8話 「どうぞ好きなだけ見張ってください!」
(色も……よく似ているような)
わたしは肩から垂らしている髪に触れた。
持っている毛束を、自分の髪に近づけてみる。
まったく同じだった。色だけでなく、太さも質感も。
(でも、まさか……)
赤い絹糸で束ねられた毛は、片端がぷっつりと直線に切れている。
はさみで切った跡だ。
(そういえば去年、グラン様の滞在中、庭で髪を切った気がする)
切った髪はそのまま庭に放置した。まさか、あの時の?
(これがわたしの髪なら、森狼に襲われた時、グラン様がすぐに見つけられた説明もつく)
探索魔法を使ったのだ。わたしの髪を使って。
ぞっと、全身に悪寒が走った。
(え!? なに!? なんで!?)
混乱したまま辺りを見回すと、ベッドの脇に革張りの手帳が落ちているのに気づいた。
これも子犬が引きずり出したらしい。ページが開いている。
開かれたページの文字が目に飛び込んできた。
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・名前 :ニナ=リムーザン
・誕生日:グロリア暦2024年11月15日生まれ
・外見 :推定身長157、推定体重47。茶目茶髪
・性格 :真面目、献身的、信仰心が強い
・好きな物:読書、アメリルの実
・嫌いな物:ヘビ、人前で注目されること
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(わたしのことが書いてある……)
心臓がドクドクと鳴っている。
こわごわ、ページをめくった。わたしの家族構成、親戚の姓名、果てには交友関係が余すところなく書いてあった。
(ちょっと待って。行動まで記録されてる)
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5/3 午前、菜園の世話。午後は姉妹でパン作り、奉仕活動
5/4 午前、掃除。午後、お使い。奉仕活動
5/5 午前、市場。午後、石鹸作り。奉仕活動。
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グラン様に話した覚えはない。けれど、夕食の席で、何があったか母に報告しているから、グラン様でも分かる内容だ。
(なんでこんなこと……)
考えて、はっと閃く。
(バレてたんだ! わたしが転生者ってこと!)
それなら、この奇妙な状況も説明がつく。
(一瞬"ストーカー"って単語がよぎったけど)
前世の知識から得た単語だ。好きな相手のものを収集したり、相手を監視したり、つけまわす人間のことを指す。
(あのグラン様がそんなことするとは思えないし。執着される理由も心当たりがないし)
もう一度、ノートに目を落とした。
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・やや強引かと思ったが、警戒はされていないようだ
・アメリルの実が好きな様子。近づくのに使えるかもしれない
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やっぱり浮かれちゃいけなかった。
グラン様の親切を、素直に、ありのままに受け止めちゃいけなかった。
あれはわたしの油断を誘い、信用させるための手段だったんだ。
「キャン!」
子犬が甲高い声で吠えた。
後ろを見て、ひっと悲鳴を上げる。
(グラン様……!)
もう声が出なかった。
「違います、ニナ。これは」
グラン様はわたしの持っている髪束と手帳を見て、青くなっていた。
「い、い、いつから……?」
転生者と気づいていたの?
うまく喋れなかったけれど、グラン様はわたしの質問を察してくれた。
重そうに口を開く。
「……初めてお会いした時からです」
そんな最初から!?
「なんで……」
「初めてお会いした時、あなたは葬儀の帰りでした」
そうだった。あの日は、一緒に奉仕活動していた農家の奥さんが亡くなって、お葬式に参加した帰りだった。
沈んだ気分で帰ってきたら、天使画から抜け出たような人がいたからびっくりしたんだった。
「亡くなった方には、まだ幼い子供が四人いて」
葬儀で、泣いていた子どもたちのことを思い出す。一人はまだ赤ちゃんだった。
「母親が早くに亡くなったことを、あなたは子どもたちのために悲しんでいらした」
ああ……アレで。あの発言で気づかれたのか。
「クライス教では、早死にする人は神様に呼ばれた人。神様に呼ばれるほどいい人、ということです。だから、悲しむことではない」
そう、むしろ喜ぶべきこと。子どもたちには『お母さんを誇りに思うんだよ』っていうのが普通。
だけど、前世の記憶があるわたしは、『神様に選ばれて幸せ』という解釈を素直に受け入れられなかった。
『子どもを残して逝くなんてお母さんも辛いだろうね』という21世紀の日本の価値観の方がしっくりきた。
だから、
「あなたは言いました。『大事な人を悲しませるくらいなら、わたしは神様のお誘いを断ってこの世に残る』と」
時を巻き戻したい。使徒の前でなんて反クライス教発言を。
「その時、思ったんです。こんなにも情の深い人なら……」
グラン様の声は少し震えていた。
「きっと、簡単に大切な人を置いていったりはしないだろうって」
何か深い事情がありそうだけれど、わたしの頭はもうそれどころじゃない。
(やっぱり、転生者だってバレていたんだ!)
たった一度の失言で、わたしが異世界の価値観を持つ転生者だって気づくなんて。
使徒ってやっぱりすごい。なんて勘がいいんだろう。
(そう考えれば、グラン様がわたしの昔話を聞きたがったことも納得)
転生者の証拠集めだったに違いない。「あなたのことなら何でも知りたいんです」とまで言って、興味津々だったし。
(どうしよう……どうやったら助かる?)
嫌だ。こんなところで死にたくない。家族を巻き添えにだってしたくない。
「グラン……様」
命乞いを試してみようと顔を上げ、意外な表情に出会う。
グラン様は悲しそうな顔をしていた。
(もっと、悪魔のわたしを憎む顔をしていると思ったのに)
逆だ。グラン様の方も辛そうにしている。
「このことは一生、隠し通すつもりだったんですが……知られてしまいましたね」
グラン様の暗い声に、わたしは一筋の光を見出した。
(待って……? 一生、監視を隠し通すつもりだったってことは、わたしを見張るだけで、殺すつもりはないってこと?)
転生者は悪魔。だから使徒の討伐対象、とばかり思っていたけれど、必ずしも討伐されるわけではないのかもしれない。
(わたしなんてザコみたいなものだもんね)
情けない事実だけれど、胸に希望の芽がすくすくと育ち始める。
(おとなしくしていれば、従順にしていれば、退治されずに済む?)
本当にその気があったら、こんな問答に付き合わず、さっさとわたしを討伐しているんじゃないだろうか。
萎えていた手足に力が戻ってくる。
「すみません、こんな人間で……幻滅したでしょう?」
絶望しているグラン様に、わたしは頭を振った。
「いえ! ぜんぜん!」
明るく言う。生き延びるために。
「構いません、グラン様。どうぞこれからも好きなだけ見張っていてください!」
「……は?」
青い目が瞠目した。




