16話 迷惑すぎる祝福
悪魔がいなくなり、池は元の通りのハート形に戻った。
雰囲気も、なんだか明るくなった気がする。
「さっきは、すみませんでした」
勝利の余韻に浸っていると、おもむろに、ミシェル様が口を開いた。
「何がです?」
「その……勝手にキスしてしまって」
ぼっと、顔が沸騰した。
「いえいえいえ! ああした方が、絶対恋人らしかったですから! 気にしてません」
「決して軽い気持ちでしたわけではなくて――」
「分かってます! 任務のためですよね。怒ったりしませんから大丈夫です」
わたしは手で顔を扇いだ。
「ニナも、初めてでした?」
「ミシェル様も?」
お互い、見つめ合う。
池が陽光を反射してまぶしい。
「ニナ、今までのことなんですが――」
「お互い、さっきのは忘れましょう!」
気恥ずかしさに耐えきれず、わたしは早口でまくしたてた。
「想いがこもってない行為は、ノーカウントで良いと思うんです!」
初めてのキスが悪魔となんて、ミシェル様も嫌だろう。
「なので、あれは、ナシで」
わたしの提案に、ミシェル様は目線を下げた。
「……そう、ですね。無しで」
「無事に悪魔が退治できて、良かったです! 帰りましょう!」
帰り道、わたしは言葉少なになってしまった。
恋人という役がなくなったら、急にどう話していいか分からなくなってしまった。
(これで終わり……かあ)
この数日間のことが頭の中をめぐる。
初めてのことだらけで緊張した。照れて何度、赤くなっていたか分からない。
でも、すごく楽しかった。
(ミシェル様……次の任務は、別の場所だよね)
横目で様子をうかがう。
ミシェル様は心ここにあらずといった風で、黙り込んでいる。
(もう次の任務のこと、考えてるのかな)
これで、お別れ。
そう考えると、ちくりと胸が痛んだ。
(……いい思い出。うん!)
その日の晩は、悪魔を倒したお祝いでパーティーになった。
親戚や近隣の人もやってきたので、みんなで飲んで歌って踊って、とてもにぎやかな夜になった。
わたしも功労者ということでたくさんの人に話しかけられたけど、ミシェル様はそれ以上。
人に囲まれすぎて、遠目では姿も見えない程の人気だ。
(住む世界が違うって、こういうことをいうんだろうなあ)
当たり前のことを、今さら感じる。
「ニナ、もう寝るの?」
「うん。もう眠たくて」
折りよく、あくびが出た。わたしは静かに広間を出た。
居間を通りかかると、そこから続くテラス席が目に入った。
(もうあそこで、一日のことを報告することもないんだ……)
そう考えたら、胃をきゅうっと締め付けられるような痛みを覚えた。
(元の日常に戻るだけ。それだけ)
ベッドにもぐりこみ、目を閉じる。
体力は消耗していないけど、悪魔退治は緊張した。
どっと疲れに襲われて、すぐに眠りに落ちた。
『悪魔を倒してくれて、ありがとう!』
夢の中で、わたしはまたハート形の池のほとりに立っていた。
背中に透明な羽根が生えた、小さな小さな女の子が私の周りを飛んでいる。
『あたしはこの池の妖精よ。
あの悪魔を倒してくれたお礼に、願いごとを一つ叶えてあげる!』
そんなの、一つしかない。わたしは即答した。
「前世の記憶を消して!」
『ゴメン。あたし、恋愛専門の妖精だから。それ関係で』
がっくりうなだれる。
恋愛関係の願いごと……特に思いつかない。
転生者だ。バレた時のリスクを考えると、恋人を作るのは怖い。
「特にないので、結構です。ありがとうございます」
『一緒に来ていた彼と、ずっと一緒にいたい? うん、分かったー』
言ってない言ってない言ってない!
「気持ちだけで充分ですから」
『そーれ! 愛は世界を救う~☆』
「いらないって言ってるんですけど!?」
ピンク色の光を振りかけられる。
ひいいいい、なんか魔法かけられたああああ!
「あの……一体どういう祝福ですか?」
『彼と一生、ラブラブでいられる魔法よ。
一定時間触れ合わないでいると、彼とラブハプニングが強制発動するの』
マジでいらない。
「一定時間って、具体的には……?」
『一日以上』
その条件だと一緒に暮らすしかなくない?
「ハプニングって、どんなことが起きるんですか……?」
『たとえば、何か物を取ろうとして、手と手が触れ合うとか。
階段から足を踏み外した拍子に、一緒に床に倒れちゃうとか』
なるほど。そういうラブコメ的なイベントが起こるのね。
『お色気系だと、彼の着替えシーンに出くわす、なんていうのも起こるよ☆
楽しみになってきたでしょ?』
「わたし、一度でもそんなこと望みましたっけ!?」
ダメだ、この妖精。完全に人の話を聞かないタイプだ。
『なんだかんだで結婚しちゃう、なんてことも起こるから。どうぞお幸せに~☆』
「何をどうしたらそんな大事故になるんですか!?」
叫んだところで、目が覚めた。
ベッドから飛び起きる。
すぐにミシェル様の姿を探しに、庭へ出た。いない。
厩舎や部屋に行ってみるけれど、城内のどこを探しても姿がない。
「姉さん、ミシェル様がどこにいらっしゃるか知らない?」
「グラン様なら、朝早くに、応援に呼ばれたとかでお出かけになられたわよ」
「お戻りは?」
「たぶん、明後日だって」
明後日。
どうしよう……妖精のことを伝える間もなく、何か起きてしまう。
(でも、まあ、ハプニングっていっても、大事になるようなことじゃないから、いいか)
ミシェル様をお出迎えする時は、足元によく注意しよう。
つまづいて相手に抱きついてしまったり、転んだ拍子にキスしたりしたら、気まずい。
――と、冷静に対処を考えていたんだけど。
妖精の祝福は、わたしの予想をはるかに超えてきた。
ミシェル様が帰ってきたのは、二日後の夜だった。
わたしはその時、お風呂に入っていた。
泡風呂に癒されていたら、突如、湯船にミシェル様が現れた。
「……」
「……」
お互い、状況が理解できなくて、黙って見つめ合ってしまった。
「……え? あの――?」
なんでここに突然……?
「すみません! 転移に失敗しました! 城の前へ着くはずだったんですが……」
ミシェル様は手で目を覆った。
わたしもあわてて体の前を隠す。泡で隠れているから、そんなに見られてないと思うけど。
「とりあえず、出ます! 本当にすみません!」
転びかけ、壁で頭を打ち、ミシェル様は浴室を出ていった。
わたしもすぐに風呂から上がり、身なりを整えた。
廊下をのぞいてみる。
「……今まで一度も失敗したことなかったのに……よりにもよって、こんな」
ミシェル様が濡れた体も拭かず、座り込んでいた。
頭を抱えている。めちゃくちゃ落ち込んでる。
(妖精の祝福、ナメてた)
ミシェル様が転移魔法に失敗したのは、祝福のせいだろう。
こんなに強制力があるなんて。
「ミシェル様、気にしないでください。ミシェル様が悪いわけじゃないですから」
「ニナ」
ようやく顔を上げたミシェル様は、思い詰めた顔をしていた。
わたしの手をつかむ。
「あなたのすべてを見てしまった責任は取ります。結婚しましょう」
「本当にミシェル様のせいじゃないですからあああ!」
祝福でなく、呪いの間違いだと思う。




