第三章 キセル王国とウランバルブの大臣
本日は連続投稿です。
マーティンと王太子は外務大臣ティエンセルからキセル王国より持ち帰った虚しい報告を聞いていた。
キセル王国は100年ほど前に三つの小国を一人の王がまとめ上げ出来た、まだ歴史の浅い国だ。
現在の王が人格者であり、争いを好まないこともあり友好な関係が築けていたと思っていた。そのためウランバルブ王国の王太子が婚約者を探し始めた15年前のときも適齢の王女を彼の国から迎えるという話は上がらず、貿易の相手国として表面上上手く付き合ってきた。
ターナー魔術師団長が闘ったケイオスという魔術師がキセル王国に雇われたと発言したこと。彼が仕掛けた罠で祠が崩壊し貴族が2名亡くなったことを含め正式な抗議文書として使者を送ったが、返答は『ケイオスなどという魔術師をこちらは知らない』と真っ向から否定されたものであった。
実際に彼を捕まえることが出来なかったこともあり、これ以上強くは物申せないというのがウランバルブ王国の執務官や担当大臣たちの結論であった。
「それじゃ済まんだろ?聖女ミサキが狙われたのだ。彼女を奪われる可能性だってあったのだぞ?」
王太子アレックスが珍しく不機嫌そうに執務官や大臣を睨みつけた。
しかし大臣は悪びれもせず淡々と話し始める。
「申し訳ございません。ですが、ターナー魔術師団長とペニシールのチャペス辺境伯からの証言だけですし、亡くなった貴族もロドリゲス伯爵でした。まぁ、貴族に籍は残しておりましたが正直犯罪者として裁かれるべき人間でしたので亡くなったところで大きな問題がないと言いますか。
それに現場に残された魔術師の証拠も爆風で飛んで行って回収することが叶いません。残念ですが打つ手がないのです。物的な証拠が少ないこの状況でどうやって殿下はキセル王国に交渉しろと?単に祠の造りが脆かった可能性だってあります。
この国の交易の為にも此処は矛を収めるべきかと思います。」大臣はさも当然の結論だと言わんばかりの顔で顎を上げた。
「何の為に隣国に行ったのだ?ティエンセル大臣。陛下もアレックス王太子もこんな報告書じゃ納得されないぞ。なあ、お前たち。」
マーティン第二王子は萎縮する後ろに控える執務官に発言を促す。
「は、はい。
ミサキ様を狙った意図も読めなければロドリゲス伯爵達がどうして殺められたのか理由も辿れず…その…予測が立てられないのです。キセル王国の謁見室にはティエンセル大臣お一人で上がられたのですが彼の国の王たちは知らぬ存ぜぬと申すばかり。私たちも粘ったのですが大臣が何故かこの様に方針を変えてしまわれました。そして何より分からないのです。ミサキ様をキセル王国に連れていく理由が。勿論聖なる力は得難い有難いものです。
ですがキセル王国は現在魔獣被害も上がっておりませんからミサキ様を連れて行ったところで仕事があるわけでもなくてです…ねぇ。」
そうなのである。三国の集まりであるがキセルの王は圧倒的な智略で統治している。
国の乱れは年々平されており次期王太子指名された青年も問題はないと言われている。
建国の時より三国の血縁は其々の貴族に渡っており年々複雑化している為、血脈もあと二代もすれば落ち着くであろうと予想されていた。
執務官が冷や汗を掻きながら報告する気持ちも分からなくもない。
マーティン達にもミサキを拐かそうとした理由がわからず首を捻っているのだから。
だからこそ、ロドリゲスの件を餌にして情報を引き出せそうな男を交渉に立てたのだ。
だが、隣国から戻ったティエンセル大臣の雰囲気は別人としか思えなかった。
マーティンは普段神経質で、慎重なティエンセルの変わりように何かの力が働いていると確信した。
彼を補佐する執務官たちも違和感を感じているのか大臣の発言を諌めようと互いに目配せしている。
ティエンセル大臣に聖女についての情報は伏せてはいるが彼は元々思慮深く、聖女を崇めていた。なのにキセル王国から帰った途端ミサキに対して道理の通らない発言を繰り返した。
王家の機密事項としてミサキが現在も祠に力を注ぎ結界を維持しているのは一部の人間しか知らない。
ミサキが居なくなった状態で結界が破られればこの国は緩やかに以前の状態に戻るだろう。
(戦争を仕掛けたいわけでも無さそうだし、一体何が目的なんだ?)
