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14.マジでキショ

「葉月さん、何か飲む?」


 三瀬父は私に話しかけているが、声は店内のノイズに溶けてしまう。

 私には、内容が上手く理解できない。

 生返事を繰り返す私に、それでもミセチチは笑顔を崩さない。

 三瀬とそっくりな顔で屈託無い笑みを向けられると、胸がざわつく。

 

「何か飲み物を買ってくるよ」


「葉月はフラペチーノが好きよ、ね?」


 お母さんが余計なこと言った。

 巨大パフェの後にまた甘いものはつらいと思ったが、口を開く前にミセチチは「了解」と白い歯を見せて笑い、カウンターへ駆けて行った。せっかちな人だ。

 ちょっと後ろ体重気味な背を私は思わずじっと見つめる。歩き方が、三瀬に似ていると思った。

 

「きっと嬉しくて、舞い上がっているのよ。あの人、ずっと葉月に会いたがっていたから」

 

 お母さんは嬉しそうだ。

 ミセチチを待つ間に、聞きたくもないのに、二人のなれそめを聞かされた。

 私が小学生の頃には、二人はすでに出会っていたのだそうだ。長い友人期間を経て、


「つい最近、付き合い始めたの」


「ああ、そうですか。末永くお幸せにね」


 とは建前で、本音は『早く別れちゃえ』と思ってる。お母さん。あなたの不幸を願う娘を許して。


「ところで、葉月。今日は長月と夕ご飯でしょう? 一緒じゃないの?」


「ええ、まあ。うん。別行動……なに? その顔、ちょっと驚き過ぎじゃない?」


 お母さんは目を剥いている。


「だって、まさかあの長月が! こんな夜更けに葉月を一人で歩かせるなんて、お母さん的には『まあくんのメジャー入り』に匹敵する大事件なんだけど(お母さんは野球好き)」


「夜更けって言っても、まだ九時前でしょ」


「葉月。長月と喧嘩したね?」


「してないよ」


「うわあ、嘘が下手ねぇ……。眉毛がぴくってなるのよ葉月は、嘘をつくと」


「してないよ、ほんとに」


 お母さんの声はいつもよりも少し高い。

 恋人に見せる顔と、娘に対する顔がまじりあっているんだろう。その浮つきに、すこしイライラした。


「お待たせ。どうぞ!」


 三瀬父が戻って、フラペチーノのトールをテーブルに置いた。でかい。


「ありがとうございます……」


 突然、お母さんは携帯電話を取り出して、「ちょっとごめんね」と言って、誰かに電話を掛け始める。


「もしもし、長月。今どこにいるの? うん。そう。駅前のツタヤ。葉月も一緒。長月もおいで。母さんの恋人に会ってほしいのよ」


 お母さんがミセチチに目配せをした。

 ミセチチは笑顔で頷いて、ぴっかぴかのスマホ(お金持ちだ)の画面をタップする。

 私の予想は当たった。


「おお、粉雪。部活終わった? 腹減ってるのか。こっち来いよ。外で飯食ってるんだ」


 ミセチチは、三瀬に電話をしてるっぽい。

 お母さんや私に話すのよりも少し低い声で、口調も砕けている。

 二人は同時に通話を終えた。


「急だけど、今から両家の家族の顔合わせと行きましょう」とお母さん。


「うん、そうしよう」とミセチチ。この人、さっきからお母さんの言いなりだ。二人のパワーバランスが窺い知れる。


「ちょっと、待ってよ! 心の準備が」


「葉月、どうせいつかはやらなきゃいけないことだよ。こういうのは勢いでやっちゃった方がいいのよ」


「そうだね。俺たちの気持ちはもう決まっているから、あとは君たちに認めてもらうだけだ」


 ミセチチは言う。

 笑顔だ。反対される可能性を考えていないんだろうか。

 



