第二章 聖女、説得される
マリアはエスメラルダの刑罰を聞き後味の悪さを感じずにはいられなかった。
エスメラルダの刑罰は北の僻地にある修道院への幽閉だ。
強制労働も科せられる場所で貴族の甘やかされた御令嬢が生きていけるとは到底思えず夫に思わず聞き返してしまったほどである。
ロドリゲス伯爵の落ち込みようは凄まじく、マリアが王宮で見かけた彼は60歳手前にして既に80過ぎの翁のような容貌に変わり果てていた。
(エスメラルダは頼る先を間違えてしまった……………)
事件当事者でありながら、マリアは貴族の恐ろしさを改めて考える。
事の発端は自分達の矜持をかけた唯の口喧嘩である。
マリアは母からよく言われたものだ。
『貴族には貴族のやり方がある』と。
エスメラルダは何故そのルールを守れなかったのだろうかと。
いつもの挑発行為にマリアは既に我慢の限界であった。
この国に身を捧げてくれている美咲のことを思うと、エスメラルダの幼稚さに付き合いきれなくなったのだ。
心の傷も癒えていない彼女をペニシールから追い出すような真似をした事実がマリアを余計に煽り立て、普段は受け流していた嘲りを真正面から撥ね返した。
初めにジェロームへ婚約の打診をしていると教えてくれたのは他ならぬロドリゲスの派閥にいるの1人の令嬢である。
『この縁談が纏まればあなた達も覚悟なさったほうが宜しいわね。』と鼻を鳴らし得意げに喋った令嬢はチャペス辺境伯の遠縁にあたる人物であった。
恐らく親戚の誰かから情報を仕入れたのであろう。
経済連をまとめ上げているロドリゲス伯爵に、軍事の要と言われるチャペス辺境伯が味方すれば派閥としてはかなり強固。確実にロドリゲスの派閥はグリフィン宰相を抑え込めると思っていたに違いない。
まさか縁談が断られるとは思いもせずに。
ジェローム・チャペスは後継に決まった後も領地から離れられないことが多く、滅多に王都に現れない幻の貴公子と囃し立てられていた。
デイビッドは王党派であることを公言してくれていたが、ジェロームは辺境伯を名乗るようになった後、派閥に所属はしておらず、直後は中立派と思われていた。
当主が代われば背景や考えも変わる。ウィリアムはジェロームと繋ぎを付けたがっていたが領地の関係で中々その面会は叶わなかった。
チャペス辺境伯の葬儀で対面したのが初めてではあったが、確かにジェロームは王都の男達より逞しく、顔は母親譲りの美人である。気位の高いエスメラルダが夢中になるのも頷けた。
ウィリアムも気にしていた情報であったため、縁談の結果はマリアにもすぐに知らされた。
この情報と美咲の話を元にあの晩久しぶりにエスメラルダをやり込めたのである。
ウィリアムからは『公爵夫人として〆るとこは〆てもいい。しかし、言葉が過ぎることは無いようにしなさい。』と常々言われてはいた。
しかしエスメラルダに一度言い返しただけでよもや自分が誘拐されるとは思わなかった。
確かに自分もやり過ぎたと反省はしている。しかしこの様な犯罪に若い令嬢が手を染めるなどあってはならない。
公爵夫人を拐って痛めつけてやろうなど、深窓の令嬢だったら思いつかないことだ。それほどまでに彼女の鼻は高く伸び過ぎていたのであろう。
その日王宮にミサキと共に呼び出されたマリアはこの慌ただしかった数週間を振り返りながら感慨に耽っていた。
「良く来てくれたな聖女ミサキ。マリア・ヘンダーソン公爵夫人。」
王は自分たちに近い席を用意させており2人の女性にお茶を用意するように合図をする。
それは王家からすれば『私は心を許している』という気持ちの表れだ。
マリアは深々と淑女の礼をとるとミサキと共に席についた。
ロドリゲス伯爵の事件が片付いたお礼のお茶会と知らされて席に着いたが些か人が多い気もする。
陛下、王妃、王太子、第二王子殿下。マリアは陛下まで同席するとは思っていなかった為少しの不安が過ぎる。
王家の人々も事件の解決を単純に喜んでいる表情ではなく、微笑みながらも少しだけ眉毛を八の字に寄せていた。
「話というのは他でもない。
実は美咲のお披露目を再度考えているのだが、その前に貴族達が騒ぎ出してしまった。
