81話 巡回班の懸念とドローテアのお茶会
※前回登場したヨーグルト似の発酵乳製品の名称を短くしました。
今日もマッツのパン屋とロヴネルのスープ屋で朝食を済ませたわたしは現在自宅ではなく発酵屋に向かって歩いている。
発酵屋は午前中のみの営業だが、今日は午後にドローテアとのお茶会が入っているだけで午前中はフリーなのでフィルを買いに行くことにした。
フィルはヨーグルトによく似た牛乳の発酵食品で、離宮の朝食で食べて以来気に入っているので城下町でも近所に店があるならぜひ食べたい。
発酵屋で5食分のフィルを保存庫に入れてもらい、ついでにキュウリとセロリのピクルスがおいしそうだったので試しに買ってみた。
精霊族の店主が飲むタイプのフィルもあるよと勧めてくれたので、一杯注文して店の前のベンチに座って飲む。
うん、とろりとした口当たりと爽やかな酸味がおいしい。
これを買ってマッツのパン屋へ持ち込むのもアリだな、今度やってみよう。
フィルをたっぷり確保できて満足しながら家へ帰ると、自宅の前に第三兵団の巡回班の二人が立っていた。
一人は班長で魔人族のオルジフ、もう一人は精霊族のコスティだ。
オルジフはミルドと一緒にいた時に少し話したことがあるけれど、コスティとは第三兵団の分屯地へ行った時に挨拶した程度で、まだまともに言葉を交わしたことはない。
「おはようございます。あの、うちに何か御用でしょうか」
「やあ、おはよう。朝っぱらから悪いんだが、ちょっと話があるんだ。中へ入れてもらえないかい?」
「わかりました。どうぞお入りください」
わたしは巡回班の二人を中へ招き入れた。
まだ親交の浅い人たちだが巡回班のメンバーはブルーノが選んだ兵士だし、班長のオルジフは面倒見の良さそうな人だったので、緊張はするけれど特に警戒はしていない。
ただ、戸締りをして出掛けていたので、ひと言断って窓の鎧戸を開けるついでにそのまま開け放しておいた。
二人にソファーを勧めたが、巡回中なので立ち話でいいと言われて少し戸惑う。
一体どんな用事なんだろう。
「あー、俺は考えすぎだって言ったんだが、こいつがどうしてもあんたに直接確認したいって言うんで連れて来た。ほれ、さっさと聞け」
「おう。スミレさん、あんたが恋愛する気がないってのは本当なのか? 上の連中に強制されてお誘い不要のアピールをしてるんじゃないか?」
「へッ、強制!?」
ちょっと待って! 一体どこからそんな発想が出てきたの!?
驚きのあまり二の句が継げないわたしにコスティは真剣な顔で言い募り、オルジフが気遣わし気な視線を向けてくる。
「お誘い不要な連中はたいてい異性を苦手にしてる。なのにあんたは初対面の俺たちに親し気な笑顔を見せたし、引っ越して早々に冒険者のミルドと接近した。飲食店の連中とのやり取りを見ても異性を拒んでいる感じはない。なら、お誘い不要はあんたの意思じゃないんじゃないのか?」
「あのな、魔族と人族の間に出来た子供は先々苦労するってことを理由にあんたに子作りを、引いては恋愛そのものを諦めるよう周囲に言い含められてるんじゃないかって、こいつは言うんだよ」
「魔族と人族の間の子作りが非推奨とされてるからって恋愛まで諦めさせるなんて気の毒じゃないか。あんたが望むなら魔族と恋仲になったってかまわないんだぞ」
魔族は基本的に同族としか子を授からないが、人族だけは例外で稀に子を儲けることができる。
ただ、その子供は魔力も寿命も一般的な魔族と比べると半分以下で、実力主義の魔族社会では非常に肩身の狭い思いをすることになるため魔族と人族との間の子作りは非推奨とされていると、以前雑貨屋開業の許可を得る会合の場で聞いた。
知ってはいたけれど、まさかそれを理由にわたしのお誘い不要アピールを魔王たちのせいにされるとは考えもしなかったよ……!!
