第三章 やきもち…それは日本食ではありません
「(マイク、ちょっとちょっと!!)」
陽が傾き始める少し前。
ミサキは馬小屋の掃除を終えたマイクをこっそり呼び出すとハンドクリームの瓶をコソッと握らせた。
ギョッとした顔のマイクに『可愛い恋人にプレゼントなさい。喜ばれるわよ?』と微笑んだ。
無料より怖いものはない。マイクは早速ミサキの相談に乗ることにした。
「アーサー様の態度がおかしい?」
ミサキがうんうんと頷くとマイクは(ああぁ〜)と知った顔で顎を撫でた。
ケイオスが帰った後からアーサーは事情聴取のため数時間王宮に上がっていた。
そこから戻った後、塞ぎ込んでしまったのだ。。
可愛らしい妻に浮かれて過ごした1週間からのミサキがこの地を離れる可能性がある事実。それは単純な脳筋を階段下までポンと突き落としたような衝撃であった。
その上王家、宰相家、ターナー魔術師団長達に囲まれて先程までアーサーは『良いか!ミサキ様のお心を決して離してはいけない!キセル王国にミサキ様が行きたいなどと微塵も思わせないように努力しろ!』とプレッシャーを掛けられた。
そんな事本人が一番わかっている。
『ミサキ』と呼び捨てにするケイオスは、話に聞いていた気持ちの悪いオッサンと違い、ちょっと渋さの出てきた貴族らしい貴族の男だった。中年ながら逞しく男前なケイオスの存在にアーサーは人生初めての嫉妬心に駆られている。
(この可愛らしい未亡人…いや新妻は恐らく何も分かっていない)
マイクはアーサーの幼馴染である。
主人が、どのように考えどのように焦っているのか手に取るように分かっていた。
(ケイオス・ギャラクシーはどうやら媚薬を使ってまでミサキを手に入れようとしたらしい)
アーサーの侍従として付き添ったマイクは全てに聞き耳を立てて内容をスッカリ理解した。
---嫌いな人間に媚薬は使わない。---
とどのつまりはそういう事なのである。
年齢差があるのでケイオスは表立ってミサキを口説こうとはしていないようだったが端々にその執着が見られている。
初めはキセル王国の王子達から依頼はされたのであろうが、今日の訪問は完全に個人的な感情でミサキ達と対面していた。
マイクも直感的に思った。
『モテる男だ』と。
顔が良く、仕事が出来て、王家の信頼は厚い。
キディ領を治める公爵家の人間で、しかもちょっと悪いことに手を染めている…………。
男のアーサー達から見てもモテる要素しかない。
そんな男が『守りたい。一緒に来い』等と言っている。
『え?抱いて!』とマイクが女性ならつい言ってしまいそうだ。
(ダメだけど………)
その可能性を恋愛経験値8歳の純真無垢な女主人は全く想像できないのだ。
『ミサキ様ちゃんと断ってたって聞いたぞ?』とマイクが慰めたところで
『だが、2年も彼女を見守っていたんだ。これから先何があっても不思議じゃない!俺この顔なんだぞ!』と思い悩んでいるのだ。
『昨日まであんなにイチャついていた癖に不安になるなよ!』
と笑い飛ばしても
『でもあんな美丈夫に<好きだ、愛してる、俺と一緒に来てくれ>と言われたら俺なんか捨てられてしまう』と頭を抱える始末。
マイクから見ればミサキはケイオスの行いに嫌悪感を持っているようであった。
それゆえにキセル王国に渡ることも拒否したに違いない。
しかしケイオスが『大山家』という家名を聞いてから無意識に心を開いている様子も見せた。
複雑な心境であるのはミサキの方なのだが、アーサーはもっと浅いところで右往左往しているようにしか見えなかった。
そんな夫の気持ちが分からないミサキは『アーサー様がずっと挙動不審なの。心ここに在らずでお食事も残されていたし…』とマイクに相談を持ちかけたのだ。
ちゃんと心配されてるぞ!!アーサー様!!と励ましたいがあの様に卑屈な精神状態では困難であろう。
使用人にさえ顔面偏差値が負けていると猫背になるような人間だ。
マイクから見れば顔の派手さは確かにないがアーサーも上品な顔立ちであると思っている。
背が高く、手足は長いし一重とはいえ目元も爽やかだ。
多分、猫背と卑屈な表情がアウトなのだ。
あと喋り方か………
良い様に表現すれば落ち着いている。悪い様にいえば年寄りくさい。
