主役と悪役 ※他者目線
聖女の国と呼ばれるセントレア王国において、聖女は国の威信を高める広告塔の役割も果たす。彼女達の評価が国の価値に直結するのだから、人々の望むように振る舞うのは当然だった。
ただひとり、魔除けの聖女を除いて。
魔除けの聖女の価値を落とすことは国策だ。国を存続させるための尊い犠牲。国一丸となって、少しずつ魔除けの聖女の価値を落とした。
聖女と魔女、主役と悪役。
新しい駒を手に入れたことで国は安定し、これまでうまく回っていたのに――――。
時は遡って、アンジェリーナがせっせと食堂で日替わり定食を運んでいたころのこと。
冷淡な為政者の顔で王は机を指先で軽く叩いた。
「やはりリオノーラは駄目か」
「は、閉じ籠ったまま部屋を出ようとしません」
「所詮、王妃になる覚悟も器量もない平民の娘か」
建国以来はじめてセントレア王国は魔獣の襲撃を受けていた。未曾有の出来事により存亡の危機に直面している。王妃でありながら見苦しく取り乱して。あるまじき振る舞いと眉をひそめる者も多い中、王は平然としていた。
「リオノーラに王妃は務まらない。そんなことは最初から承知していたことだ」
ただ結界の聖女を国に縛りつけるために王妃の座を与えただけ。王妃としての執務や外交はすべて側妃がこなしているし、国外に出せないので社交も国内のみに限られる。聖女だからこそ、お飾りの王妃でも許されたのだ。
「まあいい、結界の聖女として務めに影響が出ないなら引きこもりでもかまわん。放っておけ」
それよりも現状をどうにかしなければ。
「魔除けの聖女が国を出たのは間違いない。魔獣や魔物に襲われているのがその証拠だ」
予想もしていなかったことに誰もが顔色を悪くする。聖女筆頭である魔除けの聖女が国を捨てるなんて思ってもいなかったからだ。王は十五年前に譲位されたとき、先代の王から伝えられていたことを思い出した。
「魔除けの聖女の忠誠だけは失わないように。彼女達はこの国の要だからな」
なぜだ、魔獣も魔物もこの国には近づかないというのに。だが彼女達の能力を聞いて納得した。魔除けの聖女がいるおかげでセントレア王国には魔獣も魔物も近づかない。ただそれと同時にこう思った。魔除けの聖女の力を失えば抵抗する知識も術も持たないセントレア王国はあっという間に滅んでしまう。
今から兵士を育てるというのも無理があった。なぜなら彼らは生まれて一度も魔獣や魔物を見たことがないからだ。いまさら重要性を説いたところで理解できるかどうか。
それよりも魔除けの聖女を国に留めることのほうが重要だ。
元々、彼女達には他の聖女よりも高い手当てが支給されている。王になってからそれをさらに増額してやった。そのほうがこちらの意向を通しやすいからな。そして代替わり前だという先代と次代の魔除けの聖女を呼び、謁見することにした。王自ら声をかける、聖女筆頭とはいえ平民に対しては破格の扱いである。
彼らは臣下となるのだから、良い関係を築いておかねばならない。
謁見の場に同じ髪色、同じ瞳の色をした二人が並ぶ。整った顔立ちに抜けるような白い肌と血のように赤い唇。ずいぶんと歳は離れているが祖母と孫と呼んでも違和感がないくらいに容姿の特徴が似ていた。これで血のつながりがないというのだから不思議だ。王の声を待つ二人の礼の姿勢は古式ゆかしいもの。それがなおさら建国以来綿々と受け継がれる聖女にふさわしいものと思われた。
「今日はよく来てくれた。姿勢を戻してよい」
「お招き光栄に存じます」
老齢の聖女が豪奢な紫色のローブを捌くと顔をあげた。続いて次代の聖女が顔をあげる。
あれが次代の魔除けの聖女、名はたしかアンジェリーナと申したか。
この娘が自分の代で支柱となるのだろう。度胸のある娘だ、視線をさげつつしっかりとこちらを値踏みしている。まだ幼い少女ではあるが大人びて堂々としているところはさすがと王は口角をあげた。先代もなかなかの気の強さと聞いたがこの娘もしっかり資質を受け継いでいるらしい。魔のつくものを退けるには、気が強くなくてはやっていけないのかもしれないな。
「代替わりは問題なく進んでいるか?」
「はい、すでに座学は修了しております。今は実地にて経験を積ませているところ。才能あふれる優秀な娘ゆえに、私を超える立派な聖女となるでしょう」
するとアンジェリーナの顔がふわっとほころんだ。愛らしく、気を許した者にだけ見せる年相応の幼い顔。その瞬間、王は思った。気が強くとも、この娘なら御せる。きちんと価値を認めて対価を支払えば、自分の役割を理解する義理堅い娘のように見えたからだ。
「魔除けの聖女よ、さまざまな困難があるだろうがこれからもセントレア王国をよろしく頼む」
