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27.雨音が満ちる部屋で

 雨音の向こうに声が聞こえる。


 笑み交じりの柔らかな声。少し不機嫌そうな低い声。

 穏やかな話し声に呼ばれたように、わたしの意識はゆっくりと浮上した。


 思考は段々とはっきりしてくるのに、体を動かせる気配はない。もしかしたらこのまま動かせないのではないだろうか……そんな不安に駆られながら指先に力を籠めると、痺れが走った。痺れはまるで雷に触れたのかと錯覚するくらいに強くなっていって、全身を駆け巡る。

 波が引いて痺れが消えると、体がゆっくりと温まっていくのを感じる。

 まるでそれが合図だったかのように、瞼を開ける事が出来た。


「起きたな」

「やっほー、シェリルちゃん。ご機嫌いかがかな?」


 わたしの顔を覗き込む、リアム様とレイチェル様。瞬きを繰り返すと霞んでいた視界が鮮明なものになっていく。

 二人は安堵したような笑みを浮かべていて、つられるようにわたしも表情を和らげた。


「話せる? 体は動かせるかな?」

「はい……」


 レイチェル様の手を借りて上体を起こすと、ヘッドボードと背中の間にイルゼさんがクッションを入れてくれた。有難く凭れ掛かると、肩にはストールが掛けられる。


「シェリル様、申し訳ありませんでした。私がついていながら御身を危険な目に……」

「そんな、イルゼさんが謝る事ではありません。あの後は大丈夫でしたか?」

「シェリル様が守って下さったおかげです」


 涙声のイルゼさんが小さく頷き、目尻をそっと指先で拭っている。その様子にわたしまで泣けてきてしまって、鼻をすする声にそちらを見ればレイチェル様も涙ぐんでいた。


「何でリンまで泣くんだ」

「私は涙もろいんだよ。感情豊かだと言ってくれてもいいんだけど。さて……フェルザー君は部屋を出ていてくれるかい? シェリルちゃんの体をちょっと見させて貰いたいからさ」

「分かった」


 わたしの頭をそっと撫でてから、リアム様が寝台を離れていく。その頭にあるはずの角はやっぱり一つしかなくて、もう一つは根元近くで斜めに切り落とされている。

 それは今回の事とは無関係には思えなくて、どうしたのかと問いたいのに言葉が詰まって出てくれない。結局口から紡げたのは在り来たりな言葉だった。


「リアム様、あの……ありがとうございました」

「また後でな」


 振り返って目を細めたリアム様が部屋を出ていく。扉が静かに閉まるまでを見送ったわたしは、上掛けの布地をぎゅっと握りしめていた。



「さて、シェリルちゃん。改めてお帰りを告げようか。辛い思いをしただろう?」

「そう、ですね……とても恐ろしかったです」

「ルダ=レンツィオの第一王女に会ったとフェルザー君に聞いたよ。君は心だけを連れ去られていた。あのまま時が過ぎれば体は死を迎えていただろうね」

「あの場所でピアニー様もそんな事を仰っていました。……わたしを救いに来る事は、ひどく難しい事だったのではないですか?」

「うん……まぁ、それも含めて説明していこうと思うんだ」


 イルゼさんが寝台の横に椅子を置いてくれる。そこにレイチェル様は腰を下ろして、外した眼鏡を白衣の袖で拭いた。それを光に透かしてからまた掛けるけれど、オレンジ色の瞳が気遣わしげな色を宿している。


 ふわりと檸檬の香りがした。香りに引かれてそちらに目をやるとイルゼさんがカートの上で紅茶を淹れている。


 レイチェル様の椅子の隣にはサイドテーブルが用意され、檸檬の薄切りを沈めた紅茶がそこに置かれた。木製のトレイにも同じものが用意されて、イルゼさんはそれをわたしの膝に置いてくれた。


「君の心と体を繋ぐ糸を辿れば、君が連れ去られた空間を特定するのは難しい事じゃなかった。……ああ、私にとっては、だよ? ここはさすが魔術師長って褒めてくれてもいいんだけどさ」


 笑いながらレイチェル様は紅茶のカップを手に取った。湯気立つそれをふぅふぅと吹き冷まし、一口飲んでからイルゼさんに振り返った。


「少しお砂糖を足してくれる? 五つくらい」

「レイチェル様、それは少しでは無いかと……」


 イルゼさんは苦笑いをしながらも、言われるままに角砂糖を落としていく。銀色のスプーンでゆっくりと掻き混ぜているけれど、中々溶けてくれないらしい。「溶けなくてもいいよ」とレイチェル様はカップを受け取って、また一口飲んで満足そうに頷いた。


「空間を特定して扉を作るのは出来る。ただその扉を開くための鍵を作るには、膨大な魔石が必要になるんだ。シェリルちゃんのおかげで魔石もたくさんあったけれど、それでも足りないくらいの量。皇城にお願いして、魔導具を使うつもりでもいた」

「そんな、わたしの為に……」

「でもそれだとどうしたって時間が掛かる。君の心が甚振られているのを分かっていて、フェルザー君はそれを待っているなんて出来なかった。だから彼は、角を落とした」

「……っ!」


 あまりの衝撃に息が出来なかった。

 カタカタとカップが揺れる。目を落とすと触れるわたしの手が震えていて、カップから手を離して拳を握った。


「鬼人の角は魔力を帯びているからね。しかも彼の魔力なら、鍵を作るだけの材料にするのに量も質も問題ない」

「でも、そんな……」

「誰かから必ず耳に入るだろうから、先に私から伝えておく。……鬼人にとって角が折れるのは、とても不名誉な事なんだ」


 レイチェル様の言葉に、頭を殴られたかのような衝撃が走る。

 そんな、わたしを助ける為に……リアム様は不名誉な事を受け入れたというのか。


 そこまでして下さっているのに、わたしは何もお返しできない。それどころか……わたしは本当の事を告げていない。そんなわたしに、そこまでして下さる価値があるのだろうか。


 手指の震えが治まらない。部屋の温度が一気に下がってしまったと思うくらいに、体の奥がすうっと冷えていく事を感じていた。


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