暫し悩んではみたがミサキ様のコミュニケーション能力を信じてマイクは正直に伝えることにした。
「ケイオス・ギャラクシーってミサキ様のことが好きですよね?」
そう言うとミサキは大凡貴婦人にはあり得ないほど、アングリと口を開けた。
その夜。
ミサキは休暇の最終日だから夕食を皆んなで食べましょう!と言い出し、テーブルにはいつも以上に料理が並べられた。
普段遠慮しているエストもこの日は末端の席に座り品よくパンをちぎっている。
「私の生まれた国は島国でして皆平坦な顔をしてましたの。そうですね、その中では割と私の顔はハッキリしている方かもしれませんわね。
ケイオスの印象はペニシールで本当に最悪でした。
油でギトギトした髪に、ニヤついたお顔。私の世界でいうところの[キモい系]ですわね。しかも割とお年も上ですし。私の好みはアッサリ目元も涼やかなアーサー様みたいな方です。
お料理だってそうでしょう?毎日食べるのはシンプルな味付けが良いと言えますね。ケイオスの顔は完全に見ただけでお腹いっぱい。勿論カッコいい方かもしれませんけれど自分が隣に行きたいかと言えばテレビの画面で見るのが丁度いい…あーーーーテレビっていうのは…」
ミサキは饒舌に話している。
勢揃いしたクロフォード家の面々を前にミサキの『私はケイオスのことはなんとも思っていません』講義を聞かせているのだ。
正直、アーサー以外は全員苦笑いである。
「確かに彼は日本人の大山姓の子孫のようですがとんでも無く遠い血筋です。寧ろ他人ですよ。」
「だけど遠縁の親戚同士なら結婚は可能だろ?」アーサーが被せる様に話すとミサキはムッと困った表情をする。
「それくらい距離があって、お付き合いをするような間柄ではないとお伝えしたかっただけです。」
「あ、あんなにカッコいいんだからトキめいた瞬間くらい、あ、あ、ったんじゃな「ありません!」」
このように何の罰ゲームなのか分からないが、アーサーがミサキの話を聞いてはネガティヴ発言をして相手をイラつかせている。
使用人たちとしては正直情け無い。
確かに愛情いっぱいの恋愛結婚では無いが、お見合い(?)スタートの結婚なのだから徐々に歩み寄れば良いものの…………。
アーサーがミサキのことを好きすぎて七日目にして大騒ぎなのだ。
いや、普通貴族の男子たるもの、動揺していることを晒したり、余裕のなさを露見してなるものかと普通なら耐えるところだ。平民のマイクであっても男の矜持で口を出さない。
しかし、恋愛初心者のアーサーは口が凍結道路の如くツルツル滑りまくりである。
もうクロフォード家としては眩暈がしそうだ。
そんな中エストだけは静かに食事を続けておりアーサーの失言に溜息を偶に吐く。
彼女からしたら馬鹿馬鹿しいのだろう。
「だが、ミサキはどうであれギャラクシー公爵はミサキのことが好きだろ?」
そう言った途端ミサキはカッと顔を赤らめガタンと席から立ち上がる。
「今夜はこれまでに致しましょう。おやすみなさいませ。」
(あーあー本気で怒らせちゃったよ…………。)
老齢の執事でさえその場で思わず天を仰いだ。
マイクは溜息を吐く。
アーサー様はミサキ様の好みがあっさりした顔立ちと優しい雰囲気な男性であるという幸運を全く理解しないらしい。
周囲はミサキの発言にホッと胸を撫で下ろしていたのにあーでも無いこーでも無いと難癖をつけたのはご主人様だけ。
(人間モテないとこんな風になっちゃうのか…………。)とある意味感慨深い。
寝室に先に入ったミサキはアーサーを拒否するかのようにその晩は背中を向けており、そっと伸ばしたアーサーの手はピシャリと跳ね除けられた。
翌朝。
騎士団の制服に身を包みアーサーは顔色悪く現れる。
食堂に集まった使用人たちは『仲直りは叶わなかったか……』と残念そうに視線を送る。
アーサーは青い顔のまま『あの・・・その・・・』とミサキに話し掛けようと試みているがミサキは無表情のままだ。
結婚してからミサキの機嫌が悪いのは初めてのことであった。
一方でミサキも動揺していた。
昨日マイクに相談すると
