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魔除けの聖女は無能で役立たずをやめることにしました  作者: ゆうひかんな
番外編 トゥテ飛竜研究所の治療師は一身上の都合により逃走中

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番外編第六話 竜が守り、愛する娘

 

 王城に隔離されて、早いもので三ヶ月。

 当初タチアナが立てた計画は、罪に問われない程度に騒ぎを起こして城から追い出されるという、至極単純なものだった。


 物語に登場する悪女のように空気を読まず場を引っかき回し、気まぐれで人を振り回す。礼儀作法にうとく、無知な平民という身分も、それらしく振る舞うには好都合だった。

 王城という神聖な場所を荒らしたとして王が出て行けと言えば、ハサイード様が引き留めようとしても無理。まさか王の決定に王子が逆らうことはできないだろう。

 物理的に離れたら、赤の力の効果も薄れてすべてが正常に戻るはずだ。


 だが途中まで順調に進んでいたタチアナの予定を狂わせたのはルミナを始めとした騎竜の存在だった。

 タチアナは窓の外でくつろぐ竜の姿を見ながら、どうしてかなぁと遠い目をした。


 ……治療したルミナだけでなく、なぜか他の竜にまでなつかれてしまったのよ。

 

 始めはルミナだけだったのが、今では入れ替わりに他の竜騎士の騎竜もタチアナの部屋に遊びにくる。

 たとえばタチアナが窓越しにルミナの傷の経過観察を行った後、日差しがまぶしいのでカーテンを閉めて再び開けると、なんとバルコニーに違う猫……っと違った、別の竜が寝そべっていることがあった。


 誰の騎竜かしら。ここにいるのはきっとたまたま偶然、気のせいよね?


 しばらく放置して、もう一度窓の外をのぞいたらなんとまた別の竜に入れ替わっている。


 い、いつの間に。しかもあの色、公爵家の騎竜じゃないかしら?


 たしか、竜騎士はヘンドラ公爵。

 公爵家の騎竜が無防備に腹部をさらして天日干ししている。タチアナは心底呆れた。

 ここまでくると、もはや野性の存在すら疑わしいわね。

 正直なところ、竜がかまって欲しそうな目で見てくるのはとてつもなくかわいいけれどタチアナは竜が元気なときは手を出さないことにしている。

 情が湧いて、紫の力を使うときに矛先が鈍るのは困るから。


 ただし、怪我をしているときは別だ。


 ――――


 いつもは吹き荒ぶ風のせいでよく聞こえないのに、その日に限ってなぜか鮮明に竜の鳴く声が聞こえた。


「あら、仲間に緊急事態を知らせるときの声だわ。珍しいこともあるものね」


 タチアナが窓の外に視線を向けるとルミナと入れ替わるようにして別の騎竜が姿を現した。

 炭のような、茶色がかった暗い灰色のからだに金緑石の目。記憶に残る騎竜の特徴と照らし合わせたら、相手はすぐにわかった。


 辺境伯の騎竜だわ、あんな遠方からここまで遊びに来たのかしら。

 急な呼び出しがあったときはどうするのだろう?


 現在、竜王国は魔獣の大移動発生後の後始末の真っ只中。取りこぼした魔獣や魔物を見つけ次第、狩っているところだ。ハサイード様が大怪我をしたのも後始末の最中のことだ。

 そして魔獣の大移動を生き延びた魔獣や魔物ほど強く大きく育つとされている。

 竜王国ではヒデラ・ドートのときのように、並の兵士では手に負えないほど大きく育った魔獣や魔物が出現した場合は竜騎士が対処する決まりになっているらしい。


 今回の後始末は過去に例のないほど過酷で、竜も竜騎士も休みなく働き疲弊しきっているらしい。

 そういえば研究所にいたときも研究員が「これだけの出動頻度はかつてなく、危機的な状況」と心配していた。そのせいだろうか、目の前にいる辺境伯の騎竜も飛び方が変だ。


 バルコニーに降りた竜はそのまま力尽きたように崩れ落ちる。荒く息を吐いて、瞳の輝きは失われ濁っていた。それだけでタチアナは直感的に察する。


 ……ああ、怪我をしたからここに来たの。

 

 ルミナが教えたのか、それとも無意識のうちに垂れ流すタチアナの赤の力に呼ばれたのか。それはわからないけれど遊びにきたわけではないというのは一目瞭然だった。

 タチアナは急いで立ち上がると、側付きの侍女に命じた。


「緊急事態よ、窓の鍵を開けなさい」

「申し訳ありませんが、タチアナ様のご命令でもそれはできません」

「なぜできないの?」

「部屋の外に出るなとハサイード様がおっしゃったではありませんか」

 

