22話 裏切りと共犯
目が覚めたら、倉庫らしきところにいた。
猿ぐつわを嚙まされ、後ろ手に縛られている。足元の魔法陣は探索避けだろう。
(どうなった……のかな?)
上部にある、小さな窓を見上げる。
真っ暗ではない空。端の方が少し白んできている。
明け方か――と思った、そのとき。
急に、夜が明けたのかと思うような閃光が起きた。
続いて、ズガガガガガガガガガガガガッ! と激しく大地が削れる音。
何事!?
「いました!」
倉庫の扉が開いた。研究所の職員さんが数人、駆け込んでくる。
「君! 大丈夫か?」
最後に入ってきた、ヒゲの男性がわたしを助け起こした。責任者のペリゴール伯だ。
猿ぐつわが外されると、わたしは精一杯、戸惑いをあらわにした。
「あの……わたし、なんでこんなところに?」
チェスウィックさんの仕業なのは承知だけど。
何も知らない善良な一市民として振る舞う。
「……チェスウィックが結界を破り、転生者の遺物を盗もうとしたんだ」
わたしは驚いた顔をしてみせた。
「どうなったんですか?」
「心配ない。物は無事だ」
失敗しちゃったんだ!
アリスの悪魔に同情するけど、一方で、ミシェル様の任が遂行されていることに安堵もする。
本当に、この頃わたしの心は忙しい。
「君は彼に、人質として使われたんだよ。逃げるための時間稼ぎにね」
ペリゴール伯はわたしの背を優しくさすった。心配そうに顔をのぞきこまれる。
「気分は? どこか痛むところはないかい?」
「大丈夫です」
倉庫を出ると、また夜明けと見まごうばかり光が空を覆った。
空から無数の光の矢が降り注ぐ。
さっきの光と音の正体だ。研究所周辺の野原に、轟音が鳴り響く。
ペリゴール伯が光の方向を見て、息を呑んだ。
「“神罰の炎”を二度とは……」
神罰の炎ぉ!?
大司祭クラスが扱う、神術の広範囲攻撃魔法だ。
「主はよほどお怒りと見える」
夜明けの空を背景に、ミシェル様が宙に浮かんでいた。
白い外套をはためかせる姿は、まるで天意を伝える御使いのよう。
土ぼこりが収まる頃、地へ降りてきた。
「……逃げられました」
ミシェル様の顔に表情がない。
たぶん、内心すごく怒っているんだろう。
「チェスウィックは空間魔術の達人でしたからね。逃げ足は速いでしょう」
ペリゴール伯は諦めと共に、肩を落とす。
「まさかあれが悪魔だったとは。まったく気がつきませんでした」
「食べる感情が違うと、悪魔の気配が変わると聞いたことがあります。それだったのかもしれません」
「おまけにあれは、物語には出てこない、噂でしか知られていないアリスの悪魔ですよ。猫だったでしょう?」
「ええ。ちょこまかちょこまかと……目障りな猫でしたよ」
青い目が据わっている。
淡々としているけど、舌打ちの聞こえて来そうな口調だった。
「甘言で人をたぶらかし、あまつさえ人質にするとは。
怪しいと思った時点で斬り捨てておくべきでした」
怖い。ブチ切れてる。他人事ながら同類として震える。
「逃げられたのは残念でしたが、白ウサギを守って頂き、ありがとうございました。使徒様の機転のおかげです」
雰囲気を和まそうとしているのか、ペリゴール伯はことさら明るい声で言う。
「いえ、祝福を解くのに血が必要なんて、妙だと思ったので」
「結界を私の血に変えておいて正解でしたね」
ああ、あの時に気づかれちゃってたんだ。
やっぱりミシェル様の優秀さが恨めしいかも……
「リムーザン嬢も無事でしたし。一安心です 」
ミシェル様がこちらを向く。直視できなかった。
(怒ってる……よね。わたしが人質に取られなければ、チェスウィックさんを捕まえられたかもしれないんだから)
自然と肩がすぼまる。
