第八章33 『愛を裁く』
――『剣奴孤島』ギヌンハイブ総督、グスタフ・モレロ。
偉大なる神聖ヴォラキア帝国の皇帝より、その地位を授かった意味は重い。
平時より、『帝国人は精強たれ』の教えが息づくヴォラキアでは、孤島で催される剣奴を用いた興行が期待される役割は殊の外大きい。
それは単純な娯楽のためではなく、内紛という火種さえも小火で鎮火する現皇帝の治世で、人心を『闘争』から遠ざけすぎ、帝国人の牙を丸めさせないためである。
はっきりとそう明言されたわけではないが、それがグスタフが皇帝であるヴィンセント・ヴォラキアから総督を任じられた際、自らが果たすべき職務と捉えた内容だ。
事実、それに従い、グスタフは孤島の総督を歴代のいずれの前任者よりも正しく果たしてきた。――今日このときまでは。
「――グスタフ・モレロ、ギヌンハイブの剣奴を引き連れ、合流いたしました」
正面、こちらを見下ろす皇帝、ヴィンセント・ヴォラキアを前に、グスタフは多腕族である己の四本の腕を全て地について、跪きながらそう言った。
――帝国全土を揺るがす大内乱、それは死者の横槍によって完全に前提を瓦解させた。
荒ぶる屍人の軍勢から逃れるべく、帝都とその周辺の住民の一斉避難が行われ、戦士たちは正規軍と反乱軍の区別なく、滅びに抗うための協力を余儀なくされたのだ。
多すぎる避難民の分散退避も進められつつ、それでも城塞都市ガークラには避難民の総数の半分以上が収容された。その大人数の避難支援に加わり、自分たちもガークラへ入った直後、グスタフはヴィンセントとの謁見の機会を与えられた。
「――――」
大要塞の一室、跪くグスタフの隣には、途方に暮れた顔のイドラ・ミサンガがいる。
無法者集団である剣奴一味は『プレアデス戦団』と名を改め、ナツキ・シュバルツが旗頭を、グスタフが参謀役を務める形でまとまっている。その参謀役であるグスタフが、暴れる以外の仕事の補佐に選んだのがこのイドラだった。
シュバルツと特に関係の深い剣奴の中、相応の思慮深さと落ち着きを持ち合わせたイドラは、荒くれ揃いの一団の中では非常に重宝する。
とはいえ、いきなり皇帝閣下の前ではその落ち着きも披露しようがなかった。
「貴様らの働きについては、ズィクル・オスマンより報告を受けている。あのもの……ナツキ・シュバルツも、ぴいぴいと功績をひけらかしてはいた」
「ぴいぴい……ぁ」
緊張しすぎたせいか、思わずそう口にしたイドラが顔面を蒼白にする。
じろと、その黒瞳を細めるヴィンセントは、優麗で繊細な容貌と裏腹に苛烈な性質で有名だ。皇帝を風説でしか知れない帝国民からすれば、彼の意識を自分に向けさせただけで死を覚悟するのも理解はできる。
しかし、とグスタフは跪いたままヴィンセントを見上げ、
「皇帝閣下、このものはイドラ・ミサンガ。剣奴の一人ですが、他のものにはできない働きで本職を補佐しております。どうか、此度の争乱が片付き次第、恩赦を――」
「珍しく口数が多いな、グスタフ・モレロ。だが」
「――ぅ」
「貴様が貴重というからにはそうなのであろうよ。せいぜい励むがいい。戦後のことを語るのであれば、戦後に語れるだけの成果と命を残せ」
「は、ははぁ! ありがたき幸せ!」
勢い余って額を床に打つほどに、イドラが思い切りその場で平伏した。
命拾いした、という感慨で周りが見えていないイドラだが、一介の粉挽屋の倅だった彼は、自分がヴィンセントから破格の言葉をかけられたと気付いていない。
無論、そうされてもいい貢献度が彼にはあるとグスタフは考えるが、同時に感じたのはヴィンセントの変化――その、他者へ向けた寛容さだ。
ヴィンセントは元より賢帝であり、賢すぎる皇帝でもあった。
それ故に、見通しのよすぎる皇帝の視野、それを共有できない相手にヴィンセントは冷淡なところがあった。だからこそ、彼の周囲の人間は、皇帝の見ている景色を理解しようと命懸けで務める必要に迫られていたのだ。
それを良しとした皇帝は、しかしそれだけではなくなったようにも感じられて。