 こちらを咎めるような侍女の口調に、タチアナの内側で何かがブツっと切れる。

 溜まった鬱憤を吐き出すように思わず声を荒げた。


「いい加減にしなさい、あの竜は怪我をしているのよ。竜王国は竜を大切にする国。ならば竜の治療を優先するのは当然でしょう!」

「ですが」

「言い訳はいらないわ。あの竜を救いたいのなら私に仕事をさせなさい」


 このときタチアナは至極真っ当なことを言ったつもりだ。

 目の前にあるのは今にも燃え尽きそうな命。命は失われたら取り返しのつかないものだ。

 タチアナだって本気で逃げ出す気ならここで竜を治療を施すのは悪手だということもわかっている。

 でも竜の信頼を失って、治療師としての誇りを失ってまで逃げることを優先すべきかと問われたら、さすがにそれは違うと思った。


 それに今ここで治療を放棄すればもっと重い罪に問われて、それこそ逃げるどころではなくなるかもしれない。最悪の場合、罰として劣悪な環境で力を搾取されるような状態に置かれることだってあり得た。

 迷うだけ時間の無駄、そう思ったタチアナは把手に手をかける。その手を侍女はあわててつかんだ。

 

「わがままをおっしゃらないでください。失礼ですが器具も薬もないこの状態で何ができるというのです。研究所に連絡を入れて誰か治療できる人間を寄越してもらいましょう」


 彼女はこれ見よがしに深々と息を吐いて、タチアナに小声でささやいた。


「あなたがルミナのことを治療したなんて本当は嘘なのでしょう?」

「なんですって?」

「ハサイード様を騙して上手く取り入っただけではないの? どんな目的で王族に近づいたのかわからないけれど、あなたの側付きは給金がいいのよ。誤魔化すのを手伝ってあげるから、おとなしくしてちょうだい」

 

 侍女はタチアナにだけ見える角度で嫌な笑みを浮かべる。

 その瞬間、タチアナの闘志に火がついた。


「ここまで馬鹿にされて遠慮するという選択肢はないわね……鍵を壊すわ。それでもいいの?」

「は、何を言って」


 感情に引きずられるようにして、タチアナの紅玉のような瞳が一層深みを増した。するとタチアナを煽った侍女とは別の侍女がタチアナの瞳を見つめて息を呑んだ。

 彼女は急に動き出して自ら鍵を開けると、バルコニーに繋がる窓を開け放った。そして呆気に取られた侍女の前に立ち、進路をふさぐと、タチアナを励ますように声を弾ませる。


「タチアナ様、どうぞ竜の元へ。私はこの者を追い出して参ります」


 さっきまでおどおどしていた人間がいきなり強気になった!

 タチアナは態度の変わりように目を丸くする。

 何となく彼女からハサイード様に似た不穏な気配を感じるけれど、ここは素直に甘えておくことにした。


「追い出さなくてもいいわ。でも治療を邪魔するようならお願いね」

 

 そう言い置いてタチアナはバルコニーに出る。吹き抜ける風の唸るような音がして身がすくんだ。

 いまさら気がついたのだけれど、竜が出入りできるように配慮したためか、バルコニーには一部にしか手すりがついてなかった。

 一瞬にしてタチアナの顔から血の気が失せる。それでも這うようにしてタチアナは竜に近づいた。

 魔法か何かで王城の周囲は制御されているようだ、それでもこわいものはこわい。

 体が震えて周囲の景色がぐらぐらと歪んで見える。


 でも、なんとかしないと。


 目の前には今にも消えそうな命がある。タチアナは這うようにしてようやく竜のからだに触れた。思いのほか手触りのいい皮膚、そこから感じる温もりにほっと息を吐く。

 不思議なもので、高い場所にいても竜のからだに触れているときは恐怖を感じなかった。

 タチアナはからだと瞳の色を参考にして記憶から騎竜の名前を探る。

 そうだ、この子の名前は……。


「辺境伯家、騎竜エンリル。風竜、騎竜となって十年。充分に経験を積んでいるはずなのにそれでもこんなひどい怪我を負うこともあるのね。患部は翼に裂傷が三ヶ所、うち一つは重傷。下肢に出血あり、呼吸が荒く、胴の一部に打撲痕と皮下出血が見られる」


 からだに触れながらタチアナは傷の状態を確認する。見た限りで下肢と胴に新しい傷がある。そのうえ治療が間に合わなかったらしい古傷もかなり残っていて翼が重点的に傷ついている印象だ。