 呼び出しから三十分ほどして、二人は同時に現れた。

 お母さんがお兄ちゃんに、ミセチチが三瀬に手を振る。

 ドアの前で二人が立ちどまるので、自動ドアが開いたり閉じたりしている。お兄ちゃんと三瀬は、互いに顔を見合わせ、同じタイミングで「あ」と呟いた。


「何? 知り合い?」


 ミセチチの問いにも、「いや」と同時に口にした。息が合っている。

 席に着いた時点で、お兄ちゃんも三瀬も、状況は既に分かっていたようで、


「結婚したいんだ」


 と、ミセチチが言っても、二人ともさほど驚いた様子は無かった。

 部活帰りで夕食を食べていないのだそうで、三瀬は注文したサンドイッチに夢中で、話を聞いているのかいないのかわからない。

 

「おい、コナ。なんか言えよ」


 と、ミセチチに促され、ハムチーズサンドを頬張る合間に、面倒くさそうに言う。


「まあ、いいんじゃない?」


「お幸せに」


 お兄ちゃんは言って、頬杖を突いたまま横目で私を見る。それから、「葉月、これ飲まないならちょうだい」と、私が残したフラペチーノに手を伸ばす。私は「いいよ」と返事をした。


「さっきは、ごめん」


 お兄ちゃんの手がのびてくる。思わず目を瞑ると、髪に手が触れる。

 私の髪をひと梳きして、お兄ちゃんの指は離れていく。


「なんで謝るの?」


「いや、ちょっと言いすぎたから」


「いいの。本当のことだから。お兄ちゃんになら、何を言われても私平気だよ」


 その時、三瀬が言った。


「おまえらなんなの、気持ちわりぃよ」


「は? 気持ち悪いって何が?」


 場の雰囲気が壊れるとしても、私は言わずにはいられなかった。


「やめな、葉月」


 そう言ったお兄ちゃんに向けて、三瀬は吐き出すように言う。


「いい年して仲良すぎる兄妹が気持ち悪ぃって言ったんだよ」


「粉雪やめなさい」


 見かねたミセチチが三瀬をたしなめた。 

 私は憂鬱だった。 


「結婚には反対しないけど、みんなで一緒に暮らすのは嫌だ。血の繋がらない男の人と同じ家で暮らすのは、ちょっと抵抗がある」


 私は勇気を出して言った。

 お母さんは、悲しそうな顔で言う。


「お母さんは、できればみんなで一緒に暮らしたいと思ってるの」


「今のままの暮らしじゃダメなの? あと三年待てば、私も三瀬も高校卒業だから、その後でもいいじゃない」


 私は必死だ。

 三瀬と目が合った。


「ねえ、三瀬からも何か言ってよ」


 三瀬は面倒くさそうに足をくみ直し、一つ舌打ちをした。


「親父、こいつは俺と暮らすのが嫌だって言ってるんだ。わかれよ」


 言われてミセチチは、悲しそうな顔を見せた。

 

「違います。三瀬君じゃない他の誰かでも、同じ年ごろの男の子と暮らすのは嫌です」


 ミセチチの手前、一応フォローしておくことにする。


「そうか、残念だなぁ」


 お母さんたちは顔を見合わせる。


「俺が一人暮らしするよ。それでいいだろ」


 三瀬が言う。


「そんな、追い出すようなことできないわ。それはだめよ、絶対にだめ!」


 お母さんは強い口調で否定した。


「だったら、葉月は俺のアパートから学校に通えば?」


 お兄ちゃんが言う。

 それもいいな、そう思ったとき、「だめって、言ってるでしょ!」と、お母さんが声を荒らげた。


「もういいわ。この話は、無かったことにしましょう。子どもたちの同意が得られなければ結婚は諦めるって、最初から決めていたの、ね。ようちゃん」


「そうだね、ようちゃん」


 葉子と陽光だから、どちらもようちゃんか。

 

「みんな一緒に暮らせないなら、婚姻関係は必要なし。この話はもうおしまい」


 聞き分けの悪い娘に恋路を邪魔されても、お母さんは怒りもしない。

 ふたりの幸せを、邪魔したくない。

 でも、三瀬と家族になるだなんて、そんな事態に私は耐えられるだろうか。

 三瀬は、窓の外の景色を見ている。

 お兄ちゃんは、考え事をしているのか、無表情だ。


「話は終わり? 俺もう帰るわ」


 三瀬は立ち上がった。

 もう夜も遅いし、それを機に解散の運びとなった。

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