91話 【閑話】第二回ヴィオラ会議
魔王の執務室の奥にある会議テーブルでは、三々五々集まったヴィオラ会議のメンバーがいつもどおり夕食をとっていた。
書類を片付け終えたスティーグも遅ればせながらテーブルについて食事を始め、会話に加わる。
今の話題は、スミレをオーグレーン荘まで送り届けてきたクランツが帰りの馬車の中で交わしたという会話についてだ。
「それじゃ、クランツはスミレに毎回一緒に食事をしたいと誘われたってわけ?」
「カシュパル、妙な言い方はやめてください。スミレは、せっかく里帰りするならより多く皆と一緒に食事をしたいと言いました。朝食だけはファンヌと二人で過ごすそうですが、それ以外の食事をもっとフランクに楽しみたいので、昼食夕食問わず、体が空いている人はぜひ付き合って欲しいそうです。私はスミレの里帰り中は常に傍につくので、それなら朝食以外は毎食付き合ってくれと、それだけです」
からかうようなカシュパルの言葉に嫌そうに顔を顰めつつも、クランツがスミレの願いを代弁する。
城下町では冒険者ミルドと共に朝食や昼食をとる機会が増え、夕食はたいていノイマンの食堂で店の者たちと賑やかに過ごしているそうだ。
離宮にいた頃はファンヌの給仕で一人で食事するのが常だったせいか、誰かと共に過ごす食事は楽しいらしい。
そういえば約束を果たすために一人オーグレーン荘を訪ね、食事を奢ってやった時もとても嬉しそうにしていたなと思い出しながら、ブルーノはスミレの言い分に賛意を示した。
「まあ、フランクにってのはわからんでもないな。里帰りの度に全員勢揃いで夕食をっていうのは大仰だろ」
「そうですねぇ。毎回予定が合うとも限りませんし、夕食にこだわることもありませんか。昼食も含め、各自好きな時に合流するというのは気軽で良いです」
今回は引っ越し後初の里帰りだったため報告することも多かったようだが、回を重ねるごとにそれも徐々に減っていくだろう。
これまでの食事会は相談や報告を兼ねることが多かったが、純粋に親しい者との食事を楽しむ場となっていくのはむしろ好ましいことと言える。
スティーグがそう言うと、レイグラーフはうんうんと頷きながら、可能な限りスミレとの食事に参加するとにこやかに宣言した。
どうやら陽月星記の話で盛り上がるせいで講義だけでは時間が足りないらしい。
食事の件で皆の了承を得たのを確認すると、クランツは気に掛かっていたことを口にした。
「それにしても、スミレがドワーフの件を正直に話したのは意外でした。今までの彼女なら我々に心配をかけないためにも隠したと思うのですが」
「それを言うなら、巡回班の“恋愛お断り強制疑惑”もそうだな。オルジフたちの立場を考えれば告げ口になりかねんし、俺ら上層部からすれば部下に疑いの目を向けられるなんて面目ない話だ。尋ねられるまで黙っていてもおかしくない」
「単に、我々に隠し事をしたくなかっただけかもしれませんよ。スミレさんは潔癖というか、正々堂々としたがるところがありますからねぇ」
「さっきの食事の件もそうだけど、僕らに対して遠慮せずに物を言えるようになってきたっていうのもあるんじゃない? 城下町で魔族に揉まれた影響かもね。良い傾向だと思うよ」
引っ越してまだたったの十日あまりだが、スミレは徐々に魔族らしい率直さを身に着けつつあるようだ。
やはり城下町で一人暮らしをさせて良かったと、早くも現れた効果を皆でひとしきり喜んだ後は、自然と今回新たに浮上した問題点に話題は移った。
「そのドワーフの件ですが、詳細を聞かせてもらえませんか。昨日スミレの口から聞いて初めて知りましたが、報告は上がっていたのでしょう?」
「ああ、悪ぃ。三日前に巡回班から報告があったんで、カシュパルに情報を集めてもらっていた。そろそろ情報が揃うだろうから今日のヴィオラ会議で詳しく話すつもりだったんだ」
ブルーノが事の経緯から説明する。
三日前、見慣れぬ仕事着姿のスミレが三番街へ行くのを見掛けた巡回班の一人が後を尾けた。
どうやら細工師工房を見て回っているようだと気付いたが、そのまま見守りを続けたところ4軒目の工房に入ったスミレが突然外に飛び出してきて、店内から罵声を浴びその場から走り去った。
気落ちしている様子はあったものの、再び次の細工師工房へ入っていったので、そのまま自宅へ戻るまで見守りを継続したという。
「班員が耳にした罵声は“蛮族め、二度と来るな”、“目障りだ、さっさと消えろ”の二つで、暴力を振るわれた様子はなかったから巡回班の方ではドワーフに接触していない。それでカシュパルにそのドワーフの情報を集めてもらった」
ブルーノに視線で促されたカシュパルが情報収集の結果を報告する。
「ボフミール、350歳。ドワーフの老翁。犯罪歴なし、税の滞納歴なし。近所の評判も特に悪くない。まあ、魔族から見るとやや偏屈って印象になるけど、それはドワーフ全体への評価でもあるから特筆するようなことじゃない。そもそも問題のある人物ならドワーフの長も城下町に住む許可を出さないだろうしね」
「ドワーフ族が庇護を求めてきて二千年ほど経ちますが、魔族国内でドワーフ族と人族が問題を起こした事例はあるのでしょうか」
「過去の記録には見当たらなかった。ドワーフが城下町に出入りするようになったのが千年前で、それから人族の亡命者を三人受け入れてるけど、三人とも魔王城の外には出なかったようだからドワーフとの接触はなかったんじゃないかな」
「今回の遭遇がレアケースなんですね。昔話で聞いていた敵が突然目の前に現れて、驚きのあまり過剰反応してしまったのでしょうか」
