89話 初めての里帰り
城下町へ引っ越して来て11日目。
今日は久しぶりに離宮へ帰ることになっている。
わたしはいつもどおりマッツのパン屋とロヴネルのスープ屋で朝食を済ませ、精霊たちの皿にたっぷりと魔力クリームを盛り、戸締りを済ませた。
今は店の応接セットの横にある窓だけ鎧戸を開けて、外を見ながら迎えの馬車が来るのを待っている。
里帰り時には最上級シネーラを着るようにスティーグから連絡があったので、久しぶりに紫の生地にモノトーンの刺繍のシネーラに腕を通した。
城下町へ引っ越してからはずっと街着用のシネーラを着ていたし、昨日一昨日はバルボラとヴィヴィの仕事着で過ごしていたからか、久しぶりに着た最上級シネーラの高級感に思わず背筋が伸びる。
すっかりカジュアルファッションに慣れてしまっていたことを実感したが、それだけ城下町の暮らしにも慣れていっているんだろうと思えば悪いことでもない。
そんなことを考えていたら馬車がやって来るのが見えた。
いそいそと鎧戸と窓を閉めて玄関ドアを開けたらちょうど馬車からクランツが降りるところで、迎えの馬車に誰かが乗って来るとは聞いていなかったので驚いた。
「クランツ!? わあ、迎えに来てくれたんですか? ありがとう!」
「やあ。久しぶりですが、元気そうですね」
思いがけないクランツの登場に、わたしは嬉しくて思わずハグしたくなってしまい、突然湧いた衝動に自分でもびっくりしてしまった。
クランツにはずっと護身術の訓練に付き合ってもらっていたから抱きつかれるのにも慣れっこになっていて、彼とのスキンシップにまったく抵抗感がないせいかもしれない。
魔族社会では恋愛対象以外の異性の体に触れることは基本的にNGだから、友達だからといって気安くハグするつもりもないので自重したけれど、心を許している親しい人に会った途端にそんな衝動が起こるなんて、もしかしてわたしは少々寂しかったんだろうか。
梱包した絵とバッグを馬車に積んでもらい、しっかりと玄関ドアを施錠して馬車に乗り込む。
「里帰り中のスケジュールについて、スティーグから何か聞いてますか」
「はい。今日の午後はレイ先生の講義、夕食はヴィオラ会議のメンバーと一緒に、納品は明日の午前中と聞いてますよ」
「朝練はどうします?」
「もちろんお願いしたいし、できれば朝練以外にも時間を取ってみっちり訓練してもらいたいです。体が動きを忘れてしまいそうで心配なんですよ」
「将軍は褒めていましたが?」
「ああ~っ! あれね、本当にめちゃくちゃ怖かったんですよ!? マジで襲撃だと思いましたもん!」
クランツは文句を言うわたしの様子に苦笑しつつも、ブルーノがわたしの家を訪れた際に仕掛けた疑似襲撃について彼に話した時のことを教えてくれた。
わたしが咄嗟の襲撃にちゃんと対応したことをブルーノはとても喜んでいたそうで、訓練に付き合ったクランツも大層褒められたらしい。
それから、ブルーノ考案の護身術はカウンター越しの行為には対応していないから、接客中にカウンター越しに手首や腕を掴まれるといった乱暴な振る舞いへの対処法を里帰り時の訓練で教えてやれとも言われたそうだ。
魔王の高性能魔術陣があるから防御に問題はないものの、魔術陣が攻撃と見なさない程度の軽度な行為を想定するべきというブルーノの考えはミルドと同じだな。
そんな話をしている間に馬車が城の正門の手前あたりに差し掛かり、ふと見た景色の変化に気付いて思わず窓から身を乗り出した。
『転移』の実験をした時に修正箇所として挙がっていた木立が前より大きくなっている!?
あの時レイグラーフは十日ほどあれば拡張できると言っていたけれど、本当に完了してるよ!
