第九話 一ヶ所目はヒデラ砂漠にあるオアシスの大樹の空洞
途中、魔獣や魔物に襲われることもなく全員がオアシスまで無事に到着した。
ガマロを降りるとジルベルト様はゴーグルを外して、じっくりと観察する。
「これ、いいかもしれないな」
「何がいいのです?」
「不自然に思われることなく目元が隠れる」
首をかしげるアンジェリーナの頭越しに、ジルベルト様はジャミル様に声をかけた。
「ジャミル」
「ご注文は女性用のゴーグル、レンズの色は青ですね。たしかに承りました」
「よくわかったな」
「このくらい余裕でできなければ特級にはなれませんよ」
手帳に書きつけたジャミル様はほんの少し口角を上げる。
女性用で、レンズが青……。
「それって、もしかして!」
「もちろん、あなたのためのものですよ」
ジャミル様の言葉にアンジェリーナは目を丸くする。
赤に青を重ねたら、紫に。アンジェリーナの赤く変わる瞳を隠すためのものだ。
ジルベルト様がアンジェリーナの髪をなでた。
「何があるかわからないからな。手はいくつあってもいい」
「あなたが身につけるものを選ばせていただけるのは光栄なことです」
アンジェリーナの髪にジャミル様がさりげなく手を伸ばした。
「ずいぶんと髪が伸びましたね。ですが切ってしまうのはもったいない。どうでしょう、気分を変えるために結い上げては? 黒曜石のような黒髪にはラグイアーナ王国のルシャで造られる繊細な銀細工がよく映えそうだ」
けれど触れる前にその手を容赦なくジルベルト様が叩き落とした。
派手な音がしたけれど痛くないのかしら?
「触るな」
「少しくらいいいでしょう、契約の代わりですよ」
「こんなことになるなら頼むんじゃなかった」
「遅いですよ、ですがご期待に添えるような逸品をご用意しますね」
笑顔なのにこわい。
何でしょうね、この縄張り争いにうっかり踏み込んでしまったときのようないたたまれない空気は!
「おーい、何じゃれているんだ。いくぞ!」
ガマロを水場の脇に生えた木に繋いで、王子殿下が声を張り上げる。
ここからは目的地まで徒歩で向かうことになっていた。
雑草を踏み分けて、奥へ奥へと進んで行く。先頭に立って歩きながら、王子殿下が軽く首を曲げてアンジェリーナとジルベルト様を振り向いた。
「そういえば、二人の関係は今どんな感じなんだ?」
どんな感じか、ですかー。
ジルベルト様は一瞬言葉に詰まった。すかさずアンジェリーナは即答する。
「リゾルド=ロバルディア王国でずっと好きだったことがセザイア帝国でバレた途端に返り討ちに合ってまだ嫁ではありませんが将来的には嫁にしてもらおうと画策しています大好きです」
よし、よく言った私。ここぞとばかりにジルベルト様へも気持ちを伝えておいた。
これでもう、迷うことはないでしょう。
王子殿下はポカンとした顔をする。
「情報量多いな」
「えっ、そこですか⁉︎」
「いやちょっと待て、そうじゃないだろう」
なぜか急にうろたえたジルベルト様にアンジェリーナはふふっと笑った。
なるほどそうじゃないのか。
「ではついこの前のことですが、ジルベルト様に逃げるなって追い込まれて襲われました!」
「……ジルおまえ」
「誤解だ、誤解! アンジュ、どうしてそういう言い方をするんだ!」
あせった顔のジルベルト様がアンジェリーナの口を手のひらで軽く押さえた。
手のひらの内側で口をモガモガしながら笑顔で答える。
わかっているでしょう、いつも意地悪されるのでその仕返しです!
するとジャミル様がジルベルト様に冷ややかな眼差しを向ける。
「いつの間にそんなことを。最低、鬼畜の所業ですね」
「あはは面白い冗談ですね、ジャミル様。他人事ではありませんよ。無関係の人間を当て馬に使うのも鬼畜です」
「当て馬、何のことですか?」
無罪という顔をしていますが、騙されませんよ!