「それはちょっと善意で解釈し過ぎだろ? よく知りもしない相手をいきなり罵倒するなんて随分と攻撃的だ。人族に対して何を言おうとかまわん、自分達には人族を罵る正当な権利があるとでも思っていそうだぞ」
「城下町に住むドワーフの間でスミレのことがどう広まっていくのかは注視した方がいいと思ったから手配しておいたよ。暴力沙汰にはなってないし、スミレ自身が気に留めていない以上、当分は様子見かな」
常に最悪の事態を想定して動くブルーノはドワーフの言動の危険性について指摘したが、カシュパルは穏やかな対応を提示した。
少数部族が魔族国へ庇護を求めて来た際、正式に魔族国へ組み込まれることを望まなかったため住民登録上は正式な魔族国民とは区別されているが、彼らも魔族国の住民ではある。
スミレが正式な魔族国民になっているとはいえ、聖女であることを伏せて一般人として振る舞っている以上、公平に対処しなくてはならない。
もっとも、昨日スミレの前で静かにキレて見せたカシュパルがその建前の裏でどう動くかは不明だが。
カシュパルによると、三番街にはその細工師工房以外にもドワーフの武器屋と鍛冶工房、木工工房があるそうだ。
また、ドワーフと同じように人族を嫌っているエルフの方は五番街の南通り沿いに薬屋が1軒と、あとは六番街に店と工房が全部で5軒あるらしい。
ドワーフと仲の悪いエルフがドワーフの多い三番街を避けたのだろうが、エルフの城下町での主な拠点がオーグレーン荘のある一番街から最も遠い六番街だったのはスミレにとっては幸いだと言える。
「三番街にはまだ他にもドワーフの店があることをスミレに知らせますか?」
スミレの護衛を務めるクランツが問うと、それまで黙って話を聞いていた魔王が首を横に振った。
「必要ない。今回の件を自分で処理しているのだ。先回りして障害を排除するのはスミレのためにならぬ」
ドワーフやエルフに限らず、人族に好意的でない魔族は普通にいる。
それでもスミレは魔族社会の一員として市井で暮らすことを望んだのだから、ある程度の厳しさは覚悟の上だろうと魔王は言う。
「とは言え、自分を否定的に見る魔族の存在を必要以上に意識させることもない。なりゆきに任せるのが良かろう」
「ドワーフの件は別としても、近所や飲食店の人々、雑貨屋の開業準備で知り合った人物との交流は概ね良好のようですしねぇ」
「商業ギルドや冒険者ギルドとの関係はどうなのですか?」
「両ギルドとも今のところ関係は良好みたいだよ。商業ギルド長は同族だから少し話を聞かせてもらったんだけど、世間知らずの人族のお嬢さんかと思ってたら結構な商売人だったってさ。人族の国でも商売をしていたのかと思ったら、隠れ住んでいたから違うと知って驚いてたね」
「それに関しては俺も意外だったな。想像以上にしっかりしていたというか、勝手のわからん街でそんなに手際良く開業準備ができるもんなのか?」
「それに、人付き合いや人の使い方なども如才ないと感じます。冒険者やギルドをうまく使っている」
「元の世界で自活していたというのが本当だということだろう。あれは歴とした大人なのだ。余計な手出しをしては一人前と認められていないと思うだろう。あまり構わぬ方が良い」
庇護を求めてきた経緯やスッピンで成人前の子供のようだった初期の風貌、魔族に関する知識不足から来る不安定さなど、スミレは無自覚に魔族の庇護欲を刺激するところがあった。
魔族の性としてはつい過保護な対応をしてしまいがちなのだが、そろそろ自分たちもそのあたりを改めるべきなのかもしれない。
ドワーフの件でも子供の喧嘩に親が出て来るような真似はかっこ悪いから嫌だと言っていたし、少なくとも成人したての魔族の若者と同じように扱うのは不適切だろう。
魔王の言葉に皆が同意する中、レイグラーフだけは心許なそうな顔をしていた。
「ですが、どうしても心配になりますよ。……実はうちの長がスミレに対して不満を持っているようなのです」
聖女の現状について、本人の希望により城下町で店を経営して暮らすことは部族長会議で説明してある。
しかし、聖女が聖女の役割を放棄していることに対して精霊族の部族長は不満があるようだ。
魔素の循環異常へ対応するために精霊族は毎回大きな負担を負っている。
スミレが被った様々な不幸については同情するものの、いずれはきちんと聖女の役割と向き合って欲しいというのが精霊族の部族長の考えらしい。
「しかもですね、長は私たちは彼女に甘すぎる、異世界から来た聖女にたぶらかされていると言うのですよ。スミレのことを“聖女ではなく悪女だ”と思っているのです。もう、私はほとほと困ってしまって……」
その場が一瞬シンと静まり返ったが、真っ先に笑い上戸のスティーグが、続いてカシュパルとブルーノが大笑いし始めた。
「スミレさんが悪女…………プッ。くくくっ」
「あははっ、スミレが悪女!? あははははっ」
「やべえ、笑い過ぎて腹が痛ぇ……」
「女性が苦手なはずのレイが目に入れても痛くないかのように可愛がるから、そのように思われてしまうのでは?」
「私のせいなんですか!?」
魔王が苦笑する横で、クランツが冷静に突っ込んでいる。
ブルーノが笑いながら、実物を見せてやればスミレのお誘い不要が本物だとわかり誤解も解けるだろうと軽口を叩くと、真に受けたレイグラーフはいよいよ困り果てるのだった。
読んでいただきありがとうございます。ブックマークや★クリックの評価も励みになっています!




