25話 任務完了
結界の補修は、無事に完了した。
その翌日には、研究所でちょっとしたパーティーが開かれることになった。打ち上げ会だ。
「ペリゴール伯が、ニナも参加して欲しいと言っていましたよ」
「本当に?」
嬉しい! ……でも、出席の返事はためらってしまった。
「どうかしました?」
「そんな場に招待されると思っていなかったので、服を持ってきていなくて」
内々で行なわれるパーティーだ。
気張らなくてもいいだろうけど、伯爵令嬢の肩書に見合うほどの衣装は持っていない。
「一緒に買いに行きましょう――と言いたいところですが。私、明日はあれこれ雑務があるんですよね」
「それなら、わたしは欠席で……」
「いえ、何とかしますよ。伯には出席と伝えておきます」
何とかなるのかな? と心配したけど、本当に何とかなった。
翌日の夕方、ミシェル様は靴も添えて、衣装を渡してくれた。
(サイズ、ぴったり)
色は、夜空のような深い青。ウェスト部分がきゅっと絞られたAラインのドレスだ。
デコルテや肩、腕の部分は黒のレースに覆われていて、とにかく露出が少ない。
慎ましやかなデザインだけど、布地は艶やかなサテンで、ちりばめられたビーズが上品にきらめいていた。
(……足のサイズまで把握済みなんだなあ)
ちょっと悪寒が走ったけど、感心もしてしまった。
ヘアメイクは、ペリゴール夫人のご厚意に預かれることになっている。夫人の部屋へ急いだ。
「まあ。なんて地味」
入室して、第一声にそんな言葉を浴びる。
「夜のパーティーは華やかに装うものよ?」
そういうイザベル嬢は、ぱっと目を引く赤色のドレス。
肩も背中も大胆に開いていて、大人っぽい。まさに夜会用のドレスだ。
わたしは怯んだけど、後からやってきたペリゴール夫人に救われた。
「まあ! どちらでお誂えになったの? とても上品ね」
「それが……ミシェル様が手配してくださったので、わたしには分からなくて」
「そんなに肌を隠すイブニングドレスは珍しいけれど、良い仕立てね。きっと名のあるお店のお仕事ね」
鏡の前に座ると、不機嫌にそっぽを向いているイザベル嬢が映っていた。
髪を結ってもらい、お化粧をして。すべての身支度を終えて、夫人の部屋を出る。
廊下でミシェル様が待っていた。
さっそくお礼をいおうとしたら、やんわり止められた。
「仕上げがまだですよ。ーー後ろを向いて」
言われるがままにすると、首にネックレスをかけられた。
正面を戻して、耳にもおそろいのイヤリング。
ミシェル様の指が、軽くわたしの耳たぶに触れる。
「美しい」
足先から頭のてっぺんまで、うっとりとした視線で撫で上げられた。
「思い描いていた通りに――いえ、それ以上に。
今夜は月よりも花よりも、この世の何よりあなたを見ていたい」
まぶたに、キスが一つ。
頬が熱くなった。
「……あ……りがとう、ございます。何から何まで」
ダメだ。恥ずかしすぎて、帰りたくなってきた。
「みなさんも。今宵は花が咲き乱れているようですね」
マナーを心得ているミシェル様は、他への配慮も忘れない。
ペリゴール夫人たちのことも褒め称えたので、気恥ずかしさは少し薄れた。
「お褒めにあずかり恐縮です」
特に照れることもなく、イザベル嬢が優雅に一礼する。
わたしと違って余裕たっぷり。
「グラン様も。何を着てもお似合いになりますわね」
「ありがとうございます」
あ。そうか。こっちも、そうやって返さないといけなかったんだよね。
場の不慣れさを思い知らされる。
わたしは落ち着きなく、ダイヤのネックレスや、ドレスのなめらかな布地に触れた。
「気に入りませんでした?」
心配そうなミシェル様に、いえ、と首を振る。
「こんなに立派にしてもらうと、かえって、見合った立ち居振る舞いができるか不安になってきて」
「大丈夫でしょう、仮にもわたくしと同じ伯爵令嬢ですもの」
同じでないことを分かっていて、イザベル嬢が言ってくる。
ううっ、プレッシャー!