さすが樹性精霊族。樹木の高速育成が可能だなんてすごい。
ここは本当にファンタジーな世界なんだなと、改めて思った。
離宮の車寄せにはファンヌとスティーグが迎えに出てくれていた。
やばい。嬉しい、超ハグしたい。
「ただいまー! ファンヌ、会いたかった~ッ!!」
同性のファンヌにならハグしても許されるよね!? とばかりに、馬車を降りたわたしは思い切りファンヌに抱きついた。
ファンヌは困った子ねと言いつつも、わたしの背中をポンポンとしてくれる。
思わず親愛の情がほとばしってしまったけれど、いい歳した大人なんだから落ち着けわたし。
腕を解いて、今度はスティーグを見上げてただいまと言うと、笑顔でお帰りなさいと言ってくれたのが嬉しくてまたもやハグしたくなってしまった。
ふう、出迎えてくれたのがスティーグで良かったよ。
もしここにいるのが魔王だったら、お膝だっこで甘やかされてきたわたしは我慢できずに抱きついてしまったかもしれない。
付き合いの浅い間柄ではお誘いと解釈されてしまうNGが多いので、城下町では親し気な振る舞いを控えてきた。
その反動なのか、心を許している人たちばかりの離宮に帰ってきたら親愛の情がメーターを振り切ってしまった感じだ。
早くファンヌのお茶を飲ませてもらって落ち着こう。
久しぶりの自室でスティーグ、クランツと一緒にファンヌのお茶を飲みながら里帰り中のスケジュールなどの打ち合わせをした。
クランツはわたしが城下町へ引っ越したあと再び魔王付きに戻ったのだが、里帰り時は以前のようにわたしに付いてくれるそうだ。
訓練でもお茶でも庭の散策でも何でも付き合ってくれると言うので、まとまった空き時間があればどんどん訓練を入れていきたい。
「そういえば、スミレさん。最上級シネーラの残りの2着が仕上がったと仕立て屋から連絡がありました。あなたの自宅へ納品してもらいますので、都合がいい日を知らせてやってください」
「わかりました。あとでメッセージを送っておきますね。この紫のシネーラも気に入ってますけど、残りの2着も素敵だったから納品が楽しみだな~」
「ふふっ、私も楽しみですよ。次の里帰りの時に着てくるんでしょう? 待ち遠しいですねぇ」
初めての里帰りが始まったばかりだというのに、もう来週の里帰りの話をするなんてスティーグにしては珍しく気が早い。
でも、それだけ彼もあのシネーラが気に入っているのだろう。
昼食は給仕してくれるファンヌとのおしゃべりを楽しみながら、久しぶりに離宮の料理を味わう。
ひと口頬張った途端に懐かしいと感じた。
鼻の奥がつんとして、一瞬目頭が熱くなる。
ふいに黙ったわたしをファンヌが訝しそうに見た。
照れくさいけれど、こういう気持ちは素直に伝えておこう。
「わたしにとってこの異世界での故郷の味はこの味だなぁって思ったの。城下町のお店の料理ももちろんおいしいんだけど、離宮の料理は何だかすごく懐かしくて、ほっこりするよ」
「あら、下働きの皆が喜ぶわね。スミレの好きなものを作ると言って張り切っていたもの」
「へへっ。今日もおいしかった、ありがとうって伝えてね。あっ、それから彼女たちにお願いがあるんだけど、今度オムレツ作るところを見せてもらえないかなぁ」
「オムレツ!? スミレってば、あんな高難易度料理に挑戦する気なの!?」
見るだけだよ! 作るのは諦めてるもん!