表立った活動を控えていた聖女ミサキだが、社交界にもうすぐ伯爵家夫人として立つようになる。
なのに奇妙な噂が水面化で流れるのだ。
『聖女の力は万全ではなかった。』
『討伐軍の働きの方が聖女の仕事より優れていた。』
『結界がある今聖女は必要ない。』
現にこのティエンセル大臣だってそうである。
『シールドがあるのだから、ミサキ様が攫われた所で我が国は安泰でしょう?』と帰国後ガラリと態度を変えた。
「万が一………聖女ミサキが攫われ、結界が綻びた時お前の領地が真っ先に襲われたならどう対処する?」
物言わなかった陛下が静かに大臣を見つめ返した。
「は?………そんな馬鹿なことは起こるはずが」
「起こったんだ。それが今回ペニシールであったから辺境伯たちが守り戦い抜いた。」
王が右手をあげると、兵士の一人が台車を一台引いてくる。
王太子は徐ろにその代車に被せられた布を取り払い大臣に祠の欠片を見せる。
「ヒィィィッ!!」
血の痕が残ったままの石像の頭部には魔獣の爪痕がしっかりと刻まれていた。
ティエンセル大臣はその生々しさに腰を抜かし、真っ青な顔で石像の残骸を見つめる。
「良いか。私たちの国は今脅かされようとしている。
この祠は通常の魔術師では壊すことが出来ない代物だ。だがな、例の魔術師はいとも簡単に禁術を使いそれを成し遂げた。
危険なのだよ。
我が国はこの数年聖女のお陰で平和を取り戻し、ぬるま湯に浸かったように安全だと思い込んでおる。
いいか……ティエンセル大臣。再度調べよ。其方の領地が次は狙われるかも知れぬのだぞ?
今の発言を聞いたチャペス辺境伯はきっと其方の領地が脅かされたところで派兵はしてくれぬぞ。」
そう言い終わると扉が開きターナー魔術師団長とジェローム・チャペスが入室してきた。
「い、いらっしゃったのですか!?」ティエンセル大臣の声は今度は見事にひっくり返った。
「ええ、居ましたよ。大臣の報告を聞き終わったら私が話をしようと思っていましたので。」ターナーはローブの中から手を伸ばして執務官の報告書を取り上げた。
目を細めパラパラと薄い書類を捲る。
「形ばかりの報告書ですね。
誰かに何か言われたのですか?」
そう言えばティエンセル大臣はブンブンと首を横に振る。
「滅相もございません!!私たちは必死に調べ上げ結果を持って帰っただけです。」
しかし執務官たちの表情は暗く皆一様に俯いたままだ。
どうか陛下たちが自分に発言を求めないでくれ!と言わんばかりだ。
「ティエンセル大臣。もう良い。下がれ」
陛下は静かにそう言うと、目で退室を促した。
ターナーはティエンセル大臣が部屋から出て行くの確認すると大きくため息を吐き出した。
「気味が悪い話ですね、ティエンセル大臣が今までこのような雑な仕事をした事はなかったのですが…私が知る限り聖女様を侮ったりはしない男です。
隣国に渡るにあたり彼に何かがあったのでしょうか?」
「ターナーもそう思うか?俺も同じことを考えていた。ティエンセルは隣国にわたって調査を進めるときに何かおかしな輩と接触したのではないだろうか?」
マーティンはティエンセルの様子に違和感を覚えたことに賛同する。
大臣は本来非常に腰が低く神経質な男である。交渉術は理詰めで相手に隙を見せるタイプではない。
疑問点を残すような真似もしない人間だからこそ大役を任せたのに何を思ったか穴だらけの報告書で帰国してきた。
その上陛下の前で見せたあの態度は、妙に尊大でやたらと自信に溢れて奇妙である。
空っぽの報告書を手にしてあのように大きな口をたたく人間ではない。
何か得体の知れないものが、背後でうごめいている嫌な予感がした。
ターナーは陛下とマーティンに対し自分の報告を始める。
「ケイオスに会ったのは20年ほど前です。
私が彼を覚えていた理由は学園での研究発表会での内容がウランバルブには無かった新しい着眼点だったからです。当然他国の魔術師たちも初めて聞くその内容に会場は随分と紛糾しました。
それは魔獣から採れた魔石を身体に取り込み体内魔力を増幅させるという危険な思想です。」
そこまで話すとターナー魔術師団長は一冊の本を陛下に渡す。
「【キセル王国建国への道程】この本に統合された小国の王子達の話が残っておりました。」
そう言うと栞の挟まったページを陛下は丁寧にひらく。
