6話 疑惑の芽
城につくと、わたしは着替えるために自室へ向かった。
途中で、母とすれ違う。
「ニナ。帰ってきて早々に悪いけれど、マリアがどこに行ったか探してくれる?」
マリアは七つ下の妹。四女に当たる。
「おチビちゃんが熱を出してしまって」
おチビちゃん、は末の弟だ。
母の手には、お粥の載ったトレイがあった。
「そちらに気を取られているうちに、どこかに行ってしまったのよ。もう夕食の時間なのに」
「分かった」
二つ返事で請け負う。
いつものことだ。七人も子供がいると、母も手が回らない。
「そういえばあなた、奉仕活動せずに、どこに行っていたの?」
「行きに寄り道していたら、森狼に――」
話しかけた瞬間、メイドが母を呼ぶ声が響いた。
「奥様、お医者様がお見えになりました」
「今行くわ!」
階段を数段降りて、母は肩越しにわたしをふり返った。
「まあ、無事ならよかったわ。あなたはしっかりしているから、こちらが心配しなくても大丈夫よね」
「……うん」
人生二周目だからね、と自嘲気味に思う。
母を見送って、わたしは階段を上がった。自室で濡れた服を着替える。
灯りはろうそく一本なので、部屋は薄暗い。
(ああ……やだ。なんでまた思い出すんだろう)
前世の記憶が蘇る。
散らかったリビングで着替えている自分。
小学校からの帰り道、用水路に落ちて服を濡らした。
冬だったから寒くて。がちがち震えながら一人で着替えて、濡れた服は洗濯機で洗って、干した。
一段落したところに、スマホに「今日も遅くなります」のメッセージが入る。
冷蔵庫から作り置きのおかずを出して、レンジで温めて、一人で食べた。
(わたしは里奈じゃない。あくまでニナ。別人)
前世の記憶は、画面で見る記録映像に似ている。体験ではなく、ただの情報でしかない。
その証拠に、わたしは里奈のようにお箸なんて使えないし、辛いものも平気だ。
(なのに、どうしてこうも人生が似るかな)
ため息を一つ。
着替えが終わると、わたしは厨房に寄ってから、納屋に向かった。
予想通り、マリアはそこで子犬と遊んでいた。
「夕食だから、食堂に行くよ」
「今日は雨だから、子犬を中に入れてもいい?」
「家に入れるのはダメ。その子、あちこち荒らすから」
子犬に鳥ガラをあげて、わたしは妹と食堂へ入った。
すでに兄夫婦や姉がいたけれど、席はまだ全部埋まっていない。
「お父様とグラン様、呼んできてくれる?」
パンを取ろうとする弟の手をはたきながら、姉がいった。
玄関ホールで、父とグラン様が森狼の件について話しているのが聞こえる。
「――さすが使徒様ですね。私が森狼の退治をした時は、二十人でやったんですが」
「明日、他に魔物がいないか周辺を見回ります。兵士も巡回させていただけますか? 退治は私がしますので」
「助かります」
近寄っていくと、父がわたしの背を叩いた。
「よかったなあ、ニナ。グラン様が見つけてくださらなかったら、今ごろ森狼たちの夕食だぞ」
「本当にありがとうございました」
今一度お礼を言う。
「おまえは昔から妙に知恵の回るところがあるから、心配していなかったが。さすがに、魔物相手ではな」
やめて、お父様。わたしに妙なところがあることを、グラン様の前で言わないで。
「ニナは、昔から賢いお子さんだったんですか?」
やめて、グラン様も。深堀りしないで。
「賢い賢い。あっという間に読み書きを覚えて。八つで私の計算間違いまで指摘するような子でしたから」
「それは驚きですね」
感心されるけれど、わたしは内心冷や冷やだった。
強引に話題を変える。
「お父様も、グラン様も、食堂にどうぞ。もう夕食の準備が整っています」
「ああ、そうか。もうそんな時間だな」
「子供の頃、ニナはどんなお子さんだったんです?」
グラン様! なんでそこを深堀りするの!
内心悲鳴を上げたけど、幸いなことに、父の答えはあっさりしていた。
「どんな……ですか。他には、特に目立った印象もない子ですよ」
父はぽりぽりと頭をかく。
「真面目で、大人しくて、礼儀正しくて。とにかく手のかからない、良い子でした」
七人きょうだいでよかった。
親の関心が分散されているおかげで、詳しい思い出が残っていない。
おまけに次女。
長男長女ほど期待もされないし、末っ子ほど可愛がられることもないから、印象に残らない。
「グラン様は、ご兄弟はいらっしゃるんですか?」
話題を逸らすべく、グラン様自身に話題を振る。
「ええ。兄が一人と、双子の妹が一人います」
「双子! グラン様の妹さんなら、ものすごい美人でしょうね」
「周りからは美人と言われていますね」
「妹さん、可愛いでしょう?」
「たまに窓から放り投げたくなりますが、おおむね可愛いですよ」
前半の暴言のせいで後半の評価が信じられないのは、わたしだけかな。
「私の家族の話なんて、面白いことは何もないので。ニナのことを聞かせてください」
「わたしの方が、面白いことなんて何もないですよ」
「ニナのことなら、私は何でも知りたいですよ」
心臓が、跳ねた。
自分自身に関心を向けられることに慣れていないから、どう反応していいか分からない。
「しょ、食堂、行きましょう」
父はとうに食堂に向かっている。
わたしはグラン様とは遠い位置にある自分の席に腰を落ち着け、ほっと息を吐いた。
今日は心臓に悪いことばかり起きる。
「森狼に襲われるなんて、災難だったわね」
スープを口に運びながら、隣の姉が話しかけてくる。
父とグラン様の会話を、全部聞き取っていたらしい。
「なんだって、雑木林の奥にまで行っていたの?」
「アメリルの実が欲しくて。……結局、全部、森狼に食べられてしまったけれど」
姉は、ふうん、とパンをちぎる。
「よく見つけたわね、グラン様。お城を出て行かれてから、そんなに時間経っていないのに」
「何時くらい?」
「教会の鐘が鳴った時よ」
わたしはくたくたに煮られたキャベツをごっくんと飲み込んだ。
嘘。早い。早すぎる。
五時の鐘が鳴ってすぐくらいに、わたしは森狼たちに木の幹を削られ、追い詰められていた。
駆けつけるまでに、五分とかかっていないのでは?
「そんなに早く、どうやって見つけてくれたんだろう」
「魔法じゃない? 探索魔法とか」
「でも、探索魔法には、探す人の物がいるでしょう? その人の持ち物とか、爪や髪とか」
「そうなの?」
姉は首をひねったけれど、魔法が使えないからか、深く追求しなかった。
「まあ、使徒様だし。何か便利な方法をお持ちなんじゃない?」
「……そうだね。使徒様だもんね」
うなずき合ったものの、わたしの胸の奥には小さな疑問が残った。
(本当に、どうやってわたしの居場所を知ったんだろう……?)