「しかし、思い切った真似をしたものよな」
ふと、そのグスタフの思惟を断ち切るように、ヴィンセントが声を放つ。
皇帝のその一言に、グスタフは跪いたまま、仕舞い切れない牙の突き出した口を閉じ、続くヴィンセントの言葉を待った。
そのグスタフの無言にヴィンセントは黒瞳を細め、
「俺が貴様に命じたのは、『剣奴孤島』の総督の任であったはず。この有事にそれを放棄した挙句、島の剣奴を率い、はるか東の帝都まで押し寄せるとは……そのものが震え上がるのも当然の皇帝の前へ、よくも一つしかない首を出せたものだ」
大きな椅子に座り、肘掛けに頬杖をついたヴィンセントの言葉に、隣でイドラが微かに喉を鳴らしたのが聞こえた。
皇帝に対する不敬の極みと、帝国民なら命を捨てたと悲観する状況。
「――。いくつか、弁明させていただいても?」
「許す。ただし、慎重に言葉を選べ。たとえ腕を二本落としても、貴様であればまだ只人と変わらぬ働きができよう?」
だが、グスタフは悲観に沈まず、畏れ多くも皇帝へと言葉を返した。それをヴィンセントは嗜虐的とも挑発的とも取れる眼差しで許す。
それを前に、グスタフは自分でも驚くほど平静だった。ややもするとそれは、誰よりも豪胆で恐れを知らない少年の影響かもしれなかった。
「皇帝閣下は、本職が総督の任を放棄したと仰るが、それは事実ではありません。それともう一つ、剣奴を率いているのは本職ではなく――」
「貴様ではなく?」
「――皇帝閣下の御子息です」
そう告げた瞬間のヴィンセントの反応を、グスタフは生涯忘れないだろう。
「――――」
一瞬、ヴィンセントはその黒瞳を丸くして、ひどく険の抜けた顔をしたのだ。
それはまさしく、虚を突かれたという以外に言い表せない反応。それをしたのはヴィンセントにとって、発話者と内容の両方が想定外だった証だ。
刹那の表情、それをヴィンセントは口元に手を当ててすぐに掻き消すと、
「俺は貴様の、職務に忠実でゆとりのない点を評価していた」
「本職も同感です。ただ、皇帝閣下と本職が考えた通りのままであれば、帝国の一大事を西の果てから見守る他なかった」
もしも、シュバルツが『剣奴孤島』を占拠する暴挙を起こさなければ、グスタフはこの帝国の一大事でも孤島に残ったまま、剣奴を管理する役目に没頭していただろう。
たとえ帝都でヴィンセントに何があろうとも、自分は命じられた職務に従順であったのだと、評価するもののいない実績を餞とでも考えたのだろうか。
そうならずに済んで、そんな自分を残さずに済んで、心の底から安堵する。
これがシュバルツに唆され、皇帝が下した命令を自分本位に解釈――『有事』の際の自己判断を、最大限悪用して帝都へ駆け付けた結果であっても、だ。
「――それで帝都と共に皇帝が死していようと、あれであればうまく貴様らを使っただろうがな」
「皇帝閣下?」
自分の判断が正しかったかはともかく、己で肯定はできると考えていたグスタフと裏腹に、ヴィンセントがこぼした言葉は別の思惑を孕んで聞こえた。
だが、ヴィンセントはその滲んだ思惑には触れさせようとしなかった。
代わりにヴィンセントは首を横に振ると、
「いいだろう、貴様の口車に乗せられてやる。この帝国の存亡を争う状況の中で、見事に貴様自身の進退と、剣奴共の恩赦を勝ち取ってみるがいい。――下がれ」
「は。本職の腕の限りで、砕身いたします」
グスタフとヴィンセントとの間で、『有事』という指示の取り扱いが合意に達する。
グスタフが『剣奴孤島』の総督の職務を逸脱した行いをしたかは、ここから先のグスタフ自身と、プレアデス戦団の働きで証明することになる。
必ず、それをやり遂げられるという確信があるわけではない。だが、この時点でグスタフは、少なくともシュバルツに唆されたことを悔やまずに済むと思った。
そう、グスタフがわずかに口の端を歪め、皇帝の前を辞そうとしたときだった。
「お、畏れながら皇帝閣下にお伺いしたいことが……っ」