『未亡人の聖女様』を私たちが娶り大切にいたします・・・とな。」
2人は呆気に取られた。魔獣討伐後に起きた騒ぎが再燃しているというのだから。
今や聖女ミサキは新たな信仰となりつつある。
王都に舞い戻り、一部の貴族達だけではあるが姿を見せたことで彼らは王の恩恵を受けようと我も我もと押し寄せてきたというのだ。
「陛下?今のところ結婚を急いでいるわけではありませんし、保護していただかなくても私としては良いんですが?」ミサキが答えると王は少し困ったように笑った。
「確かに今度結婚するならば好いた相手と縁を結ばせてやりたいと思うておるよ。
だから、変な輩が湧いて来ぬうちに正直に答えて欲しい。
ジェロームのことをどう思う?」
「顔の濃い従兄弟のお兄さんくらいに思ってます。」
ミサキは迷いなく答えた。
あまりにキッパリ話すので背後の王太子が吹き出すほどに。
マリアはジェロームを悪い人間だとは思っていないが、少々思い込みが激しく真面目すぎて立ち回りの下手な男だと認識している。
ジェロームは美咲のことを憎からず思っているのではないかと踏んでいるのだが、どうも気持ちは一方通行らしい。
初めに美咲のことを激しく罵ってしまったことも思いを告げられない要因の一つなのであろうが、それを含めても下手すぎると嘆息するほどだ。
王家の人々も同じ思いなのであろう。
ミサキはこのような展開になるとは予想もしていなかったのだろう。笑顔は消え俯いたまま話しだす。
「私は何がなんでも結婚しなくてはならないのでしょうか?
本当は1人でゆっくりと人生を歩んでいくのも悪く無いのではと考えているんです。」
「勿論我らは貢献してくれたミサキに十分な金銭の用意はしている。だが、貴族や政治が絡んだ人間は恐ろしい。公表は出来ないがミサキには結界の維持も続けて貰わねばならんしな。ミサキのお陰で国の安全が守られていると言うことは、逆に言えばミサキが害されれば我らは国の安定を喪うということだ。
対外的な事に知識のない女一人、後ろ盾がなければこの国では自由はないとお前も薄々わかっているだろう?」
マーティン第二王子は珍しく優しい声音で率直な意見を述べた。
マリアはミサキの希望している未来像を何となく判っているつもりだ。
〈ニホン〉という国のように多岐にわたる自由な生活を夢見ているのだろう。だが、侯爵家に生まれた自分でさえそんな自由は無かった。
この国は未だミサキの理想とは程遠いのだ。
普段は偉そうなマーティン第二王子もミサキの表情を窺う。
静かに構えている王妃も言葉の端端に気持ちを乗せて説得に当たってくれた。
もし今ミサキを王党派の有力貴族の養女にすると、今後結婚相手を選ぶときにその家の関係性が重視される。
また万が一、好いた男が市民相手の時はパワーバランスが取れず結ばれない。
顔がまだ広まっていないこの期間がミサキが自由に相手を探せる唯一の時間であると王家と宰相は考えたのだ。
貴族が騒ぎ、牽制しあっている今の状態なら、ミサキの希望の相手をある程度は聞き入れられるのであろう。
ミサキは彼らの話を聞きすっかり黙り込んでしまった。
重い空気の中ターナー魔術師団長が『第二王子の隣の席も空いてますが?』と遠慮がちに話しかけた。
ミサキは半眼でキッと魔術師団長を睨む。
「本気ですか?それならターナー魔術師団長と結婚します。」と低い声で答えた。
魔術師団長は持っていたグラスを思わず取り落としそうになる。
そんなことが実現すれば今度はターナー魔術師団長が稚児趣味と噂されることは間違いない。
魔術の力の関係で見た目は中年くらいだが彼は御歳60歳超えである。
陛下と王太子達の視線が痛々しかった。
やがて彼らと何度か意見を交わしミサキは諦めたように呟いた。
「わかりました。私は誰かの庇護の元でしか生きていけないということがよおぉぉく理解できました。
・・・それでは皆様も本音で教えてください。
私が絶対に誰かと結婚しないといけないとしたらどのような男性が良いのでしょうか?王党派の方ですか?
一般市民はダメなんですよね?
有力貴族ではその人が野心を持ってしまったらまた牙を剥かれるかもしれない。
だとしたら一体どのような人が良いのでしょう?