 タチアナは、研究所で読んだ辺境伯領の記述を思い出していた。

 辺境にはワイバーンを始めとした有翼種の魔物が数多く生息するという。

 竜は強いけれど、力は劣っていても数が集まれば厄介だ。

 この傷のつき方は群れに襲われて鉤爪で引き裂かれた跡、今回は上空で強力な複数の個体と争ったのだろう。

 タチアナは竜の周囲をぐるっと一回りしてそのほかの傷の有無をざっと確認する。からだについた皮膚の変色は少し前についたもの、魔物の腕や尾で殴られた打撲痕。

 満身創痍と言っても過言ではない。辺境の魔物の強さは桁違いらしい。

 タチアナはさらに近づいてエンリルの目の奥をのぞき込む。

 充血はなし、脳の損傷はないみたいだ。殴られたのは胴の一ヶ所だけ。


「毒に侵食された痕跡はないけれど。毒の攻撃は受けた?」


 タチアナが聞くとエンリルは首を振った。全身の治療は必要ない、部分的で済むなら一回で終わりそうだ。

 よし、すぐに治してしまおう。


「応急処置をするわ。ちょっと痛むかもしれないけれど我慢してね。それで治療が終わったら、あそこの研究所まで飛んで必ず研究員から追加の検査と治療を受けなさい。いいわね?」


 指差す先を見て、エンリルはわかったと言わんばかりに鳴いた。

 タチアナは竜のからだに手をかざす。

 まずは翼、両手に力が満ちて柔らかな光が翼を覆った。魔法で修復能力の精度を上げる。まるで時間を巻き戻したかのように翼の傷が塞がり、艶と輝きを取り戻した。

 次に胴の打撲、こちらも同様に。殴られた傷は修復の副作用として痛みがあるはずなのにエンリルは黙って耐えている。

 風神の名にあやかっただけあって、強い子だ。

 励ますように微笑んだタチアナは最後に下肢の傷を癒し、手応えがなくなったところで魔力を切った。


「はい、おしまい。よくがんばったわね!」


 治療が終わった合図として、タチアナは竜の首筋をポンポンと叩いた。

 翼を動かしてエンリルがうれしそうに鳴く。大喜びする姿にタチアナの頬がゆるんだ。


「うんうん、また思いっきり飛べるようになってよかったね!」

「そんな……」


 声のするほうを振り向けば扉の向こう側で何もできないと煽った侍女が呆然と座り込んでいる。

 タチアナは再び這うようにして扉の手前まで戻ると、真正面から視線を合わせた。

 

「あなた、研究所に連絡するのでしょう? 治療した箇所と症状を口頭で伝えるから正確に伝えて。いいこと、一言一句、間違いなく伝えるのよ。冗談抜きで竜の命がかかっているのだから」

「は、え?」

「あれだけ煽ったのだもの、できないとは言わせないわよ。ついでに患者が飛んでいくから追加の検査をよろしくってタチアナが言っていたことも伝えてほしいの」


 ここでタチアナの名を出せば王城内にいることが研究所の人間にも伝わるだろう。言葉にすると、脳裏に所長や研究員達の顔が浮かぶ。

 所長助けてくれるかなー、それとも国が相手では無理だろうか。

 そう思ったときだ、バンと大きな音を立てて部屋の扉が開いた。


「タチアナ!」


 ハサイード様が飛び込んでくる。背後に男性がもう一人、明らかに空気が護衛の兵士とは違っていた。

 誰だかわからないけれど偉い人に違いない。

 タチアナは反射的に顔を見られないよう頭を下げた。男性の鉄靴がタチアナの視線の先を通り過ぎてエンリルの側で止まった。


「ああよかった無事で! 研究所から急にいなくなったと聞いて心配したぞ!」


 頭上から甘えるようなエンリルの鳴き声がする。その声にタチアナは察した。

 きっとこの方がエンリルと契約した竜騎士、辺境伯ラザク=カナンセル様。

 カナンセル辺境伯閣下……長いのでラザク様でいいか、彼とハサイード様との会話が風に乗って聞こえてくる。

 どうやらラザク様がエンリルを治療のため研究所に連れてきたところ、研究者が目を離した隙をついて勝手にここまで飛んできてしまったらしい。

 きれいに修復された翼を見て彼は一瞬呼吸を止めた。


「嘘だろう、ここまで深い傷になると薬や器具だけでは治療できないと聞いていたのに。翼の傷が完全に治っている!」


 本当に間に合ってよかったと、タチアナは小さく息を吐いた。

 飛竜の翼についた傷は特に厄介で表皮の損傷や骨のひびを修復しないまま放置して定着してしまうと、それが後々飛び方に影響してしまう。一般的に古傷と呼ばれるのだが、あのまま飛び続けていたら修復が間に合わず、最悪飛ぶことができなくなっていたかもしれない。

 だからこんなふうに魔法でいち早く竜を癒すことのできる治療師が研究所には必要なのだ。


 ……それを、この男は!