床に額を擦り付けたまま、突然口を開いたイドラにグスタフが思わず息を呑んだ。
震え声で、畏れ多くもヴィンセントにそう言ったイドラは、平伏した状態で器用に首を上に向け、今にも涙目になりそうな瞳を皇帝に向けている。
孤島での『スパルカ』でも意地を見せたイドラの胆力は立派だが、下がれと命じた皇帝に食い下がるのは、さすがに命を惜しまない暴挙過ぎた。
しかし――、
「――なんだ」
まさかのヴィンセントの応答に、またしてもグスタフは驚愕する。
その隙を、好機に迷わず手を伸ばせるイドラは見逃さなかった。剣奴らしい、命の瀬戸際に働く直感を働かせ、イドラは乾いた唇を動かし、促された問いを発する。
それは――、
「閣下はこの戦いのあと、御子息を……シュバルツ皇子をどうされるおつもりですか?」
「ミサンガ!?」
帝国で一番勇敢な人間にしか聞くことのできない、場違いで間の悪い質問だった。
各地で上がった『黒髪の皇太子』の噂は、生者と死者との戦いに事情を塗り替えられる以前の、帝国史に残る大内乱と切っても切り離せない。
元々、プレアデス戦団が立ち上げられた経緯も、シュバルツがヴィンセントと激突する構えを示したことが切っ掛けなのだから、戦団の大目標はそれなのだ。
故に、イドラがその答えをヴィンセントから欲するのは自然なことだった。
問題は、それが命を脅かしかねない不敬の究極形であると、緊張のあまりイドラが自覚できていない点にあったが。
「――――」
生まれた沈黙に対し、グスタフは滅多にしない動揺を自覚する。
思い返せば、ここしばらくで覚えている動揺は、どれもシュバルツかセシルスの発信したもので、そこにイドラが加わったのは世を儚むべき出来事だ。
そう思わず、グスタフさえも目の前の状況から現実逃避しかけ――、
「――イドラ・ミサンガ」
ヴィンセントの唇がイドラの名を呼んだ。
それを受け、イドラだけでなくグスタフも瞠目し、唾を呑み込む。そうする二人の前で皇帝は長い足を組み替え、続けた。
「あれの進退の是非は、俺の与り知るところではない」
ヴィンセントの答え、それは意味が通っているとは言えないものだった。
この帝国の頂に立つヴィンセントが、シュバルツの進退について決めるべき権利を有さないなどと、そう言われても納得のできるものではない。
だが、それ以上、イドラに食い下がらせるわけにもいかなかった。
「その首と胴が繋がっている間に下がれ。――これ以上は不敬であろう」
ここまでは見逃すと、そう皇帝が引いた一線を明示したのを切っ掛けに、グスタフは急いでイドラを引き起こし、二本の腕で彼を持ち上げ、もう二本の腕で口を塞ぐ。
おそらく、この城塞都市で、あるいは帝国で最も今夜幸運だっただろうイドラを抱え上げた状態で、グスタフは深々とヴィンセントに頭を下げた。
そして――、
「シュバルツ皇子の御立場、くれぐれも御容赦願います」
そのイドラの幸運にあやかって、そう便乗したグスタフの一言を最後に、『剣奴孤島』を離れた弁明の一幕の決着とさせたのだった。
△▼△▼△▼△
「グスタフ・モレロにああも言わせるか。つくづく、読み切れん男だな」
罪人のようにイドラを抱え、最後に言わなくていい一言を付け加えて立ち去ったグスタフ。その背を見送り、ヴィンセントは静かに嘆息した。
思いがけず『剣奴孤島』へ飛んでいただけでなく、そこにいた剣奴総員と、あの職務に愚直なまでに忠実なグスタフの考えを曲げさせた事実は驚嘆に値する。
正直、本人がいくら否定しても、『星詠み』でない方が筋が通らなく思えるほどに。
ともあれ――、
「あれらが都市の防備に加わったとて盤石には程遠い。帝都への攻め手の選定にも手は抜けぬが……」
どう差配すべきか、ヴィンセントの考えるべきは多い。
同盟関係にある王国側の人員、その選定はあちら側の識者に任せるとして、こちらも相応の手札をめくらなければ話にならない。ベルステツとセリーナを城塞都市に残し、用兵に関してもゴズがいれば十二分に機能はするだろう。
