86話 細工師工房巡り
「スミレちゃん、おはよう。あんたそういう格好もするんじゃなあ。わしはシネーラしか着ないもんと思っとったよ」
「おはようございます、マッツさん。雑貨屋は仕事着でやりますから、開業したらシネーラ姿の方が珍しくなると思いますよ」
「開業はまだなんじゃろ?」
「そうなんですけど、今日はその準備でちょっと三番街へ出掛けるので」
今日は朝からバルボラとヴィヴィにスカーフというスタイルでマッツのパン屋とロヴネルのスープ屋を訪れた。
店の常連たちとも顔なじみになりつつあるからか、いつもと違う服装で現れたわたしを見ると皆一瞬目を見開くので少々恥ずかしい。
昨夜、里帰りの日程についてスティーグから伝言がきたので、ついでに明日三番街へ出向くから職人の町で浮かない服装についてアドバイスをお願いした。
スティーグがコーディネート案をスラスラと挙げてくれたのでそれを着てきたのだが、店の外では特に注目を集めなかったので三番街でも大丈夫だと思いたい。
工房が開くにはまだ早い時間だったので朝食後に発酵屋と酒屋へ立ち寄り、発酵乳製品のフィルとチーズ、そしてお酒を少々買い込んだ。
酒屋の主人に尋ねたらクランツの推しミードであるマデレイネがあったので購入し、精霊祭に魔王と一緒に飲んでおいしいと思った微発砲の赤ワインとビールを数種類買って帰る。
せっかく三番街全域を歩き回るのだし、まだ行ったことのないエリアの飲食店でおいしそうなものがあったらテイクアウトするつもりなのだ。
それをつまみに、たまには家で晩酌するのもいいだろう。
買った荷物を置きに一旦家へ戻り、魔力クリームを皿に盛ってやると精霊たちに留守を頼んで再び家を出た。
西通りを渡り、三番街へ入ったところでわたしはネトゲのバーチャルなマップを広げる。
商業ギルドで書いてもらった地図を参照して、昨日のうちに細工師工房の位置をバーチャルなマップ上にマークしておいたので、それを視界に収めながらゆっくりと歩いていく。
幸いなことに三番街はそれほど人通りは多くないので、マップを展開したまま歩いても大丈夫そうだ。
『生体感知』は自分の周囲にいるプレイヤーやNPCの位置を赤いもやのようなエフェクトで示してくれて、壁や建物の向こう側にいて姿が見えなくてもエフェクトだけは見えるという魔法なのだが、直射日光の下では見づらいので今は使わずにおく。
初めてのエリアを一人で行くのだし、クランツに注意されたとおり退路や死角を意識しつつ慎重に歩いて行こう。
三番街は第三兵団の分屯地と一番街の西側に位置し、南通りに至るまでの南北に長い地区だ。
地区の東側にある工房を見ながら南下し、南通りで折り返して今度は北上しながら西側の工房を巡り、最北にある工房を最後に回って帰宅するというルートを行くつもりでいる。
職人の町と呼ばれる三番街全体をざっくりとでも見ておけばどんな業種の工房があるかもわかるし、次に来る時にはもっと細かく見て歩けると思う。
そんなことを考えながら、商業ギルドで教えてもらった6軒の細工師工房を順に訪ねていく。
他の業種の工房に入ったことがないので何とも言えないが、作る物のサイズがあまり大きくないからか細工師工房は割とこぢんまりとしている印象だ。
店員や弟子がいる場合でもせいぜい一人で、たいていは職人が一人で工房を切り盛りしているように見える。
入り口に近いスペースに作品が展示されていて、奥まったところに作業スペースがあるのは共通しているようで、店員や弟子がいる工房ならいらっしゃいと声が掛かるが、職人一人の工房だとドアベルが鳴ってもお構いなしに作業を続けている。
1軒目の工房は後者のタイプで、勝手に見ていいものかわからなかったので一応声を掛けてみた。
「ごめんください。少し見せてもらってもいいでしょうか」
「ああん? まあ、好きに見てってくんな!」
「ありがとうございます」
わたしは元の世界でも職人と呼ばれる人たちと接する機会がほとんどなかったので、職人というと「職人気質」という言葉から実直で完璧主義、自分にも厳しく他人にも厳しい、そして頑固で気難しいというイメージがある。
そのため声を掛ける時は若干腰が引けていたのだが、黙って展示物を見ている分には何も言われなかったので、気が済むまでゆっくり見せてもらった。
最後に、お邪魔しましたと一声掛ければあいよーと軽く返事をしてくれたので、そう身構えなくてもいいのかなとホッとしながら1軒目の工房を後にした。
発注するかどうかわからないので工房内の展示物を眺めるだけだし、その展示物も使い回しのグラフィックなのだが、色やテクスチャが異なるからか2軒目、3軒目と訪ねるうちに工房ごとの個性を感じるようになってきた気がする。
それに、1軒目の工房の展示物に看板があるのを見て、商品カタログだけでなく店の看板と名刺も作らなければいけないことを思い出した。
まだすべての販売価格が決まってないから商品カタログは発注できないけれど、看板と名刺はすぐにでも発注できるのだから、発注先を今日決めてしまうつもりで本腰を据えて見ていかなくては。
3軒目を回ったところで南通りに突き当たった。
マップによれば南通りの向こう側は五番街で、南通りを挟んで一番街と三番街に接している東西に長い地区だ。
このあたりは三番街の職人たちが来店するからか、飲食店のメニューはよそよりテイクアウト系やボリュームのあるものが多い気がする。
ちょうど昼時だったので、席が空いていたパン屋でチーズとハムのサンドイッチを頼んだ。