アンジェリーナが言い返そうとしたとき、王子殿下が足を止めた。
「おっと、ようやく着いた。ここが目的地だ」
「うわー、大きな木ですね!」
垂れさがる枝葉を抜けた先にあるのは、オアシスの主のような巨木だった。
幹は空洞になっていて、一見枯れ果てたように見えるけれど根元からは瑞々しい葉をつけた枝が何本も伸びている。どのくらいの年月を過ごしたものかはわからないが、この大樹は今もしっかりと大地に根を張っている。
枯れているようで、ちゃんと生きているんだな。
「この大樹にある空洞が、訓練を兼ねた竜の遊び場なんだ」
「へー、これがですか!」
アンジェリーナは周囲を見回した。このオアシスにはさまざまな植物が生えている。
竜のおやつになるという甘い実、柔らかな草の寝床、揺れながら程よい日陰を作る背丈の高い木と。
竜にとってはまさに遊び場で、疲れを癒すところでもあるのだろう。
それにしても、こんな大樹が枯れても折れもせずに残っているなんて不思議だ。
アンジェリーナは大樹に触れた。
「ああたしかに、竜の気配が残っている」
「本当か⁉︎」
「ですがこの気配がルベルのものかはわかりません」
少なくともアンジェリーナが感じ取れるくらい最近に、ここへ来た竜がいるということだ。
「空洞の中はどうなっているのですか?」
「ここから内側に入ることができるんだ」
王子殿下は大人の男性が余裕で通れるくらいに大きく開いた割れ目から体を滑り込ませて、大樹の内側から空を見上げる。
「いない……ここだと思ったのにな」
「残念ですね、でもまだ候補がありますから」
王子殿下と入れ代わって、割れ目から空を見上げたアンジェリーナは目を丸くする。
本当だ。吹き抜けのように天井がなくて空が見える!
「あれ、空洞の中には枝を組み合わせた障害物がありますね?」
「ああ、どうやら竜が倒木や太い枝を拾ってきて自分達で遊ぶために仕掛けているようだ。障害物の置く場所で難易度を変えて、あの一番上から真下に向けて一気に降りるんだ。で、また下から上に飛んで外へ出ていく」
「へー、面白そうですね!」
「たまに古くなった枝を落とす必要があって、あそこに転移の魔法陣が置いてあるんだ。人間はあれで大樹のてっぺんまで行くことができるぞ」
王子殿下の指す先にはたしかに転移の魔法陣があった。
アンジェリーナはもう一度、空洞の中を見上げた。
竜は口と手を使って長い木を横にしたまま空洞にはめているようだ。それを障害物に見立ててその隙間を潜り抜ける。真下から見上げると複雑に重なっているように見えるのは難易度を上げたからだろう。ぶつかって壊れたら新たに障害物を拾ってきては追加して、こんな複雑怪奇なものができあがった。
アンジェリーナの代わりに中をのぞいたジルベルト様も目を丸くする。
「たしか魔法の訓練にこういう方式を取り入れている国があったな。ムダルガンド、魔装迷宮で有名なところだ。だが私が見たものよりもずっと高さがあるな」
「ルベルは最近、これが特にお気に入りでな。連れてくると喜んで遊んでいたし、誰よりも上手に潜り抜けるんだ」
「遊びながら訓練もかねているとは、賢いな。それでアンジュ……アンジュ?」
ジルベルトは先ほどまで饒舌だったアンジェリーナの声が急に聞こえなくなったので不安になって振り向いた。
……そういえば最近このパターンが多くないか?
まさかまた罠に引っかかってどこか別の場所に放り出されているのではないだろうな!
あわてて振り向いたけれど視線の先にはちゃんとアンジェリーナがいて。安心したのも束の間、背を向け無言で空洞を見上げている妙に静かな背中にジルベルトは嫌な予感しかしなかった。
絶対、普通ではないことを考えている……。
その普通でない娘の背中がいきなり振り向いた。目が合うと瞳はキラキラと輝いている。
瞬間、ジルベルトは悟った。
間違いない、悪い予感は的中している。
「ジル!」
「ダメだ!」
アンジェリーナがジルベルト様の名を呼ぶと、なぜか彼は即答した。
まだ名前を呼んだだけなのに。
「ジルベルト様、お願いします」
「丁寧にお願いされてもダメだ、許可しないぞ!」
あれ、もしかして何をしたいかバレている?