単純な戦力という意味で、突入組に組み込める人員の不足は痛いが――、
「大規模な用兵を得意とする人材は替えが利かぬ。その点はセシルスめが十人残るより価値があろう。……あれが十人など悪夢でしかないが、いまだ合流してこぬ理由は帝都で好奇に対するものを見たか。あれに国が滅ぼされるのは避けたいところだな」
『石塊』の危険性と、セシルスの人間性を知るもの全員が共通して抱く懸念、それがセシルスによる屍人の大虐殺と、それによる大精霊のマナの枯渇だ。
連環竜車で黒竜を押しとどめたハリベル同様、たとえ手足が短くなっていようとセシルスが屍人に後れを取るとは思えないが、後れを取らないことが問題だった。
「仮にそれで国が滅べば、あの日、あれを拾ったチシャめの責であろうな。奴の思惑が外れること自体は小気味よくはあろうが……」
それを愉快と笑えるほど狂人ではないし、愉快と笑えるほどの間があるかも不明だ。
そう、ヴィンセントが己の中で急ぐ理由を再認したところで――、
「――ちょ、待ってくれ! 入れちゃならねえって言われてんだ、皇妃様!」
「だーかーら! あたしはまだそれいいよって言ってないから!」
不意の大声が扉越しに聞こえて、ヴィンセントの思惟に雑味が混じった。
やかましいだみ声と甲高い怒声、それに顔を上げたヴィンセントの前で、部屋の扉が勢いよく向こうから開け放たれた。
「アベルちん! ちょっと顔貸して!」
「貸さぬ」
扉を蹴破らん勢いで乗り込んできたのは、長い金髪を躍らせる長身の女だ。二本の蛮刀を腰に括り付けた状態で皇帝の前に進み出る、正気の沙汰とは思えない暴挙を堂々とやってのけたミディアム・オコーネルだった。
そのミディアムの後ろから、扉の前に立たせておいたジャマル・オーレリーが情けない顔を覗かせており、それをヴィンセントは冷ややかな視線で貫く。
「通せと言ったものだけ通せと、俺はそう命じたはずだが?」
「は、はい、そりゃそうなんですが……相手が皇妃様ってなると、オレみたいな下々の兵士はどうすりゃいいのかわからなくなっちまって……っ」
「ならば、貴様より位が上の『将』が叛意を以て現れても貴様は無力か?」
「はい! いいえ! 閣下と『将』なら閣下の方が絶対上だと思えますんで。ただ、皇妃様は立ち位置がよくわからねえんで……です!」
端々に粗野さを出しながらも、慎重に言葉を選んでみせたジャマル。その返答にヴィンセントはひとまず見切りをつけ、手前で仁王立ちするミディアムを見た。
鼻息荒く乗り込んできたミディアムは、聞いていた話とはずいぶん違った印象だ。
「部屋にこもり、めそめそ泣いていると聞いていたがな」
「めそめそとか誰が言ったの! そんなの全然あたしっぽくないでしょ! そりゃ、ちょっとは……ちょっとは泣いてたかもだけど……!」
「貴様の兄、フロップ・オコーネルだ」
「あんちゃん! あんちゃん! なんでそんなこと言うかな~!?」
「それは簡単だ、妹よ。もちろん、来たるお妃様争いに向けて、皇帝閣下くんがミディアムに強い関心と庇護欲を持ってくれるようにだとも!」
勢いよく振り返るミディアム、その彼女に水を向けられ、そう自分の計画を惜しげもなく白状したのはとぼけた顔のフロップだ。
その彼も素通りさせるジャマルにはもはや何も言うまいだが、ここで二人に兄妹ゲンカを始められても付き合う暇などない。
「ジャマルちんにも言ったけど、あたし、それ納得してないんだってば! アベルちんは嫌いじゃないけど、皇妃様とか何するか知んないし!」
「なるほどなるほど。だが妹よ。お前は僕の妹だが、妹が何をすべきか知っていて妹になったのかい? 特に何も知らなくても妹になれた……違うかな?」
「え? あれ、言われてみればそうかも……」
「だったら、何かになるのに知っているかどうかは重要じゃない。大事なのは、それになろうとする気持ちと周りの環境だ。妹も皇妃様も根っこは同じだとも!」
「おお~! そっか、すげえやあんちゃん……騙されねえや、あんちゃん!?」
