21話 内緒の話
翌日。また地下階段の近くでミシェル様を待っていると、職員さんの会話が聞こえてきた。
「結界に不具合が起きたの、アリスの悪魔のしわざじゃないかって?」
「ああ。使徒様の意見なんだけどな。結界を壊す手口が、人間にしては妙らしい」
わたしは職員さんたちの方へ数歩寄った。
別にチェスウィックさんのために何かできるわけでも、するわけでもないんだけど。
事情を聞いてしまうと、関係する話題が気になってしまう。
「他のアリスの悪魔が、仲間を助けに来てる可能性があるわけか」
「結界の構造、考え直した方がいいかもなあ」
当事者ではないけど、冷汗が出た。
うわあああ、気づかれてる! 今ばかりはミシェル様の優秀さが恨めしい!
「――痛ッ!」
足の上に、分厚い本が落ちてきた。
「ああ、ごめんなさい。あなたを避けようとしたら、落ちちゃって」
声の主は、イザベル嬢だった。大量のファイルを腕に抱えている。
ぜんぜん誠意の感じられない謝罪だ。わたしはジト目になりつつ、その腕に落とし物を返す。
「ミシェル様は今日、どちらに?」
「……第一資料室。一階の北側よ」
投げやりな返事を受けて、歩き出す。
途中、中庭にチェスウィックさんを発見した。
日向ぼっこかな? 何をするでもなく、ただ木陰のベンチに座ってくつろいでいる。
「チェスウィックさん、チェスウィックさん」
のーんびりした様子に、老婆心がうずいた。背後から忠告する。
「結界の不具合、アリスの悪魔のしわざじゃないかって勘ぐられてますよ。大丈夫ですか?」
「うっそお」
眠たげだったチェスウィックさんの目がぱっちり開かれた。
「その……気をつけてくださいね」
ためらいながら、心配を口にのせる。
人を不幸にする魔物じゃないと知った後では、どうも親近感を覚えてしまう。
「ニナちゃん、わざわざ知らせに来てくれたの?」
「何かできるわけでもないので、ただの野次馬ですけど」
「ありがと。優しいね」
肩に、チェスウィックさんが軽く頭を擦りよせてきた。
こうしてみると、猫だなあ。頭撫でたくなっちゃう。
「ニナ」
呼ばれて、びくっとした。ミシェル様だ。
険のある声音。きっと、今、何を話していたかを気にしているんだろう。
「昨日は町へ買い物に出かけていたので、そのことでお話を」
ミシェル様が眉をひそめた。
「町に出かけるなんて予定、私は聞いていませんけど」
「イザベルさんに伝言を頼みましたよ?」
ミシェル様の三歩後ろに、イザベル嬢がいた。
わたしの言葉にはっとして、顔をそらす。
「そんな伝言、受けてません」
「いや、言いましたよね?」
バツの悪そうな顔したでしょーっ! 言い忘れたんでしょーっ!
内心の叫びを込めた言及は、かえってイザベル嬢を頑固にした。
「知りません。伝言したという証拠でもあるんですか?」
くそーっ、これは水掛け論のはじまりだ!