正直に言うと怒られそうだから、さくっと言質だけ取ろうとしたのに。
話は終わったとばかりにジルベルト様が横を向くと隣に立つ王子殿下が首をかしげた。
「どうした、ジル。急に大声を出して」
ジルベルト様はアンジェリーナと視線を合わせないようにして深々と息を吐いた。
「アンジェリーナが大樹の上から飛び降りてみたいそうだ、竜がするみたいに」
「すごいですね、まだ何も言ってないのに正解です!」
「は、え? 上から?」
さすがの王子殿下も言葉を失ったようです。
アンジェリーナと空洞とジルベルト様を順番に見て、視線をさまよわせています。
「すまん、俺の常識が仕事をしてくれないのだが。それは常識で、俺が非常識なのか?」
「安心しろ、十人中十人が間違いなく非常識だと答える」
ふふ、びっくりでしょう。でもねちゃんと理由はありますよ!
「ルベルのいた痕跡がどこかに残っているかもしれません。上から降りて確認してみればわかると思いますよ」
「翼がないのにどうやって速度をゆるめる。それに障害物はどうやって避ける?」
「聖女のローブには空中浮遊の効果が付与されています。速度が出ないように浮かせて調整できますし、障害物も浮きつつ避けますから問題ありませんよ?」
「空中浮遊……セントレア王国の裂け目の上で不自然に浮いたときのやつか」
ジルベルト様と視線が合った。よし、もう一押し。
真面目な顔をして、アンジェリーナは胸に手を当てる。
「王子殿下の騎竜を見つけるためですもの、多少の無理や危険は承知ですわ」
「そこまで……アンジェリーナ、感謝する!」
まず王子殿下が落ちた。よしよし、あともうちょっと!
するとジャミル様がこわい顔をした。
「正直に言いなさい。絶対、面白そうだからでしょう。顔に出てますよ?」
ちょっとジャミル様、あと一押しなんですから邪魔しないでください!
アンジェリーナは無言を貫くジルベルト様の服を握った。上目遣いで、そっと彼の袖を引く。
「お願いです、ジル」
「そんなかわいい顔……ダメだからな、万が一怪我でもしたらどうする」
「その万が一のためにジルがいるのではありませんか。厚かましいお願いですが、できれば下から魔法で補助してくださいません? 風属性の魔法なら、風の刃で障害物を壊すこともできますし、風を起こして私の体を浮かせることもできるでしょう?」
「それはそうだが」
「子供のころ、討伐と勉強と神殿のお手伝いばかりでこういう経験をする機会がなかったのです。ふざけているのではなく、ルベルを探す調査の過程でということでお許しいただけませんか?」
ぐっとジルベルト様は呻いた。アンジェリーナは眉を下げて困った顔をする。
一秒、二秒……彼は深々と息を吐いた。
「一回だけだからな」
「はい!」
よし、落ちた。アンジェリーナは満面に笑みを浮かべる。
浮かれた足取りで王子殿下と共に転送機に乗ってアンジェリーナは大樹のてっぺんまで移動する。
真下ではジルベルト様が待機して、ジャミル様は万が一のために回復薬と治癒薬を取りに行くとガマロのところに戻った。
「本当に大丈夫か、いまさらだがやめるなら今だぞ?」
「大丈夫ですよ、裂け目から光が差しているので、ちゃんと障害物も見えていますし。リゾルド=ロバルディア王国では魔獣の墓場の上で命がけの空中浮遊したことがあるのですが、それに比べたら楽勝です」
「墓場、命がけ……縁起でもない言葉がちらほら聞こえた気がするが」
「気のせいじゃないですかねー、じゃあ行きますよー!」
縁起も何も、止められる前にとっとと降りてしまえばいいのです。
ためらいもなく、アンジェリーナは空洞に飛び込んだ。
まずは一気に下降して、ふわりと体を浮かせる。
ふわり、ふわり。さらに障害物を器用に避けながら下降していく。
「やっぱり、障害物の置き方には個性があるみたいだ」
竜は賢い。自分にとって不得手なものがわかっているから難度を上げることもできるのだ。
しかも途中に何ヶ所か、アンジェリーナの体の大きさでもぎりぎりでしか通過できないところがある。
ふわりと体を浮かせながら、アンジェリーナは隙間を通り過ぎた。
「あら、この隙間の大きさはもしかして」
ああ、なるほどねー。本当に竜は賢いわ。
その後も危なげなく、速度を上げたり落としたりしながら障害物を避けていく。
「あ、ジル!」
真下にジルベルト様の姿を見つけたアンジェリーナは体を浮かせながら手を振った……大抵の場合、気を抜くと確率でとんでもないことになるということを忘れて。
ちょうど運悪く、大樹にできた隙間から強い風が吹き上げる。
風をつかみ損ねたアンジェリーナの体は煽られて、大きくバランスを崩した。
「わわ、っと……これ何か、あっ!」
とっさに目についたものをつかんだアンジェリーナはバランスを取ろうと別の障害物に手を伸ばす。ところがつかんだ枝はあっさりと折れてしまった。勢いがついて目の前にはすでに別の障害物が迫っている。
しまった、ぶつかる!
