19話 バレた
23時間後。
わたしは焦っていた。
ヤバい。後一時間以内にミシェル様と接触しないと、また妙なことが起こる!
「ニナちゃーん、そんなところでどうしたの?」
廊下の隅に座り込んでいるわたしに、チェスウィックさんが声をかけてきた。
「お腹でも痛い?」
「大丈夫です。ただ、ミシェル様が通りかかるのを待っているだけで」
わたしはそばの、地下へ降りる階段を一瞥した。
関係者以外立ち入り禁止と言われてしまったので、ミシェル様の居室へいけない。
「何か大事な用事があるの?」
チェスウィックさんが隣に腰を下ろした。
まだ出会って間もないけど、すでに打ち解けた仲だ。昨日は一緒にカードゲームをして遊んだ。
「実はわたし、妖精からやっかいな呪――祝福を受けてしまって」
別に隠すことでもないので、真実を告白する。
「一日一回、ミシェル様と触れ合わないと、ミシェル様との間にありがたくないハプニングが起きるんです。
ミシェル様に同行しているのも、それが理由で」
「ハプニングって、たとえば?」
「なんだかんだでミシェル様と結婚するハメになりかけました」
「どうしたらそんな大事故になるの!?」
チェスウィックさんは、わたしと同じことを叫んだ。
何を言ってるか、意味不明ですよね。わたしにも分からないです。
「ニナ?」
呼び声に顔を上げると、ミシェル様だった。もう、姿が輝いて見えた。
「やっと会えたーっ!」
立ち上がろうとして、足がもつれた。
勢いよくミシェル様の胸に飛び込んでしまう。
「――あわてなくても。私、逃げませんよ?」
ミシェル様がふふっと笑う。
「そんなに私に会いたかったなんて。光栄です」
「……スミマセン」
ラブハプニングを避けようとして、自爆。なんか泣けてきた。
「よかった。ニナの部屋に行ってもいないので、どこへいったのかと」
「行き違いになっていたんですね。ずっとここで待ってたんです」
「あなたが呼んだなら、いつでも私の方から駆けつけるのに」
護衛の鑑なセリフを言って、ミシェル様はわたしの手に口づけた。
立ち居振る舞いが今回も完璧すぎる。
「グラン様。父が、相談したいことがあると」
「分かりました。――ニナ、また後で」
イザベル嬢に呼ばれ、ミシェル様は地下へと降りて行った。
「そそっかしいのね」
イザベル嬢からトゲトゲしい視線と言葉を浴びる。
その通りなので言葉がない。
「あなた、一応、伯爵令嬢よね?
その貧乏くさい格好、なんとかしてくれない?
人の屋敷に滞在するなら、それなりのマナーというものがあるでしょう?」
これもその通りで言い返せない!
「いいじゃん、別に。屋敷、兼、研究所なんだから。職員たちはラフな格好なんだし」
「あなたもその髪色、なんとかしてくださる?」
紫色の髪にも冷たい視線を送り、イザベル嬢は地下へ降りて行った。
わたしたちはそろって、苦笑いする。
「ま、気にしない気にしない。ペリゴール夫妻は問題にしてないんだし」
チェスウィックさんは気楽に肩を叩いてきたけど、わたしはスカートのすそをつまんだ。
伯爵令嬢と名乗った以上、多少は家のために体裁を保ちたい。
(アメリルの実を売れば、服の一枚くらいは買えるかな)
頭の中でそろばんを弾くこと数秒。買い物に出かけることを決めた。
「チェスウィックさん、古着屋さんってどこにあります?」
「案内してあげるよ」
気楽に請け負ってくれるチェスウィックさん。助かる。
勉学はいいのかと心配したけど「留学は遊びに行く口実だから」と、あっけらかんといわれた。自由な人だ。
「じゃ、行こっか」
「はい――っと。その前に、ミシェル様に外出の許可を取ってきます」
転生者として監視されている身だ。勝手に行動するわけにはいかない。
ミシェル様は会議中だったので、イザベル嬢に「町へ出かける」と伝言をお願いしておいた。
「ニナちゃんさ。やっかいな祝福があるから、グランさんと一緒にいるだけなんだよね」
「そうですけど?」
わたしの一歩先を歩きながら、チェスウィックさんが首をひねった。
「じゃ、なんで外出するのに、わざわざグランさんの許可がいるの?」
とっさに二の句が継げなかった。
そうだ。はたから見たら、それって変だよね。
「護衛されている、という体でここにいるので。それらしくしておかないと、と思って」
誤魔化しは、あまりうまくいかなかった。なおも不思議そうにされる。
「それにしても、ちょっと変わってるよね。
昨日さ、グランさん、ニナちゃんと俺が話してたこと、しつこく問い詰めてたじゃん?」
ぎくっとする。姿が見えなかったから、やりとりを知らないと思ってたけど、聞いてたんだ。
「護衛されてる体ってだけなのに、あそこまでするもん?