『アーサー様はケイオス様にヤキモチ妬いてるんですよ。ミサキ様美人だし、あの方は誰もが認める男前だ。歳は確かに上ですがハッキリ言ってお似合いです。しかもヒーローみたいにミサキ様を救い出そうとしていたでしょう?勿論ロドリゲス伯爵たちを死に至らしめた怖い人間でもあります。
ですがそれだけミサキ様に執着しているということですよ。
ご主人はそれがわかっているんです。元がネガティヴだから自分が振られたらどうしようって焦ってるんです。』
思わず驚いて大口を開けてしまった。
彼との初対面は最悪。そのあと媚薬をぶっかけられた瞬間には『キモッ!!』という感情しか湧かなかった。
あの後ターナーから聞かされた話によるとケイオスは隣国の裏家業の魔術師だと偽りロドリゲス伯爵を嵌めたに違いないとのことだった。
ミサキの動向を知るためにペニシールの傭兵として紛れ込んでいたと言うことまでは調べたそうだが、それ以上の情報は得られなかった。
ミサキを見守っていた………
考えようによってはストーカー案件であるが王家は自分達の王国の体制を改めて考え直しているらしい。
たった半日で目まぐるしい程の変化である。
しかしその話を脇においたところで、[彼が自分を好き?]。
ピンとくる内容では無かった。
キディ領については正直興味を唆られるが、ケイオスの行ったことは平和な日本から来たミサキには到底受け入れられない残虐な行為である。
『人を殺すということに躊躇いのない国はやっぱり怖い……』
これがミサキの結論である。
ミサキはデイビッドやマリア達を通じてウランバルブ王国の人々にも既に情は沸いている。
もしかしたら、キディ領に最初から住んでいれば、人の人情や感謝の気持ちなどに疎い大人になっていた可能性もあると今では考えている。
ペニシールの苦労した時代があるから、今の環境にミサキは日々感動を覚えるのだ。
お荷物の『醜女』と言われていたミサキがクロフォード家に嫁いで来ても使用人たちはとても温かく迎えてくれた。
乳母だと名乗った女性はこう話しかけてくれた。
『この国には少しは慣れましたか?分からないことは遠慮なく仰ってください。出来る限りお助け致しますので』
甘言で言っているわけではない。
本当に心配してくれているのだ。
『結局この国に慣れる事なんてない』と隠し続けていた心のガードが緩んだ瞬間である。
忘れかけていた幼い頃からの優しい部分が再び温かく包まれた。
『お母さん』思わずそう言いそうになるくらいに。
だから余計に最終日が台無しになったことが悔しい。
マイクからアーサーが自信を失ったと聞けば、妻の自分が何とかしてあげたいと考えたのも当然の成り行きであった。
夕食の席でミサキはかなり頑張ったと思う。
珍しく饒舌に話し、アーサーを褒め称えた。
使用人たちの表情も『アーサー様!元気を出して!!』という雰囲気だった。
なのに…
なのに…
ちょっと後ろ向きが過ぎるんではなかろうか?
ミサキは皆の前で怒ってしまった事も恥ずかしかったし、あわあわするアーサーに更に苛立ちが募った。
『私が怒ったくらいであわあわするくらいなら、あんなに責め立てるように質問しないで!!』
怒鳴りつけたくなったが、ミサキは元々穏やかな日本人の気性である。
初めての喧嘩に声を荒げるなんていう高等技術は無理だった。
アーサーも最後の日だしきっとミサキを怒らせたままでは嫌だったのだろう。
何とか仲直りしようとお風呂上がりのミサキを必死な形相で見つめてきた。
しかし……
仲直りの手段としてアーサーは合体を選ぼうとした。
ミサキは一気に頭に血が昇る。
『謝ったり、話し合ったりが先でしょう?!馬鹿!!』
なので遠慮なくバシリッとその手を振り払いベッドの端っこで怒りでイライラしながら眠りについたのであった。
エスト「ミサキ様に日本食の話など私は伺おうともしたことがありませんでした…私のような気の利かない人間はミサキ様の側にお支えする資格が無いのかもしれません。」
マイク「心配するな。主人の好物なんてクロフォード家の使用人は一人も知らないぞ!」
乳母「アーサー様は肉出しときゃ大体大丈夫よ。」
マイク「甘辛い味付けだったら何の肉でも嬉しそうだし文句言わねぇよな!」
エスト「…………。」
男には肉出しときゃ何とかなる説ここでも生きてる…………。