「ご期待に添えるよう、我ら全力を尽くします。ついてはこれまでの忠義に免じて、いくつかお願いがございます」
「よい、聞こう」
「代替わりの前に次代の聖女の実力を試すため、先代は国外に出るという慣例がございます。先代であるわたくしめが旅行へ出る許可をいただきたく存じます」
たしかに、そんな打診が神殿からあったな。だがその願いはただちに却下していた。不慣れなアンジェリーナのみでは不安だ。それに二人いたほうが、より心強い。だが先代は王の憂いを振り払うよう、にこやかに微笑んだ。
「若いアンジェリーナの実力を不安に思う気持ちはもっともなこと。ですがご安心ください、この二年の間、魔除けの結界を張っているのはアンジェリーナにございます」
「な、なんと!」
「魔除けの聖女は代替わりになるとゆるやかに力を失っていきます。おそらく、自身の力もまた次代にゆずるのでしょう。ですから今の私は力なきただの老婆にございます。国を出ても問題はございません」
「……」
「この二年の間、魔除けの結界に綻びはありましたでしょうか。魔のつくものが国境を荒らしたという報告はなかったと記憶しております」
たしかに。彼女の言うことが本当であればアンジェリーナは十分に役目を果たしている。それでも難色を示す王に魔除けの聖女は膝を床に突き、深く首を垂れた。
「それでは代わりに歴代の魔除けの聖女が望み続けた願いを叶えていただきたく、あらためてお願い申し上げます」
アンジェリーナも同様に膝をついた。
「次代の魔除けの聖女の実力をご不安に思うのであれば、なおのこと。従前から陳情申し上げていたとおり、セントレア王国の精鋭に魔獣との戦闘経験を積ませてくださいませ」
たしかに彼女だけでなく歴代の聖女からも同様の陳情があがっていた。魔除けの聖女の力に頼りきりになることなく魔獣を迎え撃つ体制を調えてほしい、というものだ。
王は眉をひそめた。王の政治に注文をつけるのはいくら聖女でも口が過ぎる。そばに侍る高位貴族達も不愉快という表情を隠さなかった。しかも正論だけに無下にもできず、余計腹立たしい。
「そなたらは政治にまで口を挟む気か?」
「とんでもないことです、我々にはそのような意図はございません。ですがアンジェリーナが若輩者であることを懸念されているのでしたらご心配を払拭するためにも手厚く防御力を高めてはと申し上げたまで」
表立っては公表していないが、稀に他国の魔力だまりから生まれた魔獣が国境付近をうろつくことがあった。それもいつのころからか魔獣の処理も魔除けの聖女に一任するようになっている。精鋭と名高い兵士ですら魔獣や魔物を見たことがないという現状を懸念しているのだろう。だがそれこそ余計なお世話というものだ。
「魔を弾き、魔を退ける。それは、そなた達の仕事であろう」
人材にだって限りはある。適材適所、魔除けの聖女という使える手があるのなら、使わずにしまっておくのはもったいない。そのために多額の手当てを支払っているのだから。
それに多くの人が動き、物資が必要となる遠征費や防衛費はバカにならないのだ。いつ現れるかわからない魔獣や魔物のために多額の予算を割くなんて馬鹿げている。結界さえあれば防衛費を全て別の費目に割り振ることができる。そのほうが国は潤うし、無駄もない。
政治が何たるか苦労を知らない聖女が、生意気に。だから王は若干怒りを滲ませながらこう答えた。
「魔獣対策はそなた達に一任する。これからも懸命に励むのだ」
「差し出がましいことを申し上げていることは承知しております。ですが老いて死にゆく我が身、できることならば跡を継ぐこの娘に少しでも多くのものを残してやりたいという親心でもあるのです。どうか、私に最後の義務を果たす機会を与えていただけませんでしょうか」
王は言葉に詰まった。さすがにそこまで言われては、このまま全ての願いを無下にはできない。魔除けの聖女とはできる限り良好な関係を築いておきたいからだ。慈悲深さを臣下に示す良い機会と思い直して、鷹揚にうなずいた。
「そこまでいうのなら、わかった。今までの功績を鑑み、一時的に他国へ出ることは許そう。視察という名目で、監視はつけさせてもらう」
「ありがとうございます!」
「よかったですね、おばあさま!」
「ええ、ええ。それもすべてあなたが後継者にふさわしく成長してくれたおかげです。これまでよくがんばってくれました」
二人は揃って顔を輝かせた。そして先代は涙ぐんだ目元をそっと拭うような仕草を見せた。
「私は生まれてから今まで、一度も国外に出たことがありません。死ぬまでに一度でいいから他国を見てみたい。ずっとそう願っていたのです。感謝いたしますわ!」