「[今はもう名も亡き国の者達は魔力量の多いキディ領の娘達と重婚を繰り返して血をより濃いものとした。
黒髪に黒目が特徴で魔力量の多い子供ほど黒は深く、火属性と水属性のどちらかを受け継ぐ子供が多い。王家から寵愛を受ける人間が多く、彼らは手厚く王宮にて保護された…]
とありますが、実際はこの領地から拐われるようにして王宮に閉じ込められ、子を生まされていたと言う噂があります。
もしかしてなのですがケイオスは…」
「ケイオスという魔術師は魔術師であり王族の血を引く一人?」マーティンが言葉を引き継いだ。
「はい。
キセル王国は魔術に長けた国です。
魔力が多い男を取り込んでいる一族は勿論いるでしょう。その系譜の中にケイオスが居るのではないかと思うのです。
本来ならばこのようにウランバルブ王国で事件を起こしてはより丁寧な対応があるはず。なのにティエンセル大臣は精神操作されたようになり捜査が進まず、自国では聖女ミサキに怪しげな噂が流れている。
嫌な予感しかしません。」
ターナーは珍しく饒舌に喋ると大きく息を吐き出した。
「ケイオス…………。
一体何者なんだ…………。
そして一体今どこに潜んでいるんだ…………。」
マーティン第二王子はペラペラの報告書を眺めながら深い深い溜息を再び吐いた。
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その頃クロフォード家の二人は本当に幸せな時間を過ごしていた。
昼間は手を繋いで買い物に行き、天気が良ければテラスでお茶を楽しみ、夜は仲良く睦みあう。
昨日はついに宝飾店にオーダーしていたお揃いの結婚指輪が仕上がった。
仕事や直前の事件のおかげで準備が間に合わずミサキたちには二人で選んだ宝飾というものがなかったのだ。
やっと出来上がったそれをお互いの指に嵌めればミサキもアーサーも夫婦になったのだといよいよ実感が沸く。
『何だかくすぐったいですね』
嬉しそうに微笑むミサキは、アーサーが仕事中でも指輪を首から下げられるようにとチェーンをコッソリ購入してプレゼントしてくれた。
仕事柄剣を握るアーサーが毎日身につけられるように配慮してくれたのだ。
(本当に俺の奥さん優しい。)
指輪の値段よりも、二人で揃いで何かを身に着ける喜びや、ミサキから与えられる思いやりがアーサーに自信をつける。
アーサーは毎日が夢のようであったし、ミサキもクロフォード家の穏やかでのんびりした人々にあっという間に打ち解けた。
乳母夫婦はミサキに母親父親の様に接してくれ、気さくなマイクはクロフォード家のこと、街のことを色々と教えてくれるさながら兄の様に接した。
(この人たちとならきっと上手くやっていける)
1週間という短い期間ではあったがミサキは確信を持つことができた。
ペニシールでもミサキに全員が冷たく当たっていたわけでは無い。
だが、身元の不確かな人間に僻地暮らしの人々は頑なだ。
まだ親元で温温と暮らしていた15歳にはそんな人々の態度は優しいとは言い難く少女の心は幾度も傷付けられた。
日本は根本的に安全な国で性善説が通用するゆとりのある場所であったのだとミサキは常々思い知らされた。
いや、彼らを知っているからこそクロフォード家の人の優しさが身に染みるのかもしれない。
ペニシールの地で過ごした数年がミサキを成長させたとも言えた。
本来ならば新婚旅行へと繰り出したい所であるが聖女という役割のあるミサキは護衛の関係で遠方に気軽に出ることが叶わない。
ミサキはその事が非常に残念でアーサーに対して申し訳なく思う。
彼は遠方に行く時は全て仕事や任務の時に絞られており、貧しさ故に家族で遠出するという経験は無かったらしい。
(旅行という娯楽として国外や、観光地を二人で回れたら良かったのに………)
日本での記憶があるミサキとしてはそれだけが悔やまれた。
アーサーはそんなことは全く気にしていなかったが、ミサキを甘やかそうと最終日に遠乗りを計画した。
王都の端にある森林公園にはボートに乗れる池がある。
庶民も気軽に楽しめる場所で貴族らしさには欠けるがミサキはきっと喜ぶだろうとマイクもそれに賛同する。
ミサキより一刻早くそっと起きた2人で馬の準備を進めていると俄に玄関が騒がしくなる。
暫くすると見るからに高位貴族が所有している重厚な装飾の馬車が早朝にも関わらず家の前に停められた。