手に取ったらホカホカと温かく、ひと口食べたらとろりとしたチーズと薄切りのハムがミルフィーユ状に重なっていて、何とも言えない歯ざわりと食感に一人静かに興奮しながら平らげた。
おいしかったし本来ならきれいな断面になるだろうに、使い回しのグラフィックなのが惜しまれる。
あとは、目に入った惣菜屋でローストビーフを買って保存庫へ入れてもらった。
晩酌用のつまみもゲットしたことだし、細工師工房巡りを再開しよう。
4軒目の工房は主が不在のようで、奥に向かって声を掛けても返事がなかった。
魔族たちはだいたい12時から午後1時の間に昼食を兼ねた休憩を取るので、外へ出掛けてまだ戻ってきていないのかもしれない。
留守中に入り込んでいるのも気まずいので、一旦店の外へ出ようと入口へ戻りかけたところへ工房主らしき職人姿の人物がドアを開けて入って来た。
「工房の方ですか? 留守中にお邪魔してすみません。少し見せてもらいたいのですが」
「いや、こっちこそ戻るのが遅くて悪かったな。何でも好きなだけ見てってくれ。気に入った物があれば声を――」
そう気さくに返事をしながらまっすぐ奥の作業スペースに行きかけた工房主が、ふと足を止めて振り返ると、わたしをジッと見た。
背が低くてがっちり体型で、立派な髭のこの人はどの部族なんだろう。岩性精霊族か、それとも小型生物の獣人族だろうか。
そんなことを考えていたわたしは彼の目に何か激しい感情が浮かぶのを見たが、それが何かを理解する前に彼に問われる。
「……あんた、もしかして人族か?」
「あっ、はい。でも“元”でして、今は国民登録済み――」
「出て行けッ!!!」
いきなり放たれた怒鳴り声にわたしは思わず飛び上がった。
工房主がものすごい形相でわたしを睨んでいる。
でも何故? 初対面の彼にこんな風に怒鳴られる覚えなんてないのに、と思ったところで理由に思い至った。
魔族国には人族に住んでいた土地を奪われた少数部族が庇護されていて、彼らの多くは人族を嫌っているとレイグラーフの講義で聞いたことがある。
容姿から察するに、おそらく彼はドワーフだ。
「出て行けと言っとるだろうが!! つまみ出されたいのか!?」
「ヒッ」
再び大音量で怒鳴られ、わたしは即座にドアへと駆け寄ると転がるようにして外へ飛び出た。
勢い余ったせいでバッグを取り落とし、中から飛び出た保存庫を慌てて拾い上げてバッグに仕舞おうとするが、驚きのあまり指が震えてうまく動かない。
もたつくわたしの背後から容赦なく罵声が浴びせかけられる。
「蛮族め! 二度と来るな!!!」
バン!とドアを閉める音がして、恐る恐る振り返ったら工房のドアが閉められているのが目に入り、ホッと息を吐いた瞬間ドアが開いてまた怒鳴られた。
「目障りだ!! さっさと消えろッ!!」
わたしはバッグと保存庫を両腕に抱えると、脇目も振らずにその場から逃げ出した。
必死に走ったが、昼食後だったせいか、大した距離を走らない内にわたしは息が上がってしまい、後ろを振り返ってドワーフが追いかけて来ていないことを確認してから足を止めた。
小さな空き地にベンチがあるのが目に入ったので、腰を下ろしてひと息つく。
まだ心臓がバクバクしているが、ホッとした途端に怒りが胸の中で膨れ上がってきて、思わず両手で口を押えた。
何でわたしが怒鳴られなきゃいけないんだ。理不尽だろう。
この世界の人族とわたしは関係ないのに、その怒りをわたしに向けるなと言いたい。
胸の中でぐるぐると激しく渦巻く感情は、しかし呼吸と動機が落ち着いてくるにつれて、徐々に諦念のようなものに変わっていった。
国とか、人種とか、住んでいる地域とか、そういうもので一括りにされて、訳も分からずに石を投げつけられるようなことは、人が暮らす場所では結局どこでも起こるのだ。
親切な人が多いこの魔族国でもそれは同じで、躍起になって反発したところで相手が考えや態度を変えることはまずない。
そんな不毛なことに気力や労力や時間を使うなんて馬鹿馬鹿しいと考えてしまう程度には、アラサーのわたしは十分社会に揉まれて擦れている。
スルーでいいや。
少数部族の多くはああいう感じだとわかった分だけ、次からの心構えができると言うものだ。
ただし、あのドワーフにはもう近付きたくないので、ネトゲ仕様の機能を使って回避策を取っておこう。
わたしは周囲から不信に思われないように注意しながら視線でバーチャルな画面をタップし、ログを遡って先程のドワーフの名前を探し出すと『イエローリスト』に登録する。
イエローリストに登録したキャラクターは頭の上にバーチャルな黄色の感嘆符が浮かぶらしく、遠目にも目立つし、バーチャルなマップ上にもマークが表示されるうえに、そのキャラクターがいるエリア内に入った瞬間に注意喚起のログが流れるらしい。
『ブラックリスト』という相手の情報を一切遮断する機能もあるが、それだと相手の位置や発言が見聞きできず、却って不都合が生じる可能性もあるので今回は使用を見送っておく。
イエローリストの登録作業を終えると、わたしはバーチャルなマップを広げて現在地を確認する。
思っていたより全然遠くまで来ていなかったようだが、5軒目の工房はもうすぐそこだ。
よいしょと立ち上がって歩き出すも、とぼとぼとした歩調が我ながら辛気臭い。
カラ元気も元気と言うし、こういう時こそ元気を出していこうと思うものの、わたしの足取りは重いままだった。
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