第三章 騎士団の訓練
本日2話投稿で完結です。
後一息お付き合い下さい。
騎士団長のゴイル・クゥアントはその小柄な女を初め見縊っていた。
柔らかな物腰で『騎士団の皆様の訓練を拝見させて下さいませ。主人がお世話になっておりますのでご挨拶だけでもさせて頂きたく…』と頭を下げられた。
思わずホゥッと溜息が出る。誰に教わったのか所作も美しい。
サイラスが話していた通り珍しい深い色彩の彼女の造形はウランバルブ国には無いが美しいと思えた。
ゴイル騎士団長は聖女とは殆ど面識がない。
逆に副騎士団長のビクター・オルランドは討伐隊で一緒に過ごした経歴があるのだが聖女については多くを語らなかった。元々口の重い男である。挨拶もお互いに型通り行い余所余所しい。
討伐隊で親交を深めていた様子もないことからゴイルはその様子に一人ほくそ笑む。
王都に戻った聖女ミサキが副騎士団長の後ろ盾として動き始めてはゴイルの現在の地位は危ういとクゥアント伯爵家は心配していたのだ。
団長のゴイルは3年前に実家の後押しでこの役職に上り詰めた。
実家を継いだ兄が財務省のトップになるには弟のゴイルがどうしても騎士団の長とならなければ派閥を纏めきれなかったからだ。
当時権勢を誇っていたロドリゲス家から融資を受けクゥアント伯爵家は金をばら撒き現在の地位を手に入れた。
順当に行けばオルランド家のビクターが団長に推薦される予定であったのに金で買収を進めクゥアント家がのし上がった。
オルランド家は討伐隊でかなりの功績を残していたのに対しクゥアント家は実績が常に足りていない。実力主義の軍部の人間をロドリゲスの力で抑えつけたのだ。
就任直後は金で団長職を買った男として随分陰口を言われ、今はロドリゲス伯爵が失脚したことで更に地位が危うい。
出来れば王家の支援を背負っている聖女とはお近付きになりたいと願っていた。
(なのに…………。
なのに、馬鹿どものせいで聖女の夫をリンチする姿を本人に見られてしまうなんて。)
ゴイルの背中には嫌な汗が滴り落ちる。
聖女はそんなゴイルの方に先程から一度も視線を向けようとしない。
「ビクター副団長。こちらでは普段からあんな風に指導をなさってますの?」
ミサキの声は僅かに震えており、『貴方の返答次第では許さない!』と言った気迫が滲んでいる。
ビクター・オルランドもまさかこんな事態になっているとは知らなかったのだろう。
「いえ、あのような訓練は私は言った覚えはありません。非常に騎士としてあるまじき行為であったと思いま「訓練です!。」
ゴイルは慌てて声をかぶせた。
リンチなどと認めてはならない。
聖女の手前瞬時に判断した。
(アーサーには今後二度とこの様なことを起こさないと詫び、何としても荒立てないように頼むしかない!アイツらは僻地に飛ばす。)
監督不行き届きだったと王家に告げ口をされてはゴイルはおしまいだと思った。しらを切り通そうと更に言葉を重ねる。
「勿論私とビクターが指示した訓練ではありません。ですがこれは<如何なる時も敵と闘う>という基本理念に基づいた訓練の一環です。」
無理のある理屈だとは分かっていた。
背中から笑いながら打ち込もうとした騎士の姿を聖女は確認しているだろう。
しかし認めるわけにはいかない…………
ミサキの表情は固くゴイルは彼女が無言であるということに更に汗をかく。
「ですが、これは明らかに度を越しております。私から適切な指導を行い、彼らの態度如何で私は人事配置も考えます。」
ビクターは何かを言いたげにはしたが団長であるゴイルの手前発言を控えた。
ビクターがゴイルの肩を持つことはしないが、かといって否定もしない。
結局明らかに機嫌の悪いミサキと視線は一度も交わらなかった。
王命で仕方なく二人が結婚したと聞いていたゴイルはまさかここまで聖女の様子が険悪になるとは思ってもみなかった。
社交界の噂では『貧乏クロフォード伯爵が、細やかな功績を理由に(醜女で手に余る)聖女を王家から押し付けられた』とされていた。
結婚式ひとつとってもかなりこじんまりとしたもので、再婚の聖女が渋々引き取られた結果であると皆は考えていた。
醜女という噂は間違いであったわけだが、恋愛結婚ではない貴族の結婚である。これほど聖女がアーサーに入れ上げているとは誰も想像だにしなかった。
ゴイルは険悪な雰囲気になった聖女を宥めようと、暗にサイラスたちを配置換えで王都から遠ざけます!と約束する。
(自分の身を可愛く思えば部下の配置など簡単に変えてしまうのか?)
