20・年越し
私たちは久しぶりに隠れ里まで帰って来た。
こちらに来たのはまだ秋のはじめ頃だったが、既に冬本番である。
それになにより、もう歳の瀬などと言われて呆れが来る。
「随分と長く居たものだ」
このまま村へ帰ろうとも思ったのだが、考えてみれば敵が攻めてくると言うのでまったく休みなく働いていた。
しかも、ダナが居たのに何もする暇すらなかった。
それに何より、種馬が引っ張りだこである。
単なる歓迎というより、オットを囲む女たちの目は獣のそれ。
あそこに割って入る勇気はない。
そんな訳で、キーラ一家だけを返し、私たちは少し隠れ里に残る事にした。
そして、新年を迎える準備だと隠れ里が賑やかになるのを眺めている。
ここは南のナチューラ神を祀る訳ではなく、帝国時代の信仰であるらしい。
北へもその信仰が広まっているので我々ともあまり変わらない新年行事なのだろうと思っていたが、どうも様子が違う。
飾り付けや行事に大きな開きは無いのだが、準備する食事に違いがあるらしかった。
村などは麦すら無いのでパンを焼くでもなく、最低限の祝いの席や迎年行事をやるだけ。
伯爵家ではパーティーを開いていたが、そんな感じでもない。
そもそも、隠れ里にはパンを食べる習慣もないらしく、もっぱら米料理ばかりである。
米は麦より堅く、製粉として利用するのが難しいらしく、パンや麺にして食べる文化が生まれていない。
帝国がそうだったのかというと、まるでそんな事はなく、帝国の主食も多くの地域はパンだったはずだ。
米文化があった事自体が、隠れ里へ来るまで知らなかったほどである。
そんな帝国本領でも特異な文化圏の新年行事とはどの様なものか、少々興味深く思っていた。決して、長く隣にいながら手を出せなかったダナを弄る事が止められずに留まっているなんて話ではないのだ。そう、決してそんな事はない。
もう年越しを迎えるという前日、まるで祭りの準備をするかのように隠れ里が活気づいていた。
里のあちらこちらで何やら準備が進み、煙ではなく湯気が立ち昇る。
「これは何をしているんだ?」
長の家にいる使用人に尋ねると
「新年の準備が」
という。
そんな盛大な祭りでもやるのだろうかと、何やら集まっている男たちのもとへ向かうと、石の皿の様な物の前で何やら喋っているだけである。
が、暫くすると家から鍋らしきものを抱えた女たちが現れ、石の皿へと中身をぶち撒けた。
すると、男たちは大きな木槌を手に作業を始める。
しばらく何をやっているのが分からなかったが、ふと気付く
「餅つきか?」
だが、餅という名称は無いので、実のところ説明も言語化もしにくい。
「クエが」
餅つきを行うひとりが私にそう声を掛けてきた。
どうやらクエという名前であるらしい。
米のあるところには餅もあるのかと感心してしまった。
その後はついた餅を板に乗せて冷やすらしい。
冷えれば堅くなるのにどうするのかと思ったら、このまま捧げ物として奉るとの事。
要するに鏡餅の様な物らしい。
鏡餅を集落単位で作り、担当する帝国以来の神々の社へと奉る。
北の国も多神教であり、新年には複数の神に祈るのだが、そこは同じという事だろう。
鏡餅を奉り、最後の飾り付けを終えれば、年越しである。
どうやら隠れ里には夜中まで起きて新年を迎えるという習慣はなく、元旦に明るくなれば、新年の祝いを行う。
そんな、パーティーもない年越しは、種馬脳筋はどこかへ連れて行かれ、私はダナと過ごす、変わり映えしない年越しであった。
社への供え物は数日そのままにし、新年の祝いが終われば皆で食す。
それもやはりパエリアの様に、クエを鍋に入れ、具材を入れて炊き上げる訳だが、当然、餅である。
ザブトン餅をそのままでは取り分けに苦労するので、あらかじめ切り分け、まるで汁の飛んだ雑煮かの様な物が出来上がっている。
味付けは宴会料理と同じく個々にレシピが違うらしく、複数の集落が持ち寄り、新年祝いの席が設けられる事になる。
年越しパーティーをやる北の貴族とは風習がかなり違う。
開拓村でも、夜中にパーティーこそしないが、神への供え物を数日後に集まり食べる事などなかったので、これが帝国本領北部の風習という事なのかもしれない。
いや、なんか前世の国に近いな。
これも、アジア中心に広がる米文化、特に他の地域では主流になっていないもち米を栽培する影響なのだろうか。
興味が尽きないが、さすがに長居し過ぎたので村へ帰る時がやって来てしまった。
種馬脳筋は夜毎に違う家で朝を迎えた様だが、この秋に何人の子が生まれるのであろうか。