「いえ、強制なんてされてません。魔王陛下をはじめ、皆さんには本当に良くしてもらっているんです。あの人たちがわたしに何かを強制したことなんて今まで一度もありませんから!」
彼らがそんな風に誤解されるなんて耐えられなかったので、わたしは必死になって二人に説明する。
魔族国に早く慣れることと雑貨屋のことで頭がいっぱいで、恋愛のことを考える余裕なんてないし、そもそもこの国に来る前からわたしは恋愛意欲が低いのだ。
親愛の情なら歓迎するが恋愛は正直に言って面倒くさいし、常識不足でうっかりお誘い案件に引っ掛かって恋愛沙汰に巻き込まれないようにと必死なんだよ。
しまいにはげんなりした顔で愚痴っぽくなってきたわたしを見て、ようやく二人ともお誘い不要のアピールが本当にわたしの意思によるものだと納得したらしい。
「そうか……。悪かったな、余計な気を回して。しかし、面倒くさいとまで言うとは思わなかったぞ」
「すまない。俺の早とちりだったようだ」
「いえ、誤解さえ解いてもらえれば問題ないので。それに……あの、そこまで親身に考えて心配してくださってありがとうございます」
ノイマンやエルサ、ミルドもそうだが、魔族は交流の浅い者に対しても面倒見良く接してくれる人が多いなぁと改めて感心してしまった。
他の班員にも伝えて欲しいと頼み、恐縮しながら帰っていく二人を見送る。
恋愛しないのはわたしの意思なんだと積極的にアピールする方法は思い浮かばないけれど、わたしが毎日元気良く楽しそうに暮らしていればそのうち周囲の人にもわかってもらえるだろう。
強制されているとか諦めているとか、そんな風に誤解されるのは不本意なので、機会があるごとに自分の意思で恋愛お断りの姿勢を貫いているんだと積極的に言葉でも伝えていこうと思う。
昼食にフィルを生地に混ぜたパンケーキでも焼こうかと考えていたが、何だか気が削がれたので外食で済まそうと再びぶらりと外へ出た。
西通りを渡った先の三番街でパイの専門店を見つけ、入ってみたら惣菜系のパイもあったので、すかさずひき肉とマッシュポテトのパイを注文する。
スパイシーなひき肉と肉汁を吸ったマッシュポテトのどっしり感がたまらない。
お腹にしっかり貯まる感じにとても満足したので他のパイも買って帰りたかったが、保存庫を持っていなかったから諦めた。
いつ出先でおいしそうなものを見つけるかわからないので、今度から出掛ける時は保存庫を持っていくことにしよう。
そして、ついでにオムレツ作りに良さそうな調理器具がないか尋ねようとラウノの道具屋へ足を伸ばした結果、オムレツが高難易度メニューだと知り撃沈したのである。
「あらまあ、スミレはオムレツが簡単な料理だと思っていたのね。確かに溶き卵を焼いただけの料理に見えるけれど、ホホホ、おもしろいわねぇ」
午後になり、ドローテアの家へお邪魔してお茶をご馳走になりながら、城下町の暮らしにはもう慣れたかという質問に対して驚きの連続だと、ついさっき知った衝撃の事実について語ったらドローテアに大笑いされてしまった。
「だってドローテアさん、離宮では普通に食卓に出てきてたんですもの。料理人はいなくて、下働きの女性たちが炊事・洗濯・掃除を全部やっていたのに」
「その女性たちは相当腕が良いのね。料理人でもないのにオムレツを作れるなんて本当にすごいことよ。スミレも教えてもらったら?」
「ダッチオーブンを片手で扱えるようになるために筋トレするのはちょっと……。あとは、魔族国へ来てからずっと当たり前のようにシネーラを着ていたので、この格好はすごく珍しくて目立つと知って驚きました」
「そうねぇ。わたしもシネーラを着るようになったのは、仕事を辞めてここへ住むようになってからだもの。それまではヤルシュカばかり着ていたわ」
「へえ~、ドローテアさんも勝負服を着てたんですね。……あの、恋愛しないというのは、魔族国ではそんなに変なことなんですか? お誘い不要のアピールを不思議がられたり、強制されてるんじゃないかと誤解されたりするんですけど」
わたしの周囲は魔族男性が多く、これまでにプライベートで親しく言葉を交わした魔族女性はファンヌとドロテーア、エルサの三人だけだ。
そもそも城下町自体に魔族女性が少ないため、今後も知り合いが増える可能性はあまり高くないと見ている。
だから魔族女性の話を聞ける貴重なこの機会に、疑問を投げてみた。
「魔族にも恋愛お断りな人はいるから気にしなくていいのよ。オーグレーン荘にもいるでしょう?」
ホホホ、と笑いながらドローテアは言った。
1号室のウルマスは頭にスカーフを巻いていたからそうだと思っていたけれど、挨拶回りの時に愛想がないと思った2号室のターヴィも恋愛お断りなのか。
少なくともこのオーグレーン荘の中では恋愛云々を気にしなくて済むのは非常にありがたい。
「ただねぇ、人族のあなたにはあまりわからないかもしれないけれど、わたしたち魔族は大きく四つの部族に分かれていて、根本的には互いに相容れないのよ」
「えっ。遥か昔に対立や争いがあったのは知ってますが、魔族国としてまとまってからは違うと思ってました。違う部族ともすごく仲良さそうに見えますけど」
ドローテアの言葉はとても意外だったが、同族としか子を授からないことや精霊祭の過ごし方が様々であることを例に挙げられれば、魔族とひと口に言っても実際は身体的にも精神的にも異なる者同士なのだという言い分は理解できる。
それでも、強い個性を持つ4つの部族は争うより互いの得手不得手を補い合った方がより豊かに暮らせると気付き、一つの国にまとまったからには相互理解が必要になった。
「互いに理解を深めるのに一番手っ取り早いのは恋仲になることではないかしら」
「……親愛の情をもって相手の部族や種族について知っていこうという態度を育んだ結果、魔族社会は恋愛に対して肯定的で積極的になったということですか」
「そういう伝承があるというわけではないのよ? でも、子作りのことを考えたら同族同士だけで恋愛していればいいのに、他の部族との恋愛をまったく否定していないのは、単に寿命が長いからという理由だけではない気がするの」
そう言うと、ドローテアは穏やかに微笑みながら、お茶のお代わりを勧めてくれた。
それをありがたく頂戴しながら、今の話を一人で反芻する。
魔族にとって恋愛が相互理解のための手段なら、頭から拒否する態度は良くないのだろうか。
「あくまでも手段の一つなんだから、別に拒否したっていいのよ。他にも手段はあるのだし、わたしとの相互理解は恋愛以外の手段でお願いしますね、というのが地味服や地味メイクの役割ね。だから、嫌なことは嫌と言わなければダメよ?」
それもまた相互理解に繋がるのだからとドローテアは言うけれど、わたしはまだそこまで一度には呑み込めそうにない。
ただ、考えるヒントはたくさんもらえたので、恋愛に関するスタンスについては今後ゆっくりと考えを深めていこうと思う。
御年900歳の白竜のおばあ様の言葉はさすがに深い。
今後ともご指導いただきたいので、またお茶会をしようと言うドローテアにわたしは大きく頷いた。
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