ビクターは己の上司の腹黒さに冷めた視線を投げつけてしまう。
だが、それはミサキも同じであったようだ。
「そう…………アーサーはあのような怪我を負わされているけれど訓練なのですね。」ミサキは『そんなことあるもんか!』と叫びたいのをグッと堪える。
『心配かけてごめんね。でも、騎士団の訓練はいつもこんな感じだから。有事の時には綺麗事だけじゃ無いし。』
ミサキに心配をかけまいとするアーサーの顔を立てるしかないと分かっている。
職場で波風を立てることを望まない人間なのだ。
だが、ミサキは以前の弱い自分とは変わった。
夫を守るのだという気概があり、守られるだけの女ではない。
「中々騎士団の訓練は想像以上に激しいものですわね。
夫を医務室に連れて行ってくださった騎士の方は何と仰いますの?お礼をお伝えしたいわ。」
そう言うとビクター・オルランドが答える。
「ドミニクとケーランです。彼らは平民で下級騎士ですので普段は宿舎に寝泊まりしております。」
普段口が重いビクターが怒りのせいかペラペラと答えた。
「そうですか。日を改めてお礼したほうが良いかしら?」
そう話しあっていると丁度彼らが剣技場の扉を開けた。
ミサキはその姿を見つけるとすぐさま階下に降りていく。
『あ』と声を出す間も無くミサキはドミニクとケーランの側に駆け寄り、声を掛けた。
「この度は夫を手助けしてくださって本当にありがとうございます。」
深々と頭を下げるミサキに平民の彼らは呆気に取られた。
「いや!そんな!頭を上げてください!」
「聖女様!!そんな当然のことなんです!」
そう慌てる二人にミサキは瞳を潤ませて手を握る。
「なんて謙虚な!いいえ!夫を医務室まで運んでいただけて感謝しております。
ぜひお礼をさせてくださいませ。」
それを聞いて周囲はギョッとした。
訓練の一環で怪我をして医務室に運んだだけの同僚が聖女にお礼をされるその状況が信じられなかった。
騎士団は階級制で1〜5階級まである。
団長や隊長職に就くには2級以上が必要だ。
平民上がりの騎士は貴族などの後ろ盾がなければ決して1、2階級には上がれない。
聖女は王室からの大きな特権を持たされている謂わばジョーカー。
平民のドミニクとケーランにお礼をするとは即ち『貴方たちのことを私は名を覚えて何かの時には助けます。』と同義である。
逆にアーサーを打ちのめした高位貴族の騎士たちはミサキから視界に入れてももらえず挨拶を出来る雰囲気ではない。
騎士団の演習場は普通は誰も見にこない場所で公開試合でも行われない限り部外の人間は立ち寄れない場所だ。
聖女が再び見学に来る可能性は低くまたもや『俺はまた幸運を逃したのか?』と気不味い雰囲気が一部の騎士たちから漂い始める。
「今日は騎士団の皆様にご挨拶だけでもと思ったのですが、夫がこの様に怪我をする場面に遭遇したのも何かのご縁。後で私も医務室に参ります。
その前にドミニク様とケーラン様にはこちらを差し上げておきますわ。」
そう言うとミサキはエストに持たせていた鞄を開けた。
中からは何かの菓子と色糸で編まれた組紐が出てきた。
「こちらのお菓子は私が手作りしたもの。お口に合うと嬉しいですわ。
そして、この組紐はこの様に体のどこかに着けて頂けると加護が発動します。
では失礼ながら……」
そう言うとミサキはケーランたちに柔らかな光を照射しながら呪文を唱える。
「これで貴方たちの怪我の治りは幾分かは早くなるでしょう。
組紐が切れたらまた仰ってくださいな。遠慮は要りません。夫を医務室に運んで下さったのですから。」
それだけ言うとミサキはペコペコ頭を下げるドミニクに笑顔を向ける。
「本日は今から陛下にお会いしなければならないので失礼致しますね。夫の元にも寄りたいですから。それでは慌ただしくてすみませんが今日はこれで。」
そしてビクターに『お願いします。』と先導を頼んだ。
ゴイルではなくビクターに。
騎士団の面々は頭の中がパニックに陥っていた。
アーサーが妬ましくて意地の悪い子供じみた嫌がらせをしていた者たちは特に顔を青くする。
この様な状況を想像しなかった訳ではなかったのだ。脳筋の乏しい脳みそでは、見合いで結婚した政略の相手に聖女がこれほど情を掛けているなんて思いもよらなかった。