「……う、うむ」
そこまでのことなのか。正直なところよくわからないが、さすがに誰からも反対する声はあがらなかった。そして先代の魔除けの聖女が視察先として選んだのはリゾルド=ロバルディア王国。限られた時間の中で強行軍だったためか、その後体調を崩して半年も経たずに亡くなったのだ。
彼女が生前に作成した報告書は、神殿の知恵の書と呼ばれた女性が記したものだけあって驚くほど完成度が高かった。そこに記された魔の巣窟の現状と、魔獣の大移動を警戒せよという趣旨の内容を読んだ王は決断した。
もはや良好な関係などと悠長なことは言っていられない。関係が崩れてでも魔除けの聖女を国外に出すわけにはいかなくなった。魔除けの聖女を失えば、セントレア王国は魔獣や魔物から国を守る術がなくなる。だからアンジェリーナが他国に興味を抱くことも、彼女の存在に他国が興味を持つことも両方ともに阻止しなければ。
彼女を国に縛りつけるため、若い娘の好みそうな容姿の美しい婚約者をあてがって、多額の手当てを支払ってきたのだ。悪い噂が流れているのを否定することがなかったのも、無能で役立たずでないことは王と限られた一部の高位貴族が知っていればいいことだから。彼女の精神面は聖女の活動を支援する神殿が支えてくれる。これですべては上手くいく、そのはずだった。
新しい駒を手に入れたと思っていたのに。
まさか駒が差し手の意図を無視して勝手な行動をとるとは思わなかった。
「神官は管理を怠り、褒賞である手当てを支給担当者が着服。こちらの意図を無視して勝手なことを」
「こんなことになるなら最初から逃げないように鍵付きの部屋に閉じ込めておくべきだったのでは?」
「できるならそうしている」
かつて他国の使者に心奪われた魔除けの聖女が国を捨てて出奔しようとしたことがあった。直前に計画が露呈し、なんとか阻止したが罰として娘を拘束し牢に閉じ込めたのだ。
「すると三ヶ月も経たずして、娘は亡くなったそうだ」
「病気でしょうか?」
「いいや、原因不明だ。ただ、まるで命の火が消えるようだったとだけ記されている」
突然、彼女を失って戦々恐々としていたが次の魔除けの聖女が生まれたことがわかり、当時の王は安堵したそうだ。だが神殿に預けて娘に洗礼を受けさせたとき神託が下されたという。
次はない、と。神官長が王の言葉を引き継いだ。
「当時の王は閉じ込めたのがよくなかったと反省しました。そこで最低限の自由を保障しつつ監視するため、魔除けの聖女を神殿で預かることになったのです。聖女の活動を支援する名目で予定を把握し、行動を報告するためでした」
今回のことは、その対応が裏目に出たのだと今ならわかる。
「無能で役立たずと呼ばれていましたが、実のところ、聖女アンジェリーナは要領が良く器用な娘でした。彼女だからあれだけの仕事量をギリギリこなせていたのです。他の娘であれば早々に精神を病むか、身体を壊していたでしょう」
「そんなにか」
「教養もありますし、聖女でなければ優秀で役に立つ娘と評判になってもおかしくないはずです」
何も知らないグイドが、なんでもかんでもやらせるからこうなった。ジャガイモが秒で剥けるスキルを持つ娘なんてそうはいないぞ。器用すぎるのも困ったものだと神官長は遠い目をした。
「国外に聖女アンジェリーナの容姿を公表することを進言します。広く知らしめて、情報を集めるのです。そうでなければあっという間に市井の生活に馴染んで余計探しにくくなるでしょう」
「それしかないか」
監査官からも同様の進言があがっている。今後のことを踏まえると悪手だが、そうも言っていられない。とにかく居場所さえ掴めればなんとかできるし、してみせる。
そう結論づけて、他国に聖女が行方不明になっている旨と捜索を依頼した。すると呆気なく判明したのだ。
「よりにもよって、リゾルド=ロバルディア王国か!」
「魔除けの聖女らしい選択とも言えますな。かの国には魔の巣窟がある」
王は歯噛みした。一番避けたい相手だったから、わざわざ回答文にも添えさせたのに。このままでは魔除けの聖女の能力が遺憾なく発揮されてしまう。それがアンジェリーナの狙いなのだとすれば、存外に性悪だ。
「しかも対魔獣特務部隊本部にある食堂で働いているそうです。黒い髪に紫色の瞳、しかもジャガイモが秒で剥けるそうなので本人に間違いないだろうと」
「何をやっているのだ、あの娘は!」
王は頭を抱える。魔除けの聖女が食堂で日替わり定食を運んでいるなど欠片も想像していなかった。
「それに対魔獣特務部隊本部といえば最前線ではないか。魔除けの聖女を失えばこの国は終わってしまう」
国の駒が、勝手なことを!
