36話 聖リュシフェル祭
聖リュシフェルの日がやってきた。
ミシェル様が最上級の笑顔で、残り四つの枷を手に迫ってくる。
「ニナ、つけていいですか?」
「――」
ダメだ。頬が引きつる。
「……わたし、ミシェル様になにも用意していなくてですね。わたしだけというのはバランスが」
「大丈夫ですよ」
出てきたのは、わたしに贈られたのとよく似たデザインの環。
手首よりも足首よりも大きなサイズに、イヤ~な予感を覚える。
「ちゃんと私用の首輪もありますから」
首輪って言った。首輪って言ったミシェル様。
「あなたの手で、これを私につけていただけますか?」
「無理です」
「……え?」
しまった、つい本音が。
でも本当に嫌なんだもん!
首輪には鎖もついてて、ミシェル様はわたしの手枷とつなぐ気満々。
予想完成図(にんげんをおさんぽさせてるの図)は、わたしにとって地獄絵図だ。
「わ……たしとミシェル様の愛の深さは同じです。同じでないといけないんです」
やめろ、わたし。目先の苦痛を回避するために、自分をさらに泥沼に沈めるな。
「ミシェル様も手枷でないと嫌です!」
「ニナ……」
ミシェル様が感激しながら首輪を引っ込めた――のも束の間。
「それなら、私もフルセットにするので」
ほらー! さらなる悪夢が来た――!!
「さすがに最初から二人ともフルセットというのは……遠慮していていました。
あなたの愛の深さを疑った私を許して下さい」
いやあああ、事態が悪化したあああ!
「……ひ、一つずつで」
「え?」
「一気につけるのはもったいないので。毎年、一つずつ増やしませんか?」
すごいなー、自分! 土壇場でよく色々と言い訳を思いつくなー!
「その方が想い出深くなると思うんですけど……」
「……なるほど。年と共に愛を重ねる、と」
ミシェル様はあごに手を当て、深々とうなずいた。
「そういうのも良いですね」
「では、そういうことで!」
わたしはすぐさま、ミシェル様の手首に手枷をはめた。
フルセット、回避成功!
今日のツケを払うのが未来の自分ということは、今は忘れておく。
「では、行きましょうか」
「はい」
鎖で繋がれあっているのは違和感あったけど、町へ出ると気にならなくなった。
なにせ今日は町中、そんな人ばっかり。
フル装備の枷を見せびらかして歩くカップルもいるので、わたしたちの手錠なんてかわいいものだ。
わたしは安心してミシェル様に寄り添い、まずは大聖堂へ向かった。
聖リュシフェル様が愛したという赤いバラの花を祭壇に捧げる。
(あ、カエルおじさん)
最初は被り物で驚かされた、ミシェル様の叔父様。
今日も度肝を抜かれた。
(拘束衣――!?)
おじさんは全身を革ベルトでぐるぐる巻きにされていた。
暴れる患者を運ぶときに使うようなやつだ。
移動はもちろん台車。召使さんが押している。
「相変わらず叔母上は束縛激しいですね」
ミシェル様はふふっと頬をゆるめる。
え、これ、微笑ましくなるところなの?
「嫉妬されているうちが花って思ってるよ」
この世の全てを悟っているかのように、穏やかに返すカエルおじさん。
両手を胸の前でクロスさせられた姿は、ステンドグラスの光を浴びてどこか神々しい。
わたしには殉教者に見えた。
「ニナ、どうしました?」
「すみません、涙が……」
「分かります。尊い愛の光景ですよね」
わたしとミシェル様は、お互い種類の違う涙をぬぐった。
礼拝のあとは、大聖堂から演劇場まで続くパレードの見学。
そのままお義父様の説話になだれこんだ。
……うん、説話はやっぱりライブだった。
舞台の上には、白と金の衣装に身を包んだお義父様。
背中の羽根飾りは二メートル超え。登場はスモークと共に、両側で火柱が吹き上がる。
「おいで、迷える子羊ちゃんたち。地獄の最前列から天国の門へ、誘ってあげる」
「キャー! リュシフェル様ー! 堕としてー!!」
堕ちちゃダメなんじゃないかな?
そう思いつつも、お義父様のヴィジュアル系衣装姿はとてもお似合いだったので、わたしも一緒に歓声を上げた。
失神者続出。
下手をすると、本当に天に召された人もいたかもしれない。
「父の斜め後ろにいるのが、兄ですよ」
「今日はさすがにお部屋から出ているんですね!」
メイクしているからよく分からないけど、銀髪で痩身。お義父様似かな?
やっとお姿を拝見できた。
ちなみに途中で、お兄様はソロパートを担当なさった。
その歌声たるや、大変独特。
喉の奥から絞り出すような、うなり声に近い低音。
(デスボイス……!?)
歌詞の半分は怒りと絶望で構成されていて、明らかに聖人の賛歌じゃない。
「兄、体力がないので……。演者にされる恨みつらみがこもっていますね」
ミシェル様は気の毒そうにした。
観客の大半はぽかんとしていたけれど、一部の若者たちは拳を突き上げて大盛り上がり。
(次代はメタル音楽かな……)
新たな時代の訪れを予感させるライブだった。
「楽しめました?」
「はい、とっても!」
汗を拭いていると、ミシェル様が屋台でアイスクリームを買ってくれた。
お礼をいって、ひと口。冷たくて甘い。
(生き返る~!)
と、悦に浸っていたら。
口の端についたアイスを、ペロッとなめ取られた。
「――っ! ミシェル様、お行儀悪いですよ!」
「すみません。つい」
とろけた笑み。一ミリも反省してないな!
半分だけ背を向けてアイスを頬張っていると、ミシェル様がつぶやいた。
「困ったものですね……。こうして堂々、あなたに触れられるようになったのに、気持ちがまったく落ち着きません」
はあ、と嘆息。
「今はあなたの唇を独占しているアイスが妬ましくなってます」
食べ物にまで嫉妬て。ヤンデレの独占欲、天井知らず。
「私もニナの唇をいただいてもいいですか?」
「わたしの口は食べ物じゃないです!」
抗議したけど、公然と“婚約者”になったわたしたちに壁なんてあるはずもない。
わたしの唇はおいしくいただかれた。
「あなたの唇は蜜より甘いですね」
うっとりと感想を述べるミシェル様。
「息遣いまでも味わえるようになって……感無量です」
頬を赤らめて言われた。トドメがえぐい。
(この人、本当にストーカーだ……! 変態だ……!)
泣きそうになりながら、アイスの溶けた部分を急いで口に入れた。
その間も、ひたすらニコニコ見てくるミシェル様。
監視でなくストーカー行為と知った今では震えるけど、だんだん呆れてもくる。
(こんなに見ていて、よく飽きないなあ)
わたしなんて、ごくごく普通のどこにでも生息しているヒト科ヒト属ホモ・サピエンスなのに。
(……わたしを見て、こんなに楽しそうにする人、ミシェル様以外いないだろうな)
ふっと、思った。
(逃げなくても、このままでもいいんじゃない……?)
食べているアイスくらい、甘く危険な思いつき。
このままミシェル様と結婚して、幸せな家庭を作って、おばあちゃんになるまで生きて死ぬ――
前世で途切れた続きをここで果たす。
(わたしが転生者だなんて、前世の記憶を話さなければ分かりっこないし……)
そう考えて、心の中で反省する。
(チェシャ猫さんに正体がバレたの、無自覚に前世の知識を披露したからだった)
身バレしたとき、巻き込む人を増やすわけにはいかない。
やっぱり早いうちに、国外逃亡しなくちゃ。