『また失敗した………』その言葉が数人の騎士たちの頭の中を駆け巡る。
ドミニクとケーランは嬉しそうに腕に巻かれた組紐をマジマジと見つめる。
「聖女様が直々に俺たちに力を授けてくださった……」
「あぁ、ありがとうと仰っていたな。お礼もすると言ってくれていたぞ。」
顔を見合わせ満面の笑みを浮かべる。
平民上がりの騎士に高位貴族が声を掛けることは滅多にない。
「ミサキ様に少しは覚えて貰えたかな?」
ドミニクが頬を染めるとそれを聞いたサイラスが、ガシっと胸ぐらを掴んできた。
「コラ!平民風情が調子に乗ってんじゃねぇ(ゴォぉぉぉ〜〜〜〜ん)」
気がつくとサイラスは仰向けでひっくり返っていた。
騎士団は騒然となった。
ドミニクとケーランを害そうとした者の上に何故か大きな金盥(の様な物)が落ちてきたのだ。
サイラスは軽い脳震盪を起こし瞬間的に何が起こったのか分からない様で頭頂部を押さえて蹲っている。
ゴイルは一部始終を見て震え上がった。
聖女は一体どんな秘術を使ったのであろうか?
サイラスにぶつかった金盥は大きな音を響かせ瞬時に消えてなくなった。
しかしそれは確実に『何も無かったところから金盥が出現し落下してきた』ことに間違いは無かった。
聖女は魔術師たちとは違う呪文で、王国の人間が想像もしないような秘術を繰り出す。
ある者は大量に水を発生させたり、ある者はカバンの中に別の空間を作り出したと文献には残っていた。
魔術師たちが編み出す術とは全く別の秘術を聖女たちは代々記し、受け継いでいくのだ。組紐と呪文の詠唱によって何かの加護がドミニクたちに発動したのは間違い無いだろう。
魔獣討伐もこれら聖女の秘術を駆使して討伐隊は乗り越えてきたのだ。
独特の世界観を持っている聖女の力は彼女たちしか扱えない。
ゴイルは自分の置かれた状況の悪さに眩暈を覚えるのであった。
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「ミサキ、そんな騎士団に挨拶なんて良かったのに…」
癒しの力で表層の怪我を治してもらったアーサーはミサキを抱きとめた。
「会いたくて来たんです、気にしないで。
それにタイミングよくお身体を治す事ができて本当に良かったです。」嬉しそうに微笑むミサキにビクター・オルランドは頭を下げた。
「聖女様。このような事態になっているとはつゆ知らず、誠に面目ない。」
ビクターは真面目な人間で融通の利かない男である。
騎士団長になり損ねた時も周囲を恨まず『自分の実力不足です。』と真っ直ぐに言い返した今時珍しいほどの堅物だ。
そんな彼はアーサーの現状を本当に知らなかったのだろうとミサキは考えた。
「私はこれを訓練だとは思いませんでした。ビクター副騎士団長もそうですわよね?」
「当然です。」
「このような事は私は許したくはありません。」
「団長は先程の3名を配置換えすると言ってましたが…」
そう言うとアーサーにチラリと視線を向ける。
アーサーはその会話で察したのだろう。
ミサキの肩を抱き締めると宥めるように頭を撫でた。
「そこまではしないでください。アイツらの気持ちは分かるんです。
俺もあの立場だったから。
こんな美人な奥さん貰ったんです。人生の中で初めて妬まれた。今まで人から羨ましがられる事など一度もなかったから、運の皺寄せが一気に来たと思えば大した事はない。
きっと暫く我慢すれば済むと思うから。」
アーサーの言葉にミサキは頷く。
「主人の言う通りにお願い致します。私はクロフォード家の妻ですからアーサー様の言葉を尊重します。」
ビクターはその言葉にいたく感心したように頷いた。
勿論自分も彼らにリンチの件は厳しく注意し、アーサーの荷物を後で医務室に届けると言った。
控えめで夫を立てる妻としてミサキはビクターの前で猫を被る。
表向き強く彼らへの制裁を求めなかったが自分の中では報復に出る気満々であった。
そして既にその布石は打った。
早ければ演習場で『コト』は既に起こっているだろう。
ニマニマと口元を緩めるミサキにアーサーは首を傾げる。