「心配ありませんよ、ニナ。私がついてます」
ミシェル様がそっとわたしの手を取った。
「知らないなら、これから覚えればいいことです。全部私が教えてあげます」
「助かります」
「だから今夜は絶対、私から離れないで下さいね」
「はい」
わたしは、とても頼りになる手を握った。
「グラン様のエスコートにお任せすれば、何も心配ないわ。パーティーを楽しんでね、ニナ」
「ありがとうございます、ペリゴール夫人」
夫人から、一センチたりとも顔を逸らせなかった。
その隣のイザベル嬢から、めちゃくちゃ敵意が飛んでくるので。
「立食パーティーなんですね」
ペリゴール伯にもご挨拶した後、わたしは会場を見回した。
職員さんたちも、いつもよりきちんとした格好をしているけど、全体的に気楽な雰囲気だ。
「どれもおいしそう」
眺めている間に、ミシェル様が料理を取ってくれる。
お皿の上には、わたしが「いいな」と思ったものばかり。
「……わたしの好み、完璧に把握してません?」
「日々、あなただけ見ていますから」
ミシェル様がふふっと笑う。
ロマンチックだけど、監視っていう事実の前だとときめけない!
「はい、ニナ。どうぞ」
小エビを使ったフィンガーフードを、口元に差し出される。
わたしはきょとんとした。
意味を理解して、大いにうろたえる。
「ひっ、一人で食べられますよ」
こんなところで、あーん、って。
それは流石に変――と思ったけど、ミシェル様に優しく諭された。
「ニナ。こうすることは、パートナーの女性に対する最上級の礼儀なんですよ」
「……そうなんですか?」
「少なくとも、私の故郷ではそれが正式な作法です」
知らなかった。
公衆の面前で照れくさいけど、ミシェル様がいうなら間違いない。
わたしは素直に口を開けた。
「おいしい、です」
お礼をいうと、ミシェル様は満足そうに微笑んだ。
(……ほ、本当に合ってるよね?)
熱々の恋人同士を見守るような、生温か〜い視線を集めている気がするんですが!?
「グラン様の故郷はどちらですの?」
語気強く、イザベル嬢が尋ねる。
ミシェル様がようやく他に注意を向けた。
「父はイスト伯を務めております」
イスト伯と聞いた途端、イザベル嬢をふくめ数人の顔色が変わった。
「イスト伯の……グラン家の方、でしたの?」
「ええ」
ざわ、と会場にさざめきが起きた。良くない意味で。
女性陣が青ざめている。
「……まさか、あそこのグラン家だったなんて」
「結婚したら大変なことになるって噂の……」
ひそひそ声が湧く。
いったい、何なんだろう?
ミシェル様の周りに築かれていた人垣が、若干遠のいている。
「ああ、そうだ、ニナ。次の任務が決まるまでの間、私、いったん実家に帰ろうと思うんですが」
「では、わたしも同行ということで?」
「はい。お願いします」
ミシェル様はニコニコ顔で、今度は貝のソテーを取った。
周りの様子を気にしつつも、わたしは従順に差し出されたものをいただく。
(なんか……また、わたしを見る目が変わった気が)
みんな、体の正面は外しているのに、視点はこちらに据えている。
その態度は、事故現場に居合わせた人々を連想させた。
「では、わたくしはこれで……」
「わたしも、用事を思い出したので」
そそくさと女性たちが去っていく。イザベル嬢までも。
「警備の任、お疲れさまでございました。
今宵のパーティー、ごゆるりとお楽しみくださいませ、グラン様」
あれだけミシェル様に熱い視線を注いでいたのに、あっさりとした引き際だった。
関わりたくないといわんばかりだ。
「みなさん……どうしたんでしょう?」
わたしが頭上に疑問符を浮かべていると、ミシェル様が苦笑した。
「うちの家系は、少々、愛情が深すぎると評判でして」
よくわからない。愛情深いって……いいことなのでは?
「ニナ。ワインも飲みますか?」
「いただきます」
ミシェル様は抜かりなく飲み物まで用意して下さる。
うーん……やっぱり理解できない。
細やかな気配りのできるミシェル様、良い旦那様になりそうなのに。
なぜか気の毒そうにしている人々に囲まれながら、わたしはミシェル様の手からワイングラスを受け取った。




