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28.解呪が進んで

「なんてこと……わたしのせいで……」

「違うよ、シェリルちゃん。彼は全てを分かっていて、それでも君を選んだ(・・・)んだ」


 震える手をレイチェル様が握り締めてくれる。温もりに胸が苦しくて、涙がぽろぽろと零れ落ちた。


「他の誰に何を言われようとも、君を救えるのなら安いものだと笑っていたよ。彼に迷いなんて無かった。だから君は……彼のその気持ちを否定しないでやってほしいんだ。シェリルちゃんの事だから……『わたしなんかの為に』とか『そこまでする必要なんて』とか言うだろう?」


 心を覗かれたのかと思った。

 誤魔化せるわけもなく、わたしは小さく頷く事しか出来なかった。


「君がそれを言ってしまったら、彼の気持ちも行動も、本当に無駄になってしまうからね」

「わたしは……リアム様に何をお返しすれば良いのでしょう」

「そんなの簡単さ。ありがとうって、それだけでいいんだよ」


 予想外の言葉に、わたしは目を瞬いていた。控えるイルゼさんに目を向けると、大きく頷かれてしまう。


「それで、いいのでしょうか……」

「彼の行動を否定しない。それだけでいいんだよ。まぁ君がちゅーの一つや二つをぶちかましたいっていうなら止めはしないがね」


 冗談めかしてレイチェル様が笑うものだから、わたしもつられるように笑ってしまった。いつの間にか手の震えも治まっている。それに気付いたレイチェル様は手を離して、紅茶のカップを手に取った。


「でもイルゼちゃん、本当にびっくりしたよねぇ? フェルザー君が角を使うなんて言った時にはさ」

「ええ、大変驚きました。ですがそれも惜しくない程、シェリル様を大事になさっているのだと納得もしてしまいました」


 声を掛けられたイルゼさんも大きく頷いている。わたしは何と言っていいか分からなくて、カップを手に紅茶を頂く事にした。爽やかな檸檬が匂い立って、まろやかな甘さがとても美味しいと思った。


「あの……角はまた、元に戻るのでしょうか」

「時間は掛かるけどね、ちゃんと戻るから心配しなくていいよ」

「良かった、安心しました」


 ほっと胸を撫でおろす。リアム様は納得しての事だと聞いたけれど、それでも……。

 カップをソーサーに戻すと、それを待っていたかのようにレイチェル様がわたしの頭上に手を翳す。


「さて、フェルザー君が乱入してくる前に、呪いの様子も見ておこうか」

「お願いします」


 紡がれる文言と、降り落ちてくる優しい光。柔らかなこの魔法を受けるのも、もう何度目になるだろうか。

 光が当たっては弾けていく。それを目で追いかけていると、唸るような声が聞こえた。それはレイチェル様のもので、見れば眉を下げて笑っている。


「……いやぁ、ちょっと予想外というか」

「何かありましたか?」

「前に見た時よりもずっと呪いの糸が緩まっているね。罪人の印も出ているから、呪い全てを解く事は出来ないけれど和らげる事は出来そうだよ」

「本当ですか?!」

「うん。これはフェルザー君が熱烈に魔力を注ぎ込んで……シェリルちゃん、まさか一線を越えちゃった?」

「越えてません!」


 一体何を言い出すのか。

 顔が赤くなるのが自分でも分かる。わたしの肩からストールを落としたイルゼさんは苦笑いだ。


「レイチェル様、そのような事を問うべきではないかと……。是となどシェリル様が口に出来るわけもなく」

「ああ、それもそうか」


 イルゼさんまで何を言っているのか。抗議の言葉を口にしたくとも、羞恥に思考が停止してしまって、開いた口からは吐息が漏れるばかりだ。


「いや、だって別のものが注がれているのかと思うくらいに解呪が進んでいるんだもの。最初に私が言った、直接ってのはあながち冗談でもなかったんだよ。でもこれは……そうか、心の世界で、恐怖を乗り越える事が出来たんだね。第一王女にフェルザー君と一緒に対峙した事で、恐怖感が少し薄れたってところかな」


 そうだ、ピアニー様を恐れなければ呪いは弱体化すると、前に伺っていた。今もまだ恐ろしいけれど……リアム様が『呪いを解く』と言って下さった。ピアニー様を前にしてもその眼差しが翳る事のない、凛然とした姿を見せて下さった。

 その姿を、その言葉をわたしは信じているのだ。


「……リアム様のおかげです」


 囁くような声は自分でも驚くくらいに、恋慕に染まっているようだった。

 レイチェル様は小さく頷いて、それでいいのだとばかりに微笑みを浮かべている。


「じゃあ純真な二人がデートでも出来るように、私も少しお手伝いしようか」

 

 レイチェル様はわたしの手を取ると、甲を指先でなぞり始める。柔らかな灯が宿った指先は何かを描いているようだった。

 肌に光が刻まれるけれど擽ったいくらいで痛みはない。仄かに熱を残して複雑な魔法陣が描かれていく。

 レイチェル様が詠唱を口にすると、鼓動が強くなるようだった。鼓動といっても、胸の奥の奥、きっと呪いが反応しているのかもしれない。魔法陣は一度強く光ったかと思うと、すうっと消えて、肌には何も残らなかった。


「少しの間なら日の光に当たっても大丈夫。まぁ日傘があった方が安心ではあるけどね。この手の甲に魔法陣が浮かび上がってきたら、日の光は避けるように。光り輝いたらすぐにでも建物に飛び込むんだよ。そこまで長くは罪人印を誤魔化せないから」

「ありがとうございます」


 少しの時間だとしても、太陽の下に出られるなんて。嬉しさに表情が緩んでしまうのも仕方がないだろう。

 思い浮かぶのは青々とした宝石の森。それから裏庭の美しい花々。陽光の元で輝く景色にわたしも共に入れる日が、こんなにも早く訪れるだなんて思ってもみなかった。


 ──コンコンコン


「おや、時間切れか。ノックをしただけ褒めてあげた方がいいだろうか」


 力強いノックにレイチェル様は苦笑いだ。

 イルゼさんがドアを開くと、そこには不機嫌そうに眉を寄せたリアム様の姿があった。

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