27話 イスト伯
城内を一巡りした後は、お庭も散策した。
池で舟遊びもしていたので、もう夕方だ。
大理石造りの優雅なガゼボで、お茶と共に一休みする。
「他に気になるところはあります?」
「イスト伯にごあいさつを申し上げたいのですが」
「しなくて大丈夫です」
食い気味に返事をされた。
「でも、しばらくお世話になりますし……」
「父は留守なので。お気になさらず」
お忙しい方なのか。
なら仕方ない――そう納得しかけたら、執事さんがやってきた。
「今しがた、旦那様が戻られました」
ミシェル様の表情が無になった。
「部屋にお呼びです。リムーザン嬢も一緒に」
「昨日から視察の旅に出たはずですよね?」
「“予感がした”と」
「予知スキルもないのに。なんて勘のいい」
ミシェル様はティーカップを置き、わたしの手を取った。
「私とニナは出かけた、と伝えてください」
よほど父親と会いたくないらしい。
ミシェル様は逃亡を図ったけど、ガゼボを出た途端に捕まった。
「どこへ行くの? ぼくとイリスの愛の結晶ちゃん」
わたしたちの背後に立ったのは、銀髪の男性だった。
ところどころミシェル様と似ているけれど、全体的に線が細い。
紫眼は伏し目がちで、気だるげな雰囲気。
逢魔が時の空を背景にして、その姿は月の精のように妖しく美しかった。
「週に一度は顔を見せるように言っているのに、いつも破って。悪い子だね」
男性ーーイスト伯は、ミシェル様だけでなく、わたしもその腕の中に抱き込んだ。
足元に魔法陣が出現する。魔術の紫色の光がわたしたちを包んだ。
「反省するまで、この部屋からは出さないからね?」
気づけば、居場所は屋内に。魔術の転移魔法だ。
詠唱……あったっけ?
ともかく、イスト伯はとても優秀な魔術師なんだと一瞬で理解させられた。
(イスト伯の私室、かな?)
黒檀の家具に、深紅のカーテン。全体的にダークな色調だ。
暗色の壁は女性の肖像画に埋め尽くされている。
モデルはただ一人。金髪碧眼の美人。
微笑む顔にも、遠くを見据える横顔にも、どれにも強い意志が宿っていた。
(雰囲気がミシェル様に似てる……きっとお母様だよね)
こんなに飾るなんて。イスト伯は相当な愛妻家なんだろう。
「あのですね。なんで週に一度も顔を見せに来ないといけないんです。
こっちは仕事で忙しいんですよ」
ミシェル様はイライラと前髪をかき上げた。完全に喧嘩腰だ。
「悔い改めるべきは、一方的に要求を押し付けるあなたの方です。
変な呼び方も、いい加減やめてください。気持ち悪い」
心底、嫌そうに吐き捨てる。
わたしはハラハラしながらイスト伯をうかがった。
怒っているかと思いきや――佳麗なお顔は幸せそうだった。
「その言葉遣い……その眼差し……ぼくのかわいい天使ちゃん2号は、年々イリスに似てくるね」
うんうんと、満足げにうなずくイスト伯。
「子供ってさ。ぼくの愛しいイリスの血を受け継いでいて、妬ましいって思う時もあるんだけど。
最愛の人の面影を感じられるのは、やっぱりありがたいね」
息子の蔑みの眼差しをものともせず、イスト伯はしみじみ語った。
「世界で二番目に君が大事だよ、ミシェル」
あ。ミシェル様が灰になってる。
もう嫌だこの親、という心の声が聞こえた。
「……行きましょう、ニナ。ここにいると頭がおかしくなりますから」
「ドアや壁は触らない方がいいよ」
出口に向かったミシェル様に、イスト伯が忠告する。
「ぼく以外が触ると、一瞬で燃える仕様だから」
なにその物騒な仕様。
ミシェル様もわたしも、ぴたりと足を止めた。
「さて、それで――なんだっけ」
息子の殺意を受け流しつつ、イスト伯はわたしに注意を向けた。
「名前、子リスちゃんでよかった?」
「ニナ=リムーザンです」
「ミシェルが家に女の子を連れてくるのは初めてなんだ。歓迎するよ」
手を取られ、口づけられた。
うん、立ち居振る舞いがミシェル様っぽい。
「滞在に当たって、三つ規則を設けさせてもらうね。
一つ、予定と行動をミシェルに報告すること。
二つ、手紙や外出はミシェルの許可を得ること。
三つ、ミシェルに隠しごとをしないこと」
……ん?