一瞬流されかけたミディアムに猛然と食って掛かられ、フロップが「さすがにダメか~」とふやけた顔で自分の額に手を当てた。
どうやら、兄妹ゲンカの勃発ではないようだが。
「貴様らの間でまとまっていない話を、俺の前に持ち出してくるな。俺は忙しい。ジャマル、此奴らを連れ出せ」
「あ、待って待って! あたしが皇妃様かどうかは今はいいの! アベルちんの顔が借りたかったのはそれじゃなくて……」
「なんだ」
「あたしも、帝都に連れてってほしいの!」
バンと、自分の胸を手で叩いて、ミディアムがはっきりそう要求を述べた。
その要求の内容にヴィンセントは眉を顰める。すると、勇ましい顔をしたミディアムの横で、「いいかい?」とフロップが指を一つ立てて、
「いきなりのことで驚かせただろうけど、妹がこう言い出したのは思いつきってわけじゃないんだ。この街に辿り着く直前、あの竜車で最後に見たものだけど」
「――バルロイ・テメグリフか」
「うん、そうだ」
驚きなく頷いたフロップに、ヴィンセントは連環竜車の最後の攻防を思い出す。
スバルがスピカと呼ぶようになった娘に何かをさせ、結果、屍人となったラミアの蘇りが不完全になったところに、ヴィンセントは自らの手で刃を突き立てた。
そして、再び死にゆく妹を連れ去ったのが、死した飛竜を繰る『魔弾の射手』バルロイ・テメグリフだったのだ。
そこでバルロイを目の当たりにし、確かにミディアムは言った。
「バル兄ぃ……」
弱々しく、か細いミディアムの呟き。
彼女は声を裏返らせ、遠ざかるバルロイを何度もそう呼んでいた。
「僕とミディアムは、バルロイとは古い付き合いでね。以前はドラクロイ上級伯のところでお世話になっていたんだよ。バルロイとはそこで……まさか、ああした形で再会するとは思いもよらなかったけれど」
「あれを再会と呼ぶのは、いささか皮肉が過ぎよう」
そのヴィンセントの言葉に、「そうだね」とフロップも珍しく沈んだ声で答える。
ミディアムとフロップ、二人が屍人となったバルロイに抱く複雑な感情、親しい間柄の相手が生前の姿と変わり果てて現れたなら、心痛を負うのは理解はできた。
だが――、
「――――」
その心情を、察して余りあるなどとヴィンセントは口が裂けても言わない。
少なくとも、自分はこの手で蘇った妹に引導を渡したのだから。
「それで、貴様ら兄妹とバルロイとの繋がりが先の頼みとどう繋がる?」
「アベルちんは頭いいんだから、あたしの言いたいことちゃんとわかってるでしょ? なのにそんな言い方、すごいやな感じだからやめた方がいいよ」
「――――」
「あたしは、バル兄ぃと会って話がしたい。あんな風になっちゃってて、何考えてるのか全然わかんなくても、話したいの。だって」
最初は勢いよく、しかし徐々にたどたどしく、自分の胸の内を正しく伝えようと言葉を選んで、そうするミディアムが一度言葉を途切れさせた。
一番大事な言葉を、一番正しく選べるように、真剣に考えて、
「だって、あたしはバル兄ぃのお嫁さんになりたかったんだから」
「――。感情論でしかないな」
涙目のミディアムの訴えにそう応じ、ヴィンセントはフロップの方を見た。
今にも泣き出しそうなミディアム、彼女を妃の一人にと推薦したのはフロップだ。その真意は野心より、ミディアムの身を案じた向きの方が強いはずだろう。
「その妹が死地へ向かわんとするのを、貴様は止めずともよいのか?」
「おやおや、皇帝閣下くん、僕と妹が常日頃からどれだけ対話を大事にしているかわかっていないみたいだね。もちろん、ここにくるまでに散々止めようとして、力ずくで振り払われて包帯を巻き直したばかりさ!」
「つまりは力ずくで押し切られたか。兄の提言を無視できるとは意外だな」
「あんちゃんのことは大好きだし、あんちゃんの言うことはいつも大体正しいよ。でも、あたしとあんちゃんは別の人間だから、違うことしたいときもある。今がそう」
力でも言葉でも止まらないと、ミディアムが再び声に張りを取り戻した。
その力強い訴えに、ヴィンセントはしばし考え込む。
単純な、実力という意味ではミディアムの力量は帝国兵の兵卒に毛が生えた程度だ。
簡単な言いつけも守れないジャマルの方が、おそらく剣力では上だろう。連れていったところで劇的に戦況に貢献するとは考えにくい。
しかしそれは逆を言えば、彼女の存在は戦局を左右しないということだ。
「――好きにせよ」
「――! いいの? アベルちん」
「己の要求が通って不審がるな。貴様の存在の有無は戦局に影響しない。だが、だからこその負担は負うことになるぞ」
「それって……」
返答に驚いたミディアムが、続くヴィンセントの言葉に目をぱちくりさせる。そのミディアムの様子に、「つまり」とフロップが口を挟み、
「自分の身は自分で守れ。ミディアムを守るために割ける余力はない、ということだね」
「そうだ。その覚悟なしで、戦いの渦中へ飛び込むのは……」
「なんだ、だったら大丈夫! 自分のこと自分で守らなくちゃいけないのは、あたしとあんちゃんの旅でずっとしてきたことだもん」
「――――」
皇妃候補を理由に、守られるつもりならお門違いだと告げようとして、ヴィンセントの思惑は早々にミディアム自身から挫かれた。
何を言われるのか不安だったと言わんばかりのミディアムは、まるで軽い条件を突き付けられたようにホッと胸を撫で下ろしている。
「も~、どんなこと言われるのかハラハラしたよ~。でも、アベルちんが怖がってたより全然意地悪じゃなくてよかった」
ほぼ思った通りのことを言われ、ヴィンセントはわずかに唇を憮然とさせる。
いずれにせよ、ミディアムは自分の要求を言葉にし、それをした場合の危険も呑み込むとそう宣言した。
ならば、ヴィンセントが付け加えることは何もない。
「明朝だ」
「え?」
「明朝、選抜した人員で帝都へ向かう。準備は済ませておけ」
手短に告げて、それからヴィンセントはフロップの方を見る。
「まさか、貴様まで同行するなどと言うまい? 言っておくが、自分の身を自分で守れぬ自殺志願者の可否まで議論するつもりはないぞ」
「案じてくれてありがとう。さすがに僕も自分から死ににいくつもりはないよ。妹の足手まといにもなりたくない。……バルロイのことは、ミディアムに任せる」
「あんちゃん……」
「――。会える確信があるわけでもないがな」
フロップの決断には意見せず、ヴィンセントは望みが成就しない可能性には触れる。
しかし、そのヴィンセントの言葉にフロップは笑みを浮かべた。
「大丈夫、きっと会えるさ」
「何故、そう思う」
「運命を信じてるんだよ。意地は悪いが、無粋ではないはずだと」
根拠のないそれは、ミディアムの感情論とさして変わらない説得力だ。
だが、ヴィンセントはあれこれとそこに言及するのを避けた。何かを言えば、この兄妹はそれぞれ倍ずつヴィンセントに言い返してきかねないと思ったのだ。
それに、言わなくともわかっているだろうとも。
「じゃあ、アベルちん、また明日! ちゃんと寝ないと目の隈すごいよ!」
大きく手を振り、ミディアムが颯爽と背を向ける。
そのピンと伸ばした背中には、先ほどまで涙ぐんでいた余韻は微塵もない。嘘泣きでないなら、感情の忙しい娘だと改めて感じるのみ。
そうして、出ていくミディアムの後ろに続くはずのフロップが、ふと足を止めて、
「皇帝閣下くん、ありがとう」
「何に対する感謝だ?」
「ミディアムの……いや、僕たちの気持ちを汲んでくれたことさ。それと、バルロイを好きだって言ったミディアムのことを咎めないでくれたこと。お妃様候補なのにね」
目尻を下げ、フロップがそんな調子で自分の頭に手をやった。
だからヴィンセントは、フロップが何を言っているのかと鼻を鳴らして応じる。
ミディアムがバルロイに会いたがる心情、それを咎めなかったことの感謝などと。
「愛を罰せよと? そのような無粋な行い、する方が惨めであろうよ」
その答えに、フロップがやけに嬉しそうに笑ったのがヴィンセントには目障りだった。




