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37.誰のもの?

本日二度目の更新ですので、話数をお確かめの上お読みくださいませ

「おお、元気かー」


 すっきりしない目覚めの翌朝。三瀬が着替えをもって病室に現れた。

 両手いっぱいにベビーピンクのチューリップを抱えている。

 今日はお母さんが用事があるので、かわりに来たのだと三瀬は言う。

 三瀬が病室に入ってくると、ちょうど検温にきていた看護師さんの表情が輝いた。あの頃私を世話してくれていたなじみの看護師さんで気心も知れているので、私への対応も気安い。


「葉月ちゃんの彼氏?」

 肘で私の腕を小突き、看護師さんはきゃあきゃあとはしゃぐ。


「ちがうよ。義理の弟だよ」

「こんにちは。義姉がお世話になってます」


 三瀬が看護師さんに頭を下げる。上手に猫を被るもんだなぁ。こんなさわやかな笑顔を、三瀬が私に向けたことは一度も無い。

 看護師さんは、若干頬を赤くしながら、「いいなぁ私もあんな弟がいたらなんでもしちゃうよ」と言いながら、部屋を出て行った。

 二人になると途端に作り笑いを解いて三瀬は、「ん!」と威嚇するように唸りながら、仏頂面で花束を差し出す。


「うわぁ。かわいい! ありがとう」


 チューリップがきれいで、本当に嬉しかったので素直にお礼を言っただけなのに、「気ぃ使ってんじゃねえよ」と怒られた。なぜ?


「おまえさぁ、なんで黙って入院するわけ? 水くせぇ」


 仮にも重病の疑いありで検査入院している病人候補に対して、優しさのかけらもない対応が三瀬らしくて最高に腹立たしい。笑顔でお礼を言って損した。


「お腹の傷が痛い時に、そんな怒り顔見せられたら疲れる。労わる気が無いのなら帰ってください」


 三瀬は帰ろうとしない。椅子に座り、脚で床をずりずりと擦ってこちらへ近づいてくる。


「そのパジャマ、かわいいな。似合ってる」


 視線の熱がいつも以上だ。ちょっと怖い。


「どうしたの? そのラテン系のノリ、ついていけないんですけど……」


 傷が痛むのを堪えて身を起こし、おしりで後ずさる。

 三瀬は、ずいずい顔を近づけてくる。


「なんで黙って入院したんだよ」

「しつこいな。そんなの、心配かけたくなかったからだよ」

「いらねえ世話だからやめろ。心配しかできることないんだから、それくらいさせろっつうんだよあほが」


 言いながら、三瀬の体が倒れてくる。

 壁と三瀬に挟まれて逃げ場のない私の頬を、三瀬のひとさし指がゆっくりとなぞる。指先は、私の顎の先まで滑る。鳥肌が立った。

 顔を上げたら視線が突き刺さって、驚いて心臓が早く鳴りだしたら傷が痛くなって、逃げれば追うように三瀬が身を乗りだしてくるのでいたたまれないし、もう逃げ出したい。

 どうして心はお兄ちゃんにあるのに、三瀬に近寄られたらどきどきしちゃうんだろう、悔しい。


「涙の跡、ついてんぞ。ナメクジの這った足跡みたいに」

「ちょちょ、ちょっと……それ以上近づかないで」

「おまえ、死んだりしないよな」

「直球、だね。信じられないくらい無神経」


 そんなこと、私が一番知りたいよ。

 検査結果はまだ聞かされていない。


「私が死んだらどう思う?」

「泣く」


 三瀬の腕が伸びてくる。抱きしめられるとわかっていても、逃げられない。壁際に追い詰められているし、これ以上は傷が痛くてどこにも行けない。

 三瀬の吐息が、前髪にふれた。


「死ぬなよ」


 私の額に唇を触れ合わせ、三瀬が囁く。

 首を捻り、顔を背けた。

 

「死にたくないよ、そんなの当たり前でしょ」


 なんだか無性に腹が立つ。

 