「やあ、隣のキセル王国から来たギャラクシー公爵家のケイオスだ。ミサキは起きてる?」
マイクは腰を抜かしそうになった。
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立派な馬車から降りて行きたケイオスは真っ青な軍服に身を包みその手にはカサブランカの大きな花束を抱えていた。指には大振りの宝石が嵌まった指輪が赤く光っており胸元には幾つかのリボン型勲章が光り輝いている。
「君が、アーサー・クロフォード伯爵だね。ミサキの今婿殿。
俺はケイオスだ。初めまして。色々事情があって来るのが遅くなったんだけどミサキはいるかい?あ、これ結婚のお祝いの花。」
その美丈夫は一方的に喋りまくると掌をアーサーにスッと向ける。
「あ!あの守護魔法をミサキに付与していたのは君か。嫌な魔法だった。お陰で媚薬の効果は全て弾かれてしまったよ。あの日キセル王国に連れて帰る予定が狂っちゃって俺もガッカリさ。」
驚いて動けないマイクをアーサーは後ろに下がらせるとケイオスの前に立ちはだかった。
「すみませんが、何方ですか?クロフォードに本日招待したお客様は居ないはずだ。」
自分の妻を『ミサキ、ミサキ』と呼び捨てにする奇妙な男をアーサーはもちろん許そうとは思っておらずこの先には一歩だって入れる気は無かった。
そこへ朝の支度を慌てて済ませたミサキが階下に降りてきた。
ケイオスの声は二階のミサキの部屋にも十分過ぎるほど届いていたからだ。
「あ!貴方は!!」ジェロームたちを痛めつけた黒髪の魔術師の姿を見つけミサキは咄嗟に近くにあった花瓶を振り上げようと腕を伸ばした。
パリン
持ち上げようとした花瓶は、ケイオスが一振りした杖の延長線上でいとも簡単に砕けた。
エストが反射的にミサキに破片が当たらないように壁際に押し退ける。
「可愛いなあ。でもそんなに毛を逆立てないで子猫ちゃんたち。
俺は迎えにきただけなんだ。さあ、応接間に行ってお茶でもみんなで飲もうじゃないか。」
ケイオスはそう言うと飄々と玄関の扉を開いた。
(魔術を使われた!!)
アーサーは掴みかかろうとしたが足に重石が付いたように体が動かない。
「さっきお呪いかけたから無駄さ。」
ケイオスはクククと悪戯が成功した子供のように笑うとパチリと指を鳴らす。
途端にアーサーの足は軽くなり体も動いた。
「まあ、俺の昔話でも聞きながら皆で茶を飲もう。ミサキ。危害は加えない。良いからおいで。」
ケイオスはアーサーの呪いを解いたのだろう。
驚いた顔をしたアーサーの横を悠々と通る。
「悪い話じゃないんだ。クロフォード伯爵。ミサキの国の話をしてあげるから……君も知りたいだろう?俺は彼女の国と深い関わりがある男だよ。」
エストは素早く王宮に緊急時の知らせを魔術で送る。
普段表情ひとつ変えない侍女が珍しく奥歯を恐怖で噛み締めた。
得体の知れない圧倒的な力に人生で初めて触れたのだ。
ケイオスの魔術の前に手練れと名高いエストも、剣に自信のあるアーサーも一歩も動けなかった。
アーサーは強力な魔術の力の前に唖然としながらもミサキを逃がそうとマイクへ目配せしたがケイオスはそんなことは分かっているとばかりに手を大袈裟に振る。
「やめておけ。あの馬車が俺の張った結界の鍵になっているしミサキが門をくぐればキセル王国の兵士が彼女を攫うだろう。メイドや下働きたちは屋敷から出て行っていいぞ。彼奴らに魔術は効かないようにしてるから。
今からの話はミサキとクロフォード伯爵にしか聴かせる気はないんだ。あ。エスト?君はミサキから離れる気は無さそうだね。いいよ。傍に居な。」
まるで飼い猫が飼い主の側にいても何の影響も無いのだと言わんばかりだ。恐れ慄く人々の視線をものともせず漆黒の瞳の奥がゆらりと奇妙に揺れる。
力の強さに自信があるのだとミサキは愕然とした。
ジェロームたちと闘った時のケイオスはターナーと同等ほどの力の魔術師に見えた。だが、今の彼は明らかに違う。
あの時は本気は全く出していなかったのだと言わんばかりの魔力の壁が門前から家を取り囲んでいる。
ミサキが今まで見たどの魔術師より強力な力と圧倒的な存在感。
逆らえるはずもなく3人は大人しく応接間に向かったのであった。
キモいケイオスがマトモになって登場です。