 タチアナは視線も合わせず、ハサイードの横を通り過ぎた。

 部屋に戻り、机の上から白い紙を取ってペンを走らせると簡易な診療録を作成する。

 日付に時間、患者名。余白に竜のからだを描き、そこに治療する前にあった傷の箇所を記していく。さらに矢印をつけて翼に負った傷の深さや打撲を受けた箇所を書く。

 タチアナは紙を折りたたんで、再びバルコニーに出た。

 うう、こわい。こんな高かったの……それに寒い。いまさらだけれど体が震えてきたわ。

 それでも無様な姿を見せたくなくて、根性で近づいていく。

 周囲を見ないように顔を伏せたタチアナは震える手でラザクに紙を手渡した。


「傷の所見です。研究所の人間に渡してもらえれば追加で必要な治療をしてくれます」


 口頭だけでなく、こうして紙で渡せばより細かく状態が伝わるだろう。

 寒さと恐怖で震えるタチアナの指先が研究所の方向を指した。


「このままエンリルに乗って研究所までお戻りください。では、おだいじに」

「待ってくれ、この傷は君が治したのか⁉︎」


 恐怖から逃げるように背を向けたタチアナを追ってラザクの鋭い声が響く。

 声につられて振り向こうとしたタチアナの手を強く誰かの手が引いた。気づいたときには相手の服が視界を覆っている。想像以上に強い力で抱き込まれてタチアナの口からぐっと呻き声が漏れた。


「かわいそうに、こんなに震えて。突然見知らぬ人間が押しかけてきてこわかっただろう」

「ハサイード様、彼女は一体……」

「ラザク殿。大きな声を出さないでくれ、彼女は繊細なんだ」


 頭上から声が聞こえて、タチアナはようやくハサイードの腕の中だと気がついた。

 いや、繊細とかそうではなくて。震えているのは高いところがこわいからよ!

 タチアナは声を上げたくても、強く抱き込まれて呼吸すらままならない状況では無理だ。

 しかもタチアナが身じろぎするほどに拘束する力が強くなる。全力で叩いても強く押してもダメだった。そうこうしているうちに後頭部に手が添えられて、タチアナの頭頂辺りに柔らかな何かが触れた。

 抵抗を封じるようにハサイードが口づけたのだとわかって、頭の中が真っ白になる。


「ハサイード様、彼女とあなたはどのような関係か?」

「彼女は瀕死のルミナを救ってくれた。恩人であり、私の最愛の人でもあります」

 

 何、勝手なこと言っているのよ。

 彼の胸元を叩くタチアナを照れているものと勘違いしたのか、微笑ましいと言わんばかりの声がした。


「なんと……ハサイード様がこれほど溺愛されるとは。しかも相思相愛のようですね」


 そうじゃない、そう見えているだけだ。

 もがくタチアナの背後で、一際大きなエンリルの鳴き声がした。ハサイードが鳴き声に気を取られた瞬間を狙ってようやく胸元から顔を上げる。空気を求めて喘ぎつつ、タチアナは振り向いた。


 あれは竜が仲間を呼び寄せるときの声だ。


 バルコニーでは治療が終わったエンリルが飛び立ち、再びルミナに入れ替わる。このタイミングの良さ、ルミナは入れ替わるためにどこかで順番を待っていたのだろう。

 秩序ある竜の行動に、驚いたラザクは目を見張った。


「なんてことだ……まるで竜が彼女を守っているようじゃないか」

「そのとおりです。タチアナは竜の声を聞き、竜を癒すことができる。彼らにとって貴重な存在なのです」


 ラザクのつぶやきを拾ってハサイードの口元が歪な弧を描く。

 黒さの滲む表情、タチアナにはハサイードがその言葉を待っていたように思えてならない。

 

「まさか、そんな奇跡のようなことが」

「たとえるなら竜が守り、愛する娘――――竜の乙女と呼ぶにふさわしい存在とは思いませんか?」


 

タチアナの側付きの侍女のお給金が良いのは口止め料も含まれているから。

竜を癒す力があることや実績は口外しないように制限しているという設定にしています。

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