7話 疑惑
森狼に襲われてから二日が経った。
教会の奉仕活動を終え、風車を目指して歩く。
約束通り、グラン様が待っていてくれた。
馬は連れておらず、一人で立っている。わたしが目立つのを嫌がっていたので、馬は先に帰らせているらしい。
「お疲れさまでした」
パンパンに膨れた布袋を渡される。
中を開くと、薄紅色の実がぎっしりと詰まっていた。アメリルの実だ。
「こんなにたくさん!」
「山に生っていたので、取ってきました」
「ありがとうございます!」
「先日は森狼たちに食べられてしまって、残念でしたね」
……ん? グラン様にその話、したっけ?
「食事中に、お姉様との会話が聞こえましたので」
席、あんなに遠かったのに。よく聞こえたなあ。
ちょっと引っかかったけれど、アメリルの魅力に負けた。
「お好きなんですか、アメリル」
「はい! でも、おやつに食べるなんて贅沢だからって、なかなか食べさせてもらえないんです」
売ればお金になる貴重品だから、食べられるのは傷みのあるものか、よくお手伝いした時のご褒美くらい。
この世界ではおやつ一つ手に入れるのも苦労する。
(あー! 日本の安くてバラエティ豊かな食生活がうらやましい!)
あんな世界、知らなきゃよかった……とちょっと恨めしく思う。
「これ、本当に食べていいんですか! 自由に食べていいんですか!?」
「どうぞ。全部ニナのものですよ」
くすりと笑われた。テンション高すぎて、呆れられているんだろうな。
でも、そんなのはささいなこと。さっそく一粒つまむ。
「わ……! こっちで取れるのより、山で採れる方がおいしい!」
味が濃くて甘い。魔力の濃い土地に生る実ほど品質が良いというのは本当らしい。
ついもう一つ、二つと食べてしまう。
「乾燥させる前になくなってしまいそうです」
さらに食べていて、グラン様の視線に気づく。顔が赤くなった。
「すみません……夢中になってしまって」
「いえいえ」
グラン様は顔の前で手を振った。
「可愛いなって」
その微笑はいつもと違って見えた。
いつものものより、自然で、温かくて。
まるで本当の気持ちが漏れ出したみたいな、優しい微笑だった。
(こんな顔もするんだ……)
何度目かわからないけれど、見惚れてしまう。
髪が黄金色の夕陽に照らされて、きらきら輝いている。
「グラン様は……本当に、天使様みたいですね」
こんな人が世の中に存在することが信じられない。
心からの憧れと尊敬を込めて、青い瞳を見つめる。
すると、視線を外されてしまった。
「私はそんなに出来た人間ではありませんよ」
グラン様は困ったように苦笑する。
「天使だなんて……私にはもったいない言葉です」
「そんなことないですよ!」
断言したけれど、グラン様はやっぱり困ったような顔をしただけだった。
グラン様が出来ていない人間だったら、世の中の九割は出来ていない人間になってしまう。
「アメリルの実、干したらグラン様にもお渡ししますね」
そう言って、気づく。
「あ、でも、間に合わないかもしれません。もうお仕事に戻られますよね」
滞在を始めてそろそろ一週間。確か「十日ほどお世話になります」と言っていたから、三日もすればグラン様とはお別れだ。
(あと三日……! あと三日……!)
お裾分けできないことを申し訳なく思いつつも、見えてきたゴールに喜びも覚える。
最近、わたしの情緒は忙しい。
「アメリルは煮てもおいしいですから、姉にジャムか何か作ってもらいますね」
「干して大丈夫ですよ。完成まで待ちます」
……え?
わたしは耳を疑った。
「待つって……乾くまで、十日くらいかかりますよ?」
「実は次の任務、この近くの池なんですよ。
なので、引き続きニナのお家にお世話になることになっていまして」
は?
「もう少しご厄介になります」
にこにこと笑顔を向けられる。
わたしは頬が引きつりそうになりながら、精一杯、愛想笑いを返した。
(もう、わたしの方がしばらく家出しようかな……)
そういえば、とグラン様が話題を変えた。
「熱を出した弟さん。体調はいかがです?」
「今朝、ようやく熱が下がったので、もう治ると思います。ご心配ありがとうございます」
「それはよかった。なら、ニナも今日の夜は眠れますね」
軽く、目の下に触れられる。
クマがあるのは自分で気づいていたけれど、気にされているとは思っていなかったので、びっくりした。
「ニナは自分のこと後回しにするところがあるから。気をつけてくださいね」
「――」
胸がいっぱいになるって言葉は。
きっと、こういう時に使うんだろう。
「……ありがとうございます」
いつも「ニナはしっかりしているから」で済まされて、わたし自身のことを気にかけられることなんて滅多にない。
でも、この人は違う。
(だれかが自分を見ていてくれるって……こんなに嬉しいことなんだ)
やばい。グラン様の優しさが予想以上に効いた。涙出そう。
もう家に着いたところでよかった。
玄関でグラン様と別れると、わたしはぐっと目元を拭った。
気持ちを落ち着けてから、厨房へ向かう。
「グラン様から?」
大きなボウルいっぱいのアメリルの実を見て、姉が言う。
「うん。みんなにって」
「この間、ニナが取り損ねたからでしょう?」
姉は何もかもお見通しという顔だった。
「いい方よね」
「……うん」
「従姉に無責任なことばかり言っていた騎士とは大違い」
姉は黙って、わたしにポットとカップを渡してくれた。
教会からの帰宅後、わたしがグラン様にお茶を入れるのはもう定例化している。
「ニナも、そういうお年頃よね」
「そういうって?」
「素敵な男性に心を奪われても、おかしくない年頃」
「ちが……!」
「グラン様みたいな方、そうそういないわよ。もっと浮かれたら?」
浮かれたら……って。浮かれて、いいのかな。
考えが顔に出ていたらしく、姉が笑う。
「あなたね、これだけ特別扱いされていて浮かれていない方がおかしいから。
それとも、男性には全然興味なくて、修道女になるつもりなの?」
「……その予定はない、です」
わたしはポットにハーブを押し込んだ。
(そっか……浮かれて、いいんだ)
すっと、胸が軽くなった。
転生者とバレないよう気をつけることに必死で、グラン様の親切について考える余裕がなかったけれど。
(無関心な相手を送迎したり、プレゼントをくれたりはしないよね)
そう気づいたら、頬が熱くなってきた。どうしよう。たぶん耳まで赤い。
深呼吸を三回してから、ティーセットを持って厨房を出た。
(珍しい。グラン様の部屋の扉、開いてる)
いつもきっちり閉める方なのに。
そっと間から中をのぞいて、わたしは慌てた。
「こらっ! 何してるの!」
子犬が部屋の中を荒らしていた。
妹に、城の中には入れないように言っていたのに。きっと内緒で入れたんだろう。
「もう、こんなに荒らして」
子犬を腕に抱いて、部屋を見回す。
ベッド下から荷物が引きずり出され、散乱している。
(――ん?)
くちゃくちゃになったシャツの上に、銀製の美しいケースがあった。
開いたフタから、茶色い毛束がこぼれ出ている。
(これ、あれだ。グラン様の死んだ愛馬の毛だ)
元に戻そうと毛束に触れて、違和感を覚える。
(確かに、ガレスさんの言っていた通り、馬の毛にしては細くて柔らかいような……?)
毎日触っているものに似ているような。
――そう、例えば自分の髪の毛に。