私の希望はあまり無いんです。
ですがその条件をお伝えしておきます。
貴族らしくなく、派手を好まず、穏やかで、私を愛してくれそうな男性です。容姿は問いません。
あ、やっぱり問います。
ジェローム様のような彫りが深すぎるお顔は好みません。」そこまで話すとミサキは辛そうに眉間を揉みほぐした。
「この条件で誰かお見合いをセッティングしてください。
私はあまり知り合いはいませんが好みの男性を万が一見つけた場合はお知らせしますので検討の枠に入れてください。」
そう言うと力なく会釈した。
王宮に向かう馬車の中では『珍しいお菓子でも食べさせて貰えるかもね!』と浮かれていたミサキだったが、帰りの馬車ではガックリと肩を落として帰るのであった。
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王達は頭を抱えた。
まさかの展開でロドリゲス伯爵の力を削ぐことは出来たが、新興貴族たちの勢力図はまだ動き始めたばかりだ。
特に今回の誘拐事件でミサキは謀らずも存在が大きく注目されてしまった。
ロドリゲスたちを出し抜こうと思っていた派閥は大喜びでこのチャンスに『聖女様』を取り込もうと躍起になっている。逆にロドリゲスに倣っていた幾つかの家が『我が家は聖女様をお守りし王家に従いましょう』と声を上げているのだ。
王達の覚えもめでたい無知な女を丁寧に囲っていれば確実に王家は手を出さないと分かっている故に。
だが、彼らが知らない事実もある。
聖女は未だこの国を魔獣から守り続けているという事実だ。
ターナーの調べでは4年に一度祠の力を補充していればかなり強力にシールドが維持できると分かっている。
その強度は魔術師達が過去最高水準であると騒ぐほどに。
救国の聖女が現在も仕事をし続けていると知っているのは一部の人間たちで、他国に洩れてはいけない情報だ。その秘密も守り続けることができる口の堅い人物が求められる。
他国に防御壁が万全であると思わせているから国防が成り立っている為、美咲に頼ったままの防御壁だと知られては、そこを突かれて国が傾く可能性も捨てきれない。
国に忠義を誓ってくれる貴族で、欲をかかない人柄で、適齢期で、婚約者がおらず、性格が穏やかで、派手な生活を好まず、彫りの深く無い顔で・・・・・
ウィリアムも王子達も嘆息する。
そんな貴族見た事ない。
マーティンは頭を一振りすると覚悟した顔で頷いた。
「探さねばならんだろう。
ミサキが『この国に来て良かった』とせめて思って貰える相手を見つけねば。私たちはそれだけの事をしている。彼女の人生を奪い去ったのだからな。
私としては、結婚に関しては少しでも希望を叶えてやりたいんだ。自由の国から来たのにこのような柵が多い世界ではきっと辛いであろう?」
王太子はそれを聞きながらなんとも言えない気持ちになった。
マーティンは弟として大変優秀であるが故に自分の気持ちを蔑ろにする傾向にある。確かに独断的で金に煩く、物言いが辛辣なところがある。
だがミサキとは本音で語り合う姿が何度も見られ本人は自分の気持ちを言わないが、今では王子妃に迎えたいと思っているのでは無いだろうか?と思うのだ。
姿形だってナヨナヨとした自分と違い、背が高くガッシリとして肩幅もある。
王子らしく紺碧の瞳と鼻筋の通った整った容姿だ。ミサキを本気で口説けば少しは考えて貰えそうなものを矜持が邪魔するのかそんな雰囲気を全く出さない。
長く伸びた金髪を撫でつけるようになって鋭利な雰囲気は拍車をかけており社交界はクールな第二王子の相手になりたい令嬢で溢れかえっている。
3年前。
ミサキの見た目が整ったとデイビッドから連絡が来た時マーティンはお忍びでペニシールに出立しミサキの姿に衝撃を受けていた。
付き添いの騎士達に聞けばデイビッドに寄り添っていた女性は、歪みのない黒髪に肌理の整った真珠色の肌の小柄な美しい人であったと言う。パチリとした瞳は深い森のような神秘的な輝きがあり控えめな姿勢が非常に惹かれる人物だった・・・
要約するとその騎士の好みにピッタリの可愛い女の子がそこには立っていたそうだ。
王宮に戻った後も物憂げに空を眺めたり、王妃によれば詩なども認めていたらしい。(すごく見たくて仕方なかったが絶対に見せてもらえない)
どう考えても遅くきた春であったがマーティンは認めたく無いのか美咲の前では虚勢をはったままである。
エスメラルダにチャペス辺境伯邸から追い出されたと聞いた時一番怒りを露わにしたのはマーティンであったのに。
王家の面々やターナー魔術師団長はそんなマーティンが後々ガックリ来なければ良いが・・・と嘆息するのであった。