「速やかに連れ戻せ。親書を持たせた使節を差し向けたいが誰が良いか?」
「順当なところで婚約者であったグレアム・べアズリース伯爵子息、それから上司であったグイド神官でしょうな」
「たしかに、接する機会が多かったのだから情が湧くこともあるだろう」
「べアズリース伯爵子息は聖女アンジェリーナが愛する自分に捨てられたことを悲観した挙げ句に失踪したのだと弁明しておりますし、グイド神官は聖女アンジェリーナに寄り添う機会を失したことを悔いております。挽回させる良い機会ではないでしょうか」
王は鼻白んだ。なんだ、失踪した理由は男女関係のもつれか。バカバカしい。
「いいだろう、二名を速やかにリゾルド=ロバルディア王国に派遣せよ。緊急事態ゆえに、各国にも転送機を使わせてもらえるように打診しておく」
側近の言葉をまるっと鵜呑みにして、王は指示を出した。それが最大の悪手であることを知らないままに。そして深々と息を吐いた。
「まったく昔から変わらず愚かなことだ。愛や情に流され、国を守るという使命を忘れおって」
セントレア王国よりも価値のあるものなどあるはずもない。魔除けの聖女に愛や恋などという感情は邪魔になる。だからこそ結ばれた政略的な婚約だ。それがなぜ理解できないのだろうか。
それとも無能で役立たずという言葉どおりに政略による婚約の意味がわかっていないのだろうか。王にこれだけ手をかけさせて、いい迷惑だ。
「まあいい、早急に次の婚約者を決めなければ。べアズリース伯爵子息でなくてもいい、無能で役立たずでもいいからもらってくれるという親切な貴族を適当に見繕っておくように。それから……」
あまり使いたくない手だが仕方ない。
「調薬の聖女に命じておけ。毒でも薬でもかまわない。人をいいなりにする魔法薬を献上せよ、と。国に戻ったら、二度とこういうことがないように手を打たねばなるまい」
側近がハッと息を呑んだ。誰に対して使うものか、わかってしまったからだ。そして続けて王は鍵つきの金庫から取り出したあるものを側近に手渡した。
「どうしても聖女アンジェリーナを連れ戻せないときはコレを使うことを許可するとグイド神官に伝えよ」
「……!」
手にしたものを見て、側近はわかりやすく青ざめた。
「こ、これはさすがにやりすぎではないでしょうか⁉︎」
「どちらにせよ失うのなら、わずかでも取り戻せる可能性があるほうに賭けるのは当然だ」
真っ青な顔をした側近が震える手で受け取るのを確認して、王は窓の外で繰り広げられる喧騒に視線を向けた。王城に詰めかけた国民による抗議活動。いつどこで漏れたか、魔除けの聖女が逃げ出したことを知られてしまったようだ。国を守るために王は不祥事を握りつぶし、アンジェリーナが勝手に仕事を放棄して逃げたとだけ発表する予定だった。
魔除けの聖女は悪役だからな。
連れ戻したとしても聖女アンジェリーナには茨の道が待っている。あの娘の自業自得だ、仕方ない。国の駒でありながら自分勝手な行動をとった報いだ。
愛や情は人を弱く愚かにする。だから聖女に愛や情などいらない。
魔除けの聖女が愛のために国を捨てるなどあってはならないことなのだ。