「……申し訳ありませんでした。お邪魔にならないようにするといったのに、こんなことになってしまって」
「本当は、あなたも共犯なんじゃないの?」
背に、イザベル嬢の声が刺さった。
「これ、あなたの部屋で見つけたの」
突きつけられたのは、一枚のメモだった。
『この埋め合わせは必ず。君をそこから連れ出してあげる』
末尾に猫の落書き付き。チェスウィックさんだ。
血の気が引いた。
嬉しい申し出だけど、よりにもよって、今、このタイミングで。
「ずいぶん仲が良かったのねえ」
冷ややかな声。ペリゴール伯が娘をたしなめる。
「やめないか、イザベル。彼女はただ巻き込まれただけだ。責任は、彼の正体を見破れなかった当家にある」
「でも彼女、怪しいことが多かったですもの。
地下室付近をうろついたり、職員の立ち話を盗み聞きしたり。
しかもその後、彼に会いに行っていたわ」
「違います。本当に、深い意味なんてなくて……」
反論の声は弱くなってしまう。
彼女の疑念は、半分は当たっているから。
「グラン様の血を手に入れるのだって、彼とあなたで仕組んでいたんじゃないの?」
疑問形だけど、実質は断定だ。敵意のこもった目で睨みつけられる。
「あなたが早く祝福を解いて欲しいなんてわがままをいわなければ、こんなことは起きなかったのに」
返しに詰まった。
その通りだと思った。祝福を解くために血を要求されたとき、ミシェル様は怪訝にしていた。
(わたしが進んで血を差し出したから、ミシェル様もそうせざるを得なくなったんだよね……)
手の先が冷えてくる。
共犯にされたら、悪魔のわたしに未来はない。
「彼と一緒に、どこかへ行く約束をしていたんですか?」
ミシェル様がようやく言葉を発した。
冷えた声音に、口が渇く。
(逃亡を疑われたら、終わりだ)
使徒は他国へ悪魔を野放しにはしないはず。
「いいえ、していません。なぜこんなことを言ってくれたかも、分かりません」
「ですよね」
明るい調子につられて、顔を上げる。
ミシェル様はいつも通り微笑していた――内心は、まったく読めなかったけど。
手紙をぐしゃりと握り潰し、神術の炎で燃やす。
「ニナは悪くありませんよ。悪いのは、護衛にも関わらず、彼女のそばにいなかった私です」
ミシェル様は有無をいわせない力で、わたしの腕を掴んだ。
「やはり、部屋を遠いところにしたのはいけませんでしたね。
ニナ、今後は同じ部屋で過ごしましょう」
「え?」
「だって、そうすれば、もうなんの疑いもかけられないでしょう?」
ミシェル様はにこりと笑う。
「もし、またあなたに嫌疑がかけられるようなことがあったときは、すべて私の責任です」
ミシェル様はわたしの隣を見た。
「それで良いでしょう? ペリゴール伯」
「……リムーザン嬢を疑う訳ではありませんが、当家としてはこれ以上の落ち度を避けたい。その方が良いでしょうね」
「決まりですね。では、彼女の荷物を私の部屋へ運んでいただけますか?」
「すぐに。寝台ももう一つお運びします」
ペリゴール伯の指示で、召使いたちがパタパタと動き出す。
ミシェル様はわたしの手を引いた。
「さ、行きましょう、ニナ」
「……は、はい」
異性と同じ部屋というのは抵抗があるけど、この際、仕方ない。
(またミシェル様に迷惑をかけるわけにはいかないし。
これ以上疑われたら、人生が終わる――家族もろとも)
令嬢としての名誉より、そっちの方が今は大事だ。
大丈夫。みんなが認める清廉な使徒様だ。数日一緒の部屋で過ごしたって、変な疑いはかけられないだろう。
「今後は、私に直接許可を取らず出かけるなんてこと、絶対にしないと、約束してくれますよね?」
この状況では、是非もない。
「お約束します」
わたしははっきりうなずいた。




