その五
机の上に、ドイツ語のテキストを開いた途端に眠気に襲われた。今日は祝日で、午後に部活の対抗試合があったので、身体がとても疲れている。気が遠くなるほど眠いけど、今日だけは眠れない。毎週欠かさずに聴いている、ラジオドイツ語講座の開始時刻が午後八時四十五分なのだ。
今、時刻は八時三十分。
眠気覚ましに最適の番組が始まる。
「ライフロングラーニング、それは人生の質を高めていくための生涯学習です。
一生勉強、今日より明日、もっと賢く生きていたい、そんなあなたにお送りする『ジュテーム葉月の、今夜はフライデーナイト』」
何のメッセージ性も無いタイトルだな。
「この番組は、リスナーの皆様からメールやお葉書でよせられた様々なお悩みに、私ジュテーム葉月がお答えしていく、まじめな人生向上系相談番組です。
こんばんは、さて、今夜も始まりました――――」
うわぁ……。お母さん、公共の電波で地声はないでしょー。家で電話に出る時の「はい、橘でございます」の方がずっと余所行きの作り声だよ。
「あらためましてこんばんは、今宵、あなたとともに勉強させていただきますのは、ライフロングラーニング研究家のわたくし、ジュテーム葉月です。
早速今夜最初のお悩みを伺いましょう」
もっと雑談とかしないの? 今日のお天気は、とか、私の最近の趣味は、とか。
「まず最初のご相談は、メールでいただきました。青森県のいぶりがっこっ子さん。高校生の方です。ありがとうございます。いぶりがっこ、おいしいですね。あれは青森の名産でしょうか?」
秋田だね。
「『ジュテーム葉月さん、こんばんは。
私は十六歳、高校生です。私は友達がいません。友達はいた方がいいことはわかってるのですが、クラスメイトでも同じ部活の子でも、仲良くなる前に疲れてしまい、いつも私の方から離れてしまいます。一人でいる方が気楽です。
こんな私はどこかおかしいでしょうか? 友達は、やはりいた方がいいでしょうか?』
そうですね。どちらでもいいと思いますよ。
いぶりがっこっ子さんは、どんなことが好きですか? 部活は何をされているのかな? 友達がいなくても、夢中になれることがあれば、それを大切にしていけば、自然と仲良くなれる人ができてくるんじゃないでしょうか。無理して友達を作る必要は無いと思います」
そんなありきたりな解答で、いぶりがっこっ子さんが納得するかなぁ?
「っていうのはきれいごとです。友達、ほしいですよね。一人は寂しいですし、一緒に笑いあえる友達がいたら、人生は倍楽しいと思う。でも、できないんだから仕方ないです。それって、何が原因でしょうね」
なんだろう? 自分から一線ひいちゃうところかな?
「いぶりがっこっ子さんは、どうして友達がほしいのでしょうか。
その理由がもし、甘えたい、自分に優しくしてほしい、そんなものならやめておきましょう。友達ってそういうものじゃないです。依存心は捨ててくださいね。
思い通りにならなくても、気に入らないところがあっても、それでもそばにいたいと思う人が現れたら、その時はきっと迷ったりせずに仲良くなれると思いますよ」
正論って時に人を傷つけるよなぁ。お母さん、直球投げ過ぎ。そんなのただの理想論じゃん。
「私の高校時代の話をしますと、友達は少なかったです。ほとんどいなかったと言った方が正しいくらいです。
それでも、今でも付き合いのある人が二人、います。
一人はとても信頼できる人ですけど、もう一人はあまり信頼していません。その人は私のことを金蔓としてしか見ていないんですよ。
もともと私、目立つことが大嫌いだし、話だってあまり上手じゃないので、人前に立つお仕事をさせていただくなんて夢にも思わずにいたんです。それを、無理やりこの世界に引っ張り込んでくれたのが、その人です。今、ブースの外にいる、私のマネージャーです。感謝してます(笑)」
酷い言われようだな。ブースで激おこの緑青さんが目に浮かぶよう。
「さて、次はお葉書です。ラジオネーム、スノウプリンスさん。この方は、海外にお住まいです。遠くからありがとうございます」
海外から、どうやってラジオを聞くんだろう? 動画投稿サイトにあがってるのかな。
「『葉月さん、こんばんは。自分には守りたい人がいます。人妻です。
高校の時に告白して振られましたが、以来二十年間、親しい付き合いを続けています。
別に今さら彼女を旦那から奪うつもりはないし、最近では普通に接しているつもりですが、彼女は未だに自分を警戒し、遠ざけようとします。
葉月さん。こんな彼女をどう思いますか? 自分はこれから彼女にどう接していけばいいのでしょうか』」
というお葉書です。スノウプリンスさんは優しい方ですね。彼女は多分、あなたに感謝していると思いますよ。でも、彼女が望むなら、離れてみるのもいいと思います」
ふむふむ。
「あなたと離れて、彼女はほっとするかもしれないし、あなたの大切さに改めて気が付くかもしれない。
どちらかはわかりませんが、いくら恋愛感情が無いと言っても、二十年もずっと胸に抱き続ける想いなら、それはスノウプリンスさんにとって、きっと特別なものに違いありません。温め続けていくのも、捨てるのも、どちらも違った痛みが伴うでしょう。
それなら答えは保留にして、一度環境を変えて、別の女性に目をむけてみるのはいかがでしょうか?」
なるほど。無難。
「この番組では、皆様からのメール、ファックス、お葉書もお待ちしております。採用された方には、番組特製ステッカーをお送りいたします。メールのあて先は、www. お葉書は郵便番号――」
今度私も相談のメールを送ってみようかな。
「そろそろお別れのお時間です。ここまでのお相手は、ジュテーム葉月でした。それではまた来週、この時間にお会いいたしましょう」
エンディングテーマ、スーパーのBGMみたいで格好悪いな。
最後まで無愛想な放送だった。
どうしてこんな番組が、五年も続いているんだろう?
背もたれに思い切りもたれかかり、スノウプリンスの正体に思いを馳せる。
おじさんがちまちま葉書を書いてるところは想像できない。でも、別人にしてはちょっと話が出来過ぎてる気がする。
スマホが音を立てる。おじさんからのラインだ。
――――弥生、試合どうだった?
―――—勝った!これからドイチェの勉強。夏休み、遊びに行ってもいい?
――――おまえの両親が許せば考えてやる。成績も上げろ
――――死ぬ気で頑張る!
――――さっさと寝ろ
だから、勉強するんだってば。
実はすでに両親は説得済みなのだ。
子どものころから溜めてきたお年玉と、おばあちゃんからの秘密の援助で資金面でも問題はない。
おじさん、待ってろよー。私の体の中の、お母さんから受け継いだDNAの全てをかけて、絶対私が幸せにしてやるから、覚悟しておけー。
肉弾戦に持ち込んで、既成事実を作っちゃえばこっちのもの。いまのうちにせいぜいうじうじと昔の女引き摺ってな!
はやくこいこい、夏休み。
これにて完結です。お目汚し失礼いたしました。次作も頑張ります。ありがとございました(*^-^*)