「ミサキ?何か面白い事があったのか?」
「いいえ?アーサー様と一緒に帰れるのが嬉しいんです。」
そう言うとアーサーの頬にキスを落とす。
「ウフフ、偶にはこんなのも良いですわね?街のレストランで食事でもして帰りますか?」と言えば、アーサーも「偶には良いな!」と頷いた。
仲睦まじく医務室を出ていく姿に王宮の人々は思う。
聖女様は幸せな結婚相手を見つけられたのだと。
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___キセル王国にて____
「で、それでケイオスは手ぶらで帰ってきたんだね。」
そう言うと王太子はフフフと可笑しそうに笑った。
「叔父上にしては珍しい結果でしたね?悔しかったですか?」
第二王子が微笑みながらそう言うとケイオスは苦虫を噛み潰したような顔を露骨にした。
しかし、甥っ子とはいえ王太子と王子である。ケイオスは姿勢を正すと一礼した。
「最初の印象が悪過ぎてすっかり嫌われた。ミサキを手に入れられずすまなかったな。」
王太子はその姿に堪えきれず声を上げて笑った。
「挫折知らずの貴方も失敗するなんて人間らしさを感じますよ。大丈夫です。保護が目的だったのですから。
それに長期に渡りウランバルブ王国に潜入してくださりお疲れ様でした。今回は平民として潜入でしたから生活もキツかったでしょう?
それにしてもミサキ様の話は興味深かったですね。
話を纏めると聖女真凜様よりも生まれは早かったらしいですね?」
ケイオスは顎に手をやり考えを纏めながら話し始める。
「キセルに最後に召喚された真凜様は令和5年生まれと言ってたがミサキ様は平成生まれだ。恐らく年号とやらを考えても召喚される時代はバラバラだと立証された。本当に何を基準にこの世界に呼ばれているのかはわからず仕舞いだな。
俺が生きている間に次の聖女はもう現れまい。
俺も諦めて嫁でも貰うことにするよ。」ケイオスは肩をすくめると報告書の束を王太子に渡す。
「ミサキのこと好きになりかけてたんじゃないの?ケイオス?」
王太子は自分の代わりに汚れた仕事をいつも請け負う叔父を少し憐れんだように見つめた。
しかし深く暗い瞳の奥はいつもと変わらず揺れ動く。
「あぁ、一生懸命で直向きな性格のミサキは俺の好みではあったな。
だが、タイミングは合わなかったよ。馬鹿正直さだけが取り柄の騎士に掻っ攫われちまった。
俺の魔力も今が最高潮だ。気になる女も居ないからキディ領の女を誰か紹介して貰うさ。あいつらを見てたら見合いも悪くないなって考えが変わったんだ。」
ケイオスは心のどこかで先祖たちのように自分は聖女と巡り合い、異世界の女と添い遂げるのではないかと思っていた。
頭の回転も早く、王家も羨むほどの魔力。
ケイオスは100年に一人の逸材としてキセル王国の人々から羨望の対象として生きてきた。
ミサキを初めて見た時も『運命の女だ』と信じて疑わなかったくらいだ。
しかし二人の歯車は噛み合うことなくミサキは目の細い、貧乏伯爵を選んでしまった。
(今まで女から振られたことなんかなかったんだがな…)
ミサキのために行った『制裁』はミサキから諌められた。
『苦楽を共にする人たちがいるというのも悪くないんです』
苦労をあまり知らないケイオスには重たい一言であった。
いつの間に自分は上から人を見下ろすようになったのか?俺の周りには苦楽を分かち合う人間はいるんだろうか?
ミサキと別れた後、幾度も考えてしまう。
『見合い結婚はモテない人間同士の不幸の始まりだ』と昔は嘲笑っていたのに、二人の仲睦まじさに嫉妬した。
(絶対に添い遂げろよな)わざと悪態を吐きながらウランバルブ王国を後にしたのは1週間前。
帰国すればケイオスは自分の傲慢な部分を顧みる余裕が出来た。
本来平和な国から来たミサキには、人を殺める精神は受け入れてもらえないのだとようやっと気がついた。
「アーサーが手を離したらすぐに迎えに行くからな!」
ケイオスは人気のない王宮の通路で独言るのであった。
ミサキの詠唱
『カナダライ〜オチハカナダライ〜ドリフトイエバカナダライ〜』
(この呪文考えた聖女ってドリフ世代?)
でもミサキの得意呪文。




