23話 嫉妬
同室といっても、壁一枚は隔てられた。
ミシェル様の居室は三部屋構成だったので、居間は共用、書斎はミシェル様、寝室がわたしに割り当てられた。
「祝福のこと、すみませんでした」
ベッドの端に座って、わたしは肩を落とした。
「わがままを言ってしまって……」
「わがままじゃありませんよ」
ミシェル様は慈愛に満ちた微笑を浮かべた。
「あんな祝福をかけられたら、焦るのは当然です」
スツールをベッドのそばへ寄せ、腰かける。
「私の方こそ、すみません。あの悪魔の言う通り、祝福の件は手を抜いていました」
「いいんです。お忙しかったんでしょう?」
いえ、とミシェル様は首を横にふった。
「自分勝手な都合です」
「ミシェル様の都合、ですか?」
「前に言いましたよね。あなたがいると、私はなんだってできるという気になれるって」
言われた。恋人みたいな台詞だと、あたふたさせられた。
「あなたがいると、私は強くなれるんです。
だから、少しでも長くそばにいて欲しくて……手を抜きました」
ぽかん、と口が開いた。
(え……? 嘘。わたし、他人を強化するスキルを授かってたの?)
思わず聞き返す。
「本当……ですか?」
「本当です」
ミシェル様は照れたように顔を伏せた。
「“神罰の炎”を二度も使うなんて……自分に驚くやら呆れるやらですよ」
大司祭様ですら連発できないだろう。
高難度の魔法は、魔力だけじゃなく体力も使う。
「ミシェル様、明日からあだ名が“大天使”ですよ、絶対」
「怒りに我を忘れていたので、私としては悪鬼の気分だったんですけどね」
はは、と笑うミシェル様。
わたしの手に視線を注ぐ。
「手……触っても、いいですか?」
「どうぞ」
取った手を、ミシェル様は自分の頬に当てた。
安らいだ表情になる。
「あなたが無事でよかった。主よ、感謝します」
何度もわたしの手のひらに口付けてくる。
……そうした方がスキルの効果上がるのかな?
「治癒能力、上がりそうです?」
「はい」
迷いのない回答に、わたしは確信した。
(そうなんだ。わたし、やっぱり他者強化のスキルを持ってるんだ)
《鑑定》スキルで、自分のステータスをのぞいてみた。
虫食いのあるスキル欄。はっきりしているのは《鑑定》だけ。
《激励》、《加護》、《治癒》……どんな支援系スキルだろ?
「抱きしめてもいいですか?」
リクエストに応え、全身を提供する。
(でも、今までそんなこと言われたことないのになあ……)
わたしの肩口に顔をうずめて、ミシェル様は寛いだ様子だ。
(対象者が使徒限定のスキルだったりして)
だとしたら、これまたビミョーな能力だ。
なんだって天敵を強化しないといけないんだか。
「――っと」
不意に、体にかかる重みが増した。
ハグしている間に、ミシェル様が寝入ってしまっている。
(お疲れなんだな。チェシャ猫さんを待ち構えて、徹夜だっただろうし)
抱きとめている状態で、ノックの音が響いた。
「ど、どうぞー」
迷った末に、返事をした。急ぎの話があるといけない。
「失礼します」
入ってきたのはイザベル嬢だった。
ミシェル様の腕の中にいるわたしを見て、あからさまに顔をしかめる。
(違うんですーっ! 回復アイテムとして使われてるだけですーっ!)
心の中で絶叫していると、ミシェル様が意識を取り戻してくれた。
イザベル嬢の顔を見て、すぐ要件を察する。
「朝食は部屋でいただきます」
「部屋で、ですか?」
「運んでいただけますか? 二人分」
わたしの分が余計だったらしい。
イザベル嬢は軽くこちらをにらんで、出て行った。
「みなさんと食べなくて良いんですか?」
「いいんです」
朝食を食べながら、ミシェル様が拗ねたように言う。
「食堂ならニナに会えるかと思ってそちらで取っていたんですけど、一度も会えませんでしたもんね」
うう……スミマセン。食堂で会えていれば、祝福のための接触も楽でしたよね。
「イザベル嬢に、食堂で食べるならそれなりのマナーをと言われたので、自信がなくてですね」
わたしは恥ずかしさに肩をすぼめた。
晩餐用の服なんて持ってきてない上に、正しいマナーだってあやふやだ。
「私も適当でしたよ?」
「ミシェル様はいいんですよ! 使徒様ですし。そもそも意識してなくてもマナー完璧ですし」
父から聞いた話では、ミシェル様の生家は由緒ある伯爵家。
国境の防備を任っている力ある貴族で、国内屈指の資産家と聞いた。
わたしとは育ちが天地ほど違う。
「……何か?」
朝食の後、じーっとミシェル様に見つめられる。
「ああ、すみません。妖精の祝福の術式を見させてもらっていました」
言いながら、ミシェル様は紙にペンを走らせる。
「兄に解呪を依頼してみます」
「ミシェル様のお兄様?」
「専門は呪術ですが。祝福と呪いは表裏一体なので、なんとかしてくれると思います」
書き終えると、ミシェル様は呪文を唱えた。
特殊な紙で作られた便せんは、たちまち鳥へと姿を変える。
「……手を抜いていたこと、これで許してもらえます?」
顔色をうかがわれ、わたしはきょとんとした。
許すも何も、わたしが謝った時点でとっくに許していたんだけど。
ミシェル様、まだ気にしていてくれてたんだ。
「そんなに怒ってませんよ。例えるなら、楽しみにとっておいたケーキを食べられた程度の恨みです」
「良かった。一生許してもらえなかったら、どうしようかと」
心から安堵したような表情。
一生って、大げさな。
そもそもわたし、本来、ミシェル様に強く出られる立場でもないのに。
「では、私は仕事に戻りますが」
伝信鳥を連れて、ミシェル様は扉を開けた。
「いい子でお留守番しててくださいね、ニナ」
「はい」
「私が帰ってくるまで、絶対に部屋から出てはいけませんし、だれかを招き入れてもいけませんからね」
「心得てます」
粛々と承諾すると、ミシェル様は満足そうにした。
「昼過ぎには時間が取れると思うので、一緒にお出かけしましょう。
ケーキでも食べに行きましょうか」
「ケーキですか?」
「ケーキ程度の恨みだったという話なので」
「それは何か違うと思いますけど……ケーキは食べたいです」
「なら、決まりですね」
わたしの額に口付けて、ミシェル様は部屋を出ていった。
恋人役が終わっても、やたらスキンシップされるのが不思議だったけど――
わたしが使徒向け回復アイテムだったからなのか。納得。
(逃亡を疑われたのは、危なかったな)
閉まった扉を前に、大きく息を吐く。
あの、底冷えするような声。
もしそうなら許さない、という怒りがありありと伝わってきた。
今思い出してもぞっとする。
(おとなしくしていなくちゃ。また変な疑いをかけられたら困るし)
裁縫道具を手に、居間のソファに腰掛ける。
今日は一日、繕い物をして過ごそう。
(チェシャ猫さんが手伝ってくれるなら、この生活から抜け出せるかもしれない。今はじっと機会を待とう)
わたしは無心で針を動かした。
※念のため補足しますが、ニナに他人を強化するスキルはありません