なんか監視されてるみたいだなあって思っちゃったよ」
ずばり核心を突かれて、心が大きく揺らいだ。
いっそ、と考える。
(……明かしてしまおうか。わたしが転生者だって)
異国から来たチェスウィックさんなら、転生者に偏見がない。
普通の人として接してくれるかもしれない。
(でも、チェスウィックさんって、口が軽そう)
うっかり「ニナちゃん転生者なんだってー」なんて暴露されたら、人生詰む。
かわし方を悩んだ末――わたしは昨日のチェスウィックさんの真似をした。
「謎の多い人は、好きですか?」
チェスウィックさんがちょっと眉を持ち上げる。
飴をくわえた口元が、にいっと笑った。
「大好き」
満面の笑みを返された。この話はそれで終わった。良かった。
研究所から町まではニ十分ほどかかった。
メトックは港町だ。聞こえてくる言葉には、異国の言葉も混じっていた。
故郷の町より発展していて、わたしは始終きょろきょろしていた。
「すみません、チェスウィックさん。古本屋も見ていいですか?」
滞在中、ヒマだ。読書をするのもいいかもしれない。
「どーぞどーぞ。街歩き、楽しみなよ」
古本屋に立って、棚の下に落ちている本に気づく。
異国の本らしく、タイトルは見慣れない文字で書かれていた。
でも、表紙の、女の子とウサギの絵には見覚えがある。
(これ、『不思議の国のアリス』だ)
前世の知識で、本の中身を知る。
他のお客の応対を終えた店主が、わたしを見てあわてた。
「お嬢さん、これは読まない方がいいよ。あなたのような善良なクライス教徒には毒だからね」
店主は本を真っ二つに裂いた。
「ここじゃ売れないからと断ったんだが。他の本と一緒に引き取らされてしまって」
本が床にあったのは、落ちていたのではなく、捨てるつもりだったかららしい。
転生者アリスは、この世界に自分の好きだった物語を広めたけど、クライス教圏では禁制品だ。
「チェスウィックさんは、『不思議の国のアリス』って読んだことあります?」
「嫌と言うほど知ってるよ」
なぜか、チェスウィックさんがニヤーっと笑い出す。
「あの本が『不思議の国のアリス』って分かったってことはさ。
ニナちゃん、実はちょっと読んだことある?」
あっ、しまった、そうなるよね!
「へへ、そうなんです。いけないことなので、内緒にしてくださいね」
「好きなキャラ教えてくれたら黙っててあげる」
「アリスです」
「なんか無難だなー。それ以外は?」
それ以外は……里奈も好きだったアレかな。
「チェシャ猫?」
チェスウィックさんの緑色の目が、まん丸になった。
「神出鬼没で。茶目っ気があって。ユニークですよね」
……あれ? チェスウィックさんが、なんか固まってる?
「……なんで知ってるの?」
チェスウィックさんが、目に恐れに似たものをにじませて、こちらを見てくる。
わたし、なにかやっちゃいましたかね?
「チェシャ猫は、こっちの世界では隠しキャラで、物語に登場してないんだけど」
「え? か、隠しキャラ?」
何それ。こっちでその話を読んだことないから、そんなこと知らないんだけど。
「君……本当は、何者?」
今日の教訓。
口は、わざわいの元。




