を疑うのは誤りだ。

 いっそ、アベルの評価を聞いた方が的確だったかもしれないが。


「オットーは? ちらっとでも見たなら、どう思った?」


「あまり多く言葉を交わしたわけではありませんが、『神龍教会』の敬虔な信徒、と言った印象を受けました。誠実に、人に尽くすのを最善と考えていて、そして……」


「そして?」


「ちょっと考えなしなところがあるようです。聞いた話だと、今回の件は教会の意向を無視したフィルオーレさんの独断だそうですから」


「独断? クルシュさんを助けたこととか、徽章を光らせたことが?」


「前者が肯定で、後者は成り行きだそうですが。どうも状況的に、『神龍教会』は彼女の存在を隠したがっていたとしか思えないんですよね」


「そりゃまた……」


 なんで、というスバルの疑問に対する答えは、その場の誰も持ち合わせていない。

 実際、フィルオーレの正体が十五年前の消えた王女なのかそうではないのか。ルグニカ王族の特徴が現れているという外見や、その名前は何なのか。何故、『神龍教会』は彼女の存在を秘したまま、王選が始まり、進むに任せていたのか。

 あまりに、謎が多すぎる。多すぎるから――、


「あのさ、エミリアたん――」

「あのね、スバル、実は――」


 つと顔を上げ、思いつきを口にしようとしたスバルとエミリアの声が重なる。思わず丸くした目を見合わせた二人、その考えが瞳越しに伝わった気がして、一緒に笑う。

 どうやら、エミリアも考えることは同じらしい。

 すなわち――、


「――その、フィルオーレって人と、直接会って話してみたくないか?」



                △▼△▼△▼△



 ――思い起こせば、スバルは王都ルグニカの全体像をちゃんと把握していない。


 堂々たる異世界召喚を遂げた平民街の噴水近くであったり、たびたび顔を合わせている店主がいる果物屋がある商業街だったり、エミリアと散々なケンカ別れをしたあと、踏んだり蹴ったりな目に遭った各候補者の拠点だったり、あとは盗品蔵のあった貧民街と、各所に思い入れはあるものの、それは広い王都のほんの一部に過ぎない。


 故に、王都の平民街の一角にひっそりと佇んだ『神龍教会』の礼拝場は、スバルにとって灯台下暗しというか、意識の外側に建てられたようなものだった。


「こんな、わかりやすい教会があったとは……」


「すごーくビックリしたのね。でも、教会なら……ほら、プリステラでも、私とレグルスの結婚式が開かれそうなところで見たでしょう?」


「あの扉ぶち破ったとこね! そう言えば、あれも『神龍教会』の教会だったんだ?」


 教会と結婚式という鉄板の組み合わせに、エミリアを何としても救い出さなければならないという使命感が先走って、その背景まで汲む余裕が当時はなかった。が、確かに今にして思えばあれは教会で、神を信仰する習慣のない王国にある教会となれば、それが『神龍教会』と結び付くのは必然的なことではあった。


「ってなると、ウェディングエミリアたんは眼福だったけど、あの出来事自体は俺にとって忌むべき思い出だから、『神龍教会』への印象はマイナススタートだな」


「ベティーはその場に居合わせなかったけど、さすが大罪司教は碌なことをしないかしら。でも、『神龍教会』の印象がそれで下がるのはいちゃもんなのよ」


「まぁ、この人の軽口は今に始まったことではありませんから」


「ベア子からもレムからも大ブーイング……女の子って、やっぱりウェディングドレスに憧れる? だから、教会を悪く言うとイメージ悪い的な?」


 おずおずとしたスバルの問いかけに、ベアトリスとレムが顔を見合わせ、それから揃って肩をすくめる。その反応にスバルがガックリと肩を落とすと、クスクスと口元に手を当てたエミリアが微笑み、和ませてくれた。