うぅ、この世界にフライパンさえあればオムレツをささっと作ってみせて魔族の尊敬を集められたかもしれないのに……って、誰でも作れる普通のメニューになるだけか。しょんぼりだ。
昼食が終わる頃にはさすがにわたしも落ち着いてきたらしい。
講義のためにやって来たレイグラーフの顔を見た時にはハグしたい衝動は起きなかったものの、それでも彼と話せるのが嬉しくて楽しくて、たくさん質問したり意見を交わしたりしてしまった。
メッセージのやり取りはしていても、やはり直接顔を見て話すのは楽しい。
それに、城下町で暮らしながら陽月星記を読むようになって、わたしの魔族に関する知識に深みが増してきたからか、レイグラーフの講義がおもしろくて仕方がないのだ。
知りたいことや疑問に思うことが多すぎて、質疑応答が追いつかないよ。
「そういえば城へ来る途中で気付いたんですけど、正門手前の木立が大きくなってましたね。……あの、精霊族に樹木の高速成長について尋ねることはNGに当たるでしょうか」
「いいえ、大丈夫ですよ。でも、そうやってNGかどうかを確認してから話すというのは良いことですね。特に精霊族は種族によって形態が大きく異なるせいで部族内でも価値観や考え方が真逆なこともありますから、注意するに越したことはありません」
レイグラーフの言葉にわたしは頷いた。
陽月星記を読んでいると、精霊族は種族が多いうえにその名のとおり精霊に一番近しい部族だからか、人間の感覚からするとびっくりするような挿話が多い。
2巻で最古の時代が終わり、ようやく獣人族が登場、魔人族はまだ登場していないというくらい古い時代の話だからだと思うが、元の世界の神話より遥かにブッ飛んでいてエグい話が時々混じっている。
今のところ、精霊族に対しては精霊・エレメンタル・魔力に関することでは要注意という印象だ。
幸いなことに樹木の高速成長はNGでなかったから、さっそくいろいろと話を聞かせてもらったが、あまり良く理解できなかった。
魔力に物を言わせて強制的に成長させるのではなく、褒めて伸ばすらしい。
まるで子育て論みたいだったけれど、実際、樹性精霊族にすれば樹木は我が子のようなものなのかもしれない。
講義が終わった後の夕食までの空き時間には、クランツにカウンター越しの乱暴行為に対処する方法を教えてもらった。
手首を掴まれた時の外し方は確かに役立ちそうだからしっかり覚えたい。
これならミルドに付き合ってもらえれば家でも練習できるかもしれないので、今度頼んでみようと思う。
夕食の時間が近くなって、ヴィオラ会議のメンバーがぼちぼちわたしの部屋に集まり出した。
魔王もやって来たので、わたしはいそいそと絵を取り出して皆に披露する。
「こちらの絵は元の世界の風景によく似ていたので買いました。富士山という山と桜という花はわたしの住んでいた国を象徴する二大風物なんです」
「ほう、これか。わざわざすまなかったな」
「いえいえ、わたしも皆さんに見てもらえたら嬉しいですから」
「へえ~、綺麗だね。スミレはこんな綺麗な景色を見て育ったの?」
「近くに住んでいたわけではないので直接見て育ってはいないんですけど、こういう絵のモチーフによく使われていたのであちこちで見てましたね」
この花によく似ている桜の木の下で、花を見ながらご馳走を食べたりお酒を飲んだりする“お花見”という風習があるという話をしたら、ブルーノがすごい勢いで食いついてきた。
「いいな、それ。なあ、俺たちもお花見してみようぜ! 離宮の庭には花が咲く木はないのか?」
「残念ながら、白の季節に花が咲く木は植わっていませんねぇ」
「チッ。レイグラーフ、お前何か植えて高速成長させろよ」
「簡単に言わないでください。結構大変な作業なんですから」
「確か、東屋の先に黒の季節に花が咲く木が生えていたと記憶していますが」
「それなら黒の季節でいいじゃない。ねえ、ルード?」
「うむ」
何と、魔王の決定により黒の季節にお花見をすることになってしまった。
どんな花が咲くんだろう。
まだ三か月近く先の話だけれど、今から楽しみだ!
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