10・やってはじめてわかる事
世界観を間違った武士団の誕生など、まだその初端に着いたばかりの春先、もう一つ別の計画が進行していた。
開拓村が拡大するにつれて水問題が不安視され出した事から用水路建設が計画されていたのだが、私は隠れ里でそこに新たな計画を盛り込む事にした。
前世の知識が確かなら、米というのは麦の3倍から5倍も収穫量が多くなるらしい。
ソバならばより顕著であるはずだ。
私には前世に対する執着は特に無い。得られた記憶や知識に対する感謝こそあるが、「異世界転生物語」の様に前世の意識が主体となっている訳では無い。
考えても見れば、ポンと一押しで部屋が明るく、快適な温度になり、食に困らない生活を当たり前とする意識では、この2年を生き抜けたとは思えない。
隠れ里で食した米料理にしても興味深くはあったが、懐かしさの様な感情を抱くには至らなかった。
さらに言えば、記憶や知識こそあるが、日本語が書ける訳では無いし、話せるかは、日本語を解する者が居ないので検証のしようがない。
だが、一粒の種が20倍の穀粒にまで増えるなどと知って、導入しない手はないではないか。
現在のソバ畑の半分の面積があれば、今の倍以上の取れ高を期待出来るなど、これをチートと呼ぼずに何と呼ぶ?
だが、開拓村と隠れ里では山脈によって気候に大きな違いが生じている。
街道を探索して気が付いた事だが、この地は、いや、我が王国の大半は高原と言って良い場所であるらしく、山脈の南側は降る一方であった。
さらにここは盆地、季節ごとの寒暖差が大きく、稲の栽培には不向きだと言われた。
とくに種を蒔いてから収穫までに5ヶ月近くかかる。ソバより長い期間を要するのだが、霜が降りなくなって種を蒔いたのでは、悪くすれば身が入る9月初めごろに寒風が吹くことで、実の入りが悪くなり凶作となりかねないとの指摘を受けた。
確かにそのとおりである。霜が降りなくなる時期がおおよそ半月違うのだ。そして、寒風が吹く時期も同様に開拓村の方が早い。
普通に考えれば育てるのを断念する話になるのだが、私には前世の知識がある。
それが苗箱育苗法だ。
種を苗代に播いたり田に直に播くのではなく、土を入れた持ち運びの出来る箱に種を播き苗を育てる。これを屋根のある場所で行ったならば、霜によって苗を枯らすことなく育てられるのである。しかも、屋内で温度を高めることが出来たならば、発芽を早める事さえ可能になる。
こうすることで霜が降りなくなる時期になって種を播くより半月以上早く種を播き、収穫時期に至ってはひと月近く早め、栽培期間自体を4か月ほどに縮められるのである。
そう、種蒔きを半月早め、霜が降りなくなると同時に田植えを行えば、穂が出る時期を半月早め、寒風が吹くころには収穫を迎えている訳だ。
この知識を立証すべく、今年はごく小規模の実験田で試す。
ただし、来年の本格的な栽培に向けた水田の開墾も行っておくことも忘れてはならない。
まず、まだ川の水量が少ない雪解け前に取水関の工事を行っていく。
これも隠れ里で修得した新たな錬金術を使って行っていく。
隠れ里は帝国の錬金術士が起こした村であったため、錬金術に関する書物が多数存在しており、私が錬金術士であり、ダナが産む子の父親となる事が決まった事から一部の秘伝を閲覧できることになったのだ。
そこには石積みの中に砂や砂利を詰め、一体化させる硬化術が存在していた。
帰路に街道の橋やトンネルを調べてみたところ、多くの場所でその術が使われている事を発見する。あの壊れた橋が未だに強固なアーチを維持していた理由こそ、この術にあった。
硬化術も万能な物ではなく、完全に術士の魔力量に依存するため、アーチと内部構造、路盤が別々に錬成されていた。
その結果、区画の間に剥離が生じ、上部が崩壊していた事が分かった。
とは言え、500年も手を入れていないのだからそれは仕方のない事だと思う。完璧ではないが、非常に有効な術には違いなく、工期短縮にも貢献してくれる。
取水堰を硬化術を用いて雪解けで増水するまでに完成させ、かねてから建設していた用水路へと接続すれば、夏を迎えるより早くに通水に成功した。硬化術を知らなければ、取水堰は増水期前に完成していなかったかもしれない。
こうして試験用の水田へも水を引いたのだが、ここで大きな問題が発生した。
水田の水深などたかが数センチ、深くとも10センチもあれば良いとウネで畑を囲い、そこへと水を引き入れようとしたのだが、水が半分しか入らない。
いや、言い方が違うな。10メートル四方ほどの小さな水田を用意したつもりであったのだが、目で見るよりも土地に高低差があって南方半分ほどを冠水させるだけで水がウネを越えた溢れ出したのである。
私は根本的な事を忘れていた。
水を張ろうと思えば地面もほぼ水平である必要がある。
では、村の土地はどうだろうか?
確かにそう起伏がある訳ではないのだが、厳密には土地自体が南へ向かって緩く傾斜が付いている。ソバや豆の畑であれば何の問題も生じない程度の傾斜であったが、薄く均等に水を張ろうと思えば、そこには大きな問題が存在していたのである。
土地の起伏が少ないからと畑同様の広さの水田を計画していたのだが、細かく傾斜を測量してみたところ、そのままでは僅か数メートル四方の水田とする事がやっと。10メートルをこえる長さで水平を保つには土木工事が必要で、当初計画していた50メートル四方などと言う規模にしようと思えば、南方を1メートル近くかさ上げして造成しないと無理だと判明し、水田1枚当たりの規模を試験田程度を最大とする地形ごとに広さも形も違う水田複数とそこへと配水する水路、人が通るためのあぜ道を整備するという、これまでの開拓では全く想像すらできない大工事が必要と判明し、愕然とすることになる。
来年から食糧増産などと軽く考えていたが、今年は何とか試験田のみを田植えまでに造成し、そこで田植えを行うのがやっと。これ以上はしっかり計画を立てて他に支障が出ないよう、数年計画で水田を増やしていくしかなさそうである。
こうして、今世自ら体験して初めて、記憶にある米高騰からの「農地を集約して大規模化しろ、出来ないのは農家の怠慢だ!」という考えが、間違いであった事を身に染みて体感する事になってしまった。