アンジェリーナは衝撃に備えて身を硬くした。
すると体の横を強い風が吹き抜ける。
一刃の風はアンジェリーナが触れる寸前のところで障害物を切り落とした。
あ、あれ。痛くない?
衝撃がこないことを訝しく思ったアンジェリーナは、ふわりと体を浮かせながら下を向いた。
すでに障害物は取り払われて、落ちる先にはあせった顔で両手を広げたジルベルト様が待っている。
「アンジュ!」
ああ、ジルベルト様がこの辺りの障害物を全部切り落としてくれたのか。
最後にふわりと体を浮かせてアンジェリーナはジルベルト様の腕の中に飛び込んだ。
「お待たせしました!」
ジルベルト様は深々と息を吐いて、アンジェリーナを深く抱き込んだまま力尽きたように膝をつく。
「……怪我は?」
「ありません、ありがとうございます」
優しいな、真っ先に私の安否を確認してくれるなんて……とほっこりしたのも一瞬のことでした。
「どこが問題なしだ、完全に大怪我一歩手前じゃないか。いい加減にしろ!」
「はいいい、申し訳ございません!」
おそろしい形相をしたジルベルト様に大変厳しく叱られました。
ええ、もうしません。
――――
「それで何かわかったか?」
「そうですね、いくつかありますが」
ガマロの待つ水辺へと歩きながら、王子殿下がアンジェリーナに尋ねる。
一ヶ所目のオアシスはハズレだった。王子殿下とジャミル様で手分けして周辺も探してみたけれどルベルの姿は見つからなかったそうだ。明日はまた別の場所を探すので、この場所での捜索はこれで終了。
今はジルベルト様と並んで歩きながら王子殿下に結果を報告しているところです。
「まず空洞の中に置かれた障害物ですが、どうやら好みがあるみたいですね」
置き方、素材、強度まで。個々の竜が好んで使う木の種類によっても難易度は変わる。
「それから、ところどころに私の体でもぎりぎりでしか通過できるような狭いところがあるのです。下から見上げて気がつきました?」
「いや、よくわからなかったが」
「竜舎にお邪魔して成体の大きさを確認しました。いくら難度を上げたかったからといって、通れないような隙間をわざわざ作るのは無駄でしょう? たぶんあれは私くらいの体の大きさの竜が作ったものです」
「アンジェリーナと同じくらいの大きさ……ルベルか!」
「どうやら最近遊びに来たようですよ。狭い隙間を潜り抜けたときについたと思われる竜の気配が残っていました。それとこれが枝に引っかかっていたのですけれど、何だかわかりますか?」
アンジェリーナはローブのポケットからオレンジ色のリボンを取り出す。
風に煽られたとき目について、とっさに手を伸ばしてつかんだものだ。
あの後、落ちそうになったり叱られたりして、すっかり今の今まで忘れていましたよ!
オレンジ色のリボンを受け取った王子殿下は息を呑んだ。
「ルベルのものだ!」
「狭い場所を潜り抜けたとき、枝に引っ掛かっていました」
「騎竜につける手綱はまだ早いかと思ったから、目印として代わりにこれをつけた。本当は追跡用の魔道具をつけるという意見もあったのだけれど、ルベルが魔道具を嫌がってやめたんだ」
迷子の竜が目印を残して姿を消した。
手に握るリボンを見つめたまま、王子殿下の顔色がどんどん悪くなっていく。
「ルベルの身に何かあったのだろうか」
彼の真剣な表情を見て、きっと大丈夫なんて言葉が安易に言えるわけがない。
往路のにぎやかさとは対照的に復路は全員の口が重かった。
静かにヒデラ砂漠を後にして、最低限の会話を交わす。
本日の宿は王都にあるので、ヒデラ砂漠から王都へと向かう転送機に乗った。
明日はまた別の場所を探す。今度こそ見つかるといいのだけれど。




