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聖女は返上! ネトゲ世界で雑貨屋になります!  作者: 恵比原ジル
第二章 城下町へ

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87話 細工師シェスティン

 5軒目の工房を見終え、細工師工房巡りも残すところあと1軒となった。

 三番街の最北エリアにある6軒目の工房に行く途中にジューススタンドがあったので、リンゴジュースを買ってベンチで一休みする。

 優しい酸味と甘味が歩き疲れた体を癒してくれるようで、ホッと息が漏れた。


 平気なフリをしていても、やはり先程のドワーフの怒号にダメージを受けているんだろう。

 魔族国へ来て4か月。その間ずっと他人のネガティブな感情に触れていなかったせいか、久々の負のエネルギーに中てられた感じで非常に堪えた。

 でも、雑貨屋を始めたら、あれ程強烈なものはないにしろ嫌な思いをすることは増えるに違いない。

 いちいち傷付いてなんかいられないんだから、心の皮を分厚くしていかないと。


 そんなことを考えながらジュースを飲み干す。

 ハァ、疲れた時や凹んでいる時はやはり甘いものに限るな。

 少しばかり元気を取り戻すと、わたしは最後の工房へと向かった。



 6軒目の工房の中へ入ってひと声掛けると、奥の方からどうぞーと他の職人たちとは違って丁寧な言葉が返ってきたので少々驚く。

 でも、展示物を見れば繊細な意匠のものが多く、丁寧な返事もそういう工房主の性質の表れかと思えば納得がいった。

 展示物をじっくりと見ていくと、繊細さだけでなく彩色の見事さも目を引く。


 そうやって工房主の作品を眺めているうちに、わたしは壁に掛けられた一つの絵に目を奪われた。

 晴れ渡った青空と頂上付近に白い雪をまとった青い山を背景に、手前には白い花が咲いたたくさんの樹々が描かれている。



 富士山と桜みたいだ。



 山の形が違うし、花の色も薄ピンクじゃないのに、何故かわたしには富士山と桜そっくりのように見える。

 わたしが育ったところも住んでいたところも富士山とはまったく縁がない土地なのに、どうしてこの風景がこんなにも懐かしく感じるんだろう。

 わたしにはこの絵の中に懐かしい日本が凝縮されているように思えてならなかった。


 絵はがきやカレンダーでよく見るような、富士山と桜。

 春なんだな。この桜を眺めながらお花見をするんだろう。

 屋台が出ていたりして、それを冷やかしながら家族や友人や恋人と一緒に歩いたりするのかな。

 この絵は昼だけど、夜はライトアップされた夜桜が見れるだろうか。

 わたしが最後に花見をしたのはいつだっけ……?



 どれくらいその絵を見ていたのかわからない。

 低めの落ち着いた声が静寂を破り、わたしの夢想を終わらせた。



「ねえ。ちょっと、あなた。泣いてるの?」


「ヘッ? あっ、すみません」



 指摘されて手を頬にやると、確かに涙で濡れていた。

 嘘っ!? いくら懐かしい風景に似ていたからって、絵を見て泣くとは!

 わたしが慌てて手の甲でごしごしと涙を拭うと、工房主と思しき人が眉を顰めてそれを咎めた。



「そんな風にしたらメイクが剥げるじゃない。私の工房内で美しくないものを作り出したら許さないわよ?」


「うあっ、す、すすすみません!!」



 流し目かと思うような眼差しでひと睨みされたが、ビビるどころか、びっくりするような美人の登場の方に完全に意識を持って行かれてしまう。

 肌が白く、白に近い金髪で、全体的に色素が薄い。

 腰近くまであるプラチナブロンドを緩く編んだ三つ編みがよく似合うこの美しい長身のお姉さまは、工房の主なんだろうか。

 いや、きっとそうに違いない。

 あの繊細な意匠や美しい彩色を生み出す人にピッタリだ。


 ほわぁ……とため息が漏れるのをグーにした手で隠しつつ、生まれて初めて見るタイプの美人に思わず見とれてしまった。

 ファンヌも美人だけどタイプが違う。

 まるで美麗なイラストでも見ているかのようだ。

 どんなファンタジーだよ、いやファンタジーだし、と自分で自分に突っ込むわたしの脳内を美人工房主の言葉が現実に引き戻す。



「落ち着いたなら聞かせてくれるかしら。……どなた?」


「ハッ、ご挨拶が遅くなり申し訳ありません! わたしは一番街に住むスミレと申します。近々開く予定の雑貨屋の看板や名刺や商品カタログを作りたくて、細工師工房を巡っていました」


「ふぅ~ん、雑貨屋ねぇ」



 そう言いながら、美人工房主はわたしの頭のてっぺんから足元まで視線をスッと巡らせる。

 うっ、審美眼の優れた人に容姿をチェックされるのはキツイ……!

 だけど、予想に反して美人工房主は何も言わなかった。

 ぎりぎりセーフだったんだろうか。だとしたら、スティーグのコーディネートが良かったからに違いない。ありがとう、スティーグ!!



