第二章 クロフォード家の事情
クロフォード家の使用人たちのお話
アーサーは屋敷に戻ると執事達にこの度の褒賞の内容を伝えた。
伯爵家の使用人は老齢の執事を入れても4人だが、皆一様に驚いた表情をした。
アーサーが若い頃から、家族のように食事も一緒に取る仲だ。老齢の執事を筆頭に乳母とその夫、そしてアーサーとも幼馴染の息子が家を切り盛りしている。
一時期は館も売り払わなければならないほど困窮した時期もあったが、使用人達が給与を受け取らずに伯爵家の維持費に回してくれたお陰でクロフォード家は難を逃れたのだ。
公爵夫人を救出した事件は近所中で評判になり、クロフォード家でも主人の活躍に沸き立った。
『報奨金が出ますかね?家の修繕が出来ますか?』とはしゃいだものだ。
だが、まさか【結婚相手が決まりました】とは誰も思わなかったであろう。
乳母の息子マイクは特に吃驚しており『まさかアーサー様が俺より早く結婚することになるとは思わなかった!!』と失礼な発言をした。
乳母はその頭に拳骨をゴチンと落とすと『喜ばしい事ではございませんか!』と目尻に涙を浮かべる。
「けど母さん!聖女様ってすごい醜女だって聞くぜ!」
そう言うと皆が一瞬黙り込む。
老齢の執事でさえその表情を凍らせた。
「あくまでも噂ですから…………。今はおいくつでいらっしゃるのでしょう?聖女様は?」執事が取りなすように聞く。
「20歳だと聞いた。先代のデイビッド・チャペス辺境伯が討伐後に聖女を娶られていたのだが1年前に逝去されてな。現在は未亡人になられて喪に服されているらしい。俺なんか全く政治に疎いから詳しいことは今日初めて宰相閣下に説明されて知ったよ。」
そう言うと皆が気の毒そうに眉を顰める。
「聖女様は随分年上の方に嫁がれたのですね。」乳母のメリッサは同情からか目に涙を浮かべている。
「おっさんに手込めにされたか「馬鹿!!」」
再び乳母からの拳骨が落とされるとマイクは椅子から転げ落ちる。
「でも随分とお若いですわねぇ。こちらの国にやっと慣れた頃でしょうに未亡人になられるなんてお気の毒ですわねぇ。」
乳母は女性の立場からまだ見ぬ聖女を気の毒にと悲しそうに思い遣った。
言われてみればその通りだ。
異界の地でこの国の常識も知らない女の子が理りも分からぬまま親より歳が上の男に嫁がされるのはよくよく考えれば可哀想な話である。理不尽な任務を押し付けられ、挙句に知らない大人達に良いようにされたのだ。
自分は貧しくて結婚出来なかったが、彼女は望んで結婚したわけでは無いだろう。
そんな感傷に浸る隣でマイクは体勢を立て直し尚も言い募る。
「醜女かぁ〜、俺は性格悪くても美人の方が良いなぁ〜。
だってアーサー様も閨で美人が待ってりゃ張り切るだろうけど、顔見てガッカリじゃ世継ぎが難しいだろ?」
すると執事のディートはため息を吐きながらマイクの口を軽く塞いだ。
「アーサー様、まだ二十歳の女性ですから其れなりに美しく成られていますよ。こちらの王国に来られた時はまだお若かったと聞きます。
五年も経てば洗練されておりますでしょう。そんなに気になさらなくても良いかと存じますよ?」
(あぁ、そうだねありがとう…でも醜女は否定しないんだね…………。)
アーサーは苦笑いしながら残りのシチューを平らげた。
マイクの母親メリッサは自分の乳母ではあるが元々男爵家の末娘であったらしい。
平民の夫ダグラスと結婚したいが為に貴族位を捨てたそうだが、洗練された美人であったことが中年に差し掛かった今でも十分に窺える。元々の気立の良さが母に気に入られ伯爵家の乳母として雇われたらしいが給与も安定しないのに本当にクロフォード家を親身になって支えてくれた。
メリッサの顔を引き継ぎマイクも平民とは思えないほどスッキリとした男前である。髪の色も自分とは違い濃い金髪にエメラルドグリーンの瞳だ。
成人してからは街に繰り出してナンパを繰り返しながらそれなりに楽しんでいるのだが決まった相手は未だに作っていない。
只の遊び人かと思いきや『やっぱりご主人が結婚しないのに俺が先に結婚なんて出来ねぇからな』と話しているのを聞いてしまうとアーサーもそれなりに思うところが出てくる。
なんだかんだ、乳兄弟として育ったマイクはアーサーのことを気にかけているのだ。