 その微笑を横目にしつつ、スバルはせっかくの機会と、気持ちを立て直す。


「なにせ、色々お出掛けの事情が絡んだとはいえ、俺とエミリアたん、それにベア子とレム……この組み合わせで動くなんて、ある意味、ドリームパーティーじゃないか?」


「ドリーミーかはわからないけど、なかなか珍しいことは間違いないかしら」


「そう言えばそうね。スバルが禁書庫から連れ出してくれるまで、ベアトリスはなかなか私たちとお出掛けしてくれなかったもの。きっと、眠っちゃう前のレムもそうよね」


「そのことに覚えはありませんが、きっとそうだったんだと思います。エミリアさんやベアトリスちゃんと出歩けて、私も楽しいですよ」


「おーい、今、わざと俺を省いただろ。寂しいよー、悲しいよー」


 とは言いつつも、珍しくも嬉しい取り合わせなのでスバルはへっちゃらだ。

 ひとまずのところ、このメンバーが、『神龍教会』のフィルオーレを訪ねてみようチームであり、敵情視察の使命を帯びた面子であった。

 さて、ようよう件の『神龍教会』関係者たちがいるだろう礼拝場が近付いてきたが、どんな口実でフィルオーレを呼び出せば――と、そのときだった。


「――ええい、いつまでも人のことを嘘つき呼ばわりしない! いいわ、見せてあげましょう。これが、わたくしが城に上がった証拠よ!」


 と、威勢のいい声が、石塀に囲まれた大きな建物――屋根や構造の雰囲気から、おそらく教会だろうそれの頭が見える敷地内から聞こえてくる。

 それに何事かと目を瞬かせるや否や、スバルたちは見た。――石塀の向こうで、赤々とした光が淡く膨れ上がり、その存在を主張するのを。


「あれって、もしかして……」


「わー! すごいすごい!」

「ホントに光った! なにしたの? なにしたの?」

「ついに盗んだ! ドロボーだ!」


「嘘つき呼ばわりの次はドロボー!? あなた、わたくしをなんだと思っているの!? わたくしは修道女! 秘蹟の担い手! 聖女寸前!」


 さんざめく幼子たちの声と、その相手をしているらしき女性の声。その聞こえた内容にスバルたちは顔を見合わせ、それから急ぎ足に石塀を回り込む。

 そして、石塀が途切れ、教会の敷地への正面の入口に辿り着いたところで――、


「さあ、見なさいな。これは邪な心の持ち主を焼き尽くす我らが『神龍』の光輝! 教典にもこうあるわ。『人は土より生まれ、龍は天より降る。天を仰ぐことを忘れ、己が背に翼があると過信するものは墜落を以てその罪を知らん』と!」


「きゃー!」

「わーっ!」

「うぎゃーっ!」


 そう声高に言い放ち、掲げた手の中で輝く赤い光――徽章の竜珠を光らせ、それで以てキャアキャアと逃げ惑う子どもたちを追いかけ回す修道女の姿を目撃した。

 彼女は来訪者に気付かず、「おーっほっほっほ!」と逃げる子どもたちの後ろを徽章を光らせながら追いかけていたが、


「さあ、いと高く尊き『龍』の眩さに、悔い改めるのは誰……って、あら?」


「――――」


 ピタリと足を止め、修道女がギギギと音を立てるように背後を振り向く。そこに、その光景を眺めているスバルたちを発見、彼女の口があんぐりと開いた。

 その、金髪に赤い瞳の修道女の反応を見て、スバルは何を言えばいいやらとなる。ただ、スバルの隣でエミリアがごそごそと懐を探り、


「見て見て、私もおんなじことができるのよ」


 と、取り出した徽章を、修道女――フィルオーレと同じように赤く光らせ、自分も同じだと悪意なく、天使のように無邪気にフォローした。

 直後、フィルオーレの首から顔から耳から、白い肌が一気に羞恥で赤く染まるのを見届けて、スバルは瞬間湯沸かし器みたいだなとぼんやり思った。



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― 新着の感想 ―
侵入したのは多分、ゾッダ虫にでも変身したカペラだとは思うけど、エキドナ謹製のオルシャマクを壊すほどの陰魔法の使い手か?と思うと違うよな。そしてスピカに吐くことが出来るのだろうか。 にしても平和だ‥当然…
カペラタン=フィルオーレはミスリード過ぎるよね。 プリステラを思えば何にでも化けれそうだけども。 ドリームメンバーのやり取り素敵です!!
レム完全復活遠のいたとショックだったけど、記憶が無いが故にスバルを偏った英雄視せず、ありのままのスバルをこそ心配出来るレムの姿と、皆が一緒に居られる様子でなんか安心した。
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