「ところで、どうしてこの絵の前で泣いていたのか、聞かせてくれない?」


「……この風景がわたしの故郷のものとよく似ていたので、懐かしい気持ちでいっぱいになってしまって……。でも、泣いているのには気付いていませんでした」


「故郷? あなた、どこから来たの?」


「わたし、魔族国に亡命してきた元人族なんです。亡命時の規約で出身地などの具体的な情報は秘匿するように言われているので……すみません」


「あら、そうなの。人族ねぇ、ふぅ~ん」



 美人工房主は顎に人差し指を当てて小首をかしげると、絵に視線を向けた。

 美人の上に仕草もかわいいとか、同じ女性としては憧れるしうらやましいけど、きっとお誘いだらけで大変なんだろうな……。

 憧憬と羨望と憐憫という妙な感情のこもった目で見つめるわたしに構わず、美人工房主はその絵について語り出した。



「この風景ね、もとにした実物なんてなくて、単なるイメージなのよ」


「えっ、そうなんですか……」



 魔族国にこういう場所があるならいつか行けたらいいなと、少しだけ期待したのだが、残念ながらそうではないらしい。

 でも、彼女の頭の中にはこの日本のような風景があったわけで、それをこうして具現化したものを見る機会を得られて良かったと心から思う。

 わたしはもう日本には戻れないけれど、日本に似たこの風景画にすごく慰められたし、癒された。

 ……この絵を手元に置けたらいいのにな……。



「あの、不躾なお願いですが、この絵を売っていただけないでしょうか。すごく気に入ったので家に飾りたいんです」


「いいわよ。元より売り物だから飾ってあるのだもの。それじゃ、8万Dね」


「わかりました。お願いします」



 8万Dか、さすがに絵画は高いな。

 だけど背に腹は代えられない。

 この絵はわたしを郷愁で慰め、癒してくれる。

 わたしはこの絵をどうしても手に入れたい。


 即断即決で支払うべく、わたしが左腕のデモンリンガを差し出すと、美人工房主は驚いた顔をしてそれを眺めた。



「まあ! 見たことないデモンリンガね。綺麗だわ……とても素敵」


「ありがとうございます。わたしは魔王を部族長とする魔王族として登録されているそうで、正式な魔族国の民扱いなので一般的な亡命者とは違う国民証の魔術具を与えられたようです」


「そうなの。綺麗なデモンリンガをもらえて良かったわね。……ところで、絵の下に値段を書いて貼ってあるでしょう? よくご覧なさいな」



 そう言われて見てみると、確かに絵の下の紙に値段が書かれている。

 ――って、8千D!? さっき8万Dって言ったのに!!

 わたしが目を見開いて驚いているのがおかしかったのか、彼女はくすくすと笑い出した。



「ダメよ、そんな風に相手の言いなりで買い物をしては。ちゃんと物の価値を見極めないと。ましてや、これから開業するのだし。無駄遣いしちゃダメよ」


「だって、その価値があると思ったんです。確かに8万Dは高い買い物ですけど、わたしはどうしても欲しかったので……」


「うふふ。そこまで気に入ってくれて嬉しいわ。じゃ、持ち帰れるように準備するから、そこに座って少しだけ待っていてちょうだい」



 そう言って美人工房主はわたしにスツールのような椅子を勧め、絵を持って工房の奥へと下がっていった。

 待っている間、周りに飾られている品々を眺めながら考える。

 わたしは美術方面の知識もセンスもないけれど、あの絵が彼女の心象風景なら、彼女の持つ感覚にはきっと日本と通じるものがあると思う。

 雑貨屋の看板や名刺をどんな風にしたいか、今まで具体的に考えたことはなかったが、彼女にデザインからお願いできないだろうか。


 戻って来た美人工房主に店の看板と名刺とカタログの作成を依頼したいと伝えたら、少し考えた後に引き受けてくれたのでわたしは心の中でガッツポーズする。

 彼女は樹性精霊族のシェスティンと名乗り、白樺の木だと聞いて、ピッタリだと思った。



「それじゃ、一度店を見せてちょうだい。それと、店主の人柄やイメージを掴みたいから、できれば他の部屋や服も見せてもらいたいわ」



 どうぞどうぞと快諾して、明日の午後うちへ来てもらうことになった。

 工房の都合もあるので今のところ時間は未定だが、明日のお昼までにはメッセージを送ってくれるそうだ。

 オーグレーン商会の屋敷の裏手にあるテラスハウスと言えば、地図を書かなくてもだいたいの位置はわかるらしく、そこの正面から見て右から2軒目だと伝える。



「その近くにノイマンの食堂という店があるでしょう? あそこで私の友達がホールスタッフをやっているの。あなたの店の帰りに寄っていこうかしら」


「あ、エルサさんのご友人でしたか。わたし、夕食はたいていあの店で食べていてエルサさんにはお世話になってるんです。……その、もし良かったら、明日ご一緒してもいいですか?」



 女性の知り合いは貴重だし、これを機に親しくなれたらいいなと思って同行を申し入れたら、当惑した顔をされてしまった。

 初対面なのにいきなり一緒に食事をというのは図々しかったかと申し入れを取り下げようとしたら、困った子を見るような目でわたしを見ながら彼女は言った。



「人族には魔族の年齢や性別はわからないらしいって聞いたことがあったけれど、どうやら本当のようねぇ。あのね、私こういう見た目だけど男なの。念のため言っておくけど異性愛者よ」


「ヘッ!? シェスティンさんが……お、とこ……?」


「そう。それでね、あなたは今、初対面の男に一緒に食事をしようと誘ったわけ。これがどういう意味を持つかは知っているの?」


「……まさかの、お誘い案件……? いえ! 決して、そんなつもりでは!!」



 冷や汗をかきながら、わたしは必死で弁明する。

 そんなわたしをシェスティンは楽しそうに眺めていたが、その美しい顔でにっこり笑ってとどめを刺してきた。



「勘違いだとわかったから、気にしないで。いいわよ、明日一緒にノイマンの食堂へ行きましょ。そこでエルサにさっきのことを話して、きっちりお説教してもらいましょうね?」



 美人なお姉さまと思ったら、オネエさまだったよ……。


 まさか異世界にオネエキャラがいるとは思わなかった。

 ネトゲの開発担当者は何でこうネタばっかり仕込んでるんだよおぉ……ッ!

読んでいただきありがとうございます!

※シェスティンの髪型を変更しました。

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