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第28話 報告と区切り


 執務室の窓の外は、もう夕方の色だった。

 ヴァルター辺境伯家の屋敷の中はいつも通りで――それなのに、私の胸の中だけが、妙に静かだった。


 机の上には、今日まとめた書類。

 領内の収穫報告、巡回隊の報告、冬支度の段取り。


 ここへ来てから、仕事の進捗がとても早く進むのがわかった。

 精霊たちが関係しているのか、単に私が慣れたのかは、今も確証がない。


 ただ、私は今、ここにいて、役に立っている。


「……エミーリア」


 低い声がした。

 顔を上げると、ルシアン様が立っていた。


 礼装ではなく、執務用の服のまま。

 さっきまで外の確認に出ていたのか、外套を羽織っている。


「お疲れさまです」

「ああ。君も」


 短いやり取り。

 けれど、それだけで肩が少し軽くなる。


 ルシアン様は椅子を引き、私の向かいではなく、隣に座った。


「……報告がある」


 それだけで、私は背筋が自然と伸びた。


「はい」


 ルシアン様は紙を戻し、私の顔を見た。


「先日の件だ。……アルベルトのこと」


 名前が出た瞬間、胃のあたりが少しだけ冷たくなる。

 私は息を整えた。


「……はい」


「王都寄りの社交会で、あいつは自分から墓穴を掘った」


 淡々とした言葉だった。

 ルシアン様は、余計な形容をしない。


「アルベルトの評判が、崩れている。社交界で避けられるようになったようだ」


「……そうですか」


 自分の声が思ったより平らで、少し驚いた。

 もっと胸がざわつくと思っていた。


 思ったよりも揺れは小さい。

 波が立っても、すぐに凪いでいく。


 ルシアン様は続ける。


「あいつの精霊魔法の件も、ほぼ確定だ。……反応が弱いどころではない。精霊がほぼ応えていない、という噂だ」


 あの日、回廊で聞いた叫び声が、短く蘇る。


『加護無しが!』


 あの言葉は、私の中で長く棘だった。

 けれど――今は、棘が刺さっていた場所が、もう塞がりかけている気がした。


「……そうですか」


 私は小さく頷いた。


 ルシアン様はそこで一拍置いてから、最後の報告を言った。


「それと、ブライトン伯爵領は、管理移譲が決まった」


 その言葉が、机の上に重く落ちた。

 管理移譲。補佐という名の介入。

 実権の喪失、ということだ。


「穀物管理は他領の監督官が入る。財務も共同管理だ。表向きは支援だが……実際は、伯爵家の裁量が削られる」


 淡々と説明されるほど、現実味が増す。

 私は、すぐに返事ができなかった。


 頭の中に、伯爵家の廊下が浮かぶ。

 父の声と、母の嘲笑、リディアの軽い嘲り。


 あの家にいた頃の私は、都合のいい娘としてそこに置かれていただけだ。

 運よく公爵家次男のアルベルト様と婚約した加護なしの娘、として。


 精霊が見えることも、信じられたことはなかった。


 母に伝えたら、母は扇子の陰で笑った。


『また変なことを言って。あなたは加護がないのよ。見えるわけがないでしょう』


 父はもっと冷たかった。


『無駄口を叩くな。お前には期待していない』


 そう言い切られたとき、胸の奥に穴が開いた気がした。

 それが当たり前になっていた。


 精霊たちはずっといたのに。

 私だけがそれを見ていたのに。

 それを誰も信じなかった。


 ……今。


 伯爵家が、精霊に見放されたように沈んでいく。


 その報告を聞いて、私が感じたのは――快感ではなかった。

 ただ、胸の奥が静かになる感覚。

 長く続いていた緊張が、ひとつずつほどけていく感覚。


 私は、しばらく黙っていた。

 窓の外から風の音がして、城壁の向こうの木が揺れる。


 やがて、私はゆっくりと言った。


「少しだけ……気にはなります」


 ルシアン様が、私を見る。


「でも……もう、私には関係ないです」


 言い切ったあと、来たのは、静かな落ち着きだった。


 私は、あの家を背負っていない。

 あの家のために生きていない。

 私は、私の人生を選んだ。


 ルシアン様の目が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


「ああ」


 短い肯定。

 そして、さらに短い言葉が続いた。


「エミーリアには、俺がいる」


 たった一言のはずなのに、胸の奥にしっかり落ちた。


「これからのことだけ考えればいい」


 私は、息を吐いた。

 喉の奥の固まりが、少し溶ける。


「……はい。ありがとうございます」


 声が少しだけ震えたのを、私は隠さなかった。

 隠す必要がない。


 私は、ルシアン様の袖に触れた。

 軽く、確かめるように。


「あなたがいてくれるから……私は、大丈夫です」


 ルシアン様は、その言葉を受け取ってから、私の手に自分の手を重ねた。

 大きくて、温かい。


「そうだな」


 それだけ言って、彼は視線を窓の外へ向けた。

 照れたときの癖。ほんの少しだけ目を逸らす。

 その癖を、私は知っている。


『ここ』

『えらんだ』

『もう、もどらない』


 精霊たちの声が、いつもよりはっきり聞こえた気がした。


 私は小さく笑ってしまう。


「……精霊たちも、そう言ってます」


 小さく呟くと、ルシアン様が私を見る。


「……何だ?」

「いえ」


 私は首を振った。

 全部を言うには、まだ少し照れる。

 でも、いつかは言えるだろう。


 ルシアン様はそれ以上追及せず、ただ私の手を握ったまま、静かに言った。


「そろそろ夕食にしようか」

「はい」


 ――いつもの日常に戻る。

 それが、どれほど尊いかを、私は知っている。


 廊下へ出る直前、私は一度だけ、振り返った。

 机の上の書類は、もう過去の報告ではなく、これからの領のためのものばかりだ。


 胸の奥で、静かな声がした。


(……終わったんだな)


 勝った、という気持ちではない。

 嘲笑う、という気持ちでもない。


 ただ――区切り。

 長い冬が終わって、雪が溶けて、土が見えたみたいな、そんな区切り。


 私はルシアン様の隣へ歩き出した。



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