使用人であるからと粗雑な言葉を遣っては見せるが男爵家のメリッサの実家から仕込まれた貴族の流儀はそれなりに持っている。
(それにしても…………。)
聖女は謎に包まれた存在には違いない。
この国に召喚されて間もなく討伐隊のパレードで姿を見せた時もベールとマントで全身を覆っており姿も顔も殆ど出さなかった。
ふわりと風にまったロングスカートの裾から見えた足は随分華奢であったと護衛騎士たちは話していたが情報らしい情報はそれだけ。
討伐隊の面子でも上層部しか聖女のテントには入室を許されず、治療を受けた騎士や魔術師、僧侶達もその姿は目隠しをされていた為全く見ることができなかったと言う。
姿を隠し回ると当然のように『聖女は醜女』と言う噂がたち、貴族達は興味津々。一歩でも先にその情報の確信を得たいとばかりに謁見に挑んでいたが王家の強固な壁が立ちはだかりそれを実行出来たものは居ないという。
口の堅い世話役の年配の侍女たちは『可愛らしく年相応でございますよ。』と話していたが何れも顔については誰も語ろうとしない。
聖女を家に引き入れることが出来れば三世代は王家と彼女の庇護を受けられることは確実とされ、腹に一物がある人間は手を尽くして彼女を手に入れようと大騒ぎだった。
爵位は高いが借財に塗れた家、より権力を欲した家、魔獣の被害から短期間で復興を望む意欲的な領主。
そんな煩い貴族達を黙らせた男、それがチャペス辺境伯である。
独身貴族を貫いていたデイビッド・チャペス辺境伯がまさか結婚の相手になるとは誰も予想していなかった。彼は貌にも体にも傷が多々ありお世辞にも男前とは言えなかったし年齢も40代後半。
男目線で見れば野性味があり良い歳の重ね方をした中年だが、大凡貴族らしい美貌とは程遠かった。
余りに女っ気が無いため男色の噂まで立った程だ。
『せめて彼女が人並の容姿だと良いのだが……………』
市井の土壁の様な艶のない茶色の髪に、この国では珍しい一重の細長い目元。
鼻筋はまあまあ高くないこともないが、凹凸の少ない自分の顔は貴族たちの中では従者より地味で大人しい。そんな自分なのに少しでも可愛らしい嫁が貰えたらいいと願ってしまうとは所詮は男だったと言うことか。
街の飲み屋街の女たちでさえ『マイク様って、貴族の血を引いてらっしゃるって!』と本物の貴族であるアーサーの肩を叩きながら燥ぐのだ。それぐらい自分の容姿は秀でたところがなく平々凡々。
贅沢をする金も無いため華美な装飾の服も買ったことが無いし、成人の儀の時でさえ軍服で済ませてしまった。
そんな自分が贅沢を言えた義理でないが、
(結婚するならほんのちょっとで良いので可愛らしい娘が良かった……………)と夢想する。
いつも金勘定ばかりしていたせいか、恋愛に対しほんの少し希望を持っており、古書屋の女性向け恋愛本にときめくことさえあった。女性の気持ちに疎くてモテたこともないし贈り物一つ満足に買ったこともない。
そんな自分であるがいつか心が寄り添える一人と巡り会えたら良いなぁと希望は捨てていなかった。
『貴族籍の娘でなくても良かったんだがなぁ〜』と誰も居ない部屋で呟いて頭をガシガシと掻いてみても進み出した縁談は自分の知らないところで一人歩きを始めている。
宰相が持ってきた縁談であるからにはどのような女性であっても受け入れなくては仕方なかった。
だが家の復興の足掛かりくらいにはなるのは間違いない。
(呑気に構えて生きてきたがそろそろ腹を括らねばなるまい)
マイクが主人を心配してくれてはいるがアーサーも所詮は爵位を持った貴族。貴族ならば家のために結婚するのは当たり前。
この屋敷の傷んだところもきっと彼らが何とかしてくれるであろう。
いつの間にか降り出した雨に家中の人間が騒ぎ始めている。
もうすぐバケツや金盥に雨漏りの合奏が聞こえ始めるはずだ。
今月も騎士団の給与だけではこの屋根の修理には手が回せなかった。
報奨金を待っていたのも屋敷の修繕に回せる金が少しでも手に入ったら嬉しい!と期待していた部分も大きい。
予想を大きく外れてすごい褒美をもらってしまう事にはなったがこれも運命だろう。
アーサーはバタバタと走り回るマイクの足音にため息を吐きながら自分の部屋から盥を三つ重ねて持ち出しドアを閉めた。