改めてこんな規則を申し渡されるなんて。
ひょっとしてわたしの正体、イスト伯に知られているのかな。
家で騒ぎを起こされると困るから、釘を刺されてる?
「君の安全のためだよ。守ってくれるよね?」
ご当主のお父様には、わたしが転生者だって伝えていてもおかしくないか。
今さらのことに異存はなかったので、すぐうなずいた。
「はい。すでにそのように暮らしておりますので、ご安心ください。
しばしの間、ご厄介になります」
精一杯、淑女らしく礼をする。
顔を上げると、イスト伯はぽかんとしていた。
あれ……? 何か変だったのかな……?
「え……嘘……。拒否どころか、動じもしないって……信じられない」
「信じられないのはそっちの頭ですけど?」
ミシェル様は、壁に叩きつける勢いでイスト伯の胸ぐらをつかんだ。
たぶんもう親って思ってない。
「人の連れてきたお客に、いきなりそんな要求突きつける人います!?」
「早めに現実を知っておいてもらった方が良いと思って」
「すでに私とニナの間に信頼関係が築かれているから良いものの!
普通、そんなこといわれたら相手は帰りますからね!?」
「こんな逸材、どこで見つけてきたの? 超うらやましい」
「なんであなたにはコミュニケーションという機能が備わってないんですか!?」
ミシェル様、そろそろ血管が切れそう。
気の毒、の三文字しか出てこない。
「……すみません、ニナ。不肖の親で……」
「いえ。歓迎いただけて光栄です、イスト伯」
「お義父様、だよ。ニナ」
親しげに肩を抱かれた。
この素早さ、距離を詰めるためらいのなさ。
ミシェル様で味わったことある。
「これから一緒に暮らすんだから、そう言って?」
「へ……?」
「ぼくを父と呼ぶのは、嫌?」
二十以上は歳上なのに。
不思議なくらい若々しさを保っているイスト伯は、小首を傾げると年下の少年におねだりされてるよう。
なんか抗えない。魅力値上限いってそう。
「お、お義父、様。よろしくお願いします」
「よろしく、子リスちゃん」
ひえっ、ほっぺにチューされたーっ!
距離感バグってる、この人!
そしてお義父様、ミシェル様に投げ飛ばされたーっ!
「重ね重ね、父がすみません」
うなだれて謝ってくるミシェル様。
今まで見たどんな時より疲れてる……
「あいさつ終わりましたし。今度こそ行きましょう」
「ダメだよ、二人共。お父様にキスしないと出してあげない」
「この場所のことは覚えていなくていいですからね。記憶から消し去ってください」
「スキンシップは家族の基本って教えたよね? 聖書にも書いてあるでしょ?」
「我、狭き門を恐れず。細き道を厭わず。苦難の道にこそ主は共にあり――゛聖破゛!」
詠唱とともに、ミシェル様が壁を破壊した。
イスト伯が拍手する。
「反骨精神たくましいところもイリスそっくり」
「晩餐は海鮮料理ですよ。ニナ、先日のパーティーで気に入っていたので」
もはやミシェル様はお義父様を完全無視した。
手を引かれるがまま、わたしは廊下へ出る。
ミシェル様は嘘つきだ。
自分の家はつまらないって言ってたけど、わたしの家よりはるかにエキセントリック。