「三瀬はなんで私が好きなの? ずっと豚だっていじめてきた私に、今さらどうしてキスしたいわけ?」


「それは悪かったと思ってる。ごめん。本当に、ごめん」


 三瀬は頭を下げた。


「謝られても、対応に困る」


 三瀬は上目で私を見つめる。しかられて主人の顔色を窺う犬みたい。


「罪滅ぼししたい。俺のこれからを全部やる。好きに使っていい」


「なにそれ! だから、どうして、いつの間にそんなに好きになったのか、教えてって言ってるのに」


 三瀬は答えない。

 別にその答えを聞いたからって、私の気持ちが変わるわけでもないので、この話はもういい。


「もう疲れたから、寝るね」

「そばにいてもいいか」

「もう、やめて! 今日明日に死んだりしないから、そんなふうにしないでよ

 私まだ生きてるんだから、そんな目で見ないで。

 私の背後に、悲しい未来があるって決めつけたような、そんな目で見ないで!」


「そんなつもりじゃない。傷つけたならごめん。ただ、そばにいたい」


 これが、お兄ちゃんの言葉ならどんなにうれしいだろう。

 気疲れがどっときた。

 今日の三瀬の血中ラブ濃度の高さは、いったいどうしたことだろうか。

 ちょっと献血して、血を抜いてきたらどうかと言いたい。

 傷にさわらないよう、ゆっくりゆっくりベッドマットに身を横たえ、長く息を吐いた。

 背後で、本を開く音がする。

 お母さんが暇つぶしに買ってきてくれた、私の好きな料理雑誌だ。特集は、『お家で作るカフェのパフェ』。三瀬が読んで楽しい内容とは思えないけれど、黙って読んでいる。


「三瀬、それ、おもしろい?」

「うん。うまそう。おまえアイスは何が好き?」

「うーん。チョコミントが好きかな」

「ふうん。俺はチーズケーキ……、あれ? なんだこれ」

「なに? どうしたの?」


 寝返りを打って見ると、三瀬の手には濃紺のビロードで覆われた、小さな小箱がある。


「どこにあったの?」

「花瓶の隣においてあった」

「それは、ドラマでよく見る、ぱかっと開けたらダイヤの指輪があって、男の人が恋人に、俺と結婚してくれ! っていう時のあれに似てるね」

「エンゲージリングってやつか」


 興味津々で身を起こした私の前で、三瀬がぱかっと蓋を開く。

 中には、四つの小さな石が花の模様に配置されたモチーフの、(本物なんて見たことないのでたぶん……)ダイヤモンドリングが神々しいお姿で鎮座ましましている。

 リングケースの上蓋内側には、私でも知ってる有名ブランド名がアルファベットで書かれている。

 三瀬は黙って指輪を凝視している。


「あの……、まさかとは思うけどさっき『俺のこれからをおまえにやる』って言ったのって、プロポーズ、じゃないよね?」

「そうとりたいなら、べつにそれでかまわねえよ」

「ごめんなさい」

「っだよ! でもこれは違うから。俺ンじゃねえから」


 三瀬はリングへと視線を落とす。


「じゃあ誰のもの?」

「この部屋にさっきまでいたのって誰だよ」

医師せんせいと、看護師さん」

「じゃあ昨日は?」

「お母さんと……お兄ちゃん」


 一瞬、薔薇色の夢が見えた。


「まさか! お兄ちゃんが私に? きゃぁっ!」

「あほか。どうせうちのバカ親父がお義母さんに渡したプレゼントとかだろ」


 憎たらしくも、説得力のある三瀬の言葉で我に返った。


「ああ、なるほど。でもお母さん、そんな大事なものをどうして持ってきたんだろう? しかも忘れて帰ってるし」

「見せびらかしたかったんじゃねえの?」

「お母さんってそう言うタイプじゃない気がする。けどまあいいや。本人に聞いてみたらわかるね」

「じゃあこれは、俺が持ち主に返しておくよ」 


 三瀬はぱたんと蓋を閉じて言う。


「うん。お願い」


 私はさよならと手を振るが、三瀬は立ち上がろうとしない。

 性懲りもなく、また顔を近づけてきたので、私は背筋を伸ばして、再び後ずさりをする羽目になる。


「おまえはさ、前に俺のこと好きだって言ったけどあれってひゃくぱー嘘?」

「は? 急に何?」

「おまえの中の俺ってどんな感じ?」

「…………、いじめっ子。」

「どうしたらそのイメージ払拭できる?」


 無理でしょ。胸に手を当ててこれまでの自分の所業を思い出してみなよ。

 だいたい、こうして普通に向き合って話ができるのだって、私の仏心のおかげと思ってありがたく感謝してほしいくらいなのに、この上に何を望むと言うのか。高望みはやめてほしい。

 そう言いたいけど……。

 胸に去来するのは、忘れかけている『復讐』の二文字だ。

 だけど今そういう醜い感情を溜め込むのは、健康のために良くない気がする。

 それでも、三瀬の泣き顔を見てみたい気持ちも捨てきれない。

 どうしよう、悩むー。


「おまえには、長月よりも俺の方が合ってるよ」

「えっ! なんでそう思うの?」

 私は、心の底から驚いた。


「俺といる時の方がお前、生き生きしてる。あいつといる時は猫かぶってるだろ」

「そんなことないよ」

「おまえは、俺には言いたいこと言えるだろ。ありのままの自分を出せる相手ってのは案外稀少だ。おまえはもっと俺を大事にしろよ」


 どこの俺様?

 あほらしくて付き合ってられない。

 

「もういいから帰ってよ」


 頭から布団をかぶって、視界からシャットアウトしてやった。


「俺と付き合え。そんでもって、何もかも俺にぶつけろ。俺は、全部受け止める」

「……でも私、死ぬかもしれないし」

「それでもいい」

「ごめん。やっぱり無理」

「じゃあ、こうしよう」


 三瀬は私の両肩に両手を乗せて、きょういちばんの無神経発言を口にした。


「腫瘍が悪性だったら、おまえは俺とつきあえ。俺に八つ当たりしてストレス発散して、病気を治して長生きしろ」


「……良性だったら?」


「俺はおまえをあきらめて、ただの義弟になり下がる」


 なりさがるって、それがあるべき正しい姿でしょうが。

 もう、まともに相手をするのも馬鹿らしくなった。


「はいはい、わかったからもう帰って」

 

 私は寝る!

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