イザベル嬢と話してもムダなので、わたしはミシェル様の方に必死で訴えた。
「本当に伝言したんです! ミシェル様が会議中だったので、彼女に」
「ニナの言葉を信じます」
ミシェル様はきっぱり言い切ってくれた。
「ですが、伝言だけでは不十分です。私の許可を直接得てから出かけてください。
知らない土地で一人なんて、危ないですよ」
「大丈夫です、チェスウィックさんも一緒でしたから」
空気が、冷えた気がした。
ミシェル様が厳しい態度で追及してくる。
「護衛は、私ですよね」
「そう……ですけど」
設定上は。
わたしは、本当は護衛なんてされてない。祝福のせいで一緒にいるだけだ。
その点まで問題されるのは納得がいかなかった。
(いまだに、わたしのことを信じてくれていないのかな)
あれだけ従順にしていたのに、と不満が湧いて来る。
「今後は、直接私の許可を得てから外出すると、約束してくれますよね?」
両肩をつかんで言われるけど、うなずくことができなかった。
一生このままでいなくていいんだって知った後では。
「ニナ?」
わたしが答えられないでいると、横からチェスウィックさんが口出しした。
「ねえ、グランさん。ニナちゃんにかけられてる妖精の祝福だけどさ、なんで解かないの?」
「解かないのではなくて、解けないんです」
「本当に? 手ェ抜いてない?」
ミシェル様の顔が、一瞬強張った。
直感する。チェスウィックさんの指摘は的を射ているんだって。
「どうして解いてくれないんですか?」
疑問が口をついて出た。ミシェル様の曖昧な態度に、だんだんと不信が募ってくる。
「もしかして、わざと……?」
裏切られた気分になって、ミシェル様の手を振り払う。
「ニナ、違います。本当に私では解けないんです。妖精の魔法は形態が違うので、専門でないと」
「それなら、どうしてさっき一瞬黙ったんですか?」
「……対処を後回しにしていたのは、本当なので」
今度はイザベル嬢が口を挟む。
「あなたね、グラン様はお忙しいのよ。わがまま言わないで、おとなしく待っていたらどうなの?」
わたしの側にはチェスウィックさんが、ミシェル様の側にはイザベル嬢が付く。
「グラン様は使徒なのよ。あなたのことばかりに、かまけていられるわけないじゃない!」
「それなら、俺が解いてあげるよ」
チェスウィックさんは身軽に、ベンチの背を乗り越えた。
「こう見えて、けっこう魔法使えるしさ」
得意の空間魔術で、その手に平たい水晶片が現れる。
「ここにグランさんの血を少しもらえる?」
ミシェル様は怪訝にした。
「わたしのも、いります?」
一刻も解いてもらいたいわたしは、進んで手を差し出した。
理不尽な使徒様への反抗心もあったかもしれない。
「そうだね。ニナちゃんのも、ぜひ」
わたしが別の水晶片に血を垂らすと、ミシェル様も血を垂らした。
「それじゃあ。お仕事がんばってください」
一応、ミシェル様と接触はした。これでまた24時間は安泰だ。
わたしはさっさと部屋に帰った。
「ニナちゃん、元気出して」
後からついてきたチェスウィックさんが、黒い棒付き飴を差し出してくる。
「落ち込んだときは、甘い物を食べると元気出るよ」
「ありがとうございます」
さっそく口に含む。
何味だろう? 苦味があって変な味だけど、甘みと優しさがささくれた心に染みた。
「こっちこそ。ありがとう、ニナちゃん。これで白ウサギを助け出せそうだよ」
チェスウィックさんの親指が、ミシェル様の血のついた水晶片を弾く。
「白ウサギの結界はあの使徒の血で封印されているから。解くには、本人の血肉がいるんだよね」
さっと、血の気が引いた。
自分のしてしまった間違いに気づく。
「祝福を解いてくれるっていうのは――」
「ごめん、嘘」
わたしは悪魔をにらみつけたけど、長くは続かなかった。
「……気をつけてね」
「うん。君は騙されたんだ。何も知らず、俺に利用された。それで通してね」
わたしは力なくベッドに座りこんだ。
チェスウィックさんは所在なさげに、天井を仰いだり、横向いたりしている。
(なんか……眠い)
昼食後の眠気は収まったと思ったのに、まぶたが重い。
こちらに背を向けたチェスウィックさんに、最後に一つ質問する。
「この飴って何味なんですか?」
「うーん……例えるなら、夢の味?」
三歩先にいたチェスウィックさんが、わたしのすぐ隣まで移動していた。
眠気でよろめいたわたしを、待ちかねていたように受け止める。
(この飴……眠り薬入りなんだ……)
道理で、変な味なわけだ。
「ごめんね。追っ手を減らすために、ニナちゃんには人質になってもらうね」
使徒さんは君を見捨てるかもしれない。
だけど、他の人達には人質として多少効果あるから――意識が遠のく中、なんとか話を聞き取る。
(ああ、これだけはいっておかなくちゃ……)
朦朧とする意識の中、わたしはチェスウィックさんの腕をつかんだ。
「探索魔法避け……してね……三分で見つかるから……」
最後に見たのは、チェシャ猫の笑う口。
「やっぱり、ニナは優